7―11  皇帝旗と囚人


「ああ、丁度二人に話があったんだ」


「何ですかマリウス様?」


 ノルンとエリーゼが顔を見合わせて、マリウスを見た。


「うん、二人の新しい仕事の話なんだ。二人にはクルトの部隊から外れて貰って、暫く行政の仕事をして貰う事にしたから」


 エリーゼとノルンが驚いてマリウスに問い返す。


「え、行政の仕事ですか」


「私そう言うのはちょっと……」


 逃げ腰なエリーゼに構わずマリウスが話を続けた。


「戦いばかりじゃなくて、二人には色々な事を覚えて欲しいから、ノルンは明日からイエルの下で、エリーは明日からレオンの下で働いてくれるかな」


 これから移住者の受け入れ、村の拡張や住居の建設と、水道、道路などのインフラ整備、移住者の衣食住の手配、農地の開拓、各工房の生産状況の確認や流通、販売などの業務、王家や公爵家、辺境伯家との折衝や商業ギルドへの対応等、様々な行政や外交の仕事が山積みになる事が予想される。


 二人には今のうちから、そう云った仕事のスキルも身に付けて貰いたい。


「お任せ下さいマリウス様。御二人を一人前の行政官に育て上げて見せます」

 いつの間にか二人の後ろにイエルとレオンが立っていた。


「うん。宜しく頼むよ。明日からビシバシしごいてあげてね」


 引き攣った笑顔を浮かべるノルンとエリーゼを、クルトやエフレム達がにやにやと笑いながら見ている。


「残念ねエリーちゃん、まあ出世だから仕様がないか」


 カタリナに揶揄われてエリーゼが真っ赤になって言い返す。


「何よカタリナ、ちょっとだけ勉強よ。すぐに部隊に戻るから。私はいつか騎士になるんだから!」


「ノルンは向いているんじゃないか。年の割に細かい事を気にするから」


「やめて下さいケントさん。まるで僕が年寄りっぽいみたいじゃないですか」


 ノルンが嫌な顔をするが、皆そう思っていたので、ナタリーやダニエルがクスクス笑っている。


 ノルンとエリーゼは二人セットで丁度良い感じだが、ここは敢えて別々に分かれて仕事をして貰う事にした。


 二人にはもっと早く、成長して貰いたい。

 それが自分にとって一番の力になるとマリウスは思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ホントだ、魔力量が14も増えてる!」

 ジェーンが驚いて声を上げる。


 一夜明けて朝食を皆で食べながら、マリウスがアースドラゴンの肉を食べると魔力量が少し増えるというカサンドラの話をすると、早速ジェーンがステータスをチェックしていた。


 ジェーンの魔力量は今2310だそうで、14なら0.6パーセントくらい増えた事になる。


「ノルン、あんたはどうなの?」


 エリーゼがノルンに尋ねるとノルンが嫌な顔をして答えた。


「僕が肉を食べられない事知ってるだろう。エリーこそどうなの?」


「うーん、元々魔力量が少ないから分からないわよ。多分1増えたんじゃないかな」


 騎士のエリーゼの魔力量は180位らしい。

 その気になれば中級魔法を9回使えるのだが、エリーゼはあまり魔法の勉強は熱心ではなかった。


「若様、私毎日アースドラゴンのステーキが食べたいわ。良いでしょう?」

 ジェーンが贅沢な我が儘を言っている。


「毎日は止めた方が良いな、急激に魔力量を増やすとどんな副作用が出るかまだ分かっていない」


 昨夜館に泊ったカサンドラが、食卓に着きながらジェーンに言った。


 カサンドラはゴート村にもレーア村にも宿舎を与えているのだが、何方の部屋にもほとんど帰った事が無く、何時も研究所で寝泊まりしている。


 部屋に帰っても何も無い気がして、昨日はマリウスの館に泊まるように言ったが、今朝は珍しくちゃんと髪に櫛が入っていた。


 気のせいか顔の艶もいつもより良いように見える。カサンドラは殆ど化粧をしない筈だが、今朝は妙に綺麗だった。


「おはようカサンドラ、昨日はちゃんとお風呂に入ったかな?」


「は、はい。お屋敷のお風呂に入らせて頂きました」


 赤い顔でカサンドラが答える。

 どうもカサンドラは基本的な生活能力に欠けている気がする。


 放っておくと食事もまともに取らず、風呂にも入らずに研究に没頭してそのまま机で寝てしまったりするので、弟子のティアナたちが色々面倒を見ているようだった。


「カサンドラ、君に専属の護衛を付ける事にしたから。今週は『白い鴉』のエレノアとアデルが付くから一緒にレーア村に連れて帰ってね」


「私などに専属の護衛など……」


「カサンドラは薬師ギルドのグラマスで王国の重要人物だし、宰相様からも護衛を強化するように命じられているから当然だよ」


 恐縮するカサンドラにそう言って笑うと、マリウスは真剣な顔になってカサンドラに言った。


「実は今朝エルザ様から連絡があって、教皇国が『禁忌薬』を撒いたロス湖の周りの森の木が枯れ始めているそうなんだ。ロス湖の水は川に流れ込んで、ユング王国と帝国に流れていくらしいのだけど、このままだと小麦に被害が広がるのではと心配しているらしいんだ」


「『禁忌薬』の所為で木が枯れているのですか、成程、分かりました、レーア村に帰ったらサンプルを調べてみます」


 カサンドラが力強く頷いてくれたので、ひとまず安心する。


「本当に迷惑な人達ね。でも王国に水が流れてこなくて良かったですね」


 そう云うエリーゼにノルンが首を傾げる。


「どうかな、敵国でも実際に農作物が被害を受けたら苦しむのは普通の庶民たちだし、それに凶作が原因でまた戦争が起こる事は珍しくないよ。他人事じゃないと思う」


 さすがにノルンは色々な事を考えていると感心しながら、マリウスがカサンドラに言った。


「被害を止められるのなら止めたいし、教皇国がまたどこかで『禁忌薬』を使うかもしれないから、出来るだけ早く対抗策を手に入れたい。宜しく頼むよカサンドラ」


「はっ。承知しました。マリウス様」


 既に川に水が流れ出している様だが、湖と支流も含めた川全てに“消毒”と“浄化”を付与して廻るのは、どれ程の魔石が必要か分からないしさすがに無理である。


 『禁忌薬』は思っていた以上に危険な薬物のようだった。『禁忌薬』の製造に必要なウムドレビは、マリウスが管理しているので、これ以上作られる事は無いと思うが、ウムドレビの警備も厳しくしようとマリウスは思った。


  ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎


「エゴール・アバルキン、ダヴィット・ボドロフ、マラート・ベラショフ……。成程な、この5年位の間に苦労して捕まえたレジスタンスの幹部達か」


 イヴァン・マカロフ将軍は、エルヴィーラが要求してきた30人のリストを読み上げながら溜息を付いた。


「げつ! ナザロヴァ姉妹もここに入れられていたのか」


 リストの30人はいずれも獣人解放戦線の幹部と戦士達である。


 レアの植物魔術師ジーナと、蟲使いイリーナのナザロヴァ姉妹は2年前のエルフ掃討戦でイヴァンも戦ったが、二人を捕えるために数百の兵士が戦死して、半数以上のエルフに逃げられていた。


「如何致します。力づくで皇帝旗を奪い返しますか?」


 副官のマルクの言葉にイヴァンが苦笑する。


「止めた方が良いな。本当に奴らがロマニエフを魔物の群で襲わせることが出来るのなら、ロマニエフの市民10万が死ぬことになる。旗一本と天秤に掛ける事はできないさ」


「しかしそこに名前のあるレジスタンスたちを捕えるのに、これまでに帝国兵が少なくとも2千人は死んでいます。また彼らを野に放つのはあまりに危険では」


 レア6人、アドバンスド13人に、ミドルの11人も何十年も抵抗し続けている歴戦の強者たちばかりだった。


「考えたな、王国はレジスタンスに恩を売り、奴らの支援をすることで帝国を内部から揺さぶる心算だな。恐らくユング王国にも既に手が伸びているだろう。更にこのロマニエフが魔物の危機に晒されるとなると、王国は自国の兵は一兵も動かさず、帝国を内と外から締め上げる事になる。完全に向こうが一枚上手のようだ。王国にそれ程の軍師がいたのか?」


「何を他人事のように! 将軍は正にその矢面に立っているのですぞ!」


 守備隊長のアンドレイが呆れた様に大声で怒鳴る。


 こちらが仕掛けた急襲作戦の筈が、気が付けば状況は向こうの罠に嵌ったとしか思えない、一方的な苦境に立たされていた。


 軍の上層部がこの状況を理解しているのか不安であるが、先ず自分が生き残る事を考えなければならない。


「どのみち皇帝旗を取り戻せなければ俺もこのロマニエフも終わりだ。帝都からは俺に戻れと矢のように催促が来ている。皇帝旗を取り戻したら俺は帝都に戻る。お前たちは代わりにやって来るレバノフスキー将軍の指揮下に入る事になるだろう」


 今帝都では東部、北部を中心に徴兵をかけて軍を編成中である。


 第1騎士団のレバノフスキー将軍が4人の将軍と10万の兵を率いてこのロマニエフに入り、バシリエフ要塞奪還作戦を遂行する事になっていると報せが来ていた。


「将軍! 時間です!」


 ヴラスが交換の刻限を告げる。

 イヴァンは立ち上がると、マルクを連れて部屋を出て行った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「先生!」


 もう顔が涙でぐしゃぐしゃのレニャが、メリアの胸に飛び込んだ。


「あらあらレニャ、子供みたいにそんなに泣いて、仕方がない子ね」

 そう言いながらメリアが優しくレニャを抱きしめた。


「メリアさん。また来て頂いてありがとうございます」

 エールハウゼンから40名の職人や人夫と一緒に鉱山師のメリアがやって来た。


 職人と人夫達はレーア村の工事の追加の人員で、明日からレーア村に移動して工事に参加して貰う。


「いえ、こちらこそまた呼んで頂いてありがとうございます、こんなに立派になった村を更に広げるそうですね」


「はい、大勢の移住者を迎える事になりそうなので、この村だけでなく領内にどんどん村を作って広げていく心算です」


 やっとメリアから離れたレニャが顔を上げてメリアに言った。


「先生、今日は私が村を案内します。若様にお休みを頂いたので」

 マリウスも頷いてメリアに言った。


「仕事の打ち合わせは明日からで良いです、今日はゆっくりしてください」


「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、新しい村を拝見させて頂きます」


 レニャがメリアの腕を引っ張って村に入って行くのを、マリウスとハティが笑顔で見送っていた。




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