6―18  マリウス疾走


 聖騎士ライアン・オーリックは焦っていた。


 昨夜下町を中心に、30箇所の井戸に例の薬を90本投げ込ませた。4500人を“魔物憑き”に変えられるだけの量だった。


 何故か井戸に警護の兵がいなくなっていた。

 効果は遅くても3、4時間で現れる筈だが、未だ全く何の報せも入ってこない。


 彼らの目的はベルツブルグ内で薬を使ったテロを起こし、混乱の中で公爵夫妻を暗殺し、マリウス・アースバルトを誘拐する事だった。


 混乱が起これば合図を上げて、外にいるシルヴィーが突入して来る手筈になっている。


 王都での『野獣騎士団』の待ち伏せもアースバルトの獣人戦士に阻まれて、結果6人の部下を失って敗退した。


 此のベルツブルグで再びあの時の獣人の戦士と遭遇し、3人の部下を失っている。


 このままでは作戦の失敗の責任を取らされて、自分が処分されるのは確実だった。


 部下からの報告で、一昨日の夜からフェンリルに乗った少年が街で目撃されていた。恐らくマリウスであろう。


 挽回のチャンスを狙うライアンの元に、マリウスとフェンリルが赤い髪の娘を伴って、街に現れたという知らせが入った。


 最悪殺しても構わないと指示が出ている。

 この千載一遇のチャンスに、同じ隊長格の水魔術師エマを伴って出撃した。


 赤髪の少女だけを背中に乗せてフェンリルが空に駆けあがった。

 マリウスはこちらに気が付くと、路地の中に駆け込んでいった。

 おそらくあの赤髪の少女は公爵の娘。


 一緒に捕える事が出来れば有利ではあるが、とりあえず目標ではない。何よりフェンリルと離れたマリウスを捕えるのは容易に思えた。


 ライアンは北側から護衛の一団が近づいてくるのを“気配察知”で知ると、反対側から合流して来た部下のルイに、足止めするよう手で合図し、南に走ったマリウスを追って路地に駆け込んだ。



 300メートル程先を掛けるマリウスの小さな背中が見えた。

 どうやってそれ程先まで進んだのか。


 考える間もなくライアンは“アクセル”を発動して速度を上げながら、マリウスの背中を追った。


 数百メートル駆けながら、ライアンに疑問の念が浮かぶ。

 距離が縮まらない。


 マリウス・アースバルトは付与魔術師の筈である。

 レアの聖騎士である自分がアーツを発動して、マリウスに追いつけない筈がない。


 マリウスが路地を左に曲がるのが見えた。

 マリウスが路地に消えるのと同時に、“気配察知”からマリウスの気配が消えた。


 ライアンは三人の部下達とマリウスを追って路地に飛び込んだ。

 気が付くと水魔術師のエマがライアン達から遅れていた。


 100メートル程先にマリウスが立ち止まって此方を見ていた。

 突然黒い固まりが、マリウスから数十個放たれた。


 ライアン達は“フォースシールド”を前面に3枚展開し“魔法耐性”を全開にする。

 直径三十センチ位の石の砲弾が凄まじい速度で間断無く跳んでくるのを、理力の盾が受け止める。


 砲弾は“フォースシールド”に当たって砕け辺りの石の破片を跳び散らした。


 連続で降り注ぐ石の砲弾に、ライアンの右にいたガブリエルの“フォースシールド”が砕かれて、ガブリエルが石の砲弾を腹に受けて後ろに弾き飛ばされた。


 ライアンは“フォースシールド”をもう一枚展開して石の砲弾の雨を防ぐ。


 今度は左にいたジャンが“フォースシールド”を砕かれ、“魔法耐性”を凌駕した石の砲弾に剣を握る右腕をへし折られて、回転しながら後ろに転がった。


 おそらく100位放たれた石の砲弾が止んで、土埃の立つ視界の向こうで、再び走り出したマリウスの背中が見えた。


「なんだ今の魔法は?!」

 ライアンは再びマリウスを追って走り出しながら怒鳴った。


「あれは“ストーンバレット”よ!」

 やっとライアンに追いついたエマが叫んだ。


「バカな! 初級魔法だと?」


「間違いない! 術式が見えたわ!」


 ライアンは歯噛みすると剣を抜き、走りながらマリウスの背中に向かって、レアアーツ“ブレードキャノン”を放った。


 理力の砲弾がマリウスの背中に直撃するかに見えた瞬間、何かに弾かれて空に散った。


 マリウスがまた路地を右に曲がるのが見えた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


「凄い魔法。二人やっつけた」


 エレンがハティの背中で呟いた。

 エレンは空の上からマリウスの戦いを見ていた。


 マリウスは路地に入ると“瞬動”で一気に加速し、ライアンたちと距離を保ちながら下町を駆け抜けて、彼らを街の外に誘導していた。“物理効果増”のアイテムで“瞬動”を加速したマリウスにライアン達は追いつけない様だった。


 エレンには解らなかったが、マリウスは路地を曲がった瞬間、支援魔法スキルで特級付与“探知妨害”を自分の体に付与した。

 魔力が1000飛んだが、これで一時間半はライアンの“気配察知”に映らない。


 マリウスの魔法の相乗効果は既に100倍の威力に達している。

さすがに全力では放てないが、通常の数十倍の効果の“ストーンバレット”100連射に耐えたのはさすがにレアの聖騎士だが、2名は脱落させた。


 街中でこれ以上強力な魔法は使えない。


 マリウスは“念話”でクルトとフェリックスに、南門の城壁の傍に敵を誘導している事、エリーゼ達が大通りで聖騎士と戦っている事を伝えた。 


 ハティが突然空中を蹴って向きを変えると、北に向かって空を駆け出した。


「ちょっと! ハティ! どこ行くのよ? マリウスはあっちよ!」


 エレンがハティの首にしがみ付きながら怒鳴ったが、ハティは答えずに速度を上げた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 マヌエラは剣を抜くと、眼前に現れた5人に向かって“剣閃”を放ち“瞬動”を発動して加速した。


 中央に立つ聖騎士ルイが“フォースシールド”を展開する。


 理力の盾が“剣閃”を受け止めるのと同時に、マヌエラが左端の男の脇を駆けながら“疾風斬”で切り捨てた。


 振り返る聖騎士たちの前にマヌエラは居なかった。


 レアアーツ“光速転移”で再び騎士達の後ろに移動したマヌエラが放った“羅刹斬”を、ルイが辛うじて剣で受け止めた。


 マヌエラのレアアーツ“光速転移”は、目視範囲の10メートル程の距離を一瞬で移動できるマヌエラの最強アーツであった。


 マヌエラが後ろに跳び下がると、ノルンの上級風魔法“エアーキャノン”が放たれた。


 圧縮された空気の砲弾が右端の男に直撃し、レジストしきれなかった男が、空気の爆発で弾け飛んだ。


 エリーゼの放った“剣閃”をルイが“フォースシールド”で弾くと、再びルイの後ろに“光速転移”したマヌエラがルイの背中を斬りつける。


 紙一重でマヌエラの剣を躱し後ろに下がったルイに、脇の路地から飛び出したフェリックスが槍で“連突き”を放つ。


 脇腹を抑えて蹲るルイを、フェリックスの部下たちが抑え込んだ。


「フェリックス隊長! どうして?」


「マリウス様から“念話”で知らされた!」


 もう一人の男も親衛隊に打ち取られた様だ。


 最後に残った男が壁際に逃げながら、懐から黒い球を取り出した。

 ノルン達に緊張が走る。


 男に向かってマヌエラが“光速転移”しようとした瞬間、背中にエレンを乗せたハティが空から降って来て、ノルン達に向かって黒い球を投げようとした男を踏みつけた。


 倒れた男の手から黒い球がコロコロと地面に転がった。

 思わず身を伏せるエリーゼ達の前で、黒い球がハティの風魔法の旋風で空に舞い上がった。


 上空に舞い上がった黒い球が、上級火魔法“ヘルズデトネーション”を発動し、爆発の轟音が響き、空に爆炎が上がった。


 爆風が地上の建物を揺らすが、被害はなさそうだった。


「エレン様!」


 マヌエラがエレンに駆け寄った。

 ノルンとエリーゼもハティに駆け寄る。


 ハティは空に向かって吠えると、再びエレンを背中に乗せたまま、地面を蹴って空に舞い上がった。


「マリウスがあっちで一人で戦っているよ!」


 エレンがハティの背中の上で、ノルンたちに叫んだ。

 エリーゼが、南に向かって空を走るハティを追って駆け出し、ノルンとマヌエラ、フェリックス達も後を追った。


 通りに出るとクルトとエフレム達がこちらに駆けて来た。


「今の爆発は何だ? ノルン!」

 ケントがノルンに声を掛けた。


「聖騎士です! こっちは大丈夫だけど、マリウス様が一人で戦っている様です。」


 ノルンが南に向かって空を駆けるハティを指差した。


 クルトが分かっていると云う様に頷くと、南に向かって駆け出し、エフレム達も後を追う。


 ノルンとエリーゼもハティを追って駆け出した。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「レオニードは吐いたか?」


 ウイルマー・モーゼル将軍は隊長のブロンに尋ねた。


「解毒薬は無い、の一点張りですね。どうやら本当のようです。」


 エルダー商会の倉の中に潜伏していた、元薬師グランドマスター、レオニード・ホーネッカーの尋問が第6騎士団の屯所で続いていた。


「それで薬の内容は解ったのか?」


「はい、やはり人を“魔物憑き”に変える薬のようです。原液で飲めばすぐに効果が表れ、水で薄めても3、4時間で変化が現れるそうです。普通の人間が上級魔物並の化け物になる薬らしく、シルヴィーが持ち去った薬は、2万人を魔物に変える事が出来るだけの量があったようです。」


 ウイルマーが眉を吊り上げる。

「2万人を上級魔物に変えるだと、それは最早スタンピードだな」


 国軍が動かなければならないデザースター案件である。


「それだけではないようですね、この薬は魔物にも効果があるようです。」


「どういう事だ?」


「魔物に与えると狂暴性が増し、力も数倍に跳ね上がるようです。それこそ中級の魔物が上級の魔物以上の強さになるそうです」


 ウイルマーの眉間の皺が更に深くなる。

 ブロンも幾分顔色が悪い。


「副団長は大丈夫ですかね? 我々もベルツブルグに向かった方が良いのでは?」


「今王都を離れる訳にはいかないな」


 エルダー商会は潰したし、第2騎士団のクシュナ―将軍も王城に捕えられたままだが、王都教会やブレドウ伯爵の動向も気になる。


 薬がベルツブルグで使われたら、東部最大の都市が壊滅する事になるだろう。

 最悪の事態を回避してくれるよう、アメリ―達に頑張ってもらうしかない。


 取り合えずロンメルとルチルア、アルベルト達と対策を協議すべく、ウイルマーは立ち上がると部屋を出た。

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