5―36  幽霊村


 エルマが聖書を左手に持って、右手を地面に向かって翳すと、周囲一帯の地面が青い光に包まれた。


 マリウスは朝早くに王都に向かうクルト、ノルン達を見送ると、ハティに乗ってまた廃村に来ていた。


 遅れて馬車で到着したエルマが“浄化”を始めている。


 マリウスはエルマの“浄化”を見ながら、聖職者の使う神聖魔法はやはり少し他の魔法とは違っていると思った。術式の中に他の魔法には無いルーンが刻まれている。


 エルマは廃村跡を16に分割して“浄化”を行った。

 村全体を覆っていた、どんよりとしたかび臭い空気が総て一掃され、空気の透明度が増した様な気がする。


「120年前に放棄された薬師ギルドの秘密の隠れ里か。やっぱり辺境には面白い物が沢山隠されているな」


 無責任に面白がっているケリーに、マリウスが眉を顰める。


「何か見つかるたびに僕たちの仕事が増えるのは困りものです。それでなくても人手不足なのに」


 ウムドレビの沼も“魔物除け”の柵で囲ってはいるが、ほったらかしと言う訳にもいかないので、監視する兵士を交代で常に二人配属している。


「若様! ここが幽霊村ですか?」


 マリウスを見つけて、ミリが駆け寄って来た。


 いや幽霊は出てないし。


 しかしこの村の事は当分秘密にされる可能性が高いから、『幽霊村』という名前はある意味ぴったりかもしれないとマリウスは苦笑した。


 ミラとブレアにコーエンと20人程の人夫達もいる。村で泊まっていたレニャも集まって来た。


 此処に魔物討伐と魔境探索の為の拠点と、薬師の研究所を作る事になった。

 ただ現在ゴート村でもノート村でも拡張工事が行われており、フランクもベンもこれ以上の工事の人出を出すのがムリの様だった。


 ホルスに相談して此処の村の建設は、エールハウゼンから職人と人夫を回して貰える事になったが、取り敢えずのオルテガ達騎士団や錬金術師が逗留する為の住居は、ミラ達とゴート村の職人で先に作って貰う事にした。


 ジェイコブ達自警団の者とアグネスはノート村に帰還するが、オルテガの部隊は暫くここに逗留する予定である。


 錬金術師は新たにエールハウゼンから来る者も含めて、3,4人が交代でこの幽霊村に詰めてウムドレビの管理と、研究を続ける事になる。


 ミラとミリは“魔物除け”の杭や給水管の作成や、レベル上げ施設の工事等の仕事を抱えているが、人手が増えたので3日位なら予定が何とか取れた。


 元からあった村長の屋敷と製薬所は修復してそのまま使い、それと別に新しい長屋を三軒作る基礎工事と、村を囲う柵の修理をミラとミリに頼んだ。


 古い井戸はいったんハイデが“水操作”スキルで水を抜いて洗浄し、もう一つ新しくレニャが掘った井戸には既に送風ポンプが取り付けられて、水は確保されている。


 二つの井戸にはマリウスが“浄化”、“治癒”、“滋養強壮”、“消毒”の付与を施してあった。


 レニャには引き続き、工事の為の測量等を行って貰う予定である。

 ブレアにこの村とゴート村、ノート村の間の道の整備をして貰う事にしたのだが、早速文句を言いだした。


「今の倍の幅にするんですか! 私一人じゃ何時まで掛るか分からないですよ、そんなムチャ振り!」


「アグネスがノート村から、クララがゴート村から工事を進めるから二人と相談して何とかしてよ」


 ブレアは、元々は騎士団の所属だったが、今はクララ、アグネスと共に村役場に所属し、マリウスから土木部長に任命されている。


「ジェーンさんのところが20人以上いるのに、私のところが3人だけとか贔屓じゃないですか? レベル上げ中のビギナー魔術師の子も一人下さい、それに魔術師以外の作業者も必要です」


 水道部長のジェーンの処には、ビギナー魔術師の外に数名の作業員が加わり、20人を超える大所帯になっている。


 ブレアの土木部は必要ならフランクや、ベン、コーエンから人手を借りる事が出来るので土魔術師三人だけで運営して貰っていた。


 そう言えばマルコが連れて来たビギナー魔術師に土魔術師の女の子がいたなと思いながら、マリウスは已む無くブレアの要求に承諾した。


「魔術師の女の子、確かリンダだったね。リンダはヨゼフに言って明日から来させるよ。作業員の方は少し待ってよ、これからレオンに言って求人させるから」


 ブレアも取り敢えず納得してくれたようだ。


「おーい! 若様。早く来ないと御飯が無くなっちゃうよ!」

 ミリが向こうで手を振っている


 エルマの“浄化”が終ったので、ケリー達が早くも酒盛りを始めていた。

 ユリアが持たせてくれた弁当と、ミラとミリ達が焼くバーベキュウの良い臭いがしてくる。


 ハティが肉の焼ける臭いの方に駆けて行った。

 マリウスは苦笑して、皆に仕事を止めて食事をする様に言った。

 

  〇 〇 〇 〇 〇 〇


「やはり絶えず騎士団の連中に見張られているようですね」

 エミールが肩を竦めてルーカスに言った。


 エールハウゼンの教会の横に建てられた、エルシャの館である。


「しつこい奴らだ、これでは身動きがとれん」

 ルーカスが苛立たし気に言う。


 西の公爵家は力を失い、薬師ギルドは実質閉鎖状態で、製薬の開発拠点はゴート村に移ってしまった。


 此の儘ゴート村で開発された新薬をエルマの真・クレスト教会が独占するようなことがあれば、クレスト教教会のこの国での影響力は一気に失われかねない。

 ラウム枢機卿自らが、ロンメルの顔色を伺いながら、マリウスにすり寄らねばならない状況を生んでしまったのは、正しく彼らの陰謀が失敗した結果だった。


 エールハウゼンに居ながら未だにマリウスにも会えないルーカスは、このままでは自分の立場が危ういのをひしひしと感じていた


「あなた達が下らない謀をした所為でしょう。挙句に二人も聖騎士を失って。暫く大人しくしているしかないでしょう」


 エルシャが冷ややかの目でルーカスを見ながら言うと、女官のフィオナから葡萄酒のグラスを受け取って口を付けた。


「あれはジャック・メルダースの奴が裏切っていたせいだ。あれさえなければ……」


 エルシャが嘲るように笑いながら言った。

「同じことよ、公爵騎士団もハイドフェルド子爵の騎士団も、ここの騎士団に全く刃が立たずに全滅したじゃない。冒険者ギルドのグラマスはあなた達が負けると分かっていたから、手を引いたのよ」


 ルーカスは顔を真っ赤にして、怒りの表情でエルシャを睨みつけながら黙った。


「まあまあ、我々がいがみ合っていても仕様がありません、確かに此処の戦力を読み違えていたようですね。しかしこのまま何もしない訳にはいかないでしょう。本国から総帥も来ておられる事ですから」

 エミールがにやけた顔で二人の間に入る。


「あら『皆殺しのシルヴィー』が来ているの、それはあなた達も穏やかではないわね」

 可笑しそうにエルシャが嗤った。


「総帥は何と言って来られたのだ?」

 ルーカスが苛立たし気にエミールに言った。


「東の公爵家に楔を打つとだけ、我らは辺境伯家とマリウス・アースバルトを見張れと」


「辺境伯家か、しかし何故?」

 訝るルーカスにエミールが眉を下げて困ったように言った。


「どうやら辺境伯家が東の公爵家と手を結ぶようですね。ラファエル達のしくじりが原因のようです」


「辺境伯家と東の公爵家が手を結んでしまえば、最早この国の勢力図は逆転してしまうではないか」

 呆然とするルーカスにエルシャが更に嘲りの言葉を浴びせる。


「精々愚かな振る舞いは慎むことね。あのお方がシルヴィーをよこしたのは、無能なあなた達を始末する為かもしれないから」

 憎しみに燃える目で自分を睨むルーカスを冷ややかな笑いを浮かべて見下ろすと、エルシャはフィオナを連れて部屋を出て行った。


  ★ ★ ★ ★ ★ ★


 食事を終えて、ミリやレニャ達と、まったりとお茶をしていると、エルマがエリナを連れてやって来た。


 ミラが二人に椅子を進めてお茶を入れる。

 ケリー達はオルテガや人夫達と向こうで酒盛りをしていた。


 既に人夫達はテントを張り終わったようだし、本格的な作業は明日からなのでまあ今日はこれでいいかと思いながら、マリウスがエルマに言った。


「司祭様、今日はありがとうございました」


「いえ、お役に立てたのなら良かったです。でもこの程度の“浄化”なら、マリウス様にも御出来だったのではないですか?」


「そんな事は無いですよ、本職の聖職者の“浄化”の方が強力ですよ。司祭様はユニークですね?」


 マリウスの問いにエルマは答えずに微笑んで村を見回しながら言った。

「120年前に滅んだ秘密の村ですか。でもとても静かで良い所ですね」


 四方を森に囲まれた村は、まるで日常の世界から切り取られた様に静かで、幽霊村という名前がぴったりだった


「静かすぎてちょっと怖いくらいですね」

 エリナも頷く。


 マリウスは教会のガーディアンズの二人が喋った話の、ハティと一緒に二人と戦った黒いローブの女はエリナではないかと思ったが、聞くのは止める事にした。

 何となくエリナは自分達の味方だという気がしたからだ。


「ねえ若様! ウムドレビを見物させてよ」

 エレノアの大声にマリウスが眉を顰める。


「あの……ウムドレビの事は秘密なんですから、大きな声を出して名前を言わないで下さい」


 伝説の霊薬エリクサーの材料であるウムドレビの事は、勿論世間には秘密である。

 こんな物を子爵家が管理していると知れたら、また何処かの勢力が攻めて来るかもしれない。


「伝説の希少魔物でしょう、万能薬の材料になる実を付けるって云う」


「毒を撒き散らす、ただの気持ち悪い木の魔物ですよ。見たければ東の沼地に行けば30本位生えてますけど、防護服を着て行った方が良いですよ」


 ケリー達五人は早速オルテガにダボダボした特殊防護服を借りて着込むと、森に出かけて行った。


「ウムドレビの実からハイエルフの霊薬を作るのですか?」

 エリナがマリウスに尋ねた。


「取り敢えずカサンドラ達に研究はさせますが、出来るかどうかは分かりません。エリクサーにはもう一つ幻の素材が必要だそうですから」


「もしかしてハオマの実、ガオケレナですか?」


 エルマがガオケレナを知っていたのにマリウスが驚いた。



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