6―20  少年は魔境をめざす


 マリウスも“魔物憑き”の凄まじさに戦慄していた。

 今のところ被害は出ていない様だが、ライアンの力は底が全く見えなかった。


 魔物憑きは“浄化”で払う事が出来る。


 マリウスはエルマの言葉を思い出していた。


 マリウスは再びハティをライアンに向けて降下させた。


「マリウス! 何をする気!」


「試したい事があるんだ! ハティに捕まっていて!」


 マリウスはエレンに叫びながら“結界”を広げる。ハティもマリウスの結界の内側に二重に“結界”を張った。


 振り返って此方を睨むライアンに、ハティが口から衝撃波を放つ。

 ライアンは光の剣を交差させて衝撃波を防ぐと、マリウス達に向けて光の剣を振った。


 再び“結界”と光の剣が激突する。

 “結界”と光の剣がせめぎ合い、爆風が周囲に広がった。


 クルトやフェリックスが“結界”を広げて爆風に耐えながら戦いを見つめる中で、マリウスが“支援魔法”のスキルで、ライアンに“浄化”を付与した。


 ライアンの体が青い光に包まれる。


 ライアンが突然苦しみだして、光の剣を振り回した。


 マリウスはハティを上昇させて剣を躱すと、上空で静止してライアンの様子を見た。


 ライアンは地面に膝を付きながら、未だ光の剣を振り回し続けていた。


「何をしたの? マリウス!」


 エレンが、突然苦しみだして暴れるライアンの姿を見ながら叫んだ。


「あいつに“浄化”を付与したんだ、魔物付きには“浄化”が効果ある筈なんだ」


 “浄化”の魔法を使う事も出来たが、直接付与してしまう方が、確実に効果が続くように思えたので“支援魔法”スキルを使ってみた。


 ライアンの振り回す光の剣で、瓦礫や土砂が弾き飛ばされて、周囲に飛び散った。


 クルトたちもライアンの異変に気付くと、“結界”を広げながら兵を後ろに下げさせる。


 マリウスは再びハティを急降下させると、のたうち回るライアンに向けて、今度は上級神聖魔法“浄化”を全力で放った。


 ライアンの周辺が青い光りに包まれて、ライアンが静止すると、そのまま俯せに地面に倒れ込んだ。


 背中の腕が根元から折れて、地面に転がる。

 うつ伏せに倒れたライアンの口から、苦悶の絶叫が漏れた。


 マリウスはハティを上昇させると眼下のライアンを見降ろした。 


 ライアンの体が小刻みに震えている。

 額の二本の角が突然ポロポロと抜け落ちて地面に転がった。


「体が縮んでいく……」

 エレンが震えながらライアンを見つめた。


 ライアンの体が次第に小さくなっていく。

 びくびくと痙攣していたライアンの体がやがて静止すると、干からびた老人の様な姿が残った。


 クルトとエフレムが剣と盾を構えたまま、ライアンにゆっくりと近づいて行った。


「死んでいるようです!」


 クルトがライアンの傍にしゃがみこんで、顔を覗き込みながら言った。

 皆が安堵の歓声を上げる。


 マリウスとエレンを乗せたハティが、ノルン達の前に舞い降りた。


「マリウス様!」


 ノルンとエリーゼが、マリウスに駆け寄った。


「エレン様!」

 マヌエラもエレンに駆け寄る。


 マリウスがハティから降りると、エレンもぴょんと飛び降りた。

 干からびた目を見開いて虚空を睨むライアンの亡骸に視線を向ける。


 基本レベルが上がってステータスがリセットされる感覚を感じていたので、ライアンが死んだのは分かっていた。


 初めて自分の手で人を殺した事を、レベルアップで実感させられた。


『たとえ姿が戻っても、体の変化に耐えられず死んでしまいます』


 エルマの言葉が記憶を過る。

 マリウスはライアンから目を反らすと、ノルンとエリーゼを見た。


「二人とも怪我は無かった?」


「大丈夫です、でもマリウス様の付与した鎧を着ていて、弾き飛ばされたのは初めてなので驚きました」


 よく見るとノルンは泥だらけだったが、怪我はなさそうだった。


「凄い力でしたね、ハイオーガよりも強かったかも」


 エリーゼが青い顔で言った。

 マリウス自身驚いている。“結界”を破られたのは初めてだった。


 バルバロスのブレスさえ弾いた“結界”を一度でも壊したという事は、ライアンの力はユニーク以上だったかもしれない。


「マリウス様、どうやって倒したんですか?」


「うん、あいつに支援魔法のスキルを使って“浄化”を付与したんだ。前に司祭のエルマ様から、魔物憑きには“浄化”が効果があるって聞いていたんだ」


 マリウスがノルンに答えた。

 

 ブルーノの兵士がライアンの亡骸を運んでいく。

 マリウスが途中で倒した聖騎士達も親衛隊が捕えた様だ。


「マリウス。喉が渇いたわ」


 振り返るとエレンが立っていた。

 マリウスは肩に吊っていた竹筒に手を伸ばしたが、走りながら全部飲んでしまったのを思い出した。


 ここからなら、マーヤが水を売っている広場までそれ程遠くないのを思いだす。

 マリウスはハティに跨ると、エレンに手を伸ばした。


 エレンは当然のようにマリウスの手を取って、ハティに乗った。

 “瞬動”で、ノルンとエリーゼ、マヌエラがハティの周りを取り囲んだ。


「御願いだからもう飛ばないでください」


「護衛達も限界です」


「私、もう走れません」


 ノルンは何時の間に“瞬動”が使えるようになったんだろうと思いながら、三人の真剣な顔が少し怖かったので、マリウスは止む無くハティを歩かせることにした。


 エレンはつまらなさそうだったが、ハティが歩き出すとすぐに機嫌が直った。

 下町の町並みを珍しそうに見ている。


 親衛隊にクルトやエフレム、ケント達も付いて来ている。

 エレンがマリウスを振り返った。


「マリウス。あなたが福音を受けたのは、私より四か月早かっただけよね」


「そうだよ、未だ四か月しかたってないね。」


「四か月でどうしてそんなに強くなれるの?」


 エレンが碧の瞳でマリウスを覗き込んだ。


「うーん、やっぱり毎日魔物と戦っているからかな。ゴート村は魔境に近いから」


「マリウスは魔境に行ったことがあるの?」


 マリウスは首を振った。


「いや、未だ行った事は無いよ。いつか必ず行きたいと思っているけどね」


「どうして魔境に行きたいの?」


 マリウスはエレンの瞳を見た。


「誰も見た事がない物を見てみたいんだよ」


 エレンはマリウスから目を反らすと、少し顔を赤くして小さな声で言った。


「私も一緒に行ってあげても良いわよ」


「うん、一緒に行こう」


 屈託なく笑うマリウスからエレンは顔をそむけたが、赤い顔のまま嬉しそうに微笑んだ。


 エリーゼが二人の様子を見ながら、ノルンに視線を送る。

 ノルンは苦笑しながら両掌を上に向けて、肩を竦めた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「キャーっ!」


 悲鳴と共に、ガラガラと音を立てて何かが崩れる音が新築の建物の中で響き渡る。


「如何かしたっすか? オリビア先生?」


 ドアを開けて中に入って来たのはヨゼフであった。

 ここは学校に隣接して建てられた図書館である。


「うわー。本の山!」


 ヨゼフの後ろからハーフエルフのアデリナも入って来る。


 二人は午前中に学校で授業を受けた後、ちゃっかり子供達と一緒に給食を食べてから、帰る処であった。


「た、助けて……」


 並べられた机の陰から声がする。二人が覗き込むと分厚い本の山に圧し潰された、うつ伏せのダークエルフが手を振っている。


 ヨゼフとアデリナは顔を見合わせると、慌てて本の山の中から、オリビアを引っ張り出した。


「あ、ありがとうございます。死ぬかと思った……」


「どうしたんですか?」


「本を分類しながら積み上げていたら急に崩れてしまって……」


 オリビアが顔を赤らめながら二人に答えた。


 床を見ると彼方此方に本が入っていたらしい木箱の蓋が開けられて、机の上に本が並べられていた。


「凄い数ね、これを一人で整理するの?」

 アデリナが感心したように本の山を見た。


「ハイ。若様が御帰りになる前に図書館をオープンしたいんです」


 そう言いながらオリビアが、床に散らばった本を再び机の上に並べ始めた。


「あっ、俺手伝います。今日は休みっすから」


「あ、私も」

 ヨゼフとアデリナが手を挙げる。


「ありがとうございます。それじゃ分類の終わっている本を本棚に並べて貰えますか」


 二人は机の上に分類された本の山を壁際の本棚の処まで運んで並べ始めた。

 ヨゼフが机の上に十数冊山済みになった、ひときわ古い本に目を止める。


「オリビア先生。これは何処に入れます?」


 古い羊皮紙の束を綴じた革表紙には見た事も無い文字が書かれていた。


「それは古代ハイエルフ語で書かれた本みたいで私には読めません。多分上の何冊かは魔術書だと思いますが、若様が帰って来たら見て頂くので、奥の書庫に仕舞っておいてください」


 ヨゼフが一番上の本の革表紙を捲ると、術式らしいルーンと、解説らしい文字が書かれている。


「アデリナ、エルフなら読めないの?」


「無理言わないでよ、そんな大昔の言葉読める訳無いでしょう。私未だ18よ」


「あ、私も18です。アデリナさん同い年なんですね」


 ハーフエルフもダークエルフも人族よりははるかに長命なので、つい高齢に思いがちだが、二人ともまだ見た目通りに年齢らしかった。


 ゴート村でマリウスの館に住むようになってから食生活が改善されて、ややウエスト周りがサイズアップしたアデリナと、すらりとしたオリビアの細い腰を無意識に見比べるヨゼフを、アデリナがジト目で見る。


「あんた。今なんか失礼な事考えているでしょう」


「えっ! いや何も……」


 ヨゼフが視線を逸らしてオリビアに言った。


「図書館がオープンしたら、俺らも本を読みに来ていいんすか?」


「はい、若様はその御心算でここを作ったそうですよ」


「楽しみですね。俺も絶対来ます」


 ヨゼフは本棚に並べた『年上の女性を口説く10の方法』という本の背表紙に、ちらりと視線を走らせながら力強く言った。



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