5―28  浄化


 今日は教会で福音の儀が執り行われる。


 人族の男の子と、猫獣人の女の子が七歳の誕生日を迎え、初めてエルマの教会で福音の儀が行われる事になった。


 今までゴート村の子供たちは、福音の儀をエールハウゼンの教会で受けていた。

 しかし今回二人の子供たちの両親は、何方も自分の子供の福音の儀を受ける教会に、クレスト教教会ではなく、エルマの真・クレスト教教会を選んだ。


「まあ、クレスト教会の連中が、この村の人間を皆殺しにする心算だったのは、皆知っているんだからそうなるわな」


 ケリーの言葉にエレノアも頷いた。

「ホントね、聖騎士二人の謀反とか言ってるけど、絶対嘘ね」


 パトロールはアデル達に任せて、ケリーとエレノアもエルマの警備に就いている。


 マリウスは教会のベンチに座って、祭壇の前に立つエルマと、マリウスと同い年頃の二人の子供を見ていた。


 エルマの後ろにはエリナとベアトリスが立っている。

 子供たちの両親の外にも、たくさんの村人が教会にやって来てベンチに座っていた。


 マリウスの福音の儀は、教会の奥で司祭と認証官の女性とクラウスの四人だけで密やかに行われたので、皆に見守られながの福音の儀がとても新鮮に感じられた。


 男の子が先に呼ばれ緊張した足取りでエルマの前に立つと、司祭服姿のエルマが聖書を左手の上に置き、右手を少年の頭の上に当てた。


 エルマが呪文を唱えると、“福音”が発動する。少年の体が数秒青い光に包まれた。

 光が消えるとエルマが“ギフト鑑定”を発動した様だ。


「アーベル・フィッシャー。ギフト『農民』 ビギナー」


 がっかりしたように祭壇から降りて来た少年の頭を、母親が優しく撫でた。


「アーベル、父ちゃんと一緒に畑仕事頑張れよ!」


 村人の一人が声を掛けると、アーベル少年が口を尖らせて言った。

「ちぇ、俺剣士が良かったのに」


 そう言うアーベルの頭を、今度は父親が分厚い手でガシガシと撫でた。


 マリウスは聖職者の“福音”を改めて見ると、やはり付与魔術によく似ていると思った。

 魔石を握る左手に、聖書が乗っているだけで他は全く同じだった。


 ただ術式らしいものは読み取れなかった。普通の魔法とは違うのかもしれない。


 見物人の村人達から歓声が上がる。

 祭壇の方に目を向けると、女の子がミドルの料理人のギフトを貰ったようだ。

 

 嬉しそうに両親のもとに女の子が戻ると、父親が女の子を抱き上げた。

 アンナが満面の笑顔で、両親に近付いて行って挨拶している。


 いかん、アンナの“青田刈り”だ。


 マリウスが命じると、クレメンスの兵達がアンナを教会の外に放り出した。


「何すんだい! ちょっと挨拶しただけじゃないか!」


 重大な協定違反を犯したアンナは、三か月間福音の儀への参加を禁止する事にしよう。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「執政官様、今日はわざわざ教会に足を御運び下さり、有難う御座います。」


「いえ、村の子供たちのギフトは僕も気になりますから」


 福音の儀が終った後、マリウスはエルマに誘われてエルマの館でお茶を頂く事になった。


 ハティは教会の表で、福音の儀を見物しに来ていた子供たちと遊んでいた。

 背中に五人の子供を乗せて、ハティが空に駆け上がる。 エルマも子供達と遊ぶハティの姿を、穏やかな顔で見ていた。


「今日は、もう一人の女官の方はいらっしゃらないのですね」

 マリウスが周りを見回しながらエルマに言った。


「ええ、ヴァネッサにはアンヘルに御義母様の用事で、お使いに行って貰っています」


 シェリルとの連絡係で、ヴァネッサはしばしばアンヘルを行き来している。


 実はアンヘルに潜伏しているロンメルの隠密を通じて、ロンメルとも連絡を取っていた。エールハウゼンにもロンメルの隠密は潜んでいるのだが、エルシャ達がいるのでヴァネッサ達はエールハウゼンに行くのは避けていた。


 辺境伯家のシュバルツは当然総てを把握しているが、宰相と敵対はしていないのでその儘にしている。アースバルト家の方は全く何も気付いていなかった。


「でも司祭様がこの村に来てしまったら、アンヘルの福音の儀はどうしているのですか?」


「うちの教会には、福音の儀を執り行える司祭が私の他に16人います。アンヘルの教会は二人の司祭にまかせていますわ」


 真・クレスト教会の司祭がそんなにいるとは知らなかった。

 辺境伯領から南部の王領迄真・クレスト教は広がっているそうだから、まあ当然か。


 エリナがエルマとマリウスの前にお茶のカップを置いてくれた。


「若様もベルツブルグの方に行かれるそうですね」


「はい、月末にエールハウゼンから来る移住者の受け入れが終ったら。その五日後には発つ予定です」


 前の晩にエールハウゼンの館に戻る心算だから、久しぶりにマリアやシャルロットに会えるのが楽しみだった。


「フィアンセに逢うのは初めてですか、楽しみですね若様?」

 ベアトリスがエルマの後ろでニヤニヤしながらマリウスに尋ねた。


「うん、公爵様に逢うのも初めてなんだ」


「そーなんですか、やっぱりお嬢さんを僕に下さいとか言うんですか? グランベール公爵様って滅茶苦茶怖い人らしいですよ」


 揶揄うベアトリスにマリウスが顔を赤くして言った。

「そんな事は言わないよ。父上と公爵様が婚約の誓紙を取り交わすだけだよ」


「それだけですか、つまらないですね」


 婚約の儀とはそういうものらしい、グランベール公爵とクラウスが、認証官の立会の前で婚約の誓紙を取り交わして、両家の縁組が正式に発表されるらしい。

 マリウスは相手と、御人形さんの様にその場にいれば良いそうだ。


「貴族の婚約とはそういう物ですよ。実際に結婚するまではお互い自分の家にいて会う事も少ないですし」

 エルマが笑いながら言った。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「どうですかフランツさん。薬師ギルドを取り戻せそうですか?」


 ラウム枢機卿の問いに、元薬師ギルド筆頭理事フランツ・マイヤーは青い顔で首を横に振った。


「申し訳御座いません猊下。宰相様は最早我らを薬師ギルドに戻す気は無いようです」


「しかし、宰相は薬師達を選抜し『奇跡の水』を使ったポーションを作る心算なのでしょう。恐らくそのポーションを安く流通させて、私達の邪魔をしようと画策している筈です。ギルドが無ければ、どうやって大量のポーションを生産し、王国内に流通させる心算なのでしょう?」


 ラウム枢機卿が訝しむ様に眉を顰めてフランツを見る。


「どうやら宰相様は『奇跡の水』を使ったポーションを既にゴート村で生産させているようです、王都で『奇跡の水』を使ったポーションを製造するのは一部だけで、ゴート村に一大製薬拠点を築き、ギルド本部もゴート村に移して、カサンドラ・フェザーをグランドマスターにする計画を進めている様です。


「またしてもゴート村ですか、それは厄介ですね。あの辺境の地にギルドが移ってしまっては、手出し出来なくなりますね」


 眉を吊り上げる枢機卿にフランツが困惑したように話を続ける。

「しかもカサンドラは『奇跡の水』を使って、更に効能の高い新薬を完成させたようでございます」 


「新薬ですか? それは益々拙い事態になりましたね。あの村にはエルマ・シュナイダーがいます、万が一にもその新薬をエルマの教会に独占されたら、最早私達はこの国で活動する事が難しくなってしまいます」


 『奇跡の水』を使ったポーションだけなら、水さえ手に入れる事が出来れば本国の薬師達に作らせる事も出来るかもしれないが、それ以上の効能の新薬となると事態は深刻である。

 ラウム枢機卿は自分が嘗てない程の窮地に追い込まれた事を知った。


 どの国でもクレスト教会が福音を支配する限り、教会の影響力から逃れる事はできない。


 だがこのライン=アルト王国だけは事情が異なっていた。

 真・クレスト教会が勢力を伸ばせば、クレスト教会を排除する事も可能になる。


「貴方は何とか王都のギルドだけでも押さえて下さい、本部がゴート村に移っても  王都のギルドが完全に無くなるわけではないでしょう。私はエールハウゼンのルーカスに、アースバルト子爵と直接新薬の取引が出来ないか働きかけさせます」


 そう言いながら、ラウム枢機卿は最早交渉で状況を覆す事は難しいかもしれないと考えていた。

 シルヴィー・ナミュールの強硬策に賭けるしか無いのかもしれない。


 クレスト教会にとって脅威となるエルマと、薬師ギルドに新薬まですべてがゴート村に集まってしまった。

 ラウム枢機卿は今更ながらにマリウスこそが、自分達の最大の障害である事を思い知らさせられていた。


「フランツさん、あなたは『禁忌薬』の事を何かレオニード・ホーネッカーから聞かされてはいませんか?」


「『禁忌薬』ですか? いえ、それは薬なのですか?」

 枢機卿はフランツの顔を見つめたが、何も知らない様だった。


「知らなければ結構です。その名前は忘れて下さい」

 枢機卿はそう言ってフランツを下がらせると、眉間に皺を寄せて考え込んだ。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

「“浄化”ですか。ええ、“浄化”は聖職者の上級スキルですが」


「具体的にはどういう効果があるのですか?」


 マリウスはちょうど良い機会なのでエルマに“浄化”について聞いてみる事にした。


 マリウスは浄水場の濾過槽や水筒に“消毒”や“治癒”、“滋養強壮”と一緒に“浄化”を付与した。


 何となく水を綺麗にしてくれる様な気がしたからだが、この水を飲んだハティやバルバロスが“魔物除け”の杭を超えられるようになったのは、やはり“浄化”の作用ではないかと思っていた。


 実はマリウスはニナに頼んで角ウサギを数匹捕えて貰い、全ての魔物が『奇跡の水』を飲んだら“魔物除け”の柵を超えるようになるのか知りたくて実験をしていた。


 角ウサギに『奇跡の水』を飲ませようとしたのだが、角ウサギは顔を背けて水を飲まなかった。押さえつけて無理やり水を飲ませたところ、角ウサギはのたうちながら死んでしまった。


 ハティやバルバロスと何か条件が違うのかもしれないが、結局良く解らない儘だった。


「“浄化”は穢れを払うと言われています」


「穢れですか?」


「そうです。不浄な土地、多くの人の怨念が籠った場所や、闇の力に侵されてしまった人、そういう負の力を払うと言われています。」


 なんだか漠然としていて、いかにも宗教っぽいけど。

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