6―59 皇帝旗
「やっとイヴァンの奴、重い腰を上げたか」
帝国軍総大将ジェニース・バビチェフ将軍は俄かに動き始めた戦場に目を向けて満足げに呟いた。
第5騎士団長のイヴァンは、第7騎士団長であるジェニースより格上であった。
にもかかわらず今回のエール要塞攻城軍の指揮を彼が任されているのは、密かにユング王国騎士団を徴兵してこの戦場まで運んで来た功績と、何より宮廷顧問官の口添えの御蔭である。
「バビチェフ将軍、あなたが見事エールを抜きロランドの地を手にすることが出来れば、皇帝陛下はあなたを騎士団の筆頭に就けると仰せですよ」
彼女はそう言ってジェニースに皇帝旗を手渡した。
皇帝不在の陣で皇帝旗を掲げるという事は、其の将が皇帝の代理である事を示す。
彼女、宮廷顧問官で且つ皇帝の愛妾、ミーシア・ドルガノヴァは妖艶に笑って言った。
「貴方が帝国騎士団筆頭将軍になる事を、帝国貴族たち総てが支持していますよ」
ジェニースは皇帝旗と共に彼女から送られた豪奢な甲冑を身に纏っていた。
白銀に輝く鎧は魔法もアーツも炎も寄せ付けぬ、奇跡のアーティファクトだった。
この鎧を装備した自分の力は最早イヴァンも遥かに凌いでいる。
ジェニースは再び皇帝旗に目を向けながら、これから始まる自分の栄華に思いを馳せていた。
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マリウスを乗せたハティが街道を駆けていく。
後ろには数千のリザードマンが四足歩行でハティを追っていた。
マリウスはリザードマンが思いのほか走るのが早いのに驚きながら、リザードマンと一定の距離を保ってハティを走らせていた。
東門の前にリザードマンの群れが集まって来るのを見届けたマリウスは、再び結界を広げてリザードマンを蹴散らしながら地上に舞い降りると“魔物寄せ”を付与した剣を引き抜いて背中に担いだ鞘に納めた。
ハティがリザードマンの群れを跳び越えて街道に降り立つと、東に向けて駆け出した。
数千体のリザードマンが地響きをたててハティを追う。
1時間程駆け続けると、エール要塞の高い石造りの城壁が見えて来た。
(エルザ様。門を開けて下さい。エール要塞を通り抜けます)
エルザに“念話”を送ると程なくエールの三つの鋼鉄の門が音を立てて開き始めた。
マリウスは中央の門に向けてハティをかけさせた。
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特級風魔術師の放った“ヘルズハリケーン”の暴風が、城壁の上から降り注ぐ雨の様な矢を全て吹き飛ばすと、グレゴリオス・アニキエフは槍を構えた儘城壁に向かって馬を駆けさせた。
揃いの黒いフルプレートメールを着た重装騎兵が彼の周囲を取り囲んでいる。
グレゴリオスは堀の手前まで馬を進めると、城壁の上から此方を見下ろす赤い髪の女を見上げた。
間違いなくエルザ・グランベール。
グレゴリオスがエルザを視認するとともに槍を構えると彼の最凶ユニークアーツ“滅壊振槍砲”を放った。
万物を分子単位で粉砕する超振動波の光がエルザに向かって突き進むが、エルザが広げた“結界”に弾かれて城壁の前で霧散した。
グレゴリオスが驚愕の表情を浮かべて、槍を構え直すと、再び“滅壊振槍砲”を放つが、エルザが更に“結界”を広げた為、目の前で弾けた理力の光の衝撃でグレゴリオスが弾かれて馬から転げ落ちる。
何が起きたのか分からないグレゴリオスが慌てて立ち上がると、目の前にエール要塞の東門に続く跳ね橋が下ろされた。
堀の向こうのエールの門の扉が音を立てて開いていく。
「じ、陣を構えよ!」
敵が打って出るのかと、周囲の兵士達に叫んだグレゴリオスが、開いた門に目を凝らして見つめていると、突然背中に少年を乗せたフェンリルが中から飛び出してきた。
「フェンリルだと! 何故ここにフェンリルが……?!」
ハティが橋は渡らずに堀の前でジャンプすると、驚愕するグレゴリオスの頭上を跳び越えて、堀の前に押し寄せた8千の重装騎兵たちの更に後方に着地した。
振り返って呆然とハティとマリウスの姿を見る兵士達にグレゴリオスが怒鳴った。
「何をしている! 敵だ! 討ち取れ!」
兵士達が慌ててハティを追おうとしたが、堀から次々と上がる水飛沫の音に振り返って目を見開いた。
開け放たれたエール要塞の門から次々とリザードマンらしい魔物が湧き出て来る。
途方もない数の巨大なリザードマンは下ろされた橋を四足歩行で此方に向かって駆けて来る物や、堀に飛び込んで泳いで此方に向かって来る物や様々であった。
頭に二本の角の有る者、背中に腕の生えている物など、彼らが見知っている上級魔物とは明らかに違うリザードマンの群れに、それでもさすがの帝国騎士団の精鋭は、剣や槍を構えてすぐさま戦闘態勢を取った。
魔術師たちの放った十数発の“ファイアーストーム”や“フォールサンダー”が、橋の上のリザードマンを炎で包み、落雷が堀を泳ぐリザードマンを直撃する。
炎に包まれたリザードマンが苦し気にのたうつが、炎が消えると何事も無かったかの様に前進して来た。
グレゴリオスが橋を渡り切り掛けたリザードマンに向かって“滅壊振槍砲”を放った。
超振動波の射線上にいた数体のリザードマンが消滅し、周囲のリザードマンが腕や頭を飛ばされて倒れたが、やがて消失した部分を再生させながらリザードマン立ち上がるのを見て、グレゴリオスが驚愕の表情を浮かべる。
「馬鹿な! リザードマンが再生能力だと!」
グレゴリオスが下がりながら再び“滅壊振槍砲”を放つが、堀の中からもリザードマンが次々と飛び出して、周囲の兵士達に襲い掛かる。
馬が戦慄いて棹立ちになり、投げ出される兵士や、後退しようとして後ろの兵士の中に馬を乗り入れ激突している者など混乱する兵士達が、リザードマンに次々と馬上から引きずり降ろされていく。
「いかん! 下がるな! 食い止めよ!」
兵士達に向かって叫ぶグレゴリオスに、城壁の上からビルシュタイン将軍の放った“眩光烈斬”が襲い掛かる。
グレゴリオスは辛うじて槍を振り上げて光の刃を受け止めるが、受け止めきれずに後方に弾き飛ばされた。
慌てて立ち上がったグレゴリオスの周囲を数十体のリザードマンが取り囲んでいる。
「くっ! 魔物如きが舐めるな!」
グレゴリオスの槍が魔力をおびて輝きだすと、“連突き”を立て続けに繰り出して、周囲のリザードマンの頭を正確に槍で貫いて行く。
再生できずに、どさりと音を立てて倒れるリザードマンの後ろから、数体のリザードマンが一斉にグレゴリオスに飛び掛かる。
“瞬動”で後退しようとしたグレゴリオスの足を、低く構えたリザードマンの尻尾が薙いだ。
転倒したグレゴリオスに数十体のリザードマンが覆いかぶさり、数秒絶叫が続いたが、リザードマンの山の中にグレゴリオスの姿が見えなくなった。
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先方の軍の後ろに飛び降りたハティの上から戦場を見渡したマリウスは、丘の上の本陣にはためく金色の蠍の描かれた大きな旗を目に止めた。
帝国重装騎兵の後ろに後退したユング王国騎士団の兵士達が、マリウスの前に立ち塞がる。
マリウスは彼らが帝国の属国から徴兵された兵士達で、ずっと矢防ぎの為に前線に立たされていたことをエルザからの“念話”で知っていた。
マリウスが先頭の司令官らしい男に向かって叫んだ。
「道を開けて下さい! 邪魔をしなければ魔物は襲ってきません」
ボリスはマリウスを見て瞬時に判断した。
この少年の言葉に抗えば、必ず自分達は此処で全滅する。
帝国の騎士団は既に数千という、明らかに上位種のリザードマンの群れに飲まれ、こちらに向かって逃げようとする騎士達が馬ごとリザードマンに引き倒されていくのが見える。
兵士達の絶叫が戦場を埋め尽くしていた。
ボリスは振り返って自軍の兵士達に向かって叫んだ。
「伝令! 全軍左右に散開して魔物をやり過せ! 手出しする事はまかりならん!」
ボリスの命が次々と後方に伝えられながら、ユング王国騎士団が左右に別れていく。
開けた道を、マリウスを乗せたハティが本陣に向けて疾走した。
ハティを追ってリザードマンの群れが掛けていく。
魔物は道を開けたユング王国兵には目もくれず、真っ直ぐマリウスを追って本陣に向かって行った。
今がその時と確信したボリスが副官のエリクに命じると、エリクが空に向かって弓を構え、鏑矢を放った。
数本立て続けに放たれた鏑矢が、風を斬る甲高い音色を響かせながら空に放物線を描くと、戦場のユング王国騎士団が一斉に北に向けて退却を開始した。
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「一体何が起きている! グレゴリオスはどうなったのだ! 何故ユング兵が戦わずに退却していく!」
ジェニース・バビチェフ将軍は丘の上の本陣から戦場を見下ろしながら周囲に怒鳴り散らした。
「誰かマカロフ将軍とアレンスカヤ将軍に伝令を送れ! あの魔物を食い止めよ」
兵士達は喚くジェニースには目もくれず、陣の前に立った。
すぐ目の前に少年を乗せたフェンリㇽが迫っている。
フェンリルの後ろには何千匹ものリザードマンが、フェンリルに付き従う様に追走していた。
兵士たちからアーツや魔法がハティに向かって飛ぶが、全てマリウスの“結界”に弾かれる。
剣を構えた兵士達が、“結界”を広げたマリウスに弾き飛ばされた。
「ぬうっ! 皇帝旗に触れるな!」
皇帝旗に手を伸ばそうとしたマリウスにジェニースが駆け寄り、マリウスの“結界”とジェニースの付与付きの鎧がぶつかり合って火花を散らした。
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