7―16 密偵
イエルがカンパニーの構想に賛同してくれたのでマリウスは少し安堵したが、イエルが真面目な顔になると言った。
「ただ一つ気になるのは辺境伯家がこの話にどの程度魅力を感じてくれるかですね。辺境伯家は王領ラグーンの商人を仲介にして南方や西方の国々と交易し、独自に莫大な利益を得ています。今更商業ギルドと敵対してまで、我々と共同出資の商会を作りたいと思うか少し疑問ではありますね」
「うん、その辺りは一度御後見様とじっくり話をしてみる必要があるかもしれないね。辺境伯家が参加してくれれば、商業ギルドとの仲介役になって貰えるかもしれないから、直接対決は避けられるかもしれない。簡単にはいかないかもしれないけど、初めはポーションと魔道具から初めて少しずつ商売を広げていく心算だし、出来るだけ商業ギルドと争うのは避けて、対等な話し合いで事業を進められれば……」
気が付くと膝を突き合わせて話をするマリウスとイエルを、クレメンスとノルン、マルティンとエミリアが不思議なモノでも見る様な目で見ていた。
「あの、若様。その、カンパニーというのは若様が御考えになったのですか?」
クレメンスが恐る恐るマリウに尋ねる。
「い、いや。何かの本で読んだような気がするけど……」
マリウスの苦しい言い訳にノルンがジト目でマリウスを見ながら言った。
「またそれですか。その本を僕にも見せて欲しいですね。それに子供がお金儲けの話を熱心に話しているのはあまり格好が良くないですよ」
「何を言っているんだいノルン。これはお金儲けの話じゃなくて、いかにポーションを安定した値段で王国民に届けるかっていう話だよ」
マリウスがむっとして言い返す。
「そうなんですか?」
更にジト目でマリウスを見るノルンにマリウスが声を荒げて言った。
「そうだよ! それにカンパニーで公爵家と辺境伯家が繋がれば同盟の話も上手くいくんじゃないかな。これは一石三鳥、あ、いや一石二鳥の話なんだよ」
「やっぱりお金儲けの話も入っていたんじゃないですか?」
「お金が無いと開拓も移民の受け入れも出来ないんだから仕方ないよ! ていうかノルンも真剣に考えてよ! 良し、決めた! カンパニーが出来たら代表はノルンに任せるから、ダックスとアンナを上手く使って必ず利益を出すように!」
「そ、そんな! マリウス様が始めた事なんだからマリウス様がやれば良いじゃないですか。僕にあの二人の相手なんかできませんよ!」
一昨日もアンナを相手に、値上げ交渉でコテンパンにされたばかりだった。
イエルが間に入ってくれなけれ、、危うく更に卸値を下げられる処だった。
「話を聴いていなかったのかなノルン? 僕は出資者だからカンパニーの運営には参加しないんだよ」
ノルンの抗議に、マリウスがドヤ顔で嘯いた。
「未だカンパニーの規約は決まっていませんから、それは分かりませんよ。出資者の皆さんがマリウス様に経営を任せたいと仰せられれば、そうなるかもしれません」
イエルが、二人の子供の喧嘩のような言い争いに呆れながら厳かに告げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「それはそうとこの報告書なんだけど……」
やっと落ち着いたマリウスが、咳払いをすると、書類の束を取り出してマルティンとエミリアの前に広げた。
二人の報告書である。
ノルンは未だ納得がいかないようでそっぽを向いているが、マリウスは無視してマルティンたちに言った。。
「前回王都からやって来た獣人移住者の中の一人が、公爵領からやって来た旅人と密会していた。多分ガルシア将軍の手の者だろうね。教会のバネッサさんとベアトリスさんが辺境伯家の密偵だけど、宰相様とも繋がっているらしいって本当?」
「ハイ、どうも二人は時々アンヘルの宰相様の密偵とも連絡を取っているようです」
シェリルたちは知っているのだろうか?
宰相と辺境伯家は別に敵対してはいないので大きな問題ではないのかもしれない。
二人は王都の冒険者と聞いていたが、エリナもそうなのだろうか。
「それに、辺境伯家から訪れる旅人の中に数人密偵らしい物達が混ざっているって話しも確かなの?」
「はい。巧妙に隠してはいますが、あれは明らかに密偵と思われます」
まあこれから同盟を結ぶ相手の情報は、知っておきたいのか。
味方の筈の宰相や公爵家、辺境伯家に監視されているというのはあまり良い気分ではないが、その辺はマリウスの方が甘いのかもしれない。
「それで一つ問題なのはこれだね」
「薬師の件ですね」
エミリアが頷く。
レオノーラが連れて来たミドルの薬師の一人が、旅人に扮した密偵と逢っていたという話である。
男を見つけたのはエミリアで、マルティンは腕の治療の後、レーア村で療養中だった時期である。
恐らく“探知妨害”系のアイテムを所持していたようなので、どこかの陣営の密偵で間違いないらしい。
「密偵が訪ねて来たのは五日前の話なんだね?」
「はい。いかにも挙動不審で素人らしい男でしたが、『狐亭』で薬師と会うと一晩だけ村の宿に泊まって、翌朝には去って行きました。エールハウゼン迄はつけたのですが、そのまま王都方面に向かって帰って行きました」
レーア村で下級エリクサーを量産した二日後だが、密偵と会っていたという薬師はポーションの量産工場で働いていて、上級ポーションの工房やレーア村には行ったことがないそうだった。
「薬師は男の事をマークと呼んでいました。二人はかなり親しいように見えました」
取り敢えず重要な機密に触れる事はない筈であるが、このまま放置するわけにもいかない。
問題は薬師の背後にいるのが誰かという事と、密偵がその薬師一人だけなのかという事だった。
薬師は全てロンメルとロンメルの配下が面談して身辺調査をした者達の筈だが、ロンメルの手の者なら問題ないが他の陣営が送り込んで来た密偵という可能性も否定できない。
「如何致します? その薬師を捕えて尋問しますか?」
クレメンスの言葉にマリウスが首を振った。
「まだ早いよ。出来れば監視を付けて彼女の目的と誰に雇われているのか、他に仲間がいるのか調べてからじゃないと、その薬師だけ捕まえても意味がないと思う」
薬師の名はメラニー・バーナー。名簿では王都生まれの18歳の女性で、王都の実家は商家だが一人で今回の移住に参加したらしい。
旧薬師ギルドに入って3年目のミドルの錬金術師だった。
「製薬工場まで監視を付けるとなるとレオノーラ殿に話を通す必要がありますが、その……」
言い淀むクレメンスにマリウスも何となくクレメンスの言いたい事を察する。
最悪の想定だが、密偵がマルガだけでなく、リーダーのレオノーラ自身が密偵だという可能性も無くはない。
今の段階で迂闊に動くわけにはいかない。
「製薬工場の警備という名目で、口の堅いものを選んで2,3人配置してそれとなく監視させて。あとは一つだけ当てが有るよ」
言いながらマリウスもあまり自信の無い表情を浮かべている。
「当てですか? まさか……」
「うん。アデリナにメラニーの監視を頼んでみるよ」
クレメンスとイエルが顔を見合わせて、いかにも不安そうな表情をする。
「アデリナは身内も同然、信用できる人間だから大丈夫だよ」
むきになって言うマリウスにイエルが困ったように言った。
「勿論アデリナ嬢を疑ってはいませんが、彼女は何というか、間が悪いと云うか、要領が悪いと云うか、頼りないと云うか、その……」
うーん。どんだけ~!
「そんなことは無いよ、アデリナも色々と努力しているし最近は随分しっかりしてきたと思うよ。きっと上手くやってくれるよ!」
何故自分が必死にアデリナの事を擁護しているのか良く解らないまま、その場の勢いでマリウスが言いきった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(呆れた。そんな下らない事でノルンと喧嘩したの)
(全然下らなくないよ。お金を儲けてそれで皆に給料を払って皆が生活できるようになるんだから。別に僕がお金儲けをしたいと思っている訳じゃないよ。ノルンはちっとも分かって無いんだ)
エレンがクスクス笑いながら答えた。
(ノルンはそう云う事を言っているんじゃないと思うわよ。つまらない喧嘩をしてないで早く仲直りした方が良いわよ。あ、ちょっと待って。マーヤと替わるね)
(マリウス様、聞こえますか?)
(良く聞こえるよマーヤ。どう? お城暮らしには慣れた?)
(はい。皆さんに良くして頂いています)
(それなら良かった。公爵様ご夫妻にはもう逢った)
(はい。ご挨拶させて頂きました)
(公爵様は怖くなかった)
(いえ、とてもエレン様を可愛がっておられて、宜しく頼むと仰せられていました)
うん。そう言えば娘には滅茶苦茶甘い父親だと聞いていた。
(あ、エレン様に替わりますね)
(マーヤと何の話をしてたの?)
(うん、お城暮らしに慣れたか聞いていたんだ)
(お城なんか退屈なだけよ。マーヤが来てくれてやっと少し楽しくなってきたわ。マリウスはどう? 村は楽しい?)
(うーん。忙しいし、色々一度に問題発生だけど、それでもやっぱり楽しいかな)
(良いわね。来月になったら御父様と御母様が辺境伯に逢うためにマリウスの村に行くんでしょう。その時に私も付いて行けるようにお願いしてみる心算なの)
(へー。それは楽しみだな。でも公爵様が同盟の為にユング王国の王子様と先に逢うから、少し予定が伸びるってエルザ様から連絡が来たよ)
(えー、そうなの……)
エレンの“念話”の声が急に沈んだのでマリウスが慌てて言った。
(うん、でも少し伸びるだけだし、ユング王国と同盟が結べたら、移住者の移動もずっと楽になる筈だからとても大事な話なんだよ)
(うん。そうね。マリウスの村にも良い話なら仕方ないわね。村に行けるのを楽しみにしているわ)
エレンと話をして大分気持ちが和やかになって来た。
結局あれからマリウスはレーア村に移動して、森の伐採の仕事の続きを終わらせた後、ブロックやミラたちの工房を回って色々な付与をしたり、アデリナと話をしたりで結局ノルンとは会っていなかった。
明日はノルンと仲直りをしようと思いながらマリウスはベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。
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