6―23  少女も魔境をめざす


 皆の視線がエレンに集まる。


 「確かにマリウスがそのような事を言っていたな。“浄化”か、確か聖職者がアンデット除けに使う上級魔法だったな」


 納得するエルザに、アメリ―が驚いた様に言った。


「聖職者の上級魔法ですか? 僅か7歳で優れた付与魔術師でありながら、火魔法や土魔法を自由自在に操り、フェンリルを使役し、アーツを使いこなし、更に聖職者の魔法まで使えるのですか? 一体マリウス殿はどの様な御方なのです?」


 アメリ―の疑問の声に、アルバンやブルーノも頷いていている。


 マヌエラが更に話を続けた。


「捕えた者を取り調べたところ、奴らは件の“魔物憑き”の薬を、昨夜市内の井戸に投げ込んでいたようです。にもかかわらず何の被害も出ておりません。これもマリウス殿の御力でしょう」


「ふふ、マリウスの力の事は、詮索無用という事で頼む。まあ、私たちにも本当のところは良く解らないのだがな」


 エルザの言葉にガルシアが苦笑する。


「マリウス殿とアースバルトの騎士団だけで既に30人の聖騎士を討伐してしまいましたな。これでは我らの面目が立ち申さん」


 冗談交じりに言うガルシアに、マヌエラやアメリ―、アルバンも項垂れる。


「未だ戦いが終わったわけではない、何よりシルヴィーが現れておらん。皆気を緩めずに引き続き警備と巡回を続けてくれ」


「御意!」


 一同がエルザに一礼する。


「時にエレン、お前は戦いを見ていたのか?」


 エルヴィンがふと気になってエレンに尋ねると、マヌエラの顔から、さっと血の気が引いた。


「うん。マリウスと一緒にハティの背中に乗っていたよ」


「何だと! エレンは戦いの場にいたのか。どういう事だ、マヌエラ?!」

 エルヴィンが驚いてマヌエラを怒鳴る。


「そ、それは姫様を……」


「私が許したのだ。マリウスの事が気になるなら、自分の目で確かめて来いとエレンを行かせたのだ」


「危険ではないか! エレンにもしもの事があったらどうする!」


 エルヴィンが、口元に笑みを浮かべるエルザを睨んだが、エルザはエルヴィンの事は気にも留めずにエレンを見た。


「エレン。どうだったマリウスは? 強かったか?」


「うん、とても強かった。でも強いだけじゃなく、色々な事を知っていた。私マリウスと一緒に魔境に行くわ!」


「な、ならん! 何を言っているエレン! 魔境は子供の遊び場ではないわ!」


「御父様は魔境に行ったことがあるの?」


 エレンが、真っ赤な顔で怒鳴るエルヴィンに尋ねた。


「そ、そんな処に行った事などない。魔境は人が立ち入ってはいけない場所だ!」


「行った事が無いのにどうしてそんな事が言えるの? マリウスは誰も見たことの無い物を見てみたいと言ったわ。私も見てみたい」


「よく言ったエレン! それでこそ私の娘だ。その時は私も一緒に行こう」


「ならん! そんな事はこの儂が絶対に許さんぞ!」


「我らはマリウスと、辺境伯家と共に魔境をめざす。其方はここで留守番でもしておればよいわ」


「おのれエルザ! 言わせておけば。儂は未だ許した覚えはないわ!」


 ガルシアとマヌエラが困り果てて、クラウスに助けを求める視線を送るが、クラウスは気付かない振りをしてそっぽを向いた。


 アメリ―たちは目が点になっている。


 言い争いを続ける両親を気に留めた様子も無いエレンの目は、遠くを見つめて好奇心で輝いていた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 


 ベルツブルグの北門近くの下町にある酒場『アルラウネ』の裏口の扉を、彼方此方ボロボロに破れたローブを羽織った女が、三度叩いてから手を止め、再び二度叩いた。


 扉に就いた覗き窓が一瞬開き、直ぐ閉じられると内側からドアが開いた。


 女が転がり込むように中に入り、扉を開いた男が外に顔を出して素早く周囲を確認すると、直ぐに扉を閉じた。


 扉の中は階段になっていて、地下に続いている。

 女は階段を降りると地下室の扉を開けて中に入った。


 意外と広い部屋の中にいた四人の男女が、一斉に入って来た女を見た。


「エマ隊長、その姿は? ライアン隊長は?」


「ライアンは多分死んだ。ルイ達は?」


「ルイも帰ってきていません。街も静かで何も起こりません」


 エマの後ろに付いて来た、扉を開けた男が言った。


「作戦は失敗だ、恐らく全員捕えられたか殺されたのだろう」


 エマは戸棚の中から瓶を一つ取り出すと、口で瓶のコルクを咥えて引き抜き、ローブの腕をまくって血を流す二の腕に、中身を振りかけた。


 エマの顔が苦痛に歪むが、傷口の血か止まり洗い流されていく。


 エマはローブを脱ぐと、傍にあった椅子にぐったりと腰を下ろして、部屋の中の五人を見回した。


 20人いた聖騎士の潜入部隊が今はたったこれだけだった。


 昨夜90本の『禁忌薬』を、井戸に投入して回ったのに結局何も起こらない。


 如何やったのかは分からないが、エマたちの作戦は完全に封じられてしまった様だった。


 起死回生をかけてマリウス・アースバルトの奪取に向かったが、エマ以外の9人は全滅させられ、エマだけが辛うじて逃げ帰った。


 エマが逃げる途中で振り返ってみたのは、有り得ない程長大な“ホーリーソード”の光だった。


 恐らくライアンが『禁忌薬』を自分で飲んだのだとエマは直観した。


 普通の人間を上級魔物並の化け物に変えてしまう『禁忌薬』をレアの聖騎士が飲めば、恐らくユニーク以上の怪物に変身してしまうだろう。


 そして何よりもエマを戦慄させたのは、ライアンが『禁忌薬』を使ってもなお、騒ぎがそれ以上広がらなかったことだ。


 恐らくライアンは討伐された。

 エマはライアンを討伐したのはマリウスだと思った。


 エマたちはフェンリルとアースバルトの騎士団の実力については、充分警戒していた。


 ライアンが王都の近郊で交戦になった騎士団の実力は、聖騎士に匹敵するものだったし、フェンリルの力は決して侮れない。


 しかし彼女たちは勘違いをしていた。

 ただの標的だと思っていた、マリウスこそが最強だったのだ。


 自分とライアン、レアの聖騎士二人とアドバンスドの聖騎士三人が、単身のマリウスに全く歯が立たなかった。


 今思い返すと、マリウスがフェンリルと離れて行動したのは、明らかに自分達を誘う陽動であり、自分達はまんまとマリウスの罠に嵌められただけだった。


 マリウスは全くエマの知らない魔法でエマたちを翻弄し、蹂躙した。


 城壁の外に総帥の率いる50騎が待機していたはずだが、突入した様子はない。


 エマは戸棚の中の木箱に視線を向けた。

 彼女達が持たされた『禁忌薬』は全部で100本。


 王都近郊の製薬所から奪取した『禁忌薬』の四分の一だ。

 90本は井戸にばらまき、1本はライアンが使ってしまった。


 残りは9本しかなかった。

 作戦は完全に失敗し、次に打つ手も思いつかない。


 此の儘では恐らく自分達はシルヴィーに処分されるだろう。

 エマは痛む左手を押さえながら、自分が生き残れる道を考え続けた。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「だからクライン男爵を呼んでくれよ! 俺たちは男爵に雇われてあの女を張っていたんだ!」


 ケヴィンの言葉にアレクシスがせせら笑う。


「ウソをつくな! クライン男爵は宰相様の懐刀と言われる方だぞ。お前らの様な怪しげな冒険者を雇う訳無いだろう!」


「本当よ! 私達はグラマスからの指名依頼で男爵から仕事を引き受けたのよ」


 ラウラが必死に訴えるがアレクシスは全く聴く耳を持たないようだった。


 結局『ローメンの銀狐』の四人は公爵騎士団の屯所に連行され、一晩牢に拘置される事になった。


 朝からアレクシスたち三人の尋問を受けている。


「お前たちが王都冒険者ギルドの冒険者なのは確認が取れた。王都の冒険者が西の公爵家と旧薬師ギルドに雇われて、犯罪紛いの行為をしていたのは調べがついている。今度は商業ギルドの役員でも攫う心算でいたのか?」


 カイが決めつける。


「違う! 俺たちは西の公爵の仕事なんか引き受けた事は一度も無い! 調べて貰えばわかる筈だ!」


「今騎士団の者が調べているわよ。でも先に白状した方が少しは罪が軽くなるわよ」


 バルバラがジト目でケヴィンたちを見ながら冷たく言った。


「駄目だ! やっぱり此奴ら三バカだ。話にならねーや」

 ダミアンがうんざりした様に声を上げた。


「誰が三バカだ! 貴様ら、侮辱罪も加えるぞ! 十年は収容所行だな!」


「そうよ! バカは此奴だけだって言ってるでしょう!」

 バルバラがまたアレクシスを指差す。


「なんか、お前。ずっと酷くない?」


「いや、バルバラが正しい。お前と一緒にいるお陰で、俺たちまでバカ扱いされている」


 赤い革鎧を着たカイが腕を組んで頷く。


「いや、アサシンがそんな派手な鎧を着ている時点で、お前も大概だけどな」


「お前にだけは言われたくないわ!」


 昨日から何度も見せられた三人の罵り合いにラウラやヘルミナが辟易していると、ドアが突然開いて小太りの柔和な顔の男と、痩せた眼鏡をかけた小柄な男が入って来た。


 喧嘩をしていた三人がさっと立ち上がって小柄な男に礼をとる。

 ラウラが小太りの男を見て声を上げた。


「クライン男爵様! やっと来てくれたのね」


 クライン男爵が痩せた眼鏡の男、アルベルト・ワグナーに頷くと、アルベルトがアレクシスたちに向かって言った。


「その者達を解放してあげなさい」


「しかし軍師殿、此奴らは商業ギルドの幹部を襲おうとしていたのですよ」


「だから違うって! 俺たちの方が襲われそうだったんだって言ってるだろう!」


 ダミアンがアレクシスに怒鳴ると、クライン男爵がケヴィンたちを見た。


「それはつまりクルーゲ女史の尾行に失敗したという事ですか?」


「申し訳ありません男爵様、しかしアレは無理です。私たちの手に負える相手ではなかったわ」


 ラウラがダニエルを睨みながら、クライン男爵に頭を下げる。

 ケヴィンも渋々クライン男爵に頭を下げて言った。


「申し訳ありません男爵、金は返すのでこの仕事から降ろさせてください。この三バカが現れなかったら俺達全員、間違いなくあの場で殺されていました」


「だから三バカは止めろ! お前らいい加減に……」

 怒鳴るアレクシスの言葉を遮る様に声が掛かった。


「ほお、それは興味深いですね。Aランク冒険者四人がまるで歯が立たない程の相手なのですか、クルーゲ女史は?」


 クライン男爵とアルベルトの後ろから、法衣姿の背の高い男が部屋に入って来た。

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