5―24  水道部長ジェーン


 シェリルはエールの入った陶器のコップを持ったまま、街を見回した。


 新しい街の奥では工事の人夫が忙しそうに行ったり来たりしているのが見える。

 向こうの方に見える大きな建物が、マリウスの館と騎士団の屯所らしい。中に工房区があるとシュバルツの報告にあった。


「随分あっちこっちで家を建てているようだねえ」


「ああ、この間獣人の移住者が来たばっかりだけど、半月後にはまたエールハウゼンから100人位移って来るらしい。獣人達も来月また王都から移って来るらしいって話だから、俺たちも休みなしだぜ」


ベンがそう言うと、フランクが呆れた様にベンを見る。

「おめーはしょっちゅう抜け出して此処で飲んでるじゃねえか、せっかく若様が凄えアイテムをくれたって言うのによ」


「てやんでえ、おめーに言われたかねえよ! おめーこそ、かかあをここに呼んだんだから、何時までもこんな所で飲んだくれてると、帰ってらかかあにどやされるぞ!」


「べらぼうめ! かかあが怖くて酒が飲めるかってんだ。仕事の後のエールの一杯はやめられねえぜ!」


 フランクがエールをグイッと呷った。

 シェリルは男たちの話に愛想笑いを浮かべながら考えていた。


 この村は付与で溢れていた。人も物も皆何某かの、付与術式が与えられている。

 兵士だけでなく生産職達にまで付与アイテムを与えて、村を広げていく。


 外には“魔物除け”の杭で囲まれた広大な結界に守られた土地が広がっている。

 豊かな土地に魅かれて、多くの移住者が集まって来る。


 シェリルはその先が容易く想像出来た。

 恐らく少年は魔境迄進むだろう。自分たちが敗れ去った魔境にマリウスが立つ。


(まったく、すぐ傍にとんでも無い競争相手がいたなんて。ステファンの奴、私にその子の事を隠していたね。帰ったらお仕置きしなくちゃいけないね)


「なんだお前ら、もう飲んでるのか」

 後ろから野太い女の声がした。


「なんだケリーじゃねえか。今日は早上がりよ、お前こそ真面目にパトロールしてんのかい」


「おう、これが今日最後のパトロールよ。さっさと終わらしてあたしらも風呂に入って一杯飲むか」


 ケリーはそう言って後ろの四人を振り返った。

 四人の目はブロック達の隣に座る、銀髪の女に注がれていた。


「け、ケリー。あ、あれ」

 エレノアが恐る恐るケリーの後ろを指差した。


「なんだ?」

 ケリーが振り返って銀髪の女を見た。


「げっ!妖怪バ……」


 何時の間に立ったのか、シェリルはケリーの目の前に立っていた。


「それ以上言ったら、消し炭にしちゃうわよ。」

 ケリーの額に一筋の汗が流れた。


「どうしましたケリーさん。お知合いですか?」


 皆が振り返ると、丁度工房区から出て来たマリウスが、ハティを傍らに従えて立っていた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「部長! ここで最後です」


「……」


 ジェーンは水道部員に案内されてと云うか、引きずり込まれて今、地下の下水道にいた。


 地下の下水道に流れ込む下水管にゴミが貯まって流れが遮られている。

 ジェーンは“水操作”を使って、下水管の中のゴミを押し出した。


「もお、下水にゴミを流したら駄目だって言ってるんですけどね」

 水道部員がぼやきながら木切れや布切れを網で掬って、木桶に放り込む。


 下水道の中は“消臭”、“消毒”、“劣化防止”の術式が付与されているので臭いはしないが、水路を流れているのは汚物である。


 勢いよく下水管から下水道に流れ込んだ汚水が撥ねて、ジェーンの足に掛かりそうになり慌てて後ろに跳び下がった。


 今日半日で村の地下の十数か所を回って、同じ事を繰り返していた。よく見ると、買ったばかりの靴がドロドロに汚れているのを見て、ジェーンの肩が怒りでプルプル震えた。


「ご苦労様です、今日はこれで終わりです。明日は下水処理場の方をお願いします」


「……」


「あ、それと送風ポンプが不調で、公衆浴場の温水用タンクの水が少し減っているので、継ぎ足しておいて下さい」


 ジェーンが水道部員を睨みつけるが、水道部員はジェーンを置いて、さっさと地上に出る梯子を上り始めた。


「あの金髪巻き毛の悪魔、絶対許さない。エルザ様に訴えてやる……?!」


 ジェーンが強力な魔力の反応に驚いて頭上を見上げる。

 ジェーンは先日ジョブレベルを60に上げて、ボーナススキルに“魔力感知”スキルを手に入れていた。


 マリウスとハティの魔力はここから北、工房区の辺りに捕えていた。それとは違う、ハティに匹敵するほどの強大な魔力の持ち主が西、恐らく公衆浴場の前のフードコートの辺りにいる。


「敵?!」


 ジェーンは慌てて梯子を掴むと、水道部員を急かしながら梯子を駆け登り始めた。


「うわ! 何ですか部長、危ないじゃないですか!」


「煩い! 早く出ろ! 村に化け物がいるわよ!」


「化け物ですか?! うわっ!」

 水道部員を押しのける様にジェーンが地上に出た。


「あれ、ジェーンさん。そんなところから如何したんですか? そんなに血相変えて」


 振り返るとマルコが騎士を引き連れて立っていた。丁度討伐から帰って来た処の様だった。


「大変よ! 村の中に化け物が入り込んでいるわ!」


 ジェーンの言葉にマルコ達が一斉に緊張して周囲を見回す。


「化け物? また聖騎士か? いったい何処に? 」


 “魔物除け”の杭で何重にも囲まれたこの村に、魔物など入れる筈はない。


「多分フードコートよ! フェンリル並みの化け物がいる! あっ!」


 突然大声を上げたジェーンに、マルコが訝し気に尋ねる。

「如何かしましたか? 化け物は?」


「若様とハティが、丁度そいつの方に向かってるわ! あっ、ケリー達も来た!」


 ジェーンの言葉が終らないうちに、マルコと騎士達が一斉にフードコートの方に向かって駆け出した。


「ちょっと! どうするのよ! あんた達が適うような相手じゃないわよ!」

 ジェーンがマルコ達の後ろに怒鳴るが、誰も振り返りもせずに駆けて行く。


 ジェーンは溜息を付くと、止む無くマルコ達を追って駆け出した。

 後にポツリと一人残された水道部員が、駆けて行くジェーンを見送りながら叫んだ。


「部長! 水の継ぎ足しを忘れないでくださいね!」


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

「えっ! ステファンの御婆さんって! えっ! だって。えっ!」


 マリウスはシェリルの姿を見て、混乱している。シェリルはどう見ても20代前半位にしか見えなかった。

 何ならケリーやエレノアの方がずっと年上に見える。


「若様。今何か失礼な事を考えませんでしたか?」

 エレノアがジト目でマリウスを見た。


「えっ! いや何も考えていないよ。ステファンの御婆様があんまり若いのでびっくりしただけだよ。あははは……」


 何故女の人はみんな自分の考えていることが分かるのだろうか? と焦りながらマリウスは笑って誤魔化した。


「私は四分の一エルフの血が流れているから見た目は年をとらないのさ。うちの嫁が世話になっているので君に挨拶に来たんだ」


 シェリルはさりげなく“術式鑑定”を発動しながらマリウスを見た。

 どうやら“鑑定妨害”のアイテムを持っているらしく、マリウスの周りの付与術式は読み取れなかった。


 シェリルはマリウスの傍らにいるハティに目を向ける。


(どうやら未だ幼体の様だね。100年も生きていない。マティアスが倒したフェンリルの仔かね。確かウルフウォーリアー達が魔境の奥に連れ去った筈だが、何故こんな所にいるのだろう)


 ハティの首輪から“魔法効果増”、“筋力増”、“速度増”、“結界”の付与術式が読み取れた。


(ユニークの魔獣になんてもん付けてんだい。これだけ能力を上げたら、幼体でもレジェンド並みの力になるだろう)


 シェリルは改めてマリウスを見た。

「私はシェリル・シュナイダー。ステファンの祖母さ」


「あ、はじめましてマリウス・アースバルトです」


 自分を見上げるマリウスを、シェリルはしげしげと見つめた。

「惜しいねえ。エルザの娘を嫁に貰うんだって? 先を越されちゃったね」


 そう言うとシェリルは素早くマリウスの傍まで来ると、マリウスの顔を覗き込んだ。

 緑色の瞳に間近で見つめられて、マリウスはドキドキした。


「どうだいマリウス君、私もまだまだいけてると思うのよね。そんな小娘より私を嫁にしないかい。なに、7、8年もすればきっと似合いの美男美女カップルになるよ。これでも脱いだら凄いんだよ」


「えっ! いや、あの! えっ!」

 マリウスが狼狽しながら後ろに下がるが、シェリルがじりじりと迫って来る。


「御婆様! 何をしておられるのです!」


 声のした方を振り返るとステファンとイザベラ、エルマとエリナ達が立っていた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「自分の孫より幼い少年を誘惑しようとするとは! それが辺境伯家後見役のすることですか。恥を知りなさい!」


「煩いわねステファン! あんたがこの子の事を私に隠していたのがいけないんでしょう! 大体私は旦那が死んでから23年フリーよ、誰と恋愛しようと私の勝手でしょう!」


「私は亡き父上の墓前に何と言って報告すれば良いのですか、情けなくて涙が出そうです!」


「大げさな子ね、シェリルが良い男を捕まえたって言えばいいのよ。マティアスも喜んでくれるわよ」


 いや、捕まった覚えはありませんけど。

 ブロックやエイトリ、フランクやベン、ケリー達も目が点になっている。


 慌てて駆けつけて来たジェーンとマルコ達も、戸惑ったようにマリウスとシェリル達を取り囲んでいた。


 いつの間にか周りに、フードコートに集まっていた村人や観光客達の人だかりの輪が出来てしまっていた。


 討伐から帰って来たニナやノルン、エリーゼ達、キャロラインとマリリンも騒ぎを聞きつけて集まって来た。


「どうしたの? 何の騒ぎ?」


「すっごい美人が、若様にプロポーズしたんだって」


「あれ、辺境伯様と司祭様もいるじゃない」


「辺境伯様の御婆様だって」


「えっ、嘘! じゃあ、あれが辺境の魔女?」

 

 イエルとクルト、クレメンスが館の方からバタバタと駆けて来た。

 マルコが報告したらしい。


「これは御後見様! このような処では人目に付きます。どうぞ館の方にお出で下さいませ」

 イエルがシェリルの前に片膝を付いて言った。


「参ったねえ、目立たない様に帰ろうと思っていたんだけどね」


「どの口が仰せられているのです。全く!」

 ステファンが憤慨する。


 かくして一行はマリウスの館に向かう事になった。



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