6―13 危険な情事
「なんやて。エルダー商会の会頭はんが儂に逢いたいってか。商売敵が何の用や、クレームやったら聞かへんで」
エルダー商会は王都で一、二を争う商会だが、ここ最近ダックスが持ち込んだエアコンの所為で、魔道具の売れ行きが落ち込んでいる。
「存じません。大事な話があるので夕方に、彼方のお店で会頭と二人でお話したいそうです」
タイトなスカートにスーツ姿のダックスの秘書、ビアンカ・リオスが冷ややかな目でダックスに告げた。
「二人で話をってか、大方エアコンの商売に自分とこも混ぜろちゅう話やろ。あかんあかん。儂は会えへんで」
「あちらは商業ギルドの常任理事ですよ、あまり無下にすると、また面倒な嫌がらせをしてきますよ」
エルダー商会会頭バルトルト・エルダーは四人しかいない王都商業ギルド本部の常任理事であった。
大蔵卿ブレドウ伯爵のお抱え商人でもあり、ギルド内での発言権も強かった。
「ふん、今の勢いは儂の方が上やで、来年は儂が理事に立候補したるがな。それよりビアンカちゃんどないや、儂の愛人にならへんか、ええ暮らしさせたるで」
「ぶち殺しますよエロ狸。昨日向かいの食堂のウエイトレスにも同じこと言っていたでしょう」
はっきり言えばダックスの勢いではなく、マリウス・アースバルトの勢いである。
マリウスの持ち込んだエアコンが王都で暖房の魔道具を駆逐し、挙句の果てに魔道具師ギルドがゴート村に移転して、マリウスの傘下に入るという噂まで王都では広がっている。
いち早くマリウスに接触したダックスはここ三か月ほどで、急速に利益を拡大していたが、元々獣人に差別意識の強い王都で、他の商人たちから反感を買っていた。
ビアンカが美く整った眉を逆立てると、腰に手を当ててダックスを睨みつける。
褐色の肌に尖った長い耳、ビアンカはダークエルフだった。
「何やビアンカちゃん焼餅かいな、儂はビアンカちゃん一筋やで。なあ今度一緒にゴート村に行かへんか? ごっつ良いとこやで。儂と一緒に風呂に入らへんか。そりゃめっちゃ気持ち良いで」
「セクハラで訴えますよ。王都では狸獣人は裁判なしで即死刑です」
「なんでやねん! 洒落にならんでビアンカちゃん。取り敢えず王都中の狸獣人に謝ってや!」
ビアンカはダックスの抗議は無視して、サクサクと忙しそうに部屋を出て行った。
(面倒くさいなあ、どおせ碌な用やないやろ。しゃーないなあ、さっつと済ましてゴート村にとんぼ返りや。『三毛猫亭』のアイリーンちゃんを誘て行こか)
ダックスは部屋を出て行くビアンカの長い脚を眺めながら、不謹慎な事を考えていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
マリウスは朝からガルシアの館に迎えに来たマヌエラと、二人でハティに乗って街の中を駆け回りながら井戸の付与を続けていた。
昨夜はガルシアの屋敷に帰ったらエルザが待っていて、ガルシアの館で一緒に夕食を摂った。
「御前が井戸に“消毒”を付与してくれたおかげで、井戸の警備の人数を外すことが出来る。助かったぞマリウス」
アースバルトの騎士団を入れても、僅か1500人余りでこの広い街を守らなければならない状況なので、井戸の警備を他に回せるのはエルザ達には有り難かった。
「冒険者ギルドには応援を頼まなかったのですか」
「勿論頼んだよ、ただ相手が相手だからCランク以上の者だけ要請を出したら、15人程しか集まらなかった。強い冒険者は殆ど北の街ロランドの方に行っているからな」
エルザが眉を顰める。
ロランドは鉄鉱石の鉱山のある街だが、リザードマンの生息するロス湖に近いため、強い冒険者たちはそちらに集まっているらしい。
本来駐留しているビルシュタイン将軍の部隊がエール要塞の守りに移動しているので、今は守りが手薄になっていた。
「ロランドには、アイリスのクランの冒険者も送って貰っている。こちらにも王都の冒険者ギルドに増援を要請したから、明後日には着くはずだが」
「明日魔力が戻ったら“魔力感知”のアイテムを二つほど作って、フェリックス達に持たせて街の巡回に出しましょう」
“魔力感知”は特級付与だが上級の魔石でも5つ使えば作れる。
魔石の残りが少なくなるが非常時なので止むを得ない。
「うむ、助かる。井戸の残りも明日頼む、終わったらクラウスと一緒に登城してくれ。エレンに逢わせたい」
到着早々バタバタしていたが、本来の目的はそれだったとマリウスが思い出した。
婚約者と云うのは実感がないけれど、仲良くなれたら良いなと思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ダックスは自分の商会と通りを挟んで向かいにある『三毛猫亭』で昼食をとると、お茶を飲みながらまったりと寛いでいた。
そろそろエルダー商会に向かわないといけないのだが、今一つ乗り気でなかった。
「ダックスさん。お茶のお代わりです」
エプロンドレスを着た給仕の猫獣人のお姉さんが、ダックスのティーカップにお茶を注いでくれた。
「ああ、おおきにアイリーンちゃん。相変わらずアイリーンちゃんはよお気つくなあ」
「そんなことないですよ」
アイリーンは大きな青い目でダックスを見た。
「ほんまやで、此処に来る客はみんなアイリーンちゃんが目当てやで。今日も可愛いなあ。」
「ありがとう御座います。ダックスさんも今日はお洒落ですね」
ダックスは真新しいスーツに派手な赤いスカーフを巻いていた。
「ああ、ちょっと仕事で面倒くさい奴と会わないかんねん。そないな事よりアイリーンちゃん、儂と一緒に旅行行かへんか」
ダックスはエプロンドレスを押し上げる、アイリーンの胸に視線を走らせながら、精一杯気取った顔で言った。
「えー、ダックスさんと二人で旅行ですかあ」
「せや、儂の馬車は特注やさかい、ごっつ乗り心地がええんやで」
やっとマリウスから、月に3台程馬車を回して貰えるようになったダックスは早速1台目を自分専用にしていた。
この馬車も王都の貴族に好評で注文が殺到し、予約が2年待ちになっている。
「あ、ダックスさんの馬車とてもカッコ良いですね。大きいのにすいすい走って」
「乗り心地も最高やで。中に暖房も効いてて全然揺れへんのや、あの馬車に乗って温泉に行かへんか。美味しいもんもいっぱいあるとこやで」
「えー、どうしようかなあ」
アイリーンが満更でもない様に考えている。
「綺麗な銀細工も売ってるさかい、アイリーンちゃんにも一個こうたるわ。良う似合う思うで」
もう一押しでいけると思ったダックスのタヌキ耳が突然掴まれて、ダックスが痛みで立ち上がる。
「アイタタタ! なんや! 誰やねん!」
振り向くと、汚い物でも見るような眼でダックスを見下ろすビアンカがいた。
「馬車が待ってますよこのエロ狸。約束の時間に遅れる気ですか」
「痛いなあ、ビアンカちゃんか。ちょっとティータイムを楽しんどっただけやがな」
「ほお、ティータイムですか? 随分と楽しそうなティータイムですね」
ビアンカがアイリーンの大きな胸に目を走らせると、ダックスを睨んだ。
アイリーンは空気を読むと、それじゃあと言ってそそくさと奥に引っ込んでしまった。
「あ、アイリーンちゃん! なんやビアンカちゃん焼餅かいな。何時もゆうとるやない、ビアンカちゃんが一番やで」
ビアンカが眉を吊り上げて鬼の形相になると、ダックスの耳を掴む手に力を込めてダックスをずるずると引き摺って行く。
「痛い、痛い、痛い! 何すんねん! 助けてアイリーンちゃん!」
泣き喚きながらビアンカに引き摺られていくダックスを、店の奥からアイリーンが見送っていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「おかしいですね、この辺りの筈なんですが」
後ろでマヌエラが地図を見ながら、きょろきょろと下を見回している。
既に60近い数の井戸を付与して回っている。
下町の中にもう一つ井戸があると云うので、さっきからハティを空に駆けさせながら、下の町並みを眺めているのだが、なかなか見つからなかった。
ここは昨日聖騎士とクルト達が戦闘になった場所のすぐ近くだった。
マリウスは昨日の広場に、籠を抱えたマーヤを見つけると、ハティを広場に降ろした。
「あ、ハティ! マリウス様!」
驚くマーヤにマリウスが声を掛ける。
「こんにちはマーヤ、傷は大丈夫だった?」
「はい、傷跡も残って無いし何処も痛くないです」
マーヤが手でかき上げた額を覗き込むと、マリウスが笑って言った。
「本当だ、良かったよ安心した」
「有難う御座います、お水も有難う御座いました」
頭を下げるマーヤに手を振ってマリウスが言った。
「良いよ、僕たちの所為だから、それよりマーヤ、この辺で井戸を知らないかな?」
「井戸ですか、この向こうの通りに一つありますよ。少し水が濁っているのであまり飲む人は居ないですけど」
マーヤが通りの向こうの方を指差して教えてくれた。
マリウスはハティから降りるとマーヤに言った。
「向こうの通りだね、有難う。それと果実水を五本くれるかな、朝から走り回っているから、喉がカラカラだ」
空になった竹筒を振って見せると、銅貨を出した
「あ、お金はいいです」
「いや、それは駄目だよ、ちゃんと払うから受け取って」
マリウスは素焼きの瓶を一本マヌエラに渡して、もう一本をハティに飲ませた。
一本を自分が飲むと、残り二本の中身を竹筒の中に入れて空き瓶をマーヤに返した。
「有難う、それじゃ僕たちは行くよ」
「あ、良かったらご案内します。」
マーヤがそう言ってマリウスたちの前を歩き出した。
マリウスとマヌエラも、ハティと一緒に歩いてマーヤの後を付いて行く。
一本向こうの通りに出ると、マーヤが指差した。
「あそこです」
通りの先にいかにも古そうな井戸が見えた。
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