6―60 バシリエフ要塞
マリウスは、ジェニースのゴテゴテした装飾の付いた派手な銀色のフルプレートメールに付与された“物理防御”、“魔法防御”、“熱防御”の術式を読み取ると、右手を翳して付与を“消去”した。
術式が消えた瞬間、ジェニースが弾け飛んで宙を舞った。
「将軍!」
周囲の兵士達が地面に転がったジェニースに駆け寄ってジェニースを起こす。
「ば、バカな! ミーシア様から頂いたアーティファクトが……えーい! 儂の事は良い! 皇帝旗を! 皇帝旗を守れ!」
皇帝旗の傍らで立ち止まったハティの上で、マリウスが旗に右手を翳し“魔物寄せ”を付与し、背中の剣の付与を消去すると、数メートルまで迫ったリザードマンの前で、ハティが再び宙に舞い上がった。
皇帝旗に殺到するリザードマンの群れと、皇帝旗を守ろうとする帝国第7騎士団の精鋭たちが激突し、血飛沫と絶叫が上がった。
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先鋒の第11騎士団が全滅し、屍が転がる中をユング王国兵たちが横切って、北に向かって移動を始めた。
恐らくユング王国に真っ直ぐに帰還する心算なのであろう。
全軍が魔物の群れを避ける様に迂回しながら北の山に向かって撤退していくが、最早それを引き留める者もいなかった。
魔物の群れは、今は本陣の第7騎士団の兵たちに襲い掛かっている。
第11騎士団は全滅。第7騎士団も既に殆どが魔物の群れに呑まれていた。
恐らくグレゴリオスもジェニースも生きてはいるまい。
イヴァンは戦場を見回しながら冷静に状況を判断する。
魔物たちは恐らくフェンリルの少年に導かれている。
無理に立ち向かわなければ、襲ってはこないようだった。
8万の攻城軍も、今や無傷なのは自分の第5騎士団と、レナータの第10騎士団の正規兵1万6千だけだった。
たった一日でエール要塞攻城軍は壊滅し、総大将のジェニース・バビチェフは恐らく戦死、この先の戦闘続行は不可能に思える。
エールの門は再び閉じられて、跳ね橋も挙げられていた。
今は矢も魔法も沈黙している。何もしないまま結局勝敗は決してしまった様だった。
明らかに上位個体、レアクラス以上の魔物数千体を相手に、これだけの軍勢で勝てるとも思えない。
確かにスタンピードは起こったようだが、それは自分達に最悪の結果をもたらしたようだった。
帝国史上最低の敗戦に名を連ねた以上、たとえ無事に国に帰れたとしても、ただでは済まないと思えるが、それでもこんなところで大事な兵士達を無駄に死なせるよりは、一兵でも多く国に帰すべきだろう。
「魔物相手に討ち死にしても下らん。魔物を避けながらバシリエフ要塞まで引くぞ!」
イヴァンは副官にそう告げると、馬首を返して東に向けて軍を進めた。
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「イヴァンも兵を引かせるようね。まあ、あれが相手じゃ仕方ないか」
空に舞い上がったマンティコアの背中で、帝国軍第10騎士団長レナータ・アレンスカヤが、リザードマンの群れに呑まれた第7騎士団の兵士達を眺めながら呟いた。
彼女が預かっていたユング王国騎士団の兵士たちも、一番に北の山中に向けて撤退してしまった。
レナータもここまでと判断して、副官に兵をバシリエフ要塞に引かせるように告げると、マンティコアを空に舞い上がらせた。
総大将のジェニースも、先鋒のグレゴリオスも恐らく生きてはいないだろう。
この儘なんの手柄も上げられずに帰国すれば、この無様な敗戦の責任を取らされて良くて降格処分、皇帝の機嫌次第ではかなりの確率で処刑されかねない。
レナータの目はリザードマンの群れを引き連れて来たマリウスとハティに向けられていた。
明らかに魔物たちはあの少年に誘導されているように見えるが、魔物たちの体にはテイムの証であるルーンは無かった。
そもそもこれ程の数の上位魔物を一人の人間が使役する事等本来不可能である。
にも拘らず、あの少年は間違いなく魔物たちを使役し、帝国軍を襲わせた。
アレを捕える。捕えられなくても討ち取る事が出来れば、未だ自分の首が繋がる可能性がある。レナータの直感がそう囁いていた。
レナータは既に傾き始めた西日を背に、空に浮かぶハティとマリウスに向かって自分の騎獣、マンティコアのガーリャを羽ばたかせた。
レナータが槍を構え、ガーリャが口から炎の球を吐いた。
火球は背中を向けたハティとマリウスに直撃したかと思われたが、何かに弾かれて地表に落ちて爆発する。
ミスリルの槍に魔力を込めながら、レナータが振り返ったマリウス目掛けて必殺の一撃を放とうとした瞬間、レナータはガーリャと共にハティが広げた“結界”に弾かれて、森の中に叩き落とされた。
ガーリャから振り落とされ、地表に叩きつけられた全身の痛みを堪えながら、何とかレナータが体を起こす。
「ガーリャ!」
再び空に舞い上がったガーリャと高速で降下してきたフェンリルが交差する。
ガーニャの首が、ハティの前脚の斬撃で飛ばされる光景を見届けたのを最後に、レナータは再び意識を失ってその場に倒れた。
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初めて見るマンティコアはかなり強そうな魔物にみえたが、ハティは一撃で倒してしまった。
ハティの背中にしがみ付いていたマリウスは、再びハティを蠍の旗が立っていた丘の上に向かわせた。
周囲は皇帝旗を守ろうとして、魔物の群れに立ち向かった帝国兵士の躯が無数に転がっていた。
リザードマンが牙を剥いて、先程マリウスが“結界”で弾き飛ばした、銀色のフルプレートメールを着た兵士の亡骸を貪る光景から思わず目を反らすと、マリウスは皇帝旗を探して周囲に視線を走らせた。
左右の帝国軍兵士たちが、陣地を捨てて徐々に退却を始めている様だった。
マリウスは倒れて魔物に踏み躙られ、ボロボロになった旗を見つけると、右手を翳して“魔物寄せ”の付与を消去した。
再び右手を伸ばして背中の剣に触れると、“魔物寄せ”を付与する。
下にいたリザードマンの群れが一斉にマリウスウを見上げた。
このままでは狂暴化して上位個体に変化したリザードマンの群れが、エール要塞の周辺に散ってしまう
魔物たちを何処に誘導するかについては既にエルザから指示を受けていた。
マリウスは敗走する帝国兵を追撃するように東に向かってハティを駆けさせた。
リザードマンの群れが地響きをたててマリウスを追う。
リザードマンの去った後には万を超える帝国軍兵士が、躯を晒していた。
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「終わったようですな。追撃致しますか?」
「いや、マリウスに任せておけばよかろう。下手に追うと巻き添えを食いかねない」
エルザが肩を竦めてビルシュタイン将軍に答えた。
南の門が開きエルヴィーラの副官ウィルが500程の兵を率いて出て行く。
要塞の前で倒れている兵士たちの中から生きている者は治療して捕縛し、同時に敵将の首を検める為であった。
「あのリザードマンは明らかに上位の変異体、恐らくすべてレアの上位かユニークに近い個体でしたな。あれが『禁忌薬』の効果で御座いますか?」
さすがのビルシュタイン将軍も、少し蒼い顔でエルザに問う。
「その様だな。2、3匹ならともかく、あれ程の数を相手にするなら10万の兵でも足りないであろう。マリウスがいなければロランドもエールも危うかったであろう」
エルザが城壁の下を眺めながら答えた。
リザードマンらしき死体も百以上は転がっている。帝国軍もそれなりに善戦したようだが恐らくその百倍程の兵士が斃されたようだった。
「ここはもう大丈夫だろう。帝国が直ぐに兵を立て直せるとは思えん。ロランドとその周辺に兵を送ってくれ。未だ教皇国の者共が隠れているかもしれん」
「はっ! 直ちに」
ビルシュタイン将軍が兵に命を飛ばすと、 エールの西門から2千の兵馬が次々と出立していった。
エルザはマリウスが消えて行った、次第に薄暗くなっていく東の空を見つめた。
エルザが指示した場所にマリウスが魔物の群れを導く事が出来れば、恐らくこの戦争は終結するだろう。
「子供には少し酷な事を頼んでしまったかもしれん」
エルザが苦い顔で呟くのをビルシュタインは何も答えずに無言で聞いていた。
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リザードマンの群れが、壊走する帝国軍の兵士に襲い掛かるのを、マリウスが振り返って上空から見ていた。
道を開ければ魔物は通り過ぎると気付いている者もいる様だが、混乱した兵士たちがリザードマンに立ち塞がって、多くの兵士が斃されていた。
東に向かう狭い街道を進むのは帝国軍の兵士だけのようだった。
ユング王国の兵士達は北の山中に消えて行った。恐らく帝国には帰らずに故国を目指すのだろう。
辺りが薄暗くなり始めた頃、ようやく湖とその向こうの湖畔に建つバシリエフ要塞の威容が見えて来た。
マリウスは先を駆ける帝国軍の騎馬兵の頭上を追い越して、湖の上にハティを進めた。
バシリエフ要塞はリカ湖に突き出すように建設された巨大な要塞で、11年前の大戦後、帝国が対ライン=アルト王国の最前線基地として8年の歳月と莫大な費用を費やして建造した大要塞で、大陸でも最大規模の威容を誇っている。
恐らく魔法か魔道具の警戒装置が設置されているのであろう、マリウスが数百メートルまで接近すると、要塞内に警報が鳴り響き、夕暮れの空に“ライト”が上がった。
高い城壁の上に兵士達が次々配置に就き、ハティに向かって大型のバリスタから巨大な矢が放たれ、魔法が飛んでくる。
マリウスは“結界”を広げながら要塞の中を見下ろした。
中央に翼を広げた様な左右対称の巨大な聖堂のような主城があり、周囲を四つの独特の形状をした尖塔の有る建物が取り囲んでいる。
搭の間に兵舎や厩舎らしい建物が並んでいて、多くの兵士たちが慌ただしく外に駆け出て来る姿が見えた。
マリウスはそのまま主城を跳び越えて要塞の東側、要塞の正門に出た。
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