3―36  教会 


 マリウスが最後の“フォックスホール”を放つと、溝は小川の上流に繋がった。


 水がゆっくりと水路に流れ込んでいく。

 メリアに測量して貰ってコースを決めた水路は、淀みなく堀に水を流し込んでいった。


 北西の角から堀に流れ込んだ水は、左右に分かれて堀を満たしていった。

 南西の角から伸びる水路を伝って、再び小川に戻っていく。


 この水を汲み上げて濾過する為の浄水場は、既に建設を始めていた。

 土ブロックを使った3層の濾過層の浄水場を、堀の脇に設置する計画だった。


 更にこの堀から、水路を東の森に伸ばして、木材を伐採した跡地の開拓にも使う心算であった。


 建物の建設は、騎士団の屯所から始める予定だった。


 北東の角に騎士団を、隣接する北側に工房区を、中央寄りにマリウスの屋敷と、村役場、集会所を作り、東西をつなぐ大通りを挟んで、反対側に店舗や宿を、西側と南側に住宅地をと言う区割りにしていたが、一つ問題が発生した。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 今、レオン、イエル、村長のクリスチャンと騎士団のニナとフェリックス、オルテガが村の完成予定の図面を見ながら、頭を悩ませていた。


「真・クレスト教会をこの村に作れとは、一体御屋形様は何を考えているのだ」

 フェリックスが憤慨して机をたたいた。


「御屋形様も止むを得ない決断の様で御座います。辺境伯家との友好の為に、どうしても必要な事だと聞き及んでおります」


 イエルが真面目な顔で皆を見回した。


「しかし公爵家との取引はどうなります、極秘にと申し合わせた筈ですが、どの様にする心算ですか」


 レオンが眉根を寄せて問い返した。

 既に考えた有ったらしく、イエルが地図を指差して答える。


「いっそ騎士団と、マリウス様の館、工房区を城の様に高い塀で一つに囲んで、他者の立ち入れぬようにしてしまいましょう」


 イエルは図面を指差しながらそう言って皆を見回した。


「更に、新しい村役場や集会所を作るのですから、西門に近い元の集会所を取り壊し、此処に教会と新司祭の館を建てると言うのはどうでしょうか?」


「確かに木盾や鎧を作る処は隠せるが、商品の出荷はどうする。公爵領に向けて、毎月荷駄を送らねばならないであろう」

 オルテガがイエルに問うた。


「騎士団の屯所の裏、北側に門を作って、夜陰に荷駄を出すことにしては如何ですか、当面は隠せるかと思います」


 イエルの案に皆、納得したわけではないが、他に良い案も思いつかないので、頷くしかなかった。


「真・クレスト教会が出来る事について村の人はどう考えるでしょうか」

 レオンが村長のクリスチャンに話を向けた。


 クリスチャンは戸惑った様に答えた。

「御領主様は、宗教は個人の自由を御認めになられておりますゆえ、真・クレスト教会が出来たからといって、別に皆が真・クレスト教に宗旨替えせよとは、仰せになられてはいないのでしょう」


「勿論今迄通り、エールハウゼンのクレスト教教会に通おうが、新しい真・クレスト教会に礼拝しようが、咎められる事は無いとの仰せに御座いました」

 イエルが代って答えた。


「それに医者のいないこの村にとっては、教会が出来る事は有り難い事ではあります」


 回復魔法を扱えるのは聖職者のギフト持ちと、医術師のギフト持ちだけである。


 怪我人や病人の治療は教会の重要な財源であるが、真・クレスト教会はクレスト教会よりも遥かに安価に治療を行なっている。


 真・クレスト教会が20年余りで王国に広がった理由の最大の要因だった。


 更に真・クレスト教会はクレスト教会の信者に対しても公平に治療を行うので、村人達にとっては真・クレスト教会が村に出来るのは寧ろありがたい話だった。


「真・クレスト教会の司祭は、誰が来るのか分かっているのかな」

 ニナがイエルに尋ねた。


「それは未だ何もわかっていませんが、女官三人に、冒険者の護衛が5人付くそうです」


「随分大人数だな、こんな小さな村に誰が来るというのだ」

 フェリックスが眉をしかめる。


「あちらの思惑は全く解りませんが、くれぐれも問題を起こさせぬ様、注意してください。それに……」


 イエルは傍らの床に置かれた木の箱を指差した。


「本年度の公爵家との取引に必要になる魔石が粗方揃いました。これは大きな前進です。我々は一丸となってマリウス様をお守りし、御家の未来の為に励みましょう」


 イエルの言葉に一同が頷いた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


「アルベルト! ガルシアまでが。お前たちはエルザを連れ戻しに行ったのではなかったのか!」


 エルヴィン・フォン・グランベール公爵は額に青筋を立てて怒鳴った。


「何故45億ゼニー等と云うバカげた金を支払って、粗末な木盾や革鎧を買う約束をしてきたのだ! 返答次第ではただでは済まさぬぞ、儂自らその首叩き落としてくれるわ!」


 怒鳴り散らすエルヴィンを、アルベルトとガルシアは表情を変えずに見ている。

 後ろでエルザが、怒り狂う夫の姿を微笑んで見ていた。


「何とか申せ。言い訳する事もないのか!」


 アルベルトとガルシアが顔を見合わせた。


 傍らに立つ兵士に合図すると、兵士が2枚の木盾を持ってきた。


「語るより、実物を見ていただいた方が早いかと思います」

 アルベルトが淡々と言うと、盾の一枚をガルシアに渡した。


 ガルシアが立ち上がって、エルヴィンの前で盾を構えた。


「なんだ、儂に割ってみよとでも言いたいのか。舐めるなよガルシア。そんな粗末な木盾に“物理防御”を乗せた処で、儂に割れぬと思っておるのか?」


 眉を吊り上げるエルヴィンにガルシアは無言で盾を構える。

 エルヴィンの体を理力のオーラが包んだ。


「私はそれに罅を入れたぞ」


 エルザの挑発にエルヴィンの胸筋が、シャツを破らんばかりに膨れ上がる。


 レアアーツ“剛破竜拳”が、木盾の真ん中を轟音と立てて打ち抜いた。

 ガルシアは僅かに後退しただけで、その衝撃を見事に受け止めた。


「むう、確かに“物理防御”の盾としてはまずまずだが、その木盾に果たして45憶ゼニーを払う価値があるとは思えんな。」


 エルヴィンが無償の盾を見て悔し気に言った。


「いかに盾が割れなくても、それを持つ者は無事ではすむまい。“物理防御”と言ってもその程度の物だ」


 エルヴィンの言葉にガルシアは淡々と返答した。

「いえ、御屋形様、此の木盾に付与されているのは初級付与術式“強化”で御座います」


「何だと! ガルシア、貴様儂を愚弄するか。初級の付与術式を乗せた木盾を、儂が割れぬと申すか!」


「恐れながら御屋形様、“物理防御”を乗せた木盾は此方で御座います」


 アルベルトがそう言ってもう一枚の木盾を持つと、エルヴィンの前で構えて見せた。


 再びエルヴィンの額に青筋が浮かび上がる。


「アルベルト、文官風情が我が拳を受けると申すのか。たとえ貴様でも儂を侮る事等許さんぞ」


「其の木盾は私にも割れなんだぞ」


 再びエルザが挑発するように、嗤いを含んだ声でエルヴィンに言った。


「面白い。お前たちがそこまで言うなら、其の盾の力、見せて貰おうか」


 再びエルヴィンの体が、オーラに包まれていく。


 エルヴィンはアルベルトの構える木盾にレアアーツ“気功破”を叩きつけた。

 たとえ盾が受け止めても衝撃が盾を突き抜けて相手を襲う、必殺の一撃だった。


 エルヴィンの拳が木盾の真ん中で止まっていた。


 木盾構えたまま平然と立つアルベルトが、呆然とするエルヴィンに、にこりと笑って言った。


「ご理解いただけましたでしょうか」


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「集会所を潰して教会を建てるんですかい。様式なんぞはどうしやす。エールハウゼンの教会と同じでよろしいんですかい?」


 フランクが戸惑った顔でレオンに聞いた。


「外観は同じで良いそうだ。装飾はアンヘルから職人が来てやるそうだから、建物だけでいい」


「隣に建てる館には、何人位住むのですか?」

 コーエンが尋ねた。


「10人位でいいそうだ。急な追加工事で済まないが、二十日で何とかしてほしい」


 レオンの言葉に、フランクとベン、コーエンら棟梁達も思わず押し黙った。


 既に上下水道の設置でかなりの負担になっている上に、追加で教会と司祭の館の建設、マリウスの館と騎士団、工房区を塀で囲む工事と、急ぎの追加工事が次々入って来る状況に、さすがの親方連中も閉口してしまった。


「職人の方々には誠に申し訳ありませんが、どの工事も子爵領の将来を左右する重要案件です。何卒ご協力願いたい」


 頭を下げるレオンに困ったようにベンが言った。


「そうは言っても人手が足りねえよ。これ以上人手を割くことが出来ねえ。無い袖は振れねえよ」


「人手については騎士団から20人程人夫を出して貰う事になったので、それで対応して頂きたい。土魔術師と若様も協力するとおっしゃられている」


 腕を組んで考え込むベンにフランクが言った。


「ベン、乗りかかった船だ、やるしかねえだろう。それに一番働いてるのはあの若様だ、俺たちが泣き言を言う訳にはいかねえだろ」


「しょうがねえな、手当は弾んでもらうぜレオンの旦那」


 何とか納得してくれたベンに、レオンも笑顔を浮かべて答える。


「それは勿論お任せ下さい。最大限答えさせて頂きます」


 騎士団の魔物狩で、連日商業ギルドから素材の買い取り料が入ってきている。


 辺境伯家から送られた魔石と、魔物狩で集めた魔石で、当分魔石に困ることは無い。


 来月末には、公爵家から第一回目の取引の支払いも入る。

 資金は充分すぎるほどだった。


 冒険者にしても、職人にしてもやはり人手の問題が一番厄介だと、レオンは溜息を付いた。


 

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