2-31 神剣バルムンク
「洞窟が有ります!」
村の奥、崖の辺りから兵士の叫ぶ声が聞こえた。
クラウスとエルザは声のする方に向かって馬を進めた。
村の背後の崖、ちょうどダニエル達が立つ山頂の真下辺りに、遠目からは目立たない岩に隠す様に開いた縦長の入り口がある。
魔術師が穴に向けて“ライト”を放った。
兵士が三人剣を抜いて一列になって穴に入って行く。
暫くすると兵士が一人出てきてクラウスに報告した。
「中には何も居ません、ただ何か棺桶の様な箱が置かれています」
兵士の報告を聞くとエルザが馬を降りた。
面白そうに穴の中に入って行く。
クラウスも止むを得なく馬を降りて後を追う。
穴の中は意外と広かった。
奥はそれ程深くなく、床には何かの魔物の毛皮が敷かれていた。
いやな臭いがしたが、我慢して奥まで進むと確かに棺桶の様な、人一人入れそうな木箱が置かれていた。
「さて、何が入っているのやら」
エルザが楽しそうに木箱を眺めた。
クラウスが頷くと兵士が二人で木箱の蓋を開いた。
エルザが中を覗き込む。
「剣です、剣が一振り入っています」
兵士がそう言って中から鞘に入った長剣を取り出した。
クラウスの前に持ってくる。
鞘にも美しい細工が施された剣をクラウスは手に取って眺めた。
鞘の中心に描かれた竜が翼を広げた姿を象った紋章を、勿論クラウスもエルザも知っていた。
エルザに見せるとエルザも黙って頷く。
クラウスは柄に手を掛けて剣を抜いた。
刃渡り1メートル20センチはある、波刃の細身の剣は白銀に輝いていた。
ミスリル製の刀身を見つめて、クラウスがエルザに言った。
「間違いありませんな」
エルザも頷くと言った。
「ああ、マティアス・シュナイダーの佩刀、『神剣バルムンク』だ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
眷属である万のコボルトと数千のウルフウォーリアーを率いた魔獣フェンリルが、辺境伯領に迫ったのは七年前のことだった。
前辺境伯マティアス・シュナイダーは5000の騎兵を率い、愛竜バルバロスと共に領境でフェンリルの軍勢を迎え撃ち、三昼夜に及ぶ死闘の末フェンリルと相打ちになって果てた。
コボルトは魔境に撤退し、バルバロスはマティアスの息子ステファンと新たに契りを結んだ。
そしてこの戦いで、辺境伯家の当主の証とも言える。『神剣バルムンク』が失われた。
辺境伯家は冒険者ギルドの多額の懸賞金を懸けて行方を捜したが、未だ発見されたという報せは無い。
クラウスもエルザも11年前の帝国との対戦で、マティアスと逢っていた。
その佩刀も実際に見ている。
「ホブゴブリンが『神剣バルムンク』を隠し持っていた、と云う事でしょうか?」
クラウスは剣を鞘に納めながら言った。
「そういう事になるな」
エルザが肩をすくめる。
戦場から消えた『神剣バルムンク』がホブゴブリンの手に渡った経緯など、彼らには知りようもない。
「どうする気だ、クラウス?」
エルザが『神剣バルムンク』を指差していった。
「当然、辺境伯家に御返しするのが筋でしょうな。」
クラウスが答える。
或いはこの宝剣で辺境伯家と友好な関係を築くきっかけが出来れば、状況が少しは好転するかもしれない。
「私が返しに行きたい気になるが、さすがに無理か」
エルザが真面目な顔で呟く。
クラウスは苦笑して言った。
「それは公爵閣下とご相談下さい」
エルザは手を振って言った。
「よい、ジークフリートかホルスにでも持って行かせよ、よく言い含めてな」
「御屋形様、この様な物が」
剣の納められていた、木の箱の中に敷かれた藁くずを探っていた兵士が、何か引っ張り出した。
古い革表紙に閉じられた、大判の手帳らしかった。
クラウスが手に取って中を開く。
古い羊皮紙に何かの術式が描かれている様だ。
クラウスは羊皮紙を捲っていったが全て術式が描かれていた。
覗き込んでいたエルザにクラウスが言った。
「私には読めませんが、エルザ様は解りますか?」
「私にもわからんな、普通の魔法ではない様だ」
エルザはそう言って、傍らにいた兵士にジェーンを呼ぶ様に言った。
クラウスもエルザも術式に関するスキルは持っていないので、座学で学んだだけである。
基本的の事は解るが複雑なものは読み取れない。
暫くするとジェーンが入り口に顔を覗かせた。
中の臭いを嗅いで顔を顰めるが、エルザに急かされて嫌そうに入って来る。
キャロラインとマリリンも付いて来ていたが、入り口で止まって顔だけ覗かせている。
「ジェーン、これが読めるか」
エルザが手帳を渡した。
ジェーンは手帳を受け取ると中を開いてぱらぱらとページを捲った。
「えーと、“硬化”、“軟化”、“熱防御”、ああ、これ付与術式ですね」
ジェーンが言った。
「付与術式? それが全て付与術式なのか?」
エルザが聞いた。
クラウスも興味深そうに見ている。
「そうみたいですね。ああこれ、若様が使っていた“飛距離増”、でもなんか少し違うような?」
「何かとはなんだ?」
エルザが苛々しながら聞いた。
「えー、1回見ただけだから……」
「若様あの時2回使ったよね、“飛距離増”」
入り口でマリリンが裏切る。
「貴様2回も見て覚えておらんのか!」
エルザがジェーンを睨んだ。
「1回でも2回でも、見ただけで簡単に覚えられないですよ」
ジェーンが半泣きで抗議する。
「若様は1回見たら、ジェーンの魔法全部使えてたけど」
キャロラインが茶々を入れる。
「どうせ私はへぼ魔術師ですよ」
ジェーンが既に泣いている。
エルザが呆れて言った。
「もうよい。全て付与術式なのだな?」
「はい、その様です。後ろの方はレアかユニークの術式だと思います、私にも読めないです。あ、裏表紙に何か書いてあります」
ジェーンが顔を近づけて、裏表紙に書かれた、インクの掠れた字を眺める。
「グリゴ、グレゴリー、ドルガ、ドルガノ……」
「グレゴリー・ドルガニョフであろう」
エルザが言った。
「そう、それ! グレゴリー・ドルガニョフです!」
「御存じですか? エルザ様」
クラウスがエルザに聞いた。
「100年くらい前にいた帝国貴族の名だ」
エルザが記憶を手繰りながら答えた。
「当時の皇帝、イワノフ3世の寵臣で内務卿を務めていた、伯爵だった筈だ」
「どの様な方だったのですか」
クラウスがエルザの意外な博識に驚きながら聞いた。
「ろくでなしだ。人族至上主義を唱えて、亜人の大量虐殺を行った張本人だ。確か最後は獣人達に暗殺されたという噂だ」
エルザは吐き捨てる様に言った。
クラウスも帝国で100年前に亜人の虐殺があった事は知っている。
その時大勢の亜人が、この国に流れてきたことも。
「そう言えば、付与魔術師だと云う噂が在ったな。他国のことゆえ真偽は解らんが」
しかし100年前の帝国貴族の手帳が何故ここに在るかもやはり知りようがない。
「帝国に返してやる義理も無いし、お前の息子にでも呉れてやれ。あの子なら少しはましな事に使うであろう」
エルザはそう言って笑った。
クラウスもそれが良い様な気がした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
グレートウルフの処理はクレメンス達に任せてマリウスはクルトとミラ、ミリ、ミヒエル達と共に村に引き上げた。
村長の家に帰ると、マリア、リザとミラたちの母が待っていた。
母親を見るとまた、ミラとミリが抱きついて泣き出した。
ミラ達の母親に何度も頭を下げられて礼を言われ、マリウスは恐縮する。
結局村長の家で、皆で朝食を食べる事になった。
ミラは背中に石をぶつけられたので、医術師のヤーコプに診て貰ったが、痣が出来ただけでたいした事は無いとの事だった。
ミラとミリはリザや母親が並べてくれた朝食を見ると、やっと元気になった。
余程お腹が減っていたのか、凄い勢いで食べている。
「グレートウルフが石を投げるんだ?」
マリウスがミリに聞いた。
「はい前足で石を掘り出して、こう、ぴゅっと」
ミリが手ぶりで石を弾く様子を教えてくれる。
「最初は若様の魔法で近寄ってこられないから大丈夫って思ったんですけど」
ミラが悔しそうに言う。
「ほんと怖かった。もうだめだと思いました」
ミリがスープを飲みながら言った。
暖かい食事を食べて、大分落ち着いてきたようだ。
“魔物除け”だけでは不十分だったか、魔物は意外に頭が良い様だ。
ホブゴブリンもそうだったが、道具を使ったりする。
マリウスはパンを齧りながら、もっといい方法は無いか考えていた。
「そんなにたくさんの魔物が、人里迄入って来るなんて怖いですね」
ミラ達の母親が不安そうに言った。
「前からこの辺は良く魔物が出るの?」
マリウスが聞いた。
「魔境が近いから、毎年何回か魔物に襲われる者が出ますが、こんなに沢山の魔物が出るのは初めてです」
「いや」
リザの返事に、ミヒエルが思い出したように言った。
「確か7年前、辺境伯様の処にフェンリルが現れたあの年も、森にオークやゴブリンが沢山入って来た事が有りましたね」
リザも思い出したように言う。
「そうそう、あの時も騎士団に来て頂いたのだったわね」
魔境から魔物が大勢押し寄せて来る年が在るという事か。
年が明けて未だ一月なのにホブゴブリンの軍勢にグレートウルフの群れ。
未だこれから更に魔物が入って来るのだろうか。
食事を平らげるミラとミリの笑顔を見ながら、マリウスは自分の付与魔術についてもっと調べてみようと思った。
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