6―12  フェンリルの少年


「おい! そんな獣人のババアより俺の治療を先にしろよ! 何時まで待たせやがる!」


 怪我をしたらしい左腕を押さえながら男がクリスタとロゼッタを睨みつけた。


「何ですかあなたは! 順番が来るまでおとなしく待合室で待っていてください!」


 ドアの向こうの待合室には大勢の獣人の患者が待っていた。明らかにこの男は一番最後尾の患者であった。


「ふざけるな! 獣と人間様を一緒にするんじゃねえよ。とっとと俺の治療を先に始めやがれ!」


「怪我人に人族も獣人族も無いわよ。文句があるなら教会で見て貰えば良いでしょう!」

 クリスタが立ち上がって男を睨み返す。


「けっ! そんな金があったら誰がこんなしけた診療所にくるかよ。おい女! 生意気な口を利いてると痛い目に合わすぞ!」


「痛い目に合うのはお前だ!」


 クリスタに向かって右手を伸ばそうとした男の肩を、後ろから赤いフルプレートメールを着た14、5歳位の少年が掴んだ。


「いっ! 痛い! 話せ小僧! 何しやがる! アイタタタタッ!」


 男が必死に暴れるが少年の手を振り解くことが出来ずそのままズルズルと外に引き摺られて行った。


 入れ替わりに赤く染めた革鎧を着た黒髪の少年が、大きな木箱を持って入って来た。


「怪我は有りませんかでしたか? まったく。ご婦人に暴力を振るうとは。これだから王都の街の者は好きになれん」


 少年が木箱を床に卸しながらクリスタに言った。


「あっ、いえ。大丈夫です。あなた達は?」


「我々は公爵騎士団の者です。私はカイ・バルデル」


「俺はアレクシス・ボーグ!」


 男を表に放り出した赤いフルプレートメールの少年が戻って来て、シュタっとポーズを決めながら言った。


「俺たちは人呼んで公爵騎士団の赤い三連星……」


「煩い、アレクシス! 遊んでないでお前もさっさと運べ!」


 真っ赤なローブを着た赤茶色の髪の少女が木箱を抱えた儘、アレクシスを後ろから蹴り飛ばす。


「イテーなバルバラ! 今一番大事なところだったのに」


 バルバラと呼ばれた少女が木箱を床に下ろしながらアレクシスを睨む。


「あんたがバカな事ばかりやってるから、私たちまで騎士団で三バカとか言われているのよ」


「いや、それはバルバラが演習の時に魔法の誤射で、味方の陣地を吹き飛ばして30人が病院送りになったのが原因だった筈だが」


 カイがぼそりと呟くとバルバラがカイを睨みつける。


「あんなの大した事じゃないわよ! あんたこそ親衛隊の人妻女騎士に手を出そうとして奥方様に殴り飛ばされていたじゃない」


「いや! あれは奥方様の誤解だ! 俺は只彼女の相談に乗っていただけで……」


 クリスタも待合室の患者たちも目が点になって闖入者の三人を見ている。


「貴方達いつも喧嘩していますね」


 初老の眼鏡をかけた温和な風貌の男が、やはり木箱を抱えて入って来た。


「あっ、先生!」


 クリスタが声を上げる。顎の下に白い髭を蓄えた初老の男は医術師ギルドのグランドマスターでクリスタの恩師でもある、ブルクハルト・デッセルであった。


「久ぶりですねクリスタ。今日はポーションを持ってきました」


「えっ、ポーションですか?」


 アレクシスも木箱を運んできて床に下ろす。

 四箱ある大きな木箱の一つの蓋を開けると、びっしりとポーションの瓶が詰まっている。


「全部で400本あります」


「よ、400本ですか?!」


 ポーションの市場価格は一本7万5千ゼニー前後であったが、今は品不足で更に高騰しているという噂もある。


「こんなに沢山のポーションを一体、私そんなお金ありませんよ」


 焦るクリスタにブルクハルトが笑いながら首を振った。


「お金は要りません、これは王家から医術師ギルドに下賜された物です。遠慮なく使って下さい」


「お、王家からですか……」


 クリスタが呆然とポーションの詰まった木箱を眺める。毎月金をかき集めて何とか4、5本のポーションを手に入れるのがやっとだったクリスタは、これ程大量のポーションを見た事が無かった。


「それと来月から高効能のポーションを、医術師ギルドに優先的に卸して貰えるようになります。一本1万2千ゼニー程で購入できるので遠慮なく注文して下さい。更に秋に『奇跡の水』が導入されたら、医術師ギルドの診療所に優先的に無料で使わせてもらえるそうです」


「本当ですか? そんなに安く高効能ポーションが手に入るのですか? でも何故……?」


 今まで医術師ギルドの医師たちは薬師ギルドに相手にされず、商業ギルドから市場価格と変わらない値段でポーションを購入するしかなかった。


「宰相様と新しく薬師ギルドのグラマスになられたカサンドラ様、その主マリウス・アースバルト様の御蔭です。勿論国王陛下の思し召しですが」


「マリウス様? もしかして……?」

 ブルクハルトが頷く。


「そう。『奇跡の水』を御創りになられた方です」


「マリウス様の事なら聞いているわよ、うちの姫様のフィアンセになる御方よ」

 バルバラが話に割って入る。


「奥方様が大層お気に入りで、自ら出向いて縁談を決められたとか」


「そう言えば俺達にもマリウス様の凄いアーティファクトを廻して貰えるって、軍師殿が言ってたな」


 アレクシスとカイが頷き合う。


「あの、この人たちは?」

 クリスタが三人を見ながらブルクハルトに尋ねた。


「ああ、この人たちはグランベール公爵騎士団の方たちで、ポーションの運搬の護衛に宰相様が附けて下さったのです。これから2万本のポーションを王都中の診療所に配るのですが、賊に襲われたら大変ですから」


「に、二万本ですか?」


「ええ、商業ギルドにも安価で7万本が卸されましたので店頭でも1万5千ゼニー程で購入できますが、我が医術師ギルドには無償で下賜されました、未だ在庫がありますのでどんどん使って下さい」


 ブルクハルトの言葉を聞いて待合室に並んでいた患者たちから一斉に歓声が上がる。


「先生! 俺にもポーションを使ってくれ」


「先生。私にもお願いします!」


 クリスタは暫く戸惑っていたが、木箱の中からポーションを2本取り出すとロゼッタの元に戻った。

 1本の栓を抜いてロゼッタに渡す。


「おばさん、それをゆっくり全部飲んで」


 ロゼッタが飲み干すのを見届けるとクリスタはもう一本のポーションを開けて、ロゼッタの膝に丁寧に振り掛けていった。


 再び右手を翳すと“中級治癒”を発動する。


「どう、おばさん?」


 ロゼッタは右足を伸ばしたり曲げたりしていたが、やがて意を決すると立ち上が

った。


「痛みが取れたわ、有難うクリスタちゃん、もう歩けるわ」

 ロゼッタがウサギ耳を立てて嬉しそうにクリスタの手を取った。


「良かった。お礼なら師匠に言って下さい」


「私ではありませんよ、国王陛下と宰相様の御蔭です。クリスタ、これから忙しくなりますよ」

 ブルクハルトがクリスタを笑顔で見る。


「薬師ギルドが生まれ変わった様に、医術師ギルドもこれから新しく生まれ変わります。あなたの様な若い医術師がこれからのギルドを引っ張って行って下さい」


 師の言葉に戸惑いながらも、クリスタは力強く頷いた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 マリウスは日が暮れた後も、“ライト”を灯しながらハティの背中に乗って街中を駆けていく。


「ひっ!フェンリルだ!」


「街中をフェンリルが人を乗せて走ってるぞ!」


「バカ野郎、知らねえのか。あれがアースバルトの若様だよ」


 道行く人がハティとマリウスを指割いて騒いでいる。


「そこの角を右に曲がって下さい!」


 マヌエラの指示で路地を曲がると、二人の兵士が守る井戸を見つけた。


「ふぇ、フェンリル!」


 剣に手を掛ける兵士に、マヌエラがハティの背中から怒鳴る。


「私だ! そこを退け馬鹿者!」


「た、隊長?!」


 慌てて道を開ける兵士達の間をハティがすり抜けて井戸の傍らに立つ。

 マリウスが右手を翳すと井戸が二回光って“消毒”と“浄化”が付与された。


「今日はこれで最後にしましょう。もう魔力が二桁しか残ってないので続きは明日です。」


 マリウスが自分の後ろに乗るマヌエラに言った。


「ご苦労様です、此処で丁度60です。たった二時間余りで、半分の井戸の付与を終わらせるとは。素晴らしい御力ですね」


 感嘆するマヌエラに、マリウスがハティから降りながら笑って言った。


「ハティの御蔭ですよ。マヌエラさんも有難う、仕事が捗りました」


 マリウスは肩から水筒を外すとハティの口元に持って行った。

 ハティが旨そうに舌を出して水を飲んだ。


「お疲れハティ、明日も頼んだよ」


 ハティが上を向いて吠えた。

 二人の兵士が恐々とハティを見ている。


「フェンリルととても仲が良いのですね」


 気が付くと路地の向こうに大勢の人が集まって、ハティとマリウスを見ていた。


「あれがフェンリルを使役するアースバルトの若様か!」


「凄い、本物のフェンリル初めて見た!」


「ドラゴンより激レアだもの、若様も可愛い!」

 マリウスは顔を赤らめると、ハティの背中に戻った。


「帰りましょう。将軍の館で良いですか?」


「はい、エルザ様が御待ちになられていると思いますので、そちらにお願いします」


 マヌエラが後ろに乗ると、ハティが地面を蹴って宙に駆け上がった。

 夜空をフェンリルが駆けていく。


「凄い、空を走ってる!」


「なんて綺麗!」


「誰か吟遊詩人にこの光景を詩にさせろ!」


「フェンリルがベルツブルグを守りに来てくれたんだ!」


 皆近くで災害があった事を知っている。 戦闘に巻き込まれて沢山の人が亡くなったり大怪我をしていた。


 フェンリルと少年の姿が、彼らの不安を払ってくれるような気がした。

 人々は何時までも、夜空に消えたフェンリルと少年の姿を追いかけていた。


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