5―23 村の時間
「渡し忘れていたんだけど、これ鍛冶師のブロックさんの話だと薬の材料にもなるんだって?」
マリウスに手渡されたずっしりと重い甕を机の上に置くと、蓋を開けて中を覗き込んだカサンドラの顔から、さっと血の気が引いた。
『狐亭』を出たマリウスは、工房区の一番端にある製薬工房を訪れていた。
ハティは例によって製薬工房には入らず表で待っている。
カサンドラとアドバンスドの錬金術師三人が、工房の研究室で新薬の研究を続けていた。
工房ではミドルの錬金術師が交代で四人、『奇跡の水』を使った従来通りのポーションを製造している。
これは宰相ロンメルからの指示で、薬師ギルドがいつまでも閉鎖状態だと社会不安を招きかねないので、取り敢えずこのポーションを市場に流通させる心算らしい。 王都からは、西の公爵領から接収したらしい素材の薬草が、大量に送られてきていた。
カサンドラが震える声でマリウスに尋ねた。
「こ、これはまさか赤竜の鱗の粉ですか?」
「うんバルバロスという赤いアークドラゴンの鱗を粉にした物だよ」
「アークドラゴンの鱗ですと!」
作業をしていたアドバンスドの錬金術師ティアナ、ゲルト、ギルベルトの三人が驚いて、どたばたとカサンドラの周りに集まって来た。
ゲルトがすかさず甕に手を翳し、“素材鑑定”を発動する。
「こ、これは間違いなくアークドラゴン、そ、それも赤竜の鱗を粉にしたもの。しかもこれ程大量に……」
甕一杯のバルバロスの粉を覗き込んで、四人が固まってしまった。
マリウスは知らなかったが、赤竜はアークドラゴンの中でもかなり上位種で、鱗が市場に出回る事は滅多に無い伝説級の素材らしい。
そう言えばステファンとバルバロスはしょっちゅう村に遊びに来ているが、ずっと工房に籠っているカサンドラ達は、未だステファンとバルバロスに会っていなかった。
「足りなければ幾らでもあるから、必要ならブロックさんに言って下さい」
来るたびにバルバロスは西門の前で水浴びを要求するが、代金の心算かその度に抜け落ちた鱗を置いて行く。
奇跡の水の自己治癒力向上の効果で、傷んだ古い鱗が抜け落ちて新しい鱗が生えてくるらしい。
村人達や観光客が交代でホースを持ってバルバロスに水を掛けるのが、恒例イベントになりつつある。近頃では、ドラゴンに水を掛けると良い事がある等と云う噂が、実しやかにエールハウゼン辺りで囁かれていた。
鱗は全てブロックに管理して貰っているが、結構使ったにも関わらず、50枚を超える鱗が工房に積み上げられていた。
カサンドラが蒼白な顔でマリウスに向き直ると、震える声でマリウスに言った。
「奇跡の水、マンドラゴラの根に続いて、今度は大量のアークドラゴンの鱗の粉。いったいマリウス殿は我らに何を御望みで御座いますか。対面の時の無礼の責は私が負います故、何卒他の者はお許しください」
「えっと。あの……。薬作りに役立てて欲しいだけですけど……」
カサンドラが何を言っているのか解らず、戸惑うマリウスの前にティアナ、ゲルト、ギルベルトの三人が突然土下座した。
「どうかカサンドラ様をお許し下さい。我らは決してマリウス様に反意を抱いては居りません。マリウス様に忠誠を尽くす事をお約束いたしますのでどうかご容赦願います」
「えーと、何を言っているのですか? ちょっと良く解らないのですが……」
戸惑うマリウスにカサンドラが顔を上げると、意を決したように言った。
「この様な決して世に出回らない希少な素材を、我らに次々と与えるのは一体どの様な意図があってでございますか? 我等の力をお試しで御座いましょうか? 我らが成果を出す事が出来なければどの様な責を負わされるので御座いましょうか?」
ああ、ハードルを上げ過ぎちゃったのね。
直ぐに誤解を解くべきなのだが、マリウスはつい面白くなって悪乗りしてしまった。
「言葉は不要です、実績で薬師ギルドの意地を僕に見せて下さい」
マリウスは笑いを必死に堪えてそれっぽい事を言うと、厳しい顔のまま製薬工房を後にした。
去っていくマリウスの後姿を見送ったカサンドラは、血の気の引いた顔で部下達に振り返ると、意を決したように宣言した。
「最早我らに退路は無い! この命に代えても必ず新薬の開発を成功させて薬師ギルドの名誉を回復して見せる。皆私に命を預けてくれ!」
錬金術師達は蒼白な顔で、カサンドラの言葉に頷いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
シェリルは門の外のもう一つの村に足を踏み出した。
辺りに良い臭いが漂っている。
柵に沿って屋根だけの大きな長屋の中に屋台が立ち並び、テーブルや椅子が並べられていた。
人族や獣人たちが、思い思いに肉串や煮込み、何か見た事のない茶色い丸い食べ物などを摘みながら、エールやレモネードを飲んでいた。
「姉ちゃん見ない顔だな、旅人かい?」
眉の太いがっしりとした人族の男が、シェリルに声を掛けて来た。
シェリルは声を掛けて来た男達を見た。
人族の男二人と、ドワーフらしい髭面の男が二人、テーブルの上に料理を並べて、酒を飲んでいた。
「ええ、まあ。ここは何ですか?」
この中もやはり“防寒”が全体に付与されている様だ。
「ここは屋台から皆が、好き勝手に料理を買って食べるところさ」
屋台は10店以上並んでいるようで、肉串や煮込み、酒やレモネード、シチューにパン、肉饅頭や見た事の無い料理も売られていた。
「『フードコート』って言うそうだよ、若様がそう言っておられた」
向かいで何かの揚げ物を摘みに、レモネードを呑んでいる髭面のドワーフが言った。傍らに置いた小瓶から、時々レモネードに蒸留酒を注いでいる。
「へえ、全部若様が考えたのですか?」
「ああ、若様は子供なのに色々なことを知っているからな。これあんたも摘んでみるかい。この村の名物のチーズコロッケって言うんだ」
そう言ってドワーフの男が、油で揚げたらしい、丸いガサガサした物が盛られた皿を此方に寄せた。
「良いのですか、それじゃあ一つ御馳走になろうかしら」
シェリルが人族の男の隣に座って、チーズコロッケを一つ摘んだ。
もう一人の人族の男が立ち上がってシェリルに言った。
「ゆっくりしていきな姉ちゃん、今エールを買ってきてやるよ、そいつにゃエールが合うからよお」
そう言って屋台に向かって歩いて行った。
シェリルはチーズコロッケを、手渡されたフォークで刺すと一口齧ってみた。
「熱っつ」
何かの芋を潰して衣をつけて油で揚げたらしい食べ物は、中からとろりとした白い物が出てきて、舌を焼いた。
「不思議な味ね、でも美味しいわ」
チーズコロッケは、長く生きて来たシェリルも初めて味わう食べ物だった。
「そうだろう。若様の処のユリアちゃんが作ったんだ。今このフードコートの屋台はユリアちゃんのチームの屋台と、アンナの『狐亭』の屋台と、村の主婦連中の屋台がしのぎを削ってるけど、ずっとユリアちゃんトコが一歩リードって感じだな」
フランクがシェリルの前に、エールのコップを置きながら言った。
「ああ、アンナの奴が何とかユリアちゃんを引き抜きたくて、クルトの旦那に色目を使ってるけど、全然相手にされねえみてーだな」
ベンがそう言うとブロックとエイトリが声を上げて笑った。
「そりゃ無理さ。なんたってあの親子は若様の一番の忠臣だからな、アンナなんかに見向きもしないさ」
「若様は夏になったらトマーテが出来るから、ユリアちゃんにピザって言う新しい食べ物の店を出させるって言ってたぜ」
「それにアイスクリームっていう冷たい菓子が出来ているんで、もう少し暖かくなったら屋台を出すとよ」
マリウスはブロックにパスタマシンの制作も始めさせていた。トマーテが収穫出来たら、夏から秋にかけて一気にトマーテ料理とスイーツを広げる心算だった。
シェリルは男達が揃いの皮の腕輪をしているのに気が付いた。
腕輪にも“疲労軽減”、“物理効果増”、“魔法効果増”、“技巧力増”と云った術式が見て取れた。
「お兄さんたちも兵隊なのかい?」
シェリルがそう言うと、男たちは首を振って答えた。
「いや俺は石工のベンだ、此奴は大工のフランク」
「儂らは鍛冶師だ、儂はブロック」
「俺はエイトリだ、あんたは?」
シェリルはこの二人のドワーフがアンヘルを出て行ったエイトリと、師匠のブロックだと知って内心驚いた。そう言えば何方も逢うのは初めてで、当然向こうもシェリルの顔は知らない様だ。
レアの鍛冶師二人がアーティファクトを身に着けている。ブロックとベンの気配も、恐らくアドバンスドクラスの職人だろう。
「私はシェリルよ、ねえあなた達の腕輪、素敵な腕輪だけど、それ如何したの?」
シェリルは彼らの腕輪を見ながら言った。
「これは若様から頂いた魔法の腕輪さ、若様はこの村の生産職や騎士団、魔法使い達皆に合わせて色々な魔法のアイテムを与えて下さるんだ」
ベンがそう言うとエイトリも言った。
「こないだはうちの工房で、新しく来た移住者が使う鋤や鍬にまとめて三つ位魔法をかけてたぜ。いつ見てもすげえ御力だ。あっという間に終わらすと、後よろしく―って、出て行ったよ」
「纏めて?」
シェリルの目が光る。
「ああ、30本並べたら右手をさっと翳してた。そしたら鍬が青色にパーって光ってよ。いつ見ても鮮やかなもんさ」
なんだろう? シェリルの知らないスキルなのだろうか。
「あはは、昨日は新しく作る街の地下の下水道を、あっという間に魔法で掘って帰っていったな」
ベンが笑いながら言った。
土魔法の“トンネル”か? それとも鉱山師のスキル“坑道”か?
ケリー達には風魔法を使ったって聞いたけど、マリウスは付与魔術師ではなかったか?
「へえ、凄い若様なんだね。私も逢ってみたいもんだね」
「街に居ればいつでも会えるさ、いっつもフェンリルの背中に乗っかって、街の中を行ったり来たりしてるから」
ブロックが笑いながら答えた。
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