6―42 ドラゴンは舞い降りた
「司祭様! こちらです!」
ターニャが少女の体を抱き起しながら、アナスタシアに向かって叫んだ。
アナスタシアは首筋から血を流し、既にこと切れている少女に駆け寄ると、少女の体に両手を当てて“蘇生”と“特級治癒”を発動した。
首の傷がしだいに塞がっていき、少女の瞼がぴくぴくと震え、やがて目を開いた。
「ポーションを!」
ターニャが少女の口に少しずつ、ポーションを垂らした。
少女がポーションを嚥下したのを見てアナスタシアが頷くと、路地の向こうからヴィクトルの声がした。
「司祭様! こちらもお願いします」
40歳位の男性は肩の肉を大きく食い千切られて大量に出血していた。やはりもう息はしていない。
アナスタシアは男性の胸に手を当てたが、すぐに手を離すと首を振った。
アナスタシアの“蘇生”は心臓が停止してから5分以内でなければ効果がない。
「そんな! お父さん! 目を開けて!」
10歳位の娘が父親の体にしがみ付いて鳴き声を上げた。
“魔物憑き”から娘を守ろうとして襲われたらしい。
アナスタシアは沈痛な面持ちで少女を見ると、顔を上げて街を見回した。
下町の大通りの一角に設けられた避難所に、『野獣騎士団』の兵士達が、怪我人を次々と運んでくる。
意識のあるものはポーションを飲ませ、意識の無い重病人はアナスタシアが診ていく。
アナスタシアとアレクセイの二人も明日、帝国に帰還する予定だが、街の惨禍を知り、自ら申し出て『野獣騎士団』の者達と一緒に市民の救助を手伝っていた。
アレクセイが小さな子供を背中に乗せて、両手を広げて空から舞い降りた。
炎を上げる家の二階から子供を救出したらしい。
「火傷をしているようなのでポーションをお願いします」
傍にいた兵士に子供を渡すと、再び両腕を広げた。
上着を脱いだアレクセイの両腕の脇にはマントの様な飛膜が付いていた。“風操作”で上昇気流を起こすと再び空に舞い上がる。
アレクセイは鼫獣人のユニーク風魔術師で、自由に空を飛ぶことが出来た。
再び火災現場に向かうアレクセイを見送りながら、エルフの司祭も次の患者の元へと駆けて行った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「これ程の数の者が“魔物憑き”にされてしまったのか」
ガルシアが広場を見渡しながら声を上げる。
額に怒りで青筋が浮いていた。
「マリウス。解毒薬は?」
「もうじき届きます」
マリウスがエルザに答えると、アメリーがマリウスに問う。
「我らはどうすれば良いでしょうか?」
「恐らく賊もここを目指して来るでしょう、周囲の警戒をお願いします」
アメリーが頷くと、第6騎士団の兵士を引き連れて周囲に散開して行った。
マリウス達の前に、空からハティがふわりと舞い降りる。
「マリウス! もう周りに魔物憑きはいないわ。全部ここに集まったみたい」
ハティの背に乗ったエレンがマリウスに言った。
エレンにはハティに乗って空から街を一回り見回って貰っていた。
「それじゃ始めようか」
マリウスはエレンに頷くと広場を見渡し、“ストーンウォール”を発動する。
地面から石の壁がせり上がり、周囲の壊れた家を押しのけながら、広場の周りを囲っていく。
直径100メートル位の範囲を、巾2メートル、高さ20メートルの石の壁が覆って、“魔物憑き”の群れがすっぽりと包まれて見えなくなった。
エルザもガルシア達も、驚きの表情でマリウスを見ているが、もう自重などする余裕も無かった。
本当に避けられなかったのだろうか?
結局全部後手にしかならかったと云う悔いが残る。
もうこれ以上好きにさせない。必ず全員助ける。
「ウソ、こんな事有り得ない」
「わ、若様。魔法の威力がもう人間離れしてない?」
「伝説の大賢者とかだったりして」
ジェーンたちが呆然と目の前に聳える石の壁を見上げている。
「マリウス殿。水魔術師達を連れてきました」
振り返ると緊張した面持ちのアルバンが、10人の革鎧の上にローブを羽織った魔術師たちを引き連れていた。
「ありがとうございます。皆さん“水操作”は使えますね」
「勿論です。初級スキルですから」
水魔術師達が戸惑いながら答えた。
「それじゃ僕の傍に集まって下さい。ジェーンさんも!」
水魔術師達がマリウスの周りに集まって来る、ジェーンと何故かキャロライン、マリリンも集まって来た。
マリウスが再び“ストーンウォール”を発動すると、マリウスと水魔術師達の足元がせり上がっていく。
エレンを乗せたハティもせり上がる石の柱にぴょんと飛び乗った。
広場を囲む石壁と同じ高さになった石の柱から、石壁に移ると皆が中を覗き込んだ。
“魔物憑き”達は石の壁に取り込まれた事を気にした様子も無く、相変わらず広場の中央の剣の周りに近づこうと争っている。
「どうするの、マリウス?」
ハティに跨ったままエレンがマリウスに尋ねた。
「うん。もうじき解毒薬が届くから……」
突然轟音と共に、広場の東側に炎の柱が三つ上がった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
広場にせり上がる石の壁を遠目に見ながらエミールがエマに言った。
「お前は他の者達を率いて、マジックグレネードを使って騒ぎを起こせ! 俺は隙をついてエルザかマリウスを討つ」
エマがエミールに頷くと、ポルトを連れて街に消えて行った。
エミールは周囲を見回すが、彼方此方に上がっていた火の手も鎮火され、騒ぎも沈静化に向かっている様だった。
400人分の『禁忌薬』をばら撒いたにも拘らず、想定したほどの混乱は起こらなかったようだった。
エミールは聳え立つ石の壁を見ながら、これもマリウスの力であろうと確信していた。
恐らく今日明日にもシルヴィーは次の作戦を決行するはずである。
公爵家の騎士団をこの街に釘付けにする任務は一応達成された。
ここで生き残った聖騎士達と撤退しても責を問われる事は無いであろうが、出来ればこの街を去る前に、マリウスたちに決定的なダメージを与えておきたかった。
エミールは慎重に広場の西側の、破壊された区画を進みながら広場に接近して行った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「御屋形様!」
広場の北側を守備していたクルトたちが広場の東側に展開するクラウスの部隊に合流する。
「クルトか、北側の守りは?」
「はっ! 『野獣騎士団』のミハイル殿たちが参陣されたので交代して参りました」
『野獣騎士団』は怪我人の治療をしながら、避難民を城の方に誘導していたが、避難を終えて此方に戻って来ていた。
「マリウスが始めた様だな」
クラウスが広場にせり上がる石の壁を見ながら言った。
フェリックスたちの部隊には、広場の西側を警戒させている。
このベルツブルグの街に後何人の賊がいるのか分からないが、恐らくこの光景を見ればこちらに向かってくるに違いない。
クラウスやクルトはアイテムに付与された“索敵”を発動し、ダニエルは“魔力感知”も同時に発動して周囲を警戒した。
ノルンとエリーゼも“索敵”を発動しながら周囲に目を走らせた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
エマは街に散っていた部下達と合流しながら、広場に東側から接近していた。
「エマ隊長! エミール様は?」
「エミール様は反対側からマリウスとエルザを狙う。我々は陽動だ。マジックグレネードは幾つある?」
「五つです」
エマが部下達を見回す。
22人いた潜入部隊も自分も含めて残り6人だった。
エミールが連れて来た22名も既にいない。外でマリウスたちを襲撃した20名も捕えられたらしい。
60名近くの聖騎士を失ったが、何とか公爵騎士団をこのベルツブルグに引き留める目的は果たした。
今頃シルヴィーは北のロランドで次の作戦を決行する準備を整えている筈である。
ここが撤退時だとエマは思ったが、エミールは未だ戦功を上げたい様だった。
最悪五人の部下たちを切り捨てでも自分はここを脱出する。エマはそう割り切ると、路地から通りに出た。
“魔力感知”で敵が通りで陣を張っているのは分かっていたが、相手もどうやら探知妨害のアイテムを持つ自分達の事を察知していたようで、すぐに“剣閃”や“エアーカッター”が飛んで来た。
ポルト達が“フォースシールド”を展開しながら、マジックグレネードを投げつけた。
特級火魔法と特級風魔法の炎と雷が爆音を上げる中から、虎獣人の戦士を先頭に、アースバルトの騎士団が飛び出した。
エマが揃いの革鎧を着た一団に向かって、特級水魔法“コキュートス”を放つ。
騎士達の周囲を氷が包んでいくが、次の瞬間分厚い氷が弾け飛んでエマたちに降りかかった。
マリウスが使ったのと同じ術だとエマは思った。アースバルトの騎士達はマリウスの力に守られている。
少なくとも魔法は全く通用しない。エマの目の前で、ポルトたちが次々打ち取られ取り押さえられている。
気が付くと目の前に10歳位の少女剣士が迫っていた。
エマは咄嗟に前面に“アイスシールド”を展開して少女の剣を受けるが、氷の盾は一撃で砕かれ、少女の剣がエマの右腕を切り裂いた。
エマが傷を押さえながら“アイスジャベリン”を続けて5連射した。
エリーゼが“瞬動”で氷の槍を躱しながら後退すると、目の前に黒い球が転がって来た。
“インフェルノフレイム”の炎の火柱が消えた時、エマの姿が消えていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
500メートル程離れた東で戦闘が始まった様だが、ここまで近づいてくる気配はなかった。
“索敵”でクルトがクラウスと合流しているのが分かったので、恐らく大丈夫であろう。
(若様! 来たぜ!)
ケリーの“念話”の声に、マリウスが南の空を振り返った。
「あっ! ドラゴン!」
エレンが南の空を指差して叫んだ!
水魔術師達が振り返って騒めいている。
南の空から赤い翼を広げた巨大なドラゴンが、こちらに接近して来るのが見えた。
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