1-17 ヴァネッサとベアトリス
二騎は止まっている馬車に追いつくと、馬車の30メートル程後ろで止まり、馬から降りた。
どちらも旅人の姿だったが、腰に剣を吊っている。
教会の聖騎士とアサシン、朝から尾けていた連中だ。
二人は馬車の両側に別れて、周囲を警戒しながら近づいてくる。
馬車まで5メートル程の処で立ち止まると、聖騎士の方が馬車に向かって話しかける。
「ベーリンガ認証官殿、いるのは解っている。大人しく出てきてくれないか」
馬車の中のエレーネは、さて何方から倒すかと考えていたが、“索敵”で別の追手が急接近してくるのに気付くと、取り出していた剣をバックに仕舞い直して座席に置いたまま、聖騎士がいる側のドアを開けて外に出た。
30代位の銀髪の優男だった。
アサシンの方も、銀髪の後ろに回り込む。
「御者は逃がしたのか、潔いな。抵抗せずに我々に同行してくれるなら、身の安全は保障する」
白昼堂々、女を拉致しに来て身の安全を保障するも無いものだ。
「私を王室付認証官と知った上での狼藉か。身分も明かさず安全を保障するとは、片腹痛いな!」
「女性に手荒な事はしたく無い。大人しく付いて来て頂きたいのだが」
脅している様子もない。
銀髪は終始余裕の態度で口元に笑みを浮かべながら、エレーネに話しかけている。
アドバンスドクラスの余裕か?
エレーネは今すぐ此奴を殺してやりたくなってきたが、平静を装って話を続ける。
「私に何の用かな? 王室付の認証官を攫ったと知れれば、いくらクレスト教会と言えどただでは済むまい」
エレーネの煽りに銀髪の口元から初めて笑みが消えた。
後ろのアサシンから殺気が伝わってくる。
「何故我々を教会の者だと? どうやら少々貴殿を舐めていたようだな」
銀髪の優男、聖騎士ヨシュア・ワライティスは初めて目の前の女、認証官エレーネ・ベーリンガーを警戒した。
クレスト教会の影の実行部隊、ガーディアンズのライン=アルト王国駐留部隊の幹部であるヨシュアは、認証官誘拐を、王国のクレスト教会統括するヴィクトー・ラウム枢機卿に命じられた。
簡単な仕事だと思っていた。
エレーネは馬車を乗り換えて自分たちを撒こうとしたが、王都中を監視している教会の諜報の目をごまかす事は出来なかった。
南門を不審な馬車が通過したという報を受けて、ヨシュアはアサシンのグスタフを連れて直ぐに後を追った。
林の中に停られた馬車を見て、明らかに自分達の追跡に気が付いていたと知り、警戒しながら近づいたが、エレーネが丸腰で出てきたのを見て、ヨシュアは彼女を内心嘲っていた。
所詮は文官か、抵抗するのは無理と諦めて腹を括ったのだと思った。
だが、先程からのこの女の落ち着き払った態度は何だ。自分はこの女の力量を見誤っていたのだろうか。
ヨシュアは少し苛立ちながら、
「喋られさえすれば、どんな姿でも構わないと言われているのですが」
と言って刀に手を掛けた。
ヨシュアの体が理力のオーラに包まれる。
初級アーツ“エンハンスト”を剣に纏わせて強化した。
エレーネが無造作に右手をすっと前に出す。
とっさに意識がエレーネに集中した瞬間、後ろで悲鳴が上がった。
「うがぁ!」
振り返ったヨシュアは、グスタフの胸から剣が生えているのを見た。
グスタフの後ろからフードを被った小柄な影が、ヨシュアに向けてダガーを放った。
同時にエレーネが中級風魔法の“サイクロンブレード”を放つ。
ヨシュアはダガーを剣で弾きながら後ろに聖騎士の上級アーツである“フォースシールド”を展開する。
エレーネは自分の放った“サイクロンブレード”の風の刃が見えない盾に弾かれるのを見届けると、後方に10メートル程一気に跳んだ。
どさりと倒れたグスタフの後ろに、フードを被った女が立っている。
女と云うか、少女と云う方が正しいか。
少女は短刀を持ったまま駆けだした。ヨシュアが立つのと反対側の馬車の影に向かう。
ヨシュアは少女が立っていた場所に向かって走りながら、少女に向かって中級アーツ“ブレイドショット”を放つ。
少女は走りながら“ブレイドショット”を短刀で弾いた。
ヨシュアは倒れているグスタフの後ろで止まって、エレーネと少女に対峙する。
“フォースシールド”は展開したままだ。
グスタフは既にこと切れている様だ。
少女は馬車の傍らで、剣を構えている。エレーネは反対側の後方で、此方を油断なく監視している。
やられた、とヨシュアは臍を噛んだ。
エレーネの動きは完全に牽制だった。
そしてこの少女、グスタフの背後を取った。
アドバンスドのアサシンのグスタフの後ろを取れる者など、ガーディアンズの中にも数えるほどしか思いつかない。
二対一から一対二と一気に不利な状況に陥ってしまった。
撤退すべきか。
そう考えた瞬間ヨシュアは溺れた。
ヨシュアの体は巨大な水滴に包まれていた。
ヨシュアは鬼の形相で剣を振りながら必死でもがくが、抜け出すことが出来ない。
林の中から金髪をポニーテールに結んだ少女が出て来る。
フードの付いたマントを羽織り、フードを下ろしている。
マントの下は町娘風の、膝丈の淡いグリーンのワンピースに革の短いジャケットを着ていた。
見える範囲で、武器は携行していない。
彼女はエレーネの向かって歩いて行きながら、水滴の中で藻掻いてるヨシュアを指差す。
「この人、殺しちゃって良いよね?」
天使みたいな笑顔で、お菓子を食べて良い、位の感じでエレーネに尋ねる。
レアの水魔術師、ベアトリス・フィッシャーだ。
「正体も解ってるよ、王都のガーディアンズの小物さ」
もう一人の少女も、マントのフードを卸しながらエレーネの傍に集まって来る。
こちらはマントの下は、膝下位までの少し短い茶色いズボンと綿のシャツに丈の長い革のジャケットを羽織っている。
茶髪のショートカットの少女は、レアのアサシン、ヴァネッサ・アーレントである。
二人とも宰相の子飼いの隠密だった。
エレーネは何度か任務で彼女達と行動を共にしている。
“索敵”で彼女達がガーディアンズの後ろを追ってきているのを知っていた。
恐らくヨシュア達の注意を自分にひきつければ、迷わず動いてくれるだろうと判断したが予想通りの鮮やかな奇襲だった。
性格はともかく実力は確かだった。
彼女達以外にもロンメルは隠密を飼っている様だが、エレーネの前に姿を見せるのは二人だけだった。
エレーネの護衛兼おそらく監視役だ。
エレーネは自分が常に監視されているのを知っている、
“探知妨害”の魔道具を持っているのか、索敵でも見つけられない事が多いが、常に何処からか視線を感じている。
勿論ロンメルは、エレーネが“索敵”と“人物鑑定の”スキルを持っていることを知っている。
今はこの二人だけしか気配はない様だ。
おそらく隠密の中でもこの二人の立場が、かなり上なのは確実である。
二人とも若作りしているが、本当の年齢は解らない。
「好きにしろ」
エレーネが返事をするまでもなく、水の中で藻掻いていたヨシュアは、口から大きな泡を吐き出すと、目を見開いた儘ぐったりと動かなくなった。
水の中で力を失った躯が、ゆったりと横を向きながら上に浮かんでいく。
ベアトリスが、パチッと指を鳴らすと巨大な水滴が一瞬で掻き消える。
どさりとヨシュアの体が地面に落ちた。
エレーネは馬車の扉を開くと、座席の上に置いてあったマジックバッグを手に取って降りて来る。
地面に転がるヨシュアとグスタフの遺体に向けて、バッグの口を開いた。
次の瞬間二人の遺体は、跡形もなく消えていた。
転がっていた剣や、血の跡さえ残ってはいなかった。
「相変わらずスゲーなそのバッグ、僕も一つ欲しいな」
ヴァネッサが羨ましそうにマジックバッグを見ている。
「国宝級のアーティファクトですからね。ちょっと手に入らないわね」
ベアトリスの目もマジックバッグに張り付いたままだった。
マジックバックを閉じると、エレーネは二人の言葉は取り合わずに二人に告げる。
「行くぞ。どちらか御者をやってくれ」
エレーネはそう言ってさっさと馬車に乗り込んだ。
ヴァネッサとベアトリスは見つめ合っていたが、
「私寒いから、やだ!」
と云ってベアトリスがヴァネッサの返事も聞かず、エレーネの後に続いて馬車に乗り込む。
「ちぇ、良いよ僕がやるから」
ヴァネッサが渋々御者台に上がる。
「どこに向かうのさ、エレっち!」
振り返って問いかけるヴァネッサに、エレーネが馬車の中から答える。
「このまま真っ直ぐ南に向かってくれ! 今夜の宿はデフェンテルだ」
「かしこまりー!」
ヴァネッサは手綱を握ると勢い良く馬車を出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「無事に王都を出ましたか」
宰相ロンメルは執務室の豪奢なソファーに腰かけて、隠密たちから上がって来る報告書を読みながら独り言をつぶやく。
考え事をしていると、独り言をつぶやくのは彼の癖だった。
誰に聞かれているか分からないから、お止めなさいと、魔術師団長のルチアナに窘められるが若い頃からの癖だから直らない。
ロンメルは報告書を読みながら現在の状況について考える。
最高認証官のエレーネが公の場から姿を消すのは、ロンメルにとってかなり不都合な事態であるが、元を正すとロンメルの依頼が原因でもあるので致し方ない。
それにしても、何故グランベール公爵家がエレーネの事を探っているのだろうか?
そもそもロンメルに、エレーネをアースバルト家に派遣するよう依頼してきたのはグランベール公爵夫人のエルザなのだが。
何か不測の事態が起こったのか?
平民上がりのロンメルは貴族たちから嫌われている。
しかも王国の財政再建の為、騎士団の予算を大幅に減額してきたので、軍の上層部からも目の敵にされている。
王国内での、彼の配下は彼自身が育てた、王領の代官たちだけである。
侯爵まで昇りつめたロンメルだったが、周囲の反発を避けるため、領地の加増は固辞してきた。
故郷のヴァイマルを含む僅か二郡の主に過ぎない。
彼個人が動かせる軍は精々800程度であり、そのため身辺の警護と情報収集を行う隠密を30人程抱えている。
軍事力を持たないロンメルが頼むのは、騎士団で唯一、彼を支持してくれている魔術師団長のルチアナ・キースリング准将と、王国最大の貴族グランベール公爵夫人エルザだけだ。
西側諸国が不安定な上に、それに同調する貴族たちも出始めている今、自分の戦力不足はロンメルにとって一番頭の痛い問題だった。
それにしても、とロンメルは考える。
アースバルト家の嫡男マリウスのギフトは、レアの付与魔術師だと報告が上がっている。
確かに付与魔術師は数が少なく、高クラスの者も少ない。
ロンメルが把握している限りでは、この王国ではレアのギフトを与えられた者が最高で、でそれも僅か三名だけ。
11年前まで、ユニークの付与魔術師を一人王室が抱えていたが、帝国との対戦のさなか、王都から姿を消し行方不明になったままだった。
或いは帝国のスパイに攫われたとか、暗殺されたという風聞があるが、未だに消息は分っていない。
三人のうち一人は王家が抱えおり、一人は南の王領で自営を営み、最後の一人は王都のギルドに所属するAランク冒険者だ。
マリウスは四番目のレア付与魔術師と云う事になる。
高クラスの付与魔術師は、支援職としても生産職としても使い道は多い。
だが、公爵家と教会が取りあう程かと云うと、首を捻らずにはおれない。
或いはアースバルト子爵が、クラスを偽っているのか。
ユニーク、あるいはそれ以上。
「探らせる必要はあるでしょうね」
エレーネにヴァネッサとベアトリスを付けてしまったが、辺境伯領とアースバルト領は隣接している。
あの者たちに探らせるか。
エレーネから情報を得ることは不可能である。
認証官の誓約は絶対だ。
特にエレーネの誓約は特別だ。
複雑に組み替えられた彼女のオリジナルであり、解除不能な術式である。
それだからこそ彼女は、この国の秘密の全てを知っている。
ロンメルは目まぐるしく考えを巡らせながら、ペンを執ると、エルザへの手紙をしたため始めた。
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