7―47  ロザミア


 エミールはラウム枢機卿に言われるままに、クレアたちの部隊を連れて、ラグーンの豪商アールベック商会の会頭、ロザミア・アールベックを訪ねた。


 ロザミアはエミールに、一通の紹介状を手渡して、すぐにナイメン行の船を手配してくれると言った。


「フレデリケ姉様より御話は伺っておりますわ。メッケル将軍様に御会いしたいそうですね。将軍様はナイメンの居城に引き籠っておられる筈です」


 そう言って嫣然と微笑むロザミアは30歳位の上品な美しい女性だったが、しかしエミールには彼女がとても普通の人間には見えなかった。


 というよりロザミアが放っている妖気は、到底人間のものとは思え無かった。

 まるで何か強大な魔物が、人の皮を被って自分の前に立っている。それが、エミールがロザミアに感じた印象だった。


「何故我らに手を貸して下さるのですか?」


 エミールが探る様にロザミアに尋ねた。


「さあ、私はフレデリケ姉様の命に従っているだけですけど、でもあの辺境の坊やにはとても興味がありますわ」


 ロザミアはそう言ってエミールの瞳を見返すと、口元に怪しい笑みを浮べて言った。


「貴方もそうではありませんの?」


 ラウム枢機卿から大まかな経緯は聞かされたが、これまで相互不干渉の関係を貫いて来た商業ギルドが何故今更自分たちに擦り寄って来たのかも解らない上に、自分たちが商業ギルドに対して殆ど何も情報を持っていない事を、改めてエミールは気付かされていた。 


 商業ギルドの力は大陸中に及んでいる。


 特にこのライン=アルト王国の商業ギルドグラマス、ヘルムート・クルーゲの権力は強大で、エミールたちガーディアンズでさえ迂闊に手を出す事は禁じられていた。


 南部一の貿易商であるアールベック商会の会頭ロザミア・アールベックはこの王領の貿易都市ラグーンのギルド支部のギルマスであり、ヘルムート・クルーゲの縁者でギルド内でも強い発言力を持つと言われていた。


「それはマリウス・アースバルトの事を言っておられるのかな?」


「ええ、勿論あの女神の使徒の事ですわ」


 さらりと笑顔で言ってのけるロザミアを、エミールが眉を吊り上げて睨む。


「女神の使徒だと。我等聖騎士の前で聞き捨てならない事を言う。あのマリウスが女神クレストの使いだというのか」


 クレアと配下の四人が殺気立つが、ロザミアは気に掛けた様子も無くエミールを見ると、不意に口元の笑みを消して凄まじい妖気を放った。


「女神は使徒に聖女を保護させた。このままではあなたたちは聖女に手も出せないでしょうね。聖女も聖域で無為に安寧を貪るのみ。闇の者に奪われた聖杯も効力を失ったまま……。あなた方にはもう少し足掻いて状況を動かして貰わなければ、あの方もお困りですわ」


 不意にロザミアの放つ妖気が膨れ上がってエミールたちにのしかかる。

 圧倒的な妖気のオーラに気圧されながら、エミールがロザミアに怒鳴った。


「聖女だと! それはエルマの事か? 聖杯とは本国の神殿にある福音の聖杯の事なのか? 闇の者に奪われたとはどういう意味だ?!」


 ロザミアは何も答えず、ロザミアから放たれる妖気が更に力を増し、エミールは既に物理的な圧迫さえ感じていた。


 エミールの後ろでクレアたちが耐えきれずに床に膝を着く。


「答えろ。ロザミア・アールベック! あの方とは誰の事だ?!」


 エミールがプレッシャーに必死に抗いながら声を上げると、突然圧し潰されそうな妖気が掻き消えた。


 気が付くといつの間にかロザミアは、エミールたちの前から消えていた。

 クレアたちがよろめきながら立ち上がると、一斉に周囲に視線を走らせる。


「どうやらここにはもう居ないようだな」


 エミールがそう言うと、応接室のドアが突然開かれた。


 エミールたちをこの部屋に案内したアールベック商会の店員が入って来ると、事務的にエミールたちに告げた。


「ナイメン行の船は明日の朝7時に出航です。遅れませんように」


「会頭はどこに?」


 店員を睨み据えるエミールに、店員が気にした様子も無く冷たい声で言った。


「ロザミア様は次の約束があるとの事で、出かけられました」


 エミールはクレアたちと顔を見合わせるが、店員が部屋から去るのを見て止む無くアールベック商会を後にした。



「ロザミア・アールベックの事は気になるが、今は任務に集中しろ。ジュリアンの部隊もそろそろアースバルト領に入る頃であろう」


 クレアの部隊はレアのアサシン、クレアとレアの風魔術師ジュリアンにアドバンスド四名とミドル四名の十名で、アサシン、斥候、シーフ、弓士、魔術師、格闘家と云ったメンバーで構成された諜報と暗殺や破壊工作の専門部隊だった。


 ジュリアンは四名を連れて別行動で、陸路アースバルト領に向かわせた。


 ジュリアンが上手く騒ぎを起こしてくれれば、ベルンハルトとステファン・シュナイダーの間に罅を入れる事が出来るかもしれない。


 エミールは無理にロザミアの事を頭から追い出そうとしながら、近づいて来るナイメンの港を見つめていた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 翌日クラウスとホルス、ルッツとハーゲン、コーネリアはエールハウゼンに向けて帰還した。


「すぐにダブレットに一店と、デュフェンデルとの街道の村に一店、店舗を用意しますわ。カンパニー立ち上げと同時に商品を入れて下さい。特に化粧水はお忘れなく」


「うちはこの村とエールハウゼン、ノート村とリーベンの店をそのままカンパニーに提供しますわ。来月にはベルツブルグにも店をオープンする心算ですし、ポーションと化粧水は多めにお願いします」


 コルネリアとアンナが再び睨み合って視線の火花を散らす。


「帰り次第、デュフェンデルの商業ギルドにカンパニーに参加する店を募る議題を提出する心算です。王都本部が出資に賛同すれば問題なく東部と南部の王領の商人はカンパニーに参加するでしょう」


 デュフェンデルの商業ギルドの役員であるハーゲンが笑顔でマリウスに頷く。

 デュフェンデルのギルドは東部の王領の中で最大であり、大きな発言力を持っているらしい。


 フリデリケやラグーンのロザミア・アールベックと対抗する為にも、ハーゲンには是非仲間になって貰いたい。


 ルッツもベルツブルグに帰還次第、エルザと連絡を取って商人を募る心算だと言って帰って行った。


「北部の森林地帯にも実際に出向いてみます。材木や製紙の仕事が始められるか自分の目で確認してみます」


 そう言いながらもルッツはもうやる気満々のように見えた。


 新しい産業が興れば辺境伯家の漁業拡大と合わせて、東部の経済が活気づくし、そちらにも移民たちも何人かは受け入れて貰えるかもしれない。


 カンパニーを立ち上げて新しい産業を興し、東部全体の経済を発展させて、国民皆が豊かな生活を手に入れる。


 目標に向けて確かな手ごたえを感じながら、マリウスたちのプレゼンテーションは終わった。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「私にお聞きしたい事とは一体何でしょう?」


 エルマがクライン男爵を見つめながらにっこりと微笑む。


「はい。実は旧アクアリナ王国カラビナ領主、オリオール伯爵について、司祭様が何か御存じではないかと思い参上させて頂いた次第です」


「オリオール伯爵とは50年前に乱を起こしたという、あのビンセント・オリオールの事ですか?」


 クライン男爵の言葉にエルマが眉を顰める。

 エルマの教会である。


 マリウスとクライン男爵はノルンとイエル、クルトを連れて教会を訪れていた。

 ステファンとシュバルツ、イザベラも同行している。


 クライン男爵は滅亡したエルマの祖国アクアリナ王国で、50年前に処刑されたという貴族の事を調べているそうで、ちょうど良い機会なのでステファンに頼んでエルマを訪ねる事にした。


「ええ、50年前に処刑されたというそのオリオール伯爵です。正確には彼の嫡男、当時12歳だったジルベール・オリオールの行方を調べています」


「何分私が生まれるずっと前の出来事なので詳しい事は分かりませんが、私の聞き及んでいる話ではオリオール伯爵は処刑されたのでは無く、家族や家臣と共に討伐軍によって落城したカラビナの城と共に燃え尽きたと聞いております。恐らく息子のジルベールも一緒だった筈です」


 エルマが当惑したように答える。


「一体何があったのですか? 色々と調べてみましたが詳しい記録は全く手に入らず、ただアクアリナ王国の西のカラビナ領主オリオール伯爵が謀反を起こして処刑されたとだけしか分からなかったのですが」


「私も詳しくは知りません。なんでも当時の宰相と名門の旧家であるオリオール伯爵が政敵の間柄で、謀略によって無実の罪をかけられたのではという噂があったようですが、アクアリナが滅んだ今となっては本当の事は解りません」


「そのオリオール伯爵の嫡男がどうしたというのかな? 一体何を調べているのです?」


 ステファンが訝し気にクライン男爵を見る。


「商業ギルドグランドマスター、ヘルムート・クルーゲ氏の事を調査しているのです。クルーゲ氏の出自は全く不明ですが、ただ彼が王国に現れて直ぐに、その死んだはずのジルベール・オリオールにそっくりだという噂が流れた事が有ったそうです」


「クルーゲ氏とジルベールが同一人物だという事ですか? しかし何故謀反人として討伐された貴族の息子が、ライン=アルト王国の商業ギルドのグラマスに成れたのです?」


「分かりません。オリオール伯爵家の滅亡から8年後、ラグーンで起業したクルーゲ氏は西側との貿易で成功し、更に王都に拠点を移して商業ギルドの幹部になり、30年前にギルドのグラマスに就任しました。噂はその前にほんの少しの間だけ出たようですが、すぐに消えたようです」


 クライン男爵の意味ありげな返事にシュバルツが頷く。


「成程、噂を誰かが封じた可能性があるという事ですね」


 クライン男爵も頷いて改めてエルマを見た。


「あるいは司祭様のお話を聴けば何か分かるかと思ったのですが、やはり50年前の事ですので無理でしたか」


 エルマも困ったように言った。


「申し訳ありません。私が知っていることはあまりありません。ただ、一つだけ、カラビナの城には少しだけ縁があります」


「カラビナの城は焼け落ちたのではなかったのですか?」


「ええ、廃城となって30年近く放置されていましたが、そのカラビナの城の地下からダンジョンの入り口が発見されたのです」


「ダンジョンというともしや……?」


 黙って話を聴いていたマリウスが初めて声を上げた。


「ええ、例の『神樹のダンジョン』です」


 エルマがこわばった顔で頷いた。

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