7―15  カンパニー


「前と変わりなく動かせるの?」


 マリウスが袖をまくったマルティンの左手をしげしげと眺めながら尋ねた。


 新しく再生した部分の肌が少し白くて境目は見分けはついたが、それ以外に違和感は何もなかった。


「はい。依然と全く変わりありません。腕が生えて直ぐは力が入りませんでしたが、今では剣も振れます」


マルティンが手の平を握りしめたり閉じたりしながら答える。


 2か月ほど前に森の中で魔物に襲われて、左腕の肘から先を失っていたマルティンは『下級エリクサー』の御蔭ですっかり元通りに戻っていた。


 マルティンの傍らにはエミリアが座っている。

 マリウスの館である。クレメンスとイエル、ノルンにも同席して貰っていた。


 何故かぐったりと疲れた顔をしているノルンを見て、お前もかと思ったが、取り敢えずマリウスは気付かない振りをしてマルティンを見た。


「ホントに凄いな、カサンドラの薬は。良かったねマルティン」


「はっ! ありがとうございますマリウス様。今後も今まで以上に忠勤に励む事をお約束いたします!」


 マルティンとエミリアが深々とマリウスに頭を下げる。


「礼はカサンドラに言えば良いよ。それより今日はエミリアにも聞きたい事が有って呼んだんだ」


「私に聞きたい事で御座いますか? 一体何でしょう?」


 首をかしげるエミリアにマリウスが言った。


「実はアンナの事なんだけど。何か最近変わった様子はないかな? 誰か訪ねて来たとか。どこかに出かけたとか」


 エミリアは普段は『狐商会』の従業員として、アンナの秘書の様な仕事をしている。


 エミリアとマルティンが顔を見合わせてから、マリウスに頷いた。


「はい、最近よくエールハウゼンの商業ギルドに呼ばれているようで、とても上機嫌の様子です。なんでも近くギルドの幹部になれるとか……。それがどうか致しましたか?」


 マリウスは少し迷ったが、いわばマリウスの数少ない情報担当の二人にはもう、幹部同様ある程度正確に情報を共有して貰う事にした。


「うん。実は内密にして欲しい話なんだけど、商業ギルドの上層部に不審な動きがあって、もしかすると今後商業ギルドと敵対するかもしれないんだ」


「しょ、商業ギルドと敵対するのですか!?」


 マルティンが驚いて声を上げる。


 薄々予想はしていたイエルとクレメンスも初めて話を聴くノルンも、マリウスからはっきりと告げられて顔が青ざめていた。


 商業ギルドの力は大陸中に及んでいる。下手な貴族など及びもつかない程強大な権力を持ち、教皇国ですらうかつに手出しできない存在である。


 既に教皇国から敵対視されているのに、この上商業ギルドまで敵に回すかもしれないというのは、この大陸で生きていくのが不可能な程の重大事で、さすがにイエルたちも緊張せざるを得ない。


「うーん、出来れば争いは避けたいのだけど、向こうはもうこちらと繋がりのあるダックスやアンナに手を伸ばし始めている状況なんだ」


 やっと戦いから解放されて村に戻って来たのに、また争いの火種が燻っているのはうんざりするが、ポーションの供給に関する話は国の大切な仕事なので真剣に対応するしかない。


「それで、私たちは何をすれば良いのでしょう」


「うん、取り敢えずマルティンは御者の仕事は辞めて、エールハウゼンのホルスの下に入って、商業ギルドの動きを見張って欲しい。ホルスには話をしてあるし、人手が必要なら手配させるから宜しく頼むよ。エミリアは今のまま『狐商会』でアンナの様子を逐一知らせて欲しい」


「はっ! 畏まりました」


 マルティンとエミリアの事は勿論クレメンスとイエルは知っているが、ノルンは知らされていなかったので何か聴きたそうにしているが、黙って話を聴いていた。


「しかし商業ギルドと敵対する事になるとすると、今後のポーションの取り引きは如何される御心算ですかマリウス様?」


 イエルの問いにマリウスは少し考えてから答えた。


「うーん。細かい話はクライン男爵が到着してからだけど、宰相様は東部だけでも商業ギルドを通さないポーションの流通網を作れないか考えているようだね。其の為にダックスとアンナに協力を要請する心算みたいだね」


 ロンメルからの手紙にはやはり、ポーションの流通を全て商業ギルドに任せるのは危険だと書かれていた。


 クライン男爵を派遣して来るのも、ダックスやアンナたちと東部だけでも独自の流通ルートを構築できないか検討して欲しいという話だった。


「商業ギルドを通さないで流通ですか、それは難しいかと思いますが……」


 イエルが難しい顔をする。


「やっぱりそうなの?」


「ええ、商業ギルドは全ての生産者ギルドと繋がっていますし、大陸中の流通網を押さえています。更に市場の小売店も殆どが商業ギルドに所属していますので、商業ギルドと手を切れば色々な品物を仕入れる事も、自分の店舗以外で売る事も、商品を運ぶことも出来なくなってしまします」


「それはつまり商品の仕入れ先の確保と、流通網、販売店舗をすべて揃えれば商業ギルドと対抗できると云う事かな?」


 マリウスの問いにイエルが意表を突かれた様にあんぐりと口を開けたまま固まってしまった。


「そ、それはそうですがしかし、そのような事が出来るのですか……?」


「うん、取り敢えず薬師ギルドと魔道具師ギルトの二つの生産者ギルドは押さえているから、あとは流通と販売網を揃えることが出来れば何とかなるかもしれないね」


「それはそうですが、その為には莫大な資金が必要になるかと思いますが……」


 当惑するイエルにマリウスが笑って答えた。


「それについては一つ考えが有るんだ。勿論アースバルト家だけでは無理だけど、王家や公爵家、辺境伯家にも共同出資して貰ってカンパニーを造りたいんだ」


「カンパニーですか? 一体それはどの様な物ですか?」


 イエルが戸惑ったようにマリウスを見た。


「うん。簡単にいうと共同出資という形で資金を集めて商会を作り、出資者に選ばれた代表と役員で商会を運営して、利益が出れば資金を出してくれた人に一部を配当金として渡す様な仕組みかな」


「成程、面白いですね。出資者がカンパニーを運営する訳では無いのですね?」


 イエルが喰いついて来た。


 つまり株式会社である。この世界には未だ株式会社という概念はなく、大小は有ってもあくまで個人経営の商会しかなかった。


 その商会をまとめているのがギルドである。


「うん。カンパニーの代表や役員は出資者の投票で選ぶし、多くを出資した人ほど多くの投票権を持つけど、会社を運営していくのは選ばれた代表の仕事になるかな。出来ればダックスやアンナの商会だけでなく、公爵領や辺境伯領、王領の商会にも幾つか参加を呼び掛けて、東部全体に薬だけじゃなく色々な日用品を取り扱う、ドラッグストアのチェーン展開をしてみたら良いんじゃないかな」


『〇ツモトキヨシみたいな?』


「ドラッグストアのチェーン展開は良く解りませんが、仰せになる事は分かります。とても面白いですがしかしそれは、この大陸の経済を支配してきたギルド制度そのものと完全に対立する事になるのでは?」


「そういう事になるのかな。ギルドは元々各業種の職人たちが、領主に対して自分たちの権利を守るために作った組合だそうだけど……」


 マリウスが首を捻る。


「今となってはギルドそのものが権益を求める団体になっていますからね」


 イエルが肩を竦めた。


 マリウスはアイツから引っ張った知識を喋っている訳だが、やはりイエルの方が話の呑み込みが早い。


 ぶつぶつと一人で頷いたり独り言を言ったりすっかり考えに没頭している様だが、やがて顔を上げると言った。


「面白いです。やってみる価値はあると思います」


 イエルがマリウスの顔を見て大きく頷いた。


  ※ ※ ※ ※ ※ ※


「これは……! 何という事だ?」


 エリク王子は、周囲の光景を見て愕然とする。


 昨日公爵家の騎士グレーテ・ベルマーよりグランベール公爵との会談の申し入れと共にもたらされた情報を確認する為、エリク王子はボリス・オークランス将軍と数騎を引き連れてライン=アルト王国との国境近くのバルト河の上流まで馬を進めた。


「王子、確かに周囲の木が枯れています。こ、これは……」


 ボリスも馬から降りると川べりの黒っぽく変色した土地と、枯れた木々を見つめて呆然とした。


 川を遡って来る途中、大量に魚の死骸が流れていくのを見た。

 岸辺には腐臭を放つ、異形に変形した魚の死骸が打ち上げられていた。


 この辺りは未だ川の岸辺から数十メートル位の範囲の木々が枯れているだけだったが、河が流れて来る山の方を見上げると、もっと広い範囲で木々が枯れて山が変色しているのが分かった。


「どうやらグレーテ殿の話は本当だったようで御座いますな」


 かすれた声で呟くボリスに、エリク王子も頷きながら下流に広がる広大な平野を眺めた。


 バルト河の本流を国境に西はユング王国、東はエルドニア帝国に別れている。


 かつてはこの平野は全てユング王国の領土であったが、4年前に帝国の強引な要求で、東の半分を帝国に割譲させられていた。


 その時王国側で話を進めたのが、今投獄されている宰相のベルゲだった。


 この場所は薬が撒かれたというロス湖から100キロほど離れている。

 そしてここから海までは200キロ程しかなかった。


「薬が撒かれたのが一週間前だそうだから、半月で河の周辺の作物が全て枯れてしまうという話は大袈裟ではない様だな」


 エリク王子が苦い表情で呟く。


「如何致します王子?」


「致し方あるまい。川の周辺の全ての小麦を刈り取らせよ。このまま枯らしてしまうよりはましだ。それと下流の村に川の水は絶対飲まないように触れよ、川の中にも入らぬように注意を促せ」


 未だ稲穂は青かったが、黄色に変るまでは待てそうになかった。

 エリク王子は暗澹たる思いで眼下に広がる広大な穀倉地をもう一度見渡した。


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