7―26  化粧水とハンドクリーム


 エルザと昨夜“念話”で話したが、バシリエフ要塞を占拠したエールの守備隊が、莫大な量の金貨や武具と一緒に大量の食糧を接収しているので、一部をユング王国に支援物資として送っても良いという話だったので、土地が元に戻ればそれ程深刻な被害にはならないだろう。


 秋の小麦の種播きに間に合うか微妙だが、浄水場が完成するまでの間、被害が広がらないように何か手を考えようとマリウスは思った。


 マリウスが改めてカサンドラに向き直ると尋ねた。


「村の水を川や農地に流しても問題ないんだね?」


「はい、むしろ積極的に排水を流していくことをお勧めします。恐らく収穫量が上がるだけでなく、『奇跡の水』で育てた作物を摂取する事で、『奇跡の水』と同等の効果を得られると推測されます」


 それなら村の拡張に伴って新しく作る下水処理場の排水は、農業用水用の水路に流すようにしよう。


 マリウスはひとまず安堵すると、しげしげとカサンドラを見つめた。


「それはそうとカサンドラ? 今日は何だかやけに綺麗だけど、何かあったのかな?」


 部屋に入った時から思っていたが、カサンドラの顔が妙に艶々して、何時もと随分印象が違って少しドキドキしてしまった。


 カサンドラは殆ど化粧はしない筈だが、まるで別人のようで、少し若返ったようにすら見えた。


 よく見ると後ろのティアナも肌の艶が何時もと違っていた。


 カサンドラがびっくりするほど真っ赤になると、焦りながらしどろもどろに答えた。


「こ、これも、ど、どうやらアースドラゴンの肉のこ、効果のようです。あ、アースドラゴンの肉には、ひと、人の肌を修復する作用があるようです」


 カサンドラとティアナは魔力増加の実験の為、昨日もアースドラゴンの肉を食べたらしい。


 最初の試食と、レーア村のバーベキューパーティー、マリウスの館の歓迎パーティーとほぼ二日に一回位のペースで、アースドラゴンの肉を食べていた。

 

『異世界のスッポンコラーゲンだな』


 恥ずかしそうに俯くカサンドラを見ながら、マリウスの中で一つの考えが閃めいた。


「ねえ、カサンドラ。確か『奇跡の水』にも女性の肌を綺麗にする効果があったんだね?」


「ハイ、自己治癒能力を高める事で、肌の再生も促す効果があります」


「実は今度ポーションを販売する為の商会を立ち上げるので、何か店に置く目玉になる商品を開発したいと思っていたんだ」


 テオたちには、安価なコンロの魔道具と照明の魔道具を造らせる心算だし、アリーシアには夏服の増産を、マイセにも陶器やガラス食器の量産を、ユリアにはヨウルトやチーズなどの乳製品の増産や、新作スイーツを頼んである。


「村の水やアースドラゴンの成分を使って、女性の肌を綺麗にする化粧水や、手荒れを防ぐハンドクリームの様な物が作れないだろうか?」


 ゴート村では『奇跡の水』が導入されてから、皸等の手荒れが無くなったと村の主婦が喜んでいた。未だ『奇跡の水』が普及してない土地なら手荒れを防ぐ『ハンドクリーム』は歓迎されるはずである。


「『化粧水』と『ハンドクリーム』で御座いますか? 成程、恐らく可能かと思います」


「あ、そんなに効果の高い物にしなくて良いから、出来るだけ安価に大勢の女の人に使って貰える様な『化粧水』を作って欲しいんだ、『ハンドクリーム』も皸を治す位で良いから」


 カサンドラが本気になると、とんでもない物を作りそうなので、一応釘をさしておく。


「分かりました、お任せくださいマリウス様」


 カサンドラが少し残念そうに答えたが、後ろでティアナの目がギンギンに輝いている。


 一抹の不安を感じながら、マリウスはカサンドラの研究所を後にした。 


  ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ユング王国の王都ラナースにある帝国の総督府の城門が巨大な氷塊の直撃をうけて粉砕されると、アマンダ・ベロニウス将軍が率いる3千の兵が総督府に雪崩れ込んだ。


 総督府を見下ろせる城内の楼閣から、エリク王子とボリス・オークランス将軍が煙を上げる総督府の黒塗りの建物を見つめていた。


 15年に亘ってユング王国を支配し続けた帝国の総督府が終焉を迎えつつあった。


「アマンダの奴、なるべく殺すなと言っておいたのだが、大丈夫かな?」


 眉を顰めるエリク王子にボリスが笑って答える。


「相手はたかだか100程、すぐに降伏致しましょう。いかに血の気の多いアマンダとて降伏した兵士を氷漬けには致しますまい」


 アマンダはユニークの水魔術師だった。


 昨日バルト河の東、帝国の宮廷顧問官ミーシアドルガノヴァの城アナベルに入ったエルドニア帝国外務卿パーヴェル・マクシモフ伯爵から、ユング王国軍がエール要塞の戦場から勝手に離脱した事と、ライン=アルト王国の使者を王城に迎え入れた事を詰問する書状が、宰相ベルゲ宛てに届いた。


 未だ宰相ベルゲを捕えて幽閉した事は、帝国には伝わっていない様だった。

 最早これまでと判断したボリスは国王に許可を取って総督府攻め、つまり帝国との絶交を決断したのだが、ちょうど兵を率いて王都に戻って来たミズガルの主将アマンダがすかさず手を挙げた。


「オークランス将軍の軍は戦場から帰還されたばかりでお疲れでしょう。ここは我等ミズガル勢にお任せ下さい」


 そう言ってアマンダは返事も聞かずに兵を率いて城を飛び出して行った。


「これで戦は避けられなくなったな」


 拳を握りしめて、言葉とは裏腹にやる気満々のエリク王子に苦笑しながら、ボリスが頷いて言った。


「最早後戻りは出来ません。早晩帝国軍が大挙して攻めてくるでしょう。我らも急がねばなりません」


 ボリスの言葉にエリク王子が頷くとボリスがエリク王子に向き直って言った。


「それでは我らも国王陛下の使命を果たしに向かいますか」


「うむ、何としてもライン=アルト王国との命を取り付けるぞ。ボリス!」


「御意!」


 ボリスがエリク王子に跪いて礼を取ると立ち上がり、二人は城楼から出るとそのまま僅かな兵を連れてロランドに向けて城を発った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「上級ポーションのレシピを盗んだら、王都に新しく出来る薬師ギルドの幹部にして貰えるって言ったの、その彼氏?」


「はい。そう言って、メラニーに何とかしてくれって泣きついたそうです、全く情けない男です!」


 アデリナが憤慨しながら、フォークにユリア特製の新鮮な卵とたっぷりのチーズを使ったカルボナーラをぐるぐると巻いて、大きな口に放り込んだ。


「うーん、それはその男が嘘をついているか、その男も騙されていると思うよ」


 マリウスが呆れた様に言いながら、パスタを口に入れる。


 ブロック工房製のパスタマシーンで作った生パスタは、もちもちとした触感が絶妙だった。

 チーズと胡椒がよく合っている。


『生クリームを使ったのも好きだけどな』


 皆と別室で、アデリナの報告を聞きながら、パスタ料理の試食も兼ねて夕食を採っているところだった。


 エールハウゼンから帰って来たイエルとノルンも同席している。


 パスタマシーンは宿とホテルの食堂や狐亭にも無償で提供されていた。

 ユリアに渡したレシピと同じものも、サーシャたちにも渡してある。 


「そうなんですか?」


 アデリナがパスタを飲み込みながらマリウスに問い返した。


「ギルドを勝手に作る事など出来ません。国王陛下の許可が必要ですし、一つの業種に一つのギルドが決まりで、二つなったらギルドの意味がありません」


 イエルが代わって答えた。


 ギルドは権利を保護された特権組織であるし、そんな事が自由に出来るなら、マリウスがカンパニーを作るのに、彼是根回しする必要もない。


 或いはクレスト教会と大蔵卿のブレドウ伯爵辺りが無理やり王家にねじ込んで話を進めるという事も考えられるが、宰相ロンメルがそれを許すとも思えないし、仮に出来たとしても正直大した脅威に成るとも思えない。


 マリウスはどちらかというとギルド否定派で、経済は自由競争であるべきというアイツの考えにかなり同化しているので、ライバルの工房が出来る事自体は嫌ではないが、フランツに本気でカサンドラたちと対抗できるだけの力があるとは思えなかった。


「それでメラニーはどうしたの?」


「勿論断ったそうですけど、また半月後に来るからそれまでに何とかしてくれって言って帰って行ったそうです」


 うーん、スパイとしても小物感がハンパないが、マルティンの話だと“探知妨害”のアイテムを持っていたそうなので、恐らく背後にどこかの勢力が付いているのは間違いないであろう。


 これまでの経過からして、クレスト教会勢力が後ろに居る可能性が最も高いと思われるが、ギルドをもう一つ起こしてどんなメリットが得られるのか良く解らない。


 マリウスが付け合わせの、香草を乗せて蒸し焼きにしたゴールデントラウトをフォークで突きながら、アデリナの隣に座るイエルの方を見た。


「いっそ上級ポーションの製法レシピを世間に公開しても別に構わないんだけど」


 マリウスは以前この村にやって来た旧薬師ギルド筆頭理事のフランツ・マイヤーの顔を思い浮かべながら呟いた。


 そう言えばフランツはしつこく上級ポーションの製法を知りたがっていた。


「マリウス様、上級ポーションの製法は極秘にするよう宰相様から厳しく申し付けられています。お忘れですか?」


 マリウスの言葉に、イエルが驚いて声を上げた。

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