1-18 枢機卿
ユリアとリナが両側からマリウスの汗を拭いている。
二人に交互にマリウスの服を脱がられ、服を着せられていく。
どちらも無言だった。
マリウスが居たたまれなくなって引き攣った笑顔で言った。
「二人とも仲良しになったんだ」
どちらも何も答えなかった。
マリウスは致命的なダメージを負った。
『皆にいい顔してるから、こんな目に合うのさ』
アイツの言葉が遠くで聞こえた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「信じてくれ! 私は本当にオットー・ベルハイムの事等知らん。だから家に返してくれ!」
王都の一等司祭アーゼル・ミューラーは弱々しく叫んだ。
昨日自分の館に帰還した彼は、深夜に訪問してきた数名のガーディアンズの騎士たちに連行されて、王都の本部教会のの地下に軟禁されている。
オットー・ベルハイム司祭が行方不明。
確かエールハウゼンの教会司祭だったか、卑屈な目をした、いかにも小物っぽい中年男だったが。
もうすでに20時間近くガーディアンズの取り調べが続いている。
二人のガーディアンズの審問官が、交代で尋問を続けていた。
眠気と空腹でもう限界であった。
「それでは認証官は、忘れ物をしたと言って馬車をもう一度教会に戻らせたのだな?」
もう10回以上答えた同じ質問を、審問官は繰り返す。
「だからそう言っている。何度同じ話をする」
ミューラー司祭の抗議を取調べ官は無視して質問を続ける。
「認証官は一人で教会に入って行ったのだな?」
「そうだ」
「どれくらいの時間入っていた?」
「五分位だった」
「何か物音を聞かなかったか?」
「何も聞いていな」
「本当に?」
「本当だ、何も聞こえてこなかった」
「認証官は何か持っていなかったか?」
「手提げ鞄を持っていただけだ」
これ位のと、ミューラーは手で示す。
「彼女に変わった点は無かったか? 服装の乱れとか」
「何もなかった、認証官には何も変った様子は無かった、本当だ、信じてくれ!」
額に脂汗を浮かべたミューラーは息も絶え絶えにそう訴えると、机に突っ伏してしまった。
後ろにいたもう一人の審問官がミューラーを起こそうと肩に手を掛けた時、ドアが開いて一人の男が入って来た。
純白の法衣を着た男はゆっくりとミューラーの傍に近づいてくる。
髪も真っ白だったが、顔は40代位に見える。
口元に柔和な笑みを浮かべているが、眼光の冷たさが帳消しにしている。
怜悧といった印象だ
よく見ると純白の法衣には金糸で精緻な刺繍が施されており、この男が非常に高位の者である事が解る。
ミューラーの前に座っていた審問官が立ち上がり、もう一人の審問官と共に無言で頭を下げ、ミューラーから離れた。
ミューラーが自分の傍らに立つ男を見上げた。
「ラウム枢機卿猊下?」
ライン=アルト王国のクレスト教教会を統括するヴィクトー・ラウム枢機卿は、ミューラーを一瞥した後、審問官に目を向ける。
審問官は無言で首を横に振った。
ヴィクトーは溜息を付くと、ガーディアンズの騎士が持ってきた椅子に腰を下ろし、ミューラーに話しかけた。
「困りましたに、ベーリンガー認証官は王都から姿を消し、あとを追ったガーディアンズ二人は連絡が取れない。あなたの話だけが頼りなのですが」
「猊下、本当に私は何も知らないのです、信じて下さい」
ミューラーはラウム枢機卿に取り縋って涙を流した。
ヴィクトーは少し考えていたが。
「解りました」
と言って、ミューラーの顔を覗き込んだ。
「それでは誓約の内容にについて、話して頂きましょう」
そう言って立ち上がり、ヴィクトーはミューラーを見下ろした。
「せ、誓約を破る事は出来ませんそんなことをすれば私は……」
「大丈夫ですよ、あなたの誓約は私の解呪で祓って差し上げます」
ヴィクトーはミューラーに言い聞かせるように言った。
認証官の使うスキル、“誓約”は一種の呪いである。
認証官の本質は、呪詛師であると云うのが、教会の魔術師達の一致した意見である。
対象者は誓約を宣誓することで術者の術式に拘束され、言動を制約される。
レアクラスのスキルである“解呪”で大抵の呪いは解ける。
誓約の術式を無効にすることも可能な筈である。
実際ヴィクトーは、過去に他の認証官の誓約を解呪した経験があった。
ヴィクトーはミューラーの頭の上に手を翳した。
数秒経つと、ミューラーの頭の周りに、頭を縛るような黒い、霧のようなものが浮かび上がる。
ヴィクトーが手を翳し続けると突然、黒い霧が弾けて消えてしまった。
ヴィクトーは手を卸すとミューラーに言った。
「もう大丈夫ですよ、あなたの誓約は解呪されました」
ミューラーは何が起こったのか解らずラウム枢機を見上げた。
「誓約が解けたのですか?」
「そうです、もうあなたを縛る呪いは在りません。安心して喋って下さい」
ヴィクトーの余裕ある態度に、既に疲れで思考力を失いつつあったミューラーは、取りつかれた様に語りだす。
「そう、福音の儀、福音の儀だ、私は見た。女神の像が目を開くのを、女神クレストはあの少年を選ばれた……!」
ミューラーが目を見開いてヴィクトーを見詰めた。
「あがぁ!」
突然ミューラーは、弾かれた様に立ち上がる。
ヴィクトーは意外に素早い動きで後ろに下がった。
ガーディアンズの二人が、ヴィクトーを守る様に間に立った。
「あがががが!」
ミューラーは癲癇の発作の様に体を硬直させて、ぶるぶる震えながら上を向いて絶叫している。
口から泡を吹き、土気色に変わった顔に紫色の醜い斑点が浮かび上がった。
白目を剥いて血の涙を流すミューラーの顔が、腕が次第にドロドロと崩れていった。
「ふひゅううう!」
顔の肉が解けて流れ落ち、穴の開いた頬から空気が漏れる音だけが響く。
ミューラーの断末魔の絶叫だった。
解け崩れた肉の塊になっていくミューラーの右腕が、グシャと音を立てて床に落ちた。
「ひっ!」
飛び散った血の飛沫が顔にかかり、ガーディアンズの一人が悲鳴を押し殺す。
やがてミューラーだった、解け崩れた肉の塊は、崩れる様に床に倒れて行った。
椅子がガラガラと転がる音と、ミューラーの体が床にグシャと潰れる音が、静まり返った部屋に響く。
扉が開いて、数名のガーディアンズが部屋に飛び込んで来た。
辺りの光景を見て立ち止まり、変わり果てたミューラーの遺体を見て呆然とする。
先頭に立つガーディアンズの王都本部指揮官、ヨハン・ヘンリクスがラウム枢機に問うた。
「枢機卿猊下、御無事で御座いますか! こ、これは一体何が……?」
ヴィクトーは自分の前で蒼白な顔で立ち尽くしている、二人のガーディアンズを押しのけて、ミューラーだったものにゆっくり近づいた。
「どうやら呪いに二重三重のプロテクトが掛けられていた様ですね。さすがはベーリンガー最高認証官。私の解呪でも祓えなかったとは」
さすがのヴィクトーも青ざめた顔で、声に震えあった。
「しかし、収穫はありました。ベーリンガー認証官を必ず捕えなさい。それと……」
ヴィクトーはヨハンに告げる。
「大至急アースバルト家嫡男マリウス・アースバルトの情報を集めて下さい、監視も置くように」
「は! 直ちに手配いたします。認証官の捕縛には私が自ら兵を率いて出向きましょう」
ヨハンが言葉を、ヴィクトーは聞いてはいなかった。
(女神クレストに選ばれただと、女神に選ばれし者は、あの御方を措いて他にいる訳もない)
ヴィクトーはミューラーだったドロドロした赤黒い塊に、もう一度目を向けると眉を顰めて部屋を出て行った。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
マリウスはダメージから立ち直れないまま食事に向かった。
リナとユリアが交互に、マリウスの前に料理の皿を並べていく。
マリアがその様子を面白そうに見ているが、マリウスは気が付かない振りをした。
味のしないスープを啜っていると、隣のシャルロットがマリウスを見て言った。
「あにしゃま、げんきがありましぇんね」
マリウスはシャルロットに雀々弱々しく笑いかけて言った。
「そんなことないよ、いつも通りだよ」
そう言ってシャルロットの頭を撫でた。
シャルロットに癒されたマリウスが部屋に戻るとドアの前に籠が置かれていた。
中を見るとどうやら使用人の上着が5枚入っている。
見慣れたゲオルグの執事服もある。
今日はきっと女神の試練の日に違いないとマリウスは思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
日が落ちる前に、城塞都市デフェンテルの城門を潜る事が出来た。
どうやったのかベアトリスが三人分の冒険者ギルドの身分証を持っていた。
ベアトリスから渡された自分の身分証を見ると、エリナ・プロミスと云う名前になっている。
30歳、Cランク冒険者。風魔術師。
北部の都市ヴァイマルのギルドの発行になっていた。
ヴァイマルはロンメルの故郷で今は彼の領地だった。
ヴァネッサとベアトリスは、名前もジョブもその儘らしい。
まあ、どうせ本名ではないのだろう。
辺境伯領に入るなら、冒険者になるのが一番都合が良い。
辺境伯領には現在500人以上の冒険者が在住して活動している。
自分のギフトを試したくて、若い頃冒険者の世界に飛び込む貴族の子弟も多い。
学生の延長戦。
モラトリアム少年少女の定例イベント。
帰る場所があるからの卒業旅行。
いかん、いかん、そういう青春からほど遠い人生を送って来たエレーネは、つい批判的に考えてしまう。
自分のギフトを頼り、貧しい境遇から身を起こすため冒険者になる若者は大勢いる。
むしろ其れこそが本来の、冒険者と云う名称の由来だ。
冒険者と云うジョブはない。
誰も適正者は居ないとも言えるし、誰もが適正者だとも言える。
今更冒険者。
それも面白い。
自分は今から長い休暇に入るのだ。
人とは違う人生を生きてきた。
そしてまた、新しい運命に出逢った。
マリウス・アースバルト。
あの少年は必ず自分を、いや世界を、見た事のない時代に導いてくれる。
自分はそれに一番にベットしたのだ。
これ程素晴らしいギフトを与えられた者が、外にいるだろうか。
「どうしたの、エレーネちゃん?」
向かいの席に座るベアトリスが、不思議そうに話しかけて来る。
「ん、なんだ?」
「なんだかエレーネちゃん、今まで見た事ない位楽しそう」
「特に楽しいことはないぞ、またお前らと一緒の旅だからな」
「またまた。エレーネちゃんツンデレなんだから」
「宿はどうする!」
御者席でヴァネッサが怒鳴っている。
「安そうな宿にしてくれ」
「えー、私お風呂に入りたい」
ベアトリスが無駄にでかい胸を練らせる。
「高い宿はだめだ」
「ロンメル様に沢山お金もたったんでしょう贅沢しましょうよ」
ベアトリスが強請るがエレーネは取り合わない。
「目的地に着くまでは、目立ちたくない」
「目的地てって何処よ?」
「宰相から聞いていないのか」
ベアトリスは肩を竦めて言った。
「付いて行けば解るって」
それもそうだ。
「なら、付いて来ればいいさ」
エレーネはそう言って覗き窓の外に目を向けた。
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