7―48  ビアンカの決心


「『神樹のダンジョン』とはアクアリナ王国が滅ぼされる原因になったと言われるダンジョンの事ですか?」


 クライン男爵がエルマに尋ねた。


「ええ、教皇はアクアリナ王国に対して『神樹のダンジョン』の譲渡を要求していましたが、私はあのダンジョンはどこかの国が独占して良いものとは思えませんでした。冒険者ギルドに解放する事を決めて直ぐにあの戦いが起きました」


 眉間に皺を寄せて苦悩の表情を浮かべるエルマにクライン男爵が更に問う。


「その『神樹のダンジョン』には、何があるのです?」


「ハオマの木です」


「ハオマの木、ですか? それは伝説に語られるガオケレナの実が生るというあの……」


 エルマが無言で頷く。


 クライン男爵も腕を組んで考え込んでいたが、やがて再びエルマに問いかけた。


「カラビナの廃城跡の地下からダンジョンが発見された。それはつまりオリオール伯爵家がダンジョンの存在を秘匿していたという事ですか?」


「分かりません。何分オリオール家は滅亡しておりますので。ただオリオール家はパラディ家より古い家柄で、千年以上前から代々カラビナの地を納めて来た旧家で、アクアリナの建国と同時に臣下に入ったと聞いています。確か先祖はエルフという噂もありましたが、それも本当かどうかは今となっては分かりません」


 結局解らない事だらけだが既に滅亡した国で50年前に起きた事なので仕方がない。


 ふとマリウスは気になってエルマに尋ねた。


「そのオリオール伯爵に無実の罪を着せたかもしれない宰相という人は、どういう方なのですか?」


「それもさほど詳しくは知りませんが、当時の宰相クーベルタン侯爵は親教皇国派の貴族で……」


「?」


 言い淀むエルマに全員の視線が集まる。

 エルマは止む無く話を続けた。


「クーベルタン侯爵はオリオール伯爵の乱の翌年、暗殺されたそうです」


「えっ! 一国の宰相が暗殺されたのですか! 一体誰に?!」


 驚くマリウスたちにエルマが眉を顰めて答えた。


「分かりません。犯人は捕まっていません。事件は謎のままですし、この事件は秘匿されて公には病死という事になっていますが、クーベルタン侯爵は、それは惨たらしい姿で居城の自室で殺されていたのが発見されたそうで、当時オリオール伯爵の呪いなどと噂されたそうです」


「惨たらしい姿とは……?」


 何となく答えを予想しながら、マリウスが思わずエルマに聞き返した。


「魔物にでも襲われた様に、手足を引きちぎられ、内臓を食い荒らされた姿で発見されたそうです」


 エルマが眉を顰めて答えた。


  ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼


「ユング王国との同盟の話が上手くまとまったようだ。これからはユング王国とも連携して作戦が立てられるようになる」


 エルヴィーラの言葉にレジスタンス一同から歓声が上がる。

 バシリエフ要塞のレジスタンスたちの拠点である。


「それでは移民たちの脱出ルートも二つになったという事だな」


 黒豹獣人のエゴールがにやりと笑うとエルヴィーラも頷いて言った。


「その通りだ。それと帝国から人質交換の申し出があった。捕えている貴族と資本家の子弟53名を囚人と交換したいと言ってきたので一人に付き10人、530名となら交換してやると答えたら承諾してきた」


 現在バシリエフ要塞とロマニエフの中間の廃村に急造の砦を築き、レジスタンス10名とエルヴィーラの兵30名が詰めて、ロマニエフの監視や帝国との交渉を行っている。


 アレクセイは帝国内にいるアナスタシアたちと合流する為、既にここを発っていた。


「ふふ、もっとふっかけても良かったかもな、それでも労せずに530名の同胞を取り戻せるのはありがたい」


 ニヤリと笑う幻術士の羊獣人マラートにエルヴィーラが言った。


「交換は二日後だ、君たち二人は一緒に来て囚人を確認してくれ」


「分かった。それと帝国軍の様子は何か分かったか?」


「既に5万近い徴兵が王都に集まっているようだが、こちらに攻めてくるのかユング王国に向かうのかは未だ分かっていない。いずれにしても向こうが動くのと同時

に我々とユング王国、アレクセイたちが同時に動く事になる」


「出来ればその時にロマニエフに捕えられている残りの仲間を助けたいな」


 レアの盾士ダヴィットが声を上げるとマラートも頷く。


「混乱に成ればチャンスはあるかもしれない。作戦を練ろう」


「悪いわね、こんな大事な時に留守にしちゃって」


 エルフの植物魔術師のジーナが済まなさそうに言うが、マラートが笑って答えた。


「問題ないさ。ジーナたちは明後日取り戻す530人の仲間達を護衛してゴート村に向かってくれ。本当に我らの同胞を総て預けられる方かマリウス殿を良く見極めてきてくれ。


 ジーナと妹のイリーナ、狼獣人の剣士フロルの三人はエルヴィーラたち土魔術師と一緒に月明け早々にゴート村に向かう事になっていた。


「分かったわ。あとの事は御願い。なるべく早く戻って来るわ」


「任せておけ。これだけ有利な状況で戦えるのは初めてだ。必ず他の仲間達も取り戻す」


 エゴールが力強く答える。


 数十年に亘って、ずっと絶望的な戦いを続けて来たレジスタンスたちにとって正に今、長い戦いの転機を迎えようとしていた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


 ステファンとイザベラ、シュバルツはアンヘルに帰って行った。


 結局大したことは分からなかったが、それでもクルーゲ一族が危険な存在だという事だけは、ステファンたちにも伝わったようだった。


 シュバルツは辺境伯家の密偵達を総動員してフレデリケやロザミアの同行を探ると言って帰って行った。


 辺境伯家は百名近い密偵を抱えていて、王国内は勿論、西側諸国や南洋諸島にも情報網を張っているらしい。


 やはり情報収集は大切なようで、辺境伯家が貿易などの事業で他家をリードしているのも、シェリルの命で密偵の組織を拡大してきたのが大きな要因らしい。


 ホルスが商業ギルドの監視の為、エールハウゼン出身の冒険者を3名雇用してマルティンに附けたと言っていた。


 三名ともDランクの冒険者だったが、エールハウゼンの冒険者ギルドが未だに閉鎖状態で、ほぼ失業していたのをホルスが声を掛けたそうで、全員ミドルでシーフと斥候、格闘家のギフト持ちの20代の男女だそうだ。


 これからカンパニーの事業を始める上で、アースバルト家もやはりせめて東部から王都位は情報網を張る必要があるかもしれない。


 ホルスに後で三人の為の装備を送ると言って、更なる人材集めも頼んだが、こちらでも人手を集めようとマリウスは思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「会頭。カンパニーに参加するという事は、マルダー商会は廃業するという事ですか?」


「ちゃうちゃう。自分の商会は続けるけど、カンパニーの仕事もやる。二足の草鞋を履くっちゅうことや」


 ダックスがゴールデントラウトのムニエルに噛り付きながらビアンカに答えた。

 ゴートホテルの一階のレストランである。


「ウマっ! なんやこのソース。初めて食べる味やで」


「それはマリウス様が新しく作らせているショウユという調味料と、バターを混ぜたものだそうですよ」


 ビアンカも料理を口に入れてから幸せそうな笑顔で答えた。


 ユリアが“発酵”スキルを使って完成させた醤油を、ホテルの食堂で試験的に料理に使わせていた。


「凄いな若様は。次から、次からいろんなもんを造り出していかはる。早速そのショウユとゆうのを仕入れさして貰わな。若様は儂ら商人から見たら金の卵を産むニワトリやで」


「失礼ですよ、ニワトリなんて。騎士団の人たちに聞かれたら只じゃ済みませんよ」


 眉を顰めるビアンカにダックスが笑いながら言った。


「分かってんがな。儂はただ感心してるだけやがな。そんな事よりビアンカちゃん、アンヘルのトッドにすぐにアンヘルとナイメンに店舗を探すように連絡したってや」


 トッドは辺境伯領府アンヘルにあるマルダー商会の支店を任せている、ダックスの番頭である。


「店舗ですか? それはカンパニーの店舗ですか?」


「決まってるやないか。急がへんと地元の商会やアンナ姉さんに先を越されるで。辺境伯領は儂の地盤やさかい、絶体押さえとかなあかん。儂は帰ったらデュフェンデルに店舗を押さえるで」


「デュフェンデルにも店を出すんですか?」


「せや。デュフェンデルは王領の東部では一番おっきい街や。ブラームス商会の独り占めにはさせへんで。ハーゲンがトロトロ様子見しとる間に儂ががっちり食い込んだるわ」


 ダックスが鼻息荒く言うとグイッとワインを飲み干した。


「会頭、お願いが有ります」


 ビアンカがフォークを置くと、畏まってダックスを見る。


「何やビアンカちゃん、改まって。ついに儂の愛人になる気に……」


「違います! 私をカンパニーに出向させてください。私もカンパニーに参加したいんです!」


 思わず大声を上げるビアンカに、店内の客が一斉にビアンカを見る。


 皆の視線に真っ赤になって下を向くビアンカに、ダックスがニヤニヤしながら言った。


「何やビアンカちゃん。王都でいつか大陸一のアキンドになるんやなかったんかいな。カンパニーの社員になったら王都から離れて辺境暮らしする事になるで」


「いえ、大陸一の商人になるためにはカンパニーで働くのが一番の近道だと分かりました。これからはこの辺境が王国の、いえ大陸の中心になると思います。御願いです会頭。私をカンパニーに出向させてください」


 ゴート村でビアンカは、まさに世界を変える新しい風を感じていた。

 自分もここで働きたい。それがビアンカの正直な思いだった。


「へへ、あかんゆうたらうちを辞めて飛び出しそうな勢いやな。ビアンカちゃんに抜けられるのは痛いけどしゃあないなあ。分った。儂から若様に話通したるわ」


 ダックスが上気した顔で熱く語るビアンカに苦笑しながら言った。


「ありがとうございます会頭!」


 ビアンカが真面目な顔でダックスに頭を下げる。


 これでもビアンカは、獣人差別の厳しい王都で商人として成功しているダックスの事をそれなりに尊敬しているし、ダークエルフの自分を拾ってくれた事にも感謝している。


「あんじょう気張りいや。こっからがホンマのビアンカちゃんの勝負やで」


「はい。私はいつか必ず大陸一の商人になって見せます」


 自分を奮い立たせるようにいつもの口癖を口にしながら、ビアンカはダックスにもう一度深々と頭を下げた。

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