5―35  エルヴィンの憂鬱


「いかがされましたか御屋形様? 随分と御疲れようですが」


 アルベルトは王城から帰るなり、ぐったりと椅子の背凭れに体を投げ出した主を見た。


「やはり儂に宮廷勤めなど性に合わんわ。どいつもこいつも文句ばかり言いおって」


「御前会議ではどのようなお話が?」


 国王の諮問機関である元老院からの要請という事で、エルヴィンは国王の御前会議に招集されていた。


 通常御前会議で審議された議題は、最優先で貴族や閣僚で構成される正院に上げられて、具体的な話が決定されていく事になる。


 アルベルトは既に会議の内容をロンメルからの報せで知っていたのだが、知らない振りをしてエルヴィンに話を振った。


「ふん、シュタイン侯の爺が儂と辺境伯が魔石を出し惜しんでいるせいで、魔石の値が高騰しているとぬかしおった。魔石が欲しければ自分達で魔物を狩れと言ってやったわ」


 大蔵卿のブレドウ伯爵から、王家に対して訴状が届けられたらしい。


「それはまた御前会議の議題とも思えない陳腐な苦情で御座いましたね。あちらも余程手がないようですな」


「西の公爵が沈んだのだ。大人しくしていればいい物を。まあ良い、これでやっと国元に帰れるわ。エレンの福音が楽しみだ」


 帰国すれば直ぐに娘のエレンが福音の儀を迎える。機嫌の治った主人にすかさずアルベールが告げる。


「その後はエレン様とマリウス殿の婚約の儀、更に辺境伯とお会いする事になります」


「何度も言うな。分かっておるわ!」


 また不機嫌になった主にアルベルトが肩を竦める。どうやら後の二件の要件は、未だエルヴィンの中で納得ができていない様だった。


「何だ。未だ旦那様はごねているのか」


 突然部屋にエルザが、金髪を短く刈った目の鋭い女性士官を連れて入って来た。


「無礼だぞエルザ! 儂はごねている訳ではない。時期早々だと言っておるのだ」


 どちらの件が時期早々なのかは言わない。

 どうもエルヴィンは、どちらも未だ決めたくない様だった。


「せっかくマリウスが作ってくれた良い流れだ。王家に国の実権を取り戻す最高の好機を、つまらぬ見栄で取り逃がす気ではあるまいな」


「西の公爵が失脚した今、我らの力だけで国王陛下を御支え出来るのではないか?」


 エルザが鼻で笑ってエルヴィンを見る。

「甘いな、教皇国はシルヴィー・ナミュールを送り込んで来た。最早手段を選ぶ気はなさそうだ」


 エルヴィンも『皆殺しのシルヴィー』の名位は知っている。


「アルベルト、王都の事はお前に任せる、エルンストの事も頼んだ」


 今年10歳になるエルンストは、エルヴィンとエルザの長男で、この春から貴族学園の中等部に通う為王都にいる。


 エルヴィン達が留守の間、名目上は王都の公爵邸の主になる。


「御意」


 自分を無視して話を進めるエルザとアルベルトを、エルヴィンが忌々し気に睨むが、エルザは気にした様子も無く、傍らの女性士官に言った。


「私達の警護は御前に任すマヌエラ、全員必ずマリウスの付与装備を着用させよ」


「は、承りまして御座います。しかし奥方様、本当に私の親衛隊だけで宜しいのですか?」


 公爵夫妻を守る親衛隊隊長のマヌエラ・ジーメンスは300の兵を率いて王都に上って来ている。

 残りの5700名の兵士は王都に置いて行く心算であった。


「兵の数が少ない方が、向こうも襲い易いであろう。シルヴィーが出て来たら、私が仕留める」


 そう言って獰猛な笑みを浮かべるエルザに、エルヴィンが眉を顰めた。


  ★ ★ ★ ★ ★ ★ 


 マルティンは目覚めると自分に毛布が掛けられているのに気付いた。

 かなり古い家の床に、毛布を引いて寝かされているらしい。


 傍らに視線を向けると、エミリアが眠っていた。


 二人は魔境の中を二十日近く彷徨い歩き、セレーン河を命懸けで泳ぎ渡った。

 セレーン河には大型の水棲魔物がいるが、ここでもマルティンの“索敵”のスキルが役立って、何とか魔物に遭遇しないで人の世界に帰って来られた。


 しかし、魔力切れで“索敵”を切っていた処を、林の中から突然現れたブラッディベアに襲われ、ブラッディベアの一撃を咄嗟に左腕で受けたが、“物理耐性”を破られて、腕が引きちぎられた。


 エレノアが放った“アイスジャベリン”がブラッディベアの背に突き刺さったが、ブラディーベアは怯まずにエレノアを体当たりで弾き飛ばすと、再びマルティンに向かって駆けて来た。


 マルティンが何とか体を起こし、右手でダガーを構えた瞬間、ブラッディベアの前に騎士が割って入り、槍をブラッディベアに突き立てた。

 音を立てて倒れるブラッディベアの姿を見ながら、マルティンは意識を失った。


 アドバンスドのアサシンであるマルティンは、眠ったふりをしながら“索敵”で周囲を探る。


 この部屋の隅に二人が椅子に腰掛けて座っている。隣の部屋にも一人いる様だ。

 家の外にも十数人の人間がいる様だった。


 マルティンは部屋の隅の二人に気付かれない様に自分の懐を探るが、武器は取り上げられている様だ。


 左手の先はやはり無いが、痛みはない。体の傷も全て塞がっている様だった。

 マルティンはどうやって逃げ出すか考えたが、ふと気付くとエミリアが目を覚ましてマルティンを見つめていた。

 

マルティンが微かに頷くと、エミリアが、今目が覚めた様な素振りで上半身を起こした。


「ここは何処ですか……?」


「あ、目が覚めた。体は大丈夫ですか?」


 傍に寄って来たのは二人とも少女だった。

 一人は革鎧を、一人は魔術師のローブを着ている。腰に長剣と短剣を吊っていた。


 自分に背を向けエミリアの傍らに跪いた二人の背後から、素早く起き上がったマルティンが迫り、革鎧の女の腰の剣を素早く右手で抜き取った。


「あ、何するんです!」


「動くな! この女を殺すぞ」


 立ち上がったマルティンが、剣の切っ先をローブの女、『夢見る角ウサギ』の水魔術師ハイデの背に当てた


 エミリアが素早くハイデの腰の短剣を取り上げると、立ち上がって剣士のマリーの方に短剣を向けた。

 

 ハイデとマリーは顔を見合わせると、剣を背中に向けられていたハイデがいきなり立ち上がり、くるりと向きを変えてマルティンの方に向いた。


「おい! 動くな!」


 叫ぶマルティンを無視して、ハイデがローブの腹に当てられている剣に向かって、真っすぐ前に進んだ。

 剣がハイデのローブで止まったまま押し戻される。


 次の瞬間ハイデが、一瞬戸惑うマルティンの股間を蹴り上げた。

 “筋力増”と“速力増”の付与アイテムを装着したハイデの蹴りに、マルティンが悶絶して倒れた。


 エミリアが立ち上がったマリーに、至近距離から“エアーカッター”を放ちながら後ろに跳んだ。


 マリーは“エアーカッター”を躱しもせず革鎧で受け止めながら、エミリアに“瞬動”で迫ると、エミリアの腹に当身を叩き込んだ。

 体をくの字に曲げて倒れ込んだエミリアの腕をマリーが掴んで抑え込む。


「怪我してない? ハイデ」


「大丈夫よ、やっぱり若様のローブ凄い!」


「剣も魔法も効かないものね」


 隣の部屋から槍士のアイリーがロープをもって入って来た。


「やっぱり若様の言った通り、暴れたのね、この二人」

 そう言って慣れた手付きで、サクサクと二人をロープで縛り上げた。


「公爵家のスパイかしら、それとも教会の殺し屋? どっちにしても、もう戦いも終わってるのにバカな人達ね」


 二人が何処かの密偵なら、起きたら逃げようとして暴れるかもしれないと、マリウスから注意されていた『夢見る角ウサギ』の三人は、念の為付与装備を身に付けて二人を監視していたのだが、やはりマリウスの言った通りになった。


 既に基本レベルを12に上げている三人が、マリウスの付与付きの装備やアイテムで武装していたら、アドバンスドの戦士二人でも簡単に制圧出来た。


 三人はマルティンとエミリアを縛り上げて部屋の隅に転がすと、レニャとアグネスを呼んでマリウスのお土産のチーズケーキでお茶にすることにした。




 ホルスとフェリックスは、教会のスパイだった二人を連れて、昨日の午後エールハウゼンに帰って行った。


 『夢見る角ウサギ』の三人に捕えられたマルティンとエミリアは、最初何も喋ろうとしなかったが、ハティを見ると突然怯えだし、自分達が教会の暗部、ガーディアンズである事を告白した。


 奇跡の水と、グランベール公爵家との取引を探りに来ていたらしいが、ハティに捕まって魔境に放り出されたらしい。


 マリウスがハティを見たが、ハティは興味無さそうに欠伸をするとそっぽを向いた。


 マリウスが、彼らが魔境をさまよっていた二十数日間の間に、エールマイヤー公爵家と聖騎士の陰謀が失敗に終わった事、公爵が死んで公爵家の力が無くなった事、捕虜になった聖騎士が王城の牢獄で暗殺された事等を語って聞かせると、二人は何でもするからこの村に置いてくれとマリウスに懇願した。


 マリウスは取り敢えず二人の取り扱いは、クラウスの裁定に任す事にし、フェリクス達が嫌がる二人をエールハウゼンに連れて帰った。


  ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

 

 ホルスが帰り際に重大な話をマリウスに告げた。


 次期薬師ギルドのグランドマスターに、カサンドラを就ける話が王都で進んでいるらしい。


「え、カサンドラがグラマスになったら王都に帰るのかな、他の錬金術師も帰っちゃうの?」


 それはちょっと困ると思いながらマリウスが尋ねると、ホルスが首を振った。


「そうではなく宰相様のお考えは、薬師ギルドの本部をゴート村に移してマリウス様の傘下とし、その本部のグラマスにカサンドラ殿を付けるという話です。」


「えっ! 薬師ギルドがゴート村に来るの? 僕の傘下ってどういう事?」


 前薬師ギルドは実質西の公爵家の言いなりではあったが、建前上ギルドは独立した組合である。


 特定の貴族の傘下になると云うのは良く解らないし、ましてクラウスではなく、何の権力も無いマリウスの下と云うのは意味不明だとマリウスは思った。


 ホルスはそれに関しては微笑んだだけで、何も答えずエールハウゼンに去って行った

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