7―3 西の公爵の亡霊
何時か辺境の地がこの国の中心になるかもしれない。嘗てエルザやルチアナが言った言葉の通りに、マリウスは進んでいるかのようだった。
「まったく、少年一人にどんどん状況が覆されていくわね。教皇国もそろそろ、あの子が最大の敵だと気付き始めているんじゃない」
「恐らくは。エルザ様からも暫くマリウス殿は領地経営に専念させてくれと言ってきています。やはり7歳の少年に戦争は辛かったようですね」
「返す言葉もないな。子供の力を当てにするなど武人のする事ではない。とは言えこの力はやはり無視できないからな」
ウイルマーが着込んだ革鎧に触れながら苦笑する。
「そこで戦力強化の為、国王陛下より許可を頂き、王都騎士団を再編する事になりました。此度のベルツブルグでのテロの阻止と、帝国軍撃破にバシリエフ要塞の攻略などに関するマリウス殿の功績を全て内密にすることになりましたので、代りに援軍に出られた方達を褒賞することに致しました」
「如何云う事だ?」
けろりと言うロンメルに、ウイルマーが眉を顰める。
「クシュナ―将軍を解任し、第2師団を一旦解体し、アメリー・ワグネルを団長に任命して、再編して頂きます。また王都騎士団の獣人兵士排除令を撤廃し、王都騎士団への帰参を希望する獣人兵士は全て、第6騎士団、魔術師団、第2騎士団で引き受けて下さい。無論『野獣騎士団』はそのまま第6騎士団で吸収してミハイル・アダモフを副団長に戻して頂いて結構です」
3年前に解雇されるまでミハイルが第6騎士団の副団長だった。
「ふふ、成程、それは良い。それで王都の兵力差は完全に逆転するという事か」
解雇された獣人兵士は全騎士団で3千人に上る。マリウスの村に移住したエフレムたちのように、王都を去った者もいるが、未だ王都にも大勢残っている筈である。
「帝国軍も撤退しましたし、公爵領でのシルヴィーの脅威が去ったと判断できれば、彼らを早急に王都に引き揚げさせる心算です。それから先日の医術師ギルド襲撃に関して、新しい情報が出ました」
ウイルマーとルチアナが驚いてロンメルを見る。
「何か分かったのか?」
「一昨日の夜、王都警邏隊が元エールマイヤー公爵騎士団のドリス・リーゼンを捕えました」
「何ですって! ドリス・リーゼンが王都に潜入していたの? という事は……」
「ハインツ・マウアーが戻って来ているという事だな」
ウイルマーが珍しく緊張した面持ちでロンメルを見た。
『奇跡の水』騒動の後、ウイルマーやルチアナは討伐軍として軍を率いてエールマイヤー公爵領に向かい、ハインツ・マウアー将軍と公爵領のレーン高原で戦ったが、戦闘二日目で公爵家を引き継いだサイアスが王家に恭順を示したため、マウアー将軍は撤退し、自分の直属の兵士たちと共に神聖クレスト教皇国に亡命した。
マウアー将軍の魔術師部隊長だったドリスも将軍を追って教皇国に逃れていた筈であった。
「医術師ギルド襲撃はマウアー将軍の仕業という事なの?」
「恐らく。目撃情報から襲撃犯の一人はマウアー将軍直属のアサシン部隊長ロナルド・ベックマンと風体が一致しています」
「ハインツが相手となると少し厄介だな」
ウイルマーが眉を顰める。
「王国一の軍略家といわれたマウアー将軍が、今は教皇国の殺し屋とはね。気の毒だけど一般人を手に掛けた事は赦さないわ」
「西の公爵家の亡霊といったところか。ハインツの居場所は分かったのか?」
「いえ、ドリスは全く何も喋っていないようです」
ウイルマーが眉を顰めて考え込む。
「ハインツが王都で動いているとすると奴の次の狙いは何だ?」
「うーん、ロンメルを暗殺とか……」
「王城にいる私を狙うのはさすがに無理でしょう。狙うとすれば建設中の浄水場か新しい製薬工場でしょうね」
ウイルマーがロンメルに尋ねた。
「そう言えば公爵騎士団はどうしている?」
「公爵騎士団には第2師団の代わりに東門の警護と、取調べと処分が終わるまで、拘束している第2騎士団の兵士の監視を御願いしています。それと緊急の為5千5百の兵から千をベルツブルグのガルシア将軍の元に戻すそうです」
「ハインツは第6と魔術師団で迎え撃つしかない訳か。これはレーン高原の戦の続きだな」
苦い顔のウイルマーにロンメルが言った。
「王都警邏隊が協力します。連携して王都内を警戒してください」
王都でも決戦の日が近づいているのを皆が敏感に感じていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
製薬工場を出るとマリウスはハティを連れて一旦館に戻る事にした。
今日はユリアに昼食にゴールデントラウトを出してくれるように頼んである。
食卓に入るとエリスとジョシュア、アデリナが既にテーブルについていた。
ジョシュアは農民の両親と祖母と一緒に暮らしているが、昼食はいつもエリスと一緒にマリウスの館で食べている。
15歳の栗鼠獣人のエリスと、12歳の鼠獣人のジョシュアはまるで姉弟のようで、エリスが甲斐甲斐しくジョシュアの世話をしている姿が微笑ましい。
マリウスが、がっつりとチーズの乗ったハンバーグを口に入れるアデリナを見ながら、思い出したように言った。
「ベルツブルグで帝国にいるエルフの司祭様に逢ったけど、やっぱり緑色の髪だったよ。エルフはみんな緑の髪なの?」
「ひ、ひひへ……。」
アデリナがハンバーグを慌てて飲み込みながら首を振った。
「青い髪や、銀髪のエルフもいるそうですよ。緑色の髪のエルフは帝国とか大陸の北の方に多いみたいです」
「アデリナのお母さんも帝国から逃げて来た人だったの?」
マリウスの問いにアデリナがまた首を振る。
「帝国生まれですけど、お母さんが帝国を出たのは250年位前だそうで、帝国の亜人差別が始まるよりずっと前の、帝国が出来たばかりの頃の話みたいです」
「そうなんだ。帝国で酷い目に合った訳じゃ無いのなら良かったね」
「でも、なんで故郷を出たのか幾ら聞いても教えてくれなかったんです。アレは絶対何か人に言えない事をしてきたに決まってます」
アデリナが決めつける。
まあユニークの医術師なら、王様や大貴族のお抱えになっていても不思議はないのに、ぶらぶらと風来坊のような生活をしているところを見ると、相当変わった人なのだろう。
「村は何か変った事はなかったかな?」
リナがマリウスの前に料理の皿を並べてくれながら答えた。
「一昨日オリビア先生が図書館をオープンさせました。午後からですけど、大勢の人が本を読みに集まっているみたいです」
「殆どオリビア先生目当ての騎士団の兵士か冒険者ばかりですけどね、ホントこの村の男どもときたら」
アデリナがえらくご立腹だが、一応子供たちも大勢本を読みに来ているとリナが教えてくれた。
「ああ、先生が若様に見て貰いたい本があるって言ってましたよ」
本はダックスに頼んで王都から取り寄せて貰った物だが、内容は特に指定していないと云うか、手に入る物は片っ端から購入するように言ってあった。
何か変わった本があったのだろうかと思いながら、マリウスは小麦粉を付けてたっぷりのバターと油で焼いたゴールデントラウトのムニエルにさっと檸檬を絞ると、一切れ口に入れた。
香ばしく焼けたゴールデントラウトの身が口の中で解ける。
塩と胡椒で味付けしたゴールデントラウトはとても美味しかったけど、やはり皆と一緒に河原で食べたかった。
ゴールデントラウトは未だ遡上して来ているようだが、乱獲は良くないので必要以上に獲らないようにクレメンスに言って、騎士団に見張りを立てさせている。
排水溝周辺の水路を広げて池にして、養殖を始めても良いかもと考えているが、そういう事に詳しい人材の当てがなかった。
アイツも魚の養殖の知識はない様だったが、養殖出来たらイクラが喰いたいと言っていた。
今度は付け合わせの焼き野菜を乗せてゴールデントラウトを口に入れた。
ハティも気に入った様で、もう三皿目を平らげて、リナに4皿目を催促している
解毒薬の製造が落ち着いたので、カサンドラには奇跡の水とゴールデントラウトや、川の周辺の豊作の関係について調べて貰っている。
移住者がやって来て人が増えると、村を拡大してもっと大量の水を使い、排水する事になる。
村の下流にどんな影響が出るのかやはり心配なので、カサンドラに詳しく調査してもらう事にした。
ユリアの手作りのチーズを包んで焼いたパンも絶品だった。満腹になったマリウスとハティは、次は幽霊村に行く事にした。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
エール要塞からロランドに派遣されている、グレーテとディルクの率いる兵3千はロランドの守備隊と合流して、昨日から周辺の調査を行っていた。
街を警備する部隊、未だ近くにいるかもしれない教皇国の聖騎士を警戒して街道の警戒に出る部隊、魔物や要救助者が逃げ込んでいるかもしれない鉱山の調査を行う部隊、森やその向こうのリカ湖の調査に向かう部隊など、数隊に別れて活動を開始していた。
ジオたち『オルトスの躯』の五人とアセロラも、一日休ませて貰ったが今日は森の奥を調査する部隊に動向していた。
兵士たちが“索敵”や“気配察知”を働かせながら周囲を警戒しつつゆっくりと前進していく。
ジオも“気配察知”を働かせながら前に進んでいた。
三日前に『小鬼のロンド』が襲われていた森の開けた場所に出た。
地面に黒く固まった血の跡が在り、鎧の一部や剣が散乱しているが、四人の遺体は残っていなかった。
「いやな雰囲気ですね」
聖職者のバルトが青い顔で呟く。
「何か感じるかい?」
パメラの問いにバルトが首を振った。
「濃い瘴気が残っていますが、何も居ませんね。生きている者は何も居ません。ここはまるで死の森です」
確かに森は静まり返っていて、なんの気配も感じられなかった。
ただ前に進むにつれて、空気が重くなっていくような不快感が体に纏わりつくのをジオは感じていた。
「湖が見えてきたよ」
隣を歩くアセロラがジオに言った。
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