7―12  鬼とソロバン


 頭からすっぽりと目隠しのマスクを被せられて、後ろ手をロープで縛られた囚人たちが、4台の荷馬車に乗せられて、馬に乗った100人程の兵士たちに囲まれてゆっくりと前に進む。


 囚人たちは皆、手に魔法封じや理力封じの枷を嵌められていた。


 エルヴィーラが指定してきた場所はロマニエフから西に15キロほど離れた小さな村であった。


 二百人程が住んでいたこの村の住人たちは、リカ湖に突然住み着いた魔物を恐れて、村を捨て既にロマニエフに避難していたので、村は廃村になっていた。


 村の中の広場に進んで行ったイヴァンが驚く。

 エルヴィーラが今回は4百人近い兵を引き連れて、既に広場で待っていた。


 全員が揃いの革鎧を装着している。


「随分と大勢を引き連れて来たな」


 馬を止めて声を掛けるイヴァンにエルヴィーラがにやりと笑って言った。


「我々が何時でもロマニエフに攻め込めることを、マカロフ将軍に理解してもらうためさ」


 確かに王国軍が自由に魔物の群れの中を通行できるのは本当らしい。


 イヴァンが手を挙げると、兵士たちが覆面を被せられた囚人たちを荷車から降ろして前に誘導して来る。


 前に引き出された囚人たちのマスクを兵士たちが剝いでいった。

 ローブをすっぽりと頭から被ったアレクセイが前に出て、囚人たちの顔を一人一人確認していった。


 犬獣人、猫獣人、羊獣人、牛獣人、エルフと様々な人種が混じった囚人たちが、アレクセイの顔を見て驚いている。


 アレクセイが全員の顔を確認すると、エルヴィーラを見て頷いた。

 エルヴィーラが手を挙げると、一人の兵士が汚れた黒い布の塊を抱えて前に出た。


 もう一人の兵士が端を持ち、二人で布を広げる。

 縁がボロボロに破けた黒い旗には、金の蠍が刺繍されていた。


 イヴァンがエルヴィーラに頷いた。

 

  ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎


「これで何とか首が繋がったかな、マカロフ将軍?」


 囚人と皇帝旗の交換が終わった後、イヴァンと向き合ったエルヴィーラが、馬上から皮肉っぽく言った。


「ふん、替わりに囚人を逃がしたのだ、どのみち罪には問われるだろう」


 囚人たちは縄を解かれてエルヴィーラたちの軍の後ろに下がると、アレクセイから“魔物除け”の付与された木切れを手渡されていた。


「それではもう一つ土産をやろう、これは貸しだ」


「何だ?」


 イヴァンがエルヴィーラを見る。


「ふん、お前たちの仲間がスタンピードを起こすためにロス湖に撒いたヤバい薬、あれ、川を伝ってお前たちの国に流れていくよ」


「それがどうした?」


 イヴァンは無表情に答えた心算だが、内心の驚きを隠せなかった。


 元々教皇国がどうやってスタンピードを起こしたのか分からなかったが、何か特別な薬を使ったらしい。


 だがその薬が河に流れ込むと如何なると云うのだろう?

 イヴァンは嫌な予感を感じたが、エルヴィーラはそれ以上何も言わずに馬首を返した。


「待て! アーリンゲ准将! 薬が川に流れると如何なるというのだ?!」


 エルヴィーラが馬上から振り返り、面倒そうに言った。


「情報は伝えた。あとは自分たちで調べるが良い。既にユング王国にも使者が向かった。お前たちに伝えてやる必要はないと私は言ったのだがな。これは公爵閣下からの慈悲だ。自分たちがやった事を自分の目で確かめろ!」


 エルヴィーラはそれだけ言うと、二度と振り返らずに村から出て行った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 移住してきた魔道具師の人数が少なかったのは、王都で何とか収入を得られている魔道具師は、ゴート村に移り住むのを二の足を踏んだ為だった。


 殆どの魔道具師がミドルで、34名のミドル魔道具師はマリウスが“送風”を付与した三千台のエアコンの魔道具に“初級制御”を付ける作業を始めていた。


 昨日エリスとジョシュアで、百台は終わらせてある。


「送風の術式のルーンに“初級制御”を付けて一番右のボタンに紐づけて下さい! 終わったらマリウス様が“発熱”の術式を付けるので、今度は真ん中のボタンに紐づけて下さい。最後にマリウス様が冷却の術式を付けたら左のボタンに紐づけるのですが、この時真ん中の導線と交差させて、どちらかが稼働している時はもう一方は稼働しないようにして下さい!」


 2900台のエアコンの風の音の中で、エリスが作業の手順を説明している。


「君たちビギナーじゃないの? 何故その歳でそんなに立て続けに“初級制御”が使えるの?」


「えっ! 魔力量156? 私と大して変わらないじゃないか」


「294! 君ホントはアドバンスドじゃないのかい? なんだか魔法の効果も強いようだけど……」


 エリスとジョシュアの魔力量を知って皆が驚いている。


 ミドルの魔術師達は殆どが基礎レベル3,ジョブレベル25から35位で、使える魔力量は170から210位だった。


 2900台のエアコン全てに送風を付与してしまったが、多分今日は全員で半分くらいしか“初級制御”を付けられそうになかった。


 出来た物からダックスが王都に送っていく予定だが、何とか月末までにぎりぎり3千台は完成しそうだが、魔道具師の中級スキル“中級制御”で、暖房、冷房に三段階の調整を付ける計画は暫く見送る事にした。


 彼等のレベルを上げるために、急いでレベル上げ施設を造る必要があるとマリウスは思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「小麦が100トンに干し肉10トン、野菜が10トン、塩が2トン、大型テント100張り、毛布1万枚、綿が……」


 ダックスがイエルの注文をメモに書き込むと、満面の笑みを浮べて言った。


「全部で2憶3千万ゼニー位でんなあ」


「高い! 1億7千万でお願いします」

「それやったら儂の儲けが全然ありませんがな、それどころか赤字でっせ。せめて2億2千万は出して貰わんと、うちが潰れてしまいますがな」


 ダックスが大袈裟な素振りで抗議する。


「あなた、これから若様の大きな仕事に参加させて貰えるのでしょう。少しは協力して下さい。1億8千万ゼニーです。それ以上はびた一文出せません」


「未だなんも決まってまへんがな、ほんまにポーションの仕事を回して貰えるんでっか?」


 探る様に見るダックスにイエルが無表情に答える。


「それは会頭のお返事次第ですね。アンナさんからも商売の申し出が来ていますし、王都の商会も数軒、エアコンの取引を希望するお申し出を頂いています」


「ちょっと待ってーなイエルはん。儂を差し置いて他所の商会と取引するんでっか。あんまりや。あんた鬼でっか!」


「1億8千5百万。これ以上は無理です」


「ううう。鬼や、あんた、イタチの皮を被った鬼や」


 ダックスが涙目で部屋から出て行くのを、ノルンが気の毒そうに見送る。


「ちょっと厳しすぎませんか?」


「ふふふ。ノルン君、騙されてはいけませんよ。あれでもダックス氏にはかなりの利益が入る筈です」


「そうなんですか?」


「あの中で値の張る商品は毛布とテントですが、ダックス氏は王都の騎士団に強いコネがあります。騎士団から安価で放出品を手に入れる事が出来る筈ですから、利益は充分出るでしょう」


 先程のダックスの素振りは演技の様らしい。

 本当にタヌキとイタチの化かし合いだと感心するノルンにイエルが言った。


「さあ、次はアンナさんですよ。アンナさんにはチーズと葡萄酒、陶器の卸値の値上げ交渉です。ノルン君がやってみますか?」


 イエルから分厚い資料の束を渡されて、ノルンがごくりと唾を呑んだ。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 レオンの下には人族、獣人合わせて移住者と村人から採用された7人の職員が働いている。


 猫獣人の女性と犬獣人の男性、人族のおじさんが机に座って何やらぱちぱち、じゃらじゃらうるさい音のする不思議な道具を指で弾いていた。


「あれは何ですか?」


「ああ、あれはマリウス様から頂いた、ソロバンという計算をする道具です」


 レオンはそう言うと、机の後ろに置いてあった木箱の中からソロバンを一つ取ってエリーゼに渡した。


 木箱とソロバンの枠にウサギのマークが描いてあるので多分ミラ工房製であろう。


「この白い点がある処が一の位です。上の球が5、下の四つある玉が1です。3なら下の球を三つ上に上げます。これに3を足すと6になりますから、上の5の球を下ろして、下の球を二つ下げます……」


「? ? ? これをマリウス様が考えたのですか?」


「マリウス様の御話だと遠い東の島国で生まれた物だそうです。慣れるととても計算が速くなります。エリーさんもぜひ覚えて下さい。うちのマルクスが今学校でも子供たちに教えていますが、子供たちはすぐに掛け算や割り算もできるようになったそうです」


「か、掛け算と割り算ですか……」


 机に向かってソロバンをはじく三人は、左手で伝票の束を凄いスピードで捲りながら、殆ど見ずに右手でソロバンの球をぱちぱち弾いている。


 エリーゼは三人の手の動きを見ているうちに気持ち悪くなって顔が青ざめてきたが、レオンが容赦なくエリーゼに言った。


「エリーさんの机はあそこです。各工房の注文数と単価、材料費などの伝票が置いてありますから、単価の合計から経費を引いた金額から更に税収20パーセントを引いて、こちらの実績表に沿って各職人の給料を計算してください。給与は週払いで、金曜日閉めの月曜日支給になります」


「これ、全員分を計算するのですか?」


「はい、以前は各工房主にまとめて渡して工房主たちに配分してもらっていたのですが、ミリさんが人数が増えすぎてもう出来ないと泣き出してしまいまして。仕方がないので若様が私たちでやるように言われたのですが、結局他の工房主たちも私たちに丸投げしてしまい、今の様な有様になっています」


 ミリの奴、あとで文句を言ってやるとか思いながらエリーゼが机に向かうと、レオンが更に追い打ちをかける。


「その仕事は午前中に片付けておいて下さい。午後から開拓地の農家の視察です。住民の苦情と農具や肥料などの要望を聞いて回りますのでよろしくお願いします」


「は、ハイ……」


 早く騎士団に戻りたいと思いながら、エリーゼは自分の机の上に置かれた伝票の山を見て溜息を付いた。



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