2-20  ステファン


バルバロスから跳び降りたステファンが、ベルンハルトの元へ駆けて来る。


「伯父上! 楽な戦でしたな」

 ステファンが屈託のない笑顔で語りかける。

 ベルンハルトはステファンの従伯父に当たる。


「御当主、未だ戦は終わっておりません、御油断めさるな」

 そう云うベルンハルトも、口元に笑みを浮かべていた。


「この地に安住する為にも、一匹でも多くのハイオークを刈り取らせましょう」

 ベルンハルトはそう言って、荒涼とした岩礁地帯に連なる岩山を見上げた。

 

 この地を手に入れる為に、彼らは辺境伯家全騎士団の半分以上を動員し、魔境に踏み込んだ。


 軍の後方には2000人の輜重隊が控えており、荷馬車や荷車に、この地に拠点を作り上げる為の物資や食料を積んでいる。

 

「父上!」

 グリフォンから降りたイザベラが、ステファンの後ろから顔を出した。


「イザベラか、リオニーの調子はどうだ」

 リオニーとはイザベラの騎乗するグリフォンだった。


「はい、今日はとてもご機嫌みたい。きっと終わったらオークの肉が沢山食べられると思っているのでしょう」


 イザベラの言葉にステファンも笑って答えた。

「オークの肉はバルも大好物だからな。今日は食い放題だ」


 ベルンハルトの娘イザベラは、レアのテイマーのギフトを得た。

 ベルンハルトは幼い娘の為に魔境に入り、グリフォンの子を捉えて彼女に与えた。


 イザベラはグリフォンの子と契約を交わし、それから八年、ステファンと共に大空を駆けている。


 ベルンハルトにとって、自分が叶えられなかった夢を叶えてくれた愛娘は、誇りであり宝であった。


「ステファン様」

 ねっとりとした女の声に皆が振り向くと、ハイエルフの魔術師の一団を率いたウルカが立っていた。


 紫の長い髪を束ねもせずに靡かせている。


 恐らくミスリル製と思われる、銀色の小さな鉄片を幾つも繋いで作られた、手の込んだ造りの膝丈のドレスアーマーは、不自然なほど胸を強調していた。


 ウルカはステファンの前で片膝を付いて戦勝の祝いを述べた。

「此度の勝ち戦心よりお祝い申し上げます。ステファン様の天翔ける御雄姿、我ら一同感服致しました」

 

 ステファンはウルカの胸の谷間から目を反らして言った。

「ああ、有難う。私も空の上から見ていたよ、ハイエルフの魔術師の働きはなかなかのものだった」


「まあ、これは嬉しき仰せ。ステファン様のお役に立てて何よりです」

 ウルカは立ち上がると。ステファンの手を取った。


 イザベラの顔が曇る。

「我らハイエルフ一同、ステファン様の為に身命を賭してお仕えする所存、何なりと御命じ下さりませ」

 

 ウルカがステファンの手を胸に掻き抱きながら、髪の色よりは少し薄い菫色の瞳でステファンの顔を下から見上げた。

 ステファンはウルカから目を反らしながら、言った。


「ああ、頼りにしているよ」

 そろりとウルカの腕から抜け出しながら、ベルンハルトに言った。


「そろそろ後ろの荷駄を入れて、鉱脈の調査を始めましょう」


「御意!」

 ベルンハルトは努めて無表情に答えた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 長い朝食兼会議が終って、マリウスは部屋に戻ったが、自分が疲れてもいないし眠くも無いのに気が付いた。


 ズボンの裾を捲って足を見る。

 確かに変な方向に折れていた足には何の後も残っていなかった。


 自分の体に、何の異常も無いのを確認したマリウスは屋敷の外に出ることにした。


 隊長達は交代で睡眠をとるらしい。

 クラウスとジークフリート、エルザも部屋で休みに行った。


 クルトは自分に付いてくると言ったが、大怪我をしている上に殆ど眠っていないクルトを連れていく訳にもいかないので、村からは出ないと約束して、今日は休むように言った。


 広場に行くと、マリウスが“防寒”を掛けた広場で村人が椅子を出してお茶を飲んでいた。


「あ、若様!」

 と言って頭を下げる村人達に手を振って、マリウスは広場の中を歩いて行った。

 

 自分に使った事が無かったので解らなかったが、マリウスは“防寒”とは漠然と暖かくなるのだと思っていた。


 しかし実際に“防寒”の付与が掛かった広場に足を踏み入れてみて、それはマリウスの勘違いだと気付いた。

 

 暖かく成るのではなく、寒く無くなるのだ。

 一歩足を踏み入れた途端、それまで感じていた寒さがすっと消える。


 そんな感じだった。

 言葉道理、寒さを防いでしまうのが“防寒”だった。


 トイレの消臭の時を思い出す。

 あれは防臭ではなく消臭だった。


 言葉通りマリウスが付与した室内から、全ての臭いが消えた。


 ザトペックは、付与魔術は術者の解釈で術の効果が変わると言った。

 つまり自分が“防寒”という術式をそう解釈したという事なのだろうか?


 暖かい時に、“防寒”の付与された上着を着たらどうなるのだろうか。

 マリウスの考えが正しければ、寒さを感じていないのなら何も起こらない、という事になるのだろうか?


『そりゃ科学じゃねえよ』


 考え事をしながらテントの脇を歩いて行くと、ゴブリンロードを倒した現場に付いた。


 マリウスが“摩擦軽減”を付与した所にロープが張られていた。

 兵士や村人がうっかり踏み込んで滑って転んだりするので危ないからという処置らしい。

 

 何とか出来ないかと言われて、“摩擦増加”を掛けたら基に戻るのではないかと思ったが、付与はうまく発動しなかった。


 そう言えばザトペックが、重ね掛けの付与はクラスが上がらないと無理だと言っていたっけ。


 兵士が試しに上の土を削ろうとしたらしいが、スコップが滑って上手くいかなかったらしい。

 足元を見てみたが只の踏み固められた土だ。

 

 直径20メートル位の囲いの中に、好奇心旺盛な子供たちが入って、靴で器用に地面の上を滑って遊んでいた。

 たまに尻餅を搗く子もいるが、笑いながら立ち上がって楽しそうに滑り出す。

 

 まあこれは此の儘でいいかな。

 マリウスはそんな事を考えながら辺りを見回した。


 ゴブリンロードの死体は既に運び出されていた。

 心臓の魔石はやはり砕けていたそうだ。


 魔石を砕いた剣は、今はマリウスの腰に吊られている。

 持った時に軽く感じたのは基本レベルが上がった所為だろうか。


  ■ ■ ■ ■ ■ ■ 


 土魔術師が台地に溝を掘り、盛り上がった土を成型しながら塀を作り上げていく。

 ここでもハイエルフの魔術師たちの魔法が活躍していた。

 

 全員がアドバンスド以上の魔術師で、なおかつ長い年月魔境で魔物と戦いながら、長い寿命を生きて来た彼らは、総じて基本レベルそのものが人間より遥かに上だった。

 

 人の数倍の魔力量と体力を持つハイエルフの魔術師達は、戦いの後にも関わらず疲れた様子も見せずに、拠点作りに協力していた。

 

 鉱山師たちの報告は期待以上だった。

 既にステファンは何度も鉱山師を連れてこの地まで飛んできていた。


 ミスリル鉱脈がある事は確認していたが、今現在手元に入って来る情報は、此の鉱脈が果ての見えない程膨大である事を示していた。


 既に枯れつつあるダンジョンの鉱脈の数百倍、或いは数千倍の埋蔵量は若いステファンを興奮させるのに十分であった。

 

 「伯父上、この地を手に入れた今日この日は、歴史に残る日となるでしょう。」

 そう言ってステファンは葡萄酒の杯を呷った。


 野営用のテントの中で、ベルンハルトとステファンが祝杯を酌み交わす。

 二人だけだった。

 

 ここは魔境の中、せめて一つ目の塀が完成する迄は、皆で祝宴を開くは出来ない。


 「御当主、本当の戦いはこれからで御座います。」

 ベルンハルトがステファンの杯に葡萄酒を注ぎながら言った。

 

 ここは領都アンヘルから東に200キロ程離れた魔境の中である。


 この地に大量のミスリル鉱石が埋まっているとしても、それを掘り出して辺境伯領迄運ばねばならない。


 その為にベルンハルト達はこの地に巨大な城塞都市を建設しようとしていた。

 三重の堀と塀を持つ、直径3キロにも及ぶ巨大な城塞都市を築き、ミスリル鉱の 採掘から精錬迄をこの地で行って、出来上がったミスリルを空輸で運ぶ。

 

 それが辺境伯家の立てたミスリル採掘に関する計画であった。

 勿論決定したのはシェリルであった。


 そしてそれだけの城塞都市を、たった三年で完成させるという計画を実現するには、ハイエルフの力が絶対に必要であった。

 

「御当主は本当にあのハイエルフを、正室に迎えるつもりで御座いますか」

 ベルンハルトがステファンに問うた。


「御婆様の決定だからな、逆らう事は出来ないさ。それに私も今年17になる。そろそろ嫁は取らねばならん」

 ステファンは仕方なそうに笑った。

 

 ベルンハルトは杯を一息に飲み干すと吐き捨てる様に言った。


「自分の祖母より年上の女を嫁に取る等正気の沙汰とも思えませんな」

 ステファンは困ったように言った。


「ハイエルフに年は関係ないさ。既に王家にも願い出ている。今更取り止める事等は出来ません。何よりハイエルフとの約を違える事になる」

 ステファンはそう言って、従伯父の杯に葡萄酒を注いだ。

 

「私はあの女が信用できません。」

 ベルンハルトが遂に本音を漏らす。


「千年前に姿を消したハイエルフが、人の世界に出てきて貴族の嫁になりたい等と、魔物に化かされているとしか思えませんな」

 

 詰め寄るベルンハルトにステファンが笑いながら答えた。

「成程、尻に尻尾が有るやも知れませぬな、伯父上」


「笑い事では御座らん!」

 怒るベルンハルトを宥めながらステファンは言った。

 

「魔物だろうが魔族だろうが別に構いませぬ。あの者達が約定を守っている以上、私もシュナイダー辺境伯辺家当主として約定を果たすまで」


 ステファン顔に陰りは無い。

 ベルンハルトはいくら飲んでも酔えない酒を呷った。

 



 


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