5―5 西の公爵
「何故日持ちしないのに10キロ以上なのですか?」
「10キロ以上ならタダで“腐敗防止”の付与付きの箱に入れてあげるよ、少しなら箱を別に買ってもらう事になるよ」
マリウスは大量にストックした角ウサギの魔石を使って、ミラに作って貰った木箱に“腐敗防止”を付与して、公爵領に出荷されるチーズ等に使っているが、安価でアンナの店にも卸している。
ゴブリンの魔石の半分程も魔力のない角ウサギの魔石でも、マリウスの今の魔法効果なら2年以上効果が続く。
「“腐敗防止”の付与付きの箱ですか、それは凄いですね。それでは10キロでお幾らになりますか?」
「7万ゼニーでいいよ、ただ次の入荷は明後日になるけど泊まる処はあるのかい」
「宿に何とか一部屋取れました、明後日ですね、それではこの村を見物しながら待たせて頂きます」
マルティンはそう言って懐から大銀貨を7枚出すと、アンナに前払いした。
「毎度あり、食事は『狐亭』に来てくれたらサービスするよ」
営業スマイルを浮かべるアンナに礼を言って、二人は店を出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それではエールマイヤー公爵様は、アースバルト子爵が薬師ギルドの権利を、不当に侵害していると仰せられるのですね」
王国宰相ラインハルト・ロンメルは穏やかな口調で問い返した。
「左様、かの者の所為で、薬師ギルドは多大の損害を被っておると儂の処に泣きついてきておる。これは重大な権利の侵害であると儂は思うのだが、宰相殿は如何思し召しか?」
西の公爵ことアーノルド・フォン・エールマイヤー公爵はことさら厳しく遺憾を表明した。
王城の中の、宰相ロンメルの執務室である。
自分に話があると押しかけて来たエールマイヤー公爵を部屋に招き入れ、ロンメルは彼の苦言を聞く事になった。
東のグランベール公爵家と並ぶ名門貴族であるエールマイヤー公爵アーノルドは、西側諸国との外交を一手に握る外務卿を務めているが、国内における神聖クレスト教皇国支持派貴族の盟主であり、内政の全権を握る宰相ロンメルにとっては最大の政敵に当たる。
昨日薬師ギルドのグランドマスター、レオニード・ホーネッカーとクレスト教会のラウム枢機卿の連署で、王家にアースバルト子爵家のギルドの権利侵害を訴える訴状が届いていた。
明らかに示し合わせた様に、今日の西の公爵の訪問である。
「権利の侵害とはどのような事ですかな」
ロンメルは口元に微笑みを湛えたまま穏やかにエールマイヤー公爵に尋ねた。
「知れたこと。かの者が領内で『奇跡の水』なる物を流布させ、薬師ギルドの販売するポーションが全く売れなくなっている。ラウム枢機卿猊下も事態を大変憂慮されておられる。この様な状況を放っておいてよいものかな」
苛立つ公爵にロンメルが首を傾げる。
「我等が国王陛下が薬師ギルドに与えし権利は、ポーションの製法の指定とその製法をギルド員のみが秘匿する権利、素材の指定とそれをギルド所属の薬師のみが購入できる権利、ポーションの販売価格の決定と、クラスによる薬師の報酬の決定といったところで御座います。そしてその見返りとして、薬師ギルドはポーションの品質に責任を持つ事を、陛下より義務付けられております」
ロンメルは穏やかな口調で諭す様に話を続けた。
「最近はそれもあまり守られてはいないようですが。これらの権利はポーションの品質の低下を避ける目的と、価格競争によるポーションの値崩れを避け、薬師達が正当な報酬を得られるために、国王陛下より与えられた権利で御座いますが、今回のケースに関して何一つ権利の侵害に該当する項目が無いように思えますが」
「それはどういう事かな?」
ロンメルの長話に苛々しながら問い返す公爵に、ロンメルは既に用意してあった答えを述べる。
「まず子爵は、前提としてこの水をポーションとして販売して利益を得ていません。全て無償で領民に与えております。更にこの水にはどの様な薬草も使われておりません。ポーションとは明らかに一線を画す物です。子爵は単に川の水を濾して、生活用水として村人に供給しているに過ぎません」
「しかし現にその水を求めて多くの者が集まり。その為にポーションの売り上げが激減しておるではないか」
エールマイヤー公爵が苛立たし気にロンメルに詰め寄ったが、ロンメルは涼しい顔で言った。
「公爵様、この国には健康に良いだの、その水で茶を入れれば美味い等と云う、所謂『名水』と云う物は幾らでも御座いますが、それらがギルドの権利侵害になるのでしょうか?」
「詭弁を弄するではない! そのほう儂を愚弄するか! アースバルト子爵の息子が怪しげな付与魔術を使って、『奇跡の水』なる物を製造致しておる事は既に調べは付いておる!」
公爵が、眉を吊り上げてロンメルを睨んだ。
「これは失礼を致しました。しかし子爵殿の御子息が、何らギルドの権利侵害に当たる行為をしていないのは事実で御座います」
ロンメルは公爵の怒りを気にした様子も無く答えた。
「だが現にその『奇跡の水』が傷や病を治し、その為ポーションが売れずに、多くの薬師が収入を失いつつあるのは、薬師が正当な報酬を得られる権利を侵害しておるではないか」
「それはつまり川から汲み上げた水より効能のあるポーションを、薬師が作れないという事では在りませんか。不当と言えるとは思えませんが、それでは公爵様はどうすべきと仰せで御座いますかな」
ロンメルが柔和な笑顔を湛えたまま公爵を見た。
「当然、その水の権利を薬師ギルドに譲渡し、薬師ギルドが管理すべきと存ずるが」
「それはつまり民の為にタダで供給している生活用水を取り上げて、それに値段をつけて売るという事で御座いますか? それは些かお粗末な話で御座いますな」
ロンメルがやれやれと言った様に、わざとらしく肩を竦める。
「その様な事は言っておらん、貴様無礼であろう! 儂は薬師ギルドによって管理するのが本来の正しい在り方だと言っておるのだ!」
青筋を立てて怒りを露にするエールマイヤー公爵に、ロンメルがそろそろ良いかと云う様に、居住まいを正して告げた。
「実は件の『奇跡の水』に関して、当事者であるマリウス・アースバルト殿より、グランベール公爵様を通じて、国王陛下に御提案書が届けられております。」
「グランベール公爵だと、そう言えば子爵はグランベール家の寄子であったな。」
ロンメルは公爵を無視して話を続ける。
「一つ、水道の浄水施設の製法に関する全てを王家に公開し、必要ならば自分が出向いて指導と施術を行う。一つマリウス殿が執政官を務めるゴート村では広く職人を求めているので、困窮する薬師がいれば、自分が全て召し抱える用意がある。との事です」
エールマイヤー公爵は、ロンメルの話に意表を突かれて絶句した。
「す、全てを王家に公開するだと。しかしそれでは薬師ギルドはどうなる?」
やっとそれだけ口にした公爵を、ロンメルは無表情に見つめた。
「国王陛下はマリウス殿の提案に大変興味を示され、王都にも浄水場の建設を御命じになられました。更にグランベール公爵様の御令嬢と、マリウス殿の御婚約を陛下が御認めになられ、お披露目の為にマリウス殿が秋に王都を訪れる日に合わせて、水道施設の建設を進める予定に御座います」
ロンメルは死刑宣告の様に何の感情も込めずに、蒼白な顔のエールマイヤー公爵に言い放った。
「帰ったか。西の公爵殿は」
エールマイヤー公爵が去ったロンメルの執務室の、奥の部屋から出てきたのはエルザであった。
「大層ご立腹の御様子でしたね。あの様子だと大人しく引き下がるとは思えませんな」
ロンメルが可笑しそうに言った。
「ふん、あの者の一番の資金源である薬師ギルドが潰されるとあっては、穏やかではあるまい」
この国で最大の人口を抱える王都に、マリウスの『奇跡の水』が持ち込まれてしまったら、恐らく薬師ギルドは立ち行かなくなるだろう。
薬師ギルドから毎年多額の献金を受け取り、更に薬師ギルドが使用する薬草の栽培を独占する西の公爵家にとっては、看過できない事態であった。
エルザはマリウスがこの提案を文でよこしてきた時、この提案がもたらすであろう結果を想像して戦慄した。
薬師ギルドが破綻すれば、この国の最大貴族である西の公爵家はその力を失い、薬師ギルドと長年結託してきたクレスト教会も、莫大な損失を被る事になるだろう。
一兵も動かすこともなく、国王の決定一つで強大な勢力が瓦解してしまう。
恐らくマリウスは、自分が国王に投げ渡した物の重大さを全く理解していないだろうと、エルザは可笑しくなってくる。
彼らは皆間違えていた。マリウスが『奇跡の水』に執着など無い事は、民に無償で分け与えている事で容易に推察出来た筈である。
マリウスにとっては『奇跡の水』もそれを生み出す仕組みも、その気になれば幾らでも創り出せるものでしかない。
マリウスにこの提案をさせてしまった事で、彼らは全ての交渉の余地を失っていた。
「これで薬師ギルドも教会も西の公爵も、まっとうな政治的な手段で『奇跡の水』を独占することが出来なくなりましたな。それどころか結果的に『奇跡の水』を国中に広げてしまう事になってしまいました」
「ふふ、辺境の小さな子爵家一つ、自分達の力でどうとでも出来ると侮ったのが失敗だったな、さて西の公爵と教会がどんな手で来るか。あの者達も一手で詰まされてしまっては、面目が立つまい」
エルザの言葉を聞きながら、ロンメルは思考を巡らせていた。
薬師ギルドが新しい薬剤の開発もせず、先人の遺産を食いつぶしながら暴利をむさぼるだけの存在になり果てた挙句、西の資金源となって久しい。
国王がマリウスの提案を受け入れる意思を表明したのも、その事が背景にあった。
長年続いた東西の均衡が、突如現れた辺境の少年によって、思いもよらぬ形で破られた。
ロンメルがこの好機を見逃す筈もない。西の公爵が動けば叩き潰す。
ロンメルは長年の宿敵を迎え撃つべく動き出した。
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