2-28  興国の聖女


 エルザもクラウスを見つめている。


「いかが致しました御屋形様? ホルスは何と?」

ジークフリートがクラウスに尋ねた。


 クラウスはジークフリートを見、エルザを見た。


「クレスト教会が、オットー・ベルハイム司祭の後任をよこすと言ってきた」

クラウスが乾いた声で答えた。


「それはまた早急な、未だ生死も知れぬと云うのに」

ジークフリートが訝しげに言った。


「それで誰をよこすと言ってきたのだ」

 エルザが強い口調でクラウスに聞いた。


 クラウスはエルザに向くと、無言で教会の書面をエルザに渡す。


 受け取ったエルザは書面に目を通した。

 エルザの柳眉がつり上がる。

 

 ライン=アルト王国のクレスト教会を統括する、ラウム枢機卿の署名で、エールハウゼンの後任司祭の名が記されていた。


「エルシャ・パラディだと? 次期枢機卿候補のあの女が、この辺境に来ると云うのか!」

 エルザの驚きの声に一同が騒めく。


「エルシャ・パラディって、あの『興国の聖女』のことですか?」


「何でそんな大物がこんな辺境に?」


「確か辺境伯の母君の妹になる……」


「其れ、口にしたらまずい話だろう」

 

「静まれ!」

 ジークフリートの一喝で皆が黙った。


 ジークフリートが、クラウスに向き直って言った。

「御屋形様、この話断る事は出来ませぬか、悪い予感しか致しませぬ」


 クラウスは力なく笑って答える。

「教会人事など、国王陛下でも口は出せんよ」

 

 エルザがそんなクラウスに言う。

「エルシャ・パラディがなんの思惑も無くこんな辺境に来るはずもない。姉とけりを付けに来るのか、それとも外に目的があるのか、何れにしても此方も真剣に対策を考えねばならんだろう」


 エルザの言葉にジークフリートも同意する。

「この地に探りを入れに来ているのは間違い御座らんが、それ以上に辺境伯家との関係にも影響するやもしれません」

 

 クラウスが最も頭を抱えるのがそこであった。


 エルシャがエールハウゼンの司祭に納まるという事は、其の儘辺境伯家と対立する危険を孕んでいるという事だった。


 まさか教会はこの地で宗教戦争を始めるつもりではなかろうか。

 子爵領には真・クレスト教教会は無い。


 別に禁じている訳ではなく、もともと教祖のエルマ・シュナイダーには教会を拡大する意思はなく、来る者だけを受け入れる姿勢を貫いているからだ。


 クレスト教皇国から赴任して来るエルシャが、この地に至るのは約一月後になると文には書かれている。


 一か月の間に、此方も対応する準備を整えなければならない。

 クラウスはいつ終わるとも知れない防戦一方の日々に、心が折れそうな気分だった。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 服を直して貰ったマリウスは、剣の修行を始めることにした。


 一緒に来ようとするクルトにさすがに休むように言って、充分体を解してから走り出した。


 体が嘘のように軽かった。

 どんどん速度を上げていく。


 柵の内側を走り続けて既に6週目に入っていたが、息も切れてなかった。

 何時もの訓練を倍の量こなしたが、ほんのり汗を掻いただけだった。


 マリウスは真剣を取り出すと、形稽古を始めた。


 剣が風を切る音に、マリウスは以前とは比べ物にならない程、自分の力が増しているのを感じた。


 一時間程剣を振り続けたマリウスは、自分の体に“ウォシュ”を掛けると修行を終えた。



 屋敷に帰ろうかと考えながら歩いていると、荷車を引くミラとミリに逢った。

どうしたのと聞くマリウスにミラが答えた。


「一昨日の晩の騒動で家の門柱や壁を壊された家の人達から、修理の注文が入ったんで、材料の石や木材を採りに南の山に迄行ってきます。」


 そう云うミラにマリウスが言った。

「二人だけで村の外に出るの、危なくない?」


「南の山には私達でも倒せるような、弱い魔物しかいません。ホブゴブリンももう大丈夫だろうって隊長さんたちも言っていました」


 そう言ってミラは、腰に吊ったナイフを見せてくれた。


「私達こう見えて結構強いんですよ」

 ミリが胸を張って言った。


 マリウスは少し考えたが、ちょっと此処で待っていてと言って駆けだした。

 村長の屋敷に戻ると、部屋から鞄を持ち出して部屋を出た。


「どうしたのマリウスちゃん? そんなに慌てて」

 マリアが顔をのぞかせてマリウスに聞いた。


「うん、ちょっと女の子を待たせているから」


「えっ、またあ! 今度は誰、何処の子?!」

 喚いているマリアを置き去りにして、マリウスは外に出た。


 大通りで荷車を停めて待っているミラとミリの処に行くと、マリウスは鞄の中からオークの魔石が入った瓶を取り出した。


 一つ取り出して左手に握ると、二人が引いていた荷車に右手を当てた。

荷車が青く光って付与が掛かる。


「若様、えっと何を?」

 怪訝そうに聞くミラにマリウスが言った。


「この荷車に、“魔物除け”を付与したから、二人とも荷車からなるべく離れないようにしてね」

 二人が信じられないと云う様に荷車を見る。


「あ、二人とも靴を脱いでくれるかな」

 マリウスは思いついたように二人に言った。


 ミラとミリは言われるままに靴を脱ぐと、荷車の上にちょこんと座った。


 マリウスは二人の靴を並べて引っ付けると、またオークの魔石を2個取って、靴に付与を行う。


 ミリが耳をぴくぴく動かしながらマリウスを見ている。


「今度は何ですか?」


 ミラが心配そうに聞いて来た。

「靴に“疲労軽減”を付けておいたから、明日にでも感想を聞かせてよ」

 マリウスは言った。


 最後に一人ずつ、ゴブリンの魔石で革の上着に“防寒”を掛けた。


「有難う御座います」

「有難う、若様」


 二人はマリウスに礼を言うと、手を振りながら荷車を引いて去っていった。


  ● ● ● ● ● ●


 神殿の大聖堂に掲げられた、壁一面程の巨大な絵画の前で、黒髪の女が膝を付いて祈りを捧げていた。


 大聖女ウルスナ・ロレーヌに、女神クレストが福音の聖杯を与える姿を描いた、クレスト教の象徴とも言える構図である。


 エルマの教会にも、同じ絵が飾られていると云う。


 エルシャ・パラディは絵画の中のウルスナ・ロレーヌを見つめていた。

 あの男は、自分を抱くたびにお前はウルスナによく似ている、と言った。

 エルシャはその度に不快になった。


 嘘だ。

 ウルスナの肖像に生き写しだと称えられたのは、姉のエルマだった。


 あの男は、逃した姉の代わりに自分を抱いているのだとその度に屈辱を感じた。


 20年、姉を恨み続けてきた。


 父を、母を、国を、家臣を、国民をそして自分を捨てた姉を。


 他国の英雄に愛されて、子まで生した姉を。


 自分が屈した教皇国に未だ屈せず、多くの信者に囲まれて今も女神に祈りを捧げ続ける姉を。


 それももうじき終わる。

 

 終わらせて見せる。


 正しかったのは自分だと。


 国の民を救ったのは自分だと。

 

 あの女に解らせてやる。


 自分の苦しみを、必ず姉にも味わわせて見せる。


 エルシャは静かに立ち上がると、もう一度肖像画のウルスナを見つめてから、聖堂を出て行った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ミリ! もう良いんじゃない」

 ミラがミリに声を掛け


 ミラは既に切り倒した木を、2メートル位にカットして、荷車の傍まで運んでいた。


 ミリは岩場で切り出した石をカットして30センチ角にした物を積み上げていた。


「そろそろ積み込まないと、日が暮れるまでに帰れないわよ」


 冬は日が落ちるのが速い。

 いくら大した魔物がいないと言っても、夜の森では何が有るか分からない。


「うん、お姉ちゃん運ぶのを手伝ってちょうだい」

 ミリの傍まで行って呆れた。


「あんた切り出しすぎじゃない。そんなに荷車に乗らないわよ」

 ミリの周りには石が50個以上積み上げられていた。


「あはは、なんか元気で、つい一杯切っちゃった」

 ミリが言った。


「多分若様に魔法をかけて貰った靴の所為ね、私も全然疲れてないわ」

 ミラもそう言って笑った。


「若様の魔法って凄いね」

 ミリも笑っている。


「しょうがないわね。さっさと運ぶわよ」


 石を運ぼうとしたミラの耳が、前後にぴくぴく動いた。


「ミリ! 早く! 逃げるわよ!」


 ミラは左手でミリの手を掴むと、右手にナイフを抜いて荷車の方に駆けだした。


 岩場から離れた林の中から、灰色の影が5匹程跳び出した。


 反対側の林からも5頭が跳び出す。

 荷車に向けて必死に走る、ミラとミリを灰色の影が追う。

 

 もう少しで追いつかれると云うところで、二人が荷車の荷台の上に飛び乗った。


 10頭の影は荷車の前で、一斉に前足を踏ん張って急停止すると、後ろに跳び下がった。


 体長が2メートル近くある狼型の魔物、グレートウルフだった。

 

 10頭のグレートウルフは荷馬車から5メートル位離れた処から牙をむいてミラとミリを威嚇している。


 荒い息を吐きながらよだれを垂らす大きな口から巨大な牙が覗いていた。


「お姉ちゃん!」


「ミリ!」


 二人は荷車の上で、抱き合って震えていた。

 更に林の中からぞろぞろとグレートウルフが出てきた。

 

 ミラとミリは、50頭近いグレートウルフの群れに囲まれていた。


「どうしようお姉ちゃん?」


 ミラはしがみ付くミリを震える腕で抱きしめながら、大声で叫んだ。


「誰か! 誰か助けて下さい!」


 ミリも大声で叫ぶ。

「助けて! 助けて!」


 二人の声が山に響くが、答える物は誰もいなかった。


 ミリは姉にしがみ付きながら思った。


(助けて、若様)

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