2-8 ダニエルとケント
斥候のダニエルは森の中を、慎重に馬を進めた。
彼の後ろを、ニナと10騎の騎士が静かに続く。
クラウスは森に偵察隊を出すことにした。
斥候のダニエルにニナの部隊を護衛に付け、更に弓士のケントもつけて早朝村を送り出した。
犬獣人でアドバンスドクラスの斥候であるダニエルは、“索敵”と“遠視”のスキルを使える。
更に獣人特有の五感の鋭さを持ち、特に嗅覚に優れている。
ホブゴブリンが森に去って二晩が過ぎたが、奴らの現れる気配は全く無かった。
村の要塞化も目途がついた。
奴らが魔境に帰ったのであれば、自分達も最低限の守備兵を残してエールハウゼンに引き上げる事が出来る。
そんな期待も込めて、偵察隊を出すことになった。
ダニエル達は村から10キロ程東にある、標高150メートル程の小山を目標に森を進んでいる。
ニナがダニエルの傍に馬を寄せた。
「どうだ、奴らはいるか?」
小声で尋ねるニナにダニエルが首を振る。
ダニエルの“索敵”スキルは半径300メート程であるが、戦闘職や魔術師の“気配察知”や“魔力感知”よりはるかに有効範囲が広く、魔力の少ない人間や獣も察知できる。
“索敵”スキルで周囲を探査し続けているダニエルは首を捻った。
「いませんね。たまに小さな魔物の気配は在りますが、ホブゴブリンは勿論、魔物や獣の気配もありません」
森は不気味なほど静かだった。
ケントは最後尾を進みながら、辺りを警戒しつつ騎士たちの後を続いていた。
彼はゴート村の出身だった。
彼の父親は村の狩人であり、彼も幼いころから父の仕事を手伝って何度も山に入っていた。
10歳の頃には父親と一緒に、グレートグリズリーを北の山の中を何日も追って仕留めた事もある。
そんなケントにとってもこの東の森に入ったのは数回しかない。
東の森は魔境に繋がる危険な森だった。
13歳で騎士団に入って、五年振りに村に帰って来たが、やはり東の森は薄気味悪い違処だった。
獣の痕跡が全く見当たらない。
木の革を爪で削った跡、体を擦り付けたあと、糞や毛の塊等ある筈の物が何も見当たらない。
獣がいないのは強い魔物がいる証拠だ。
目の前にスライム山が見える。
それは村の子供たちが勝手につけた名前だ。
緩やかな丸い形が、暖かくなると森に湧いてくるスライムにそっくりなので、皆そう呼んでいた。
スライム山は森に迷い込んだ時の目印で、あの向こうには魔境があった。
先頭を行くダニエルが手で止まれという合図を送って来た。
指で150メートル先にゴブリン3体、と合図で示す。
ケントは停まっている騎士達の前に、音を発てないようにゆっくり馬を進めた。
ホブゴブリンが二匹のゴブリンを連れて此方に歩いてくるのが、木々の間に見えた。
ケントは弓に矢を番えて狙いをつける。
距離は問題ない。
ケントは“的中”のスキルを発動しながら続けて三射した。
矢は木を縫う様に飛ぶと、ホブゴブリンとゴブリンの頭を射抜いた。
一団はホブゴブリンの死体の処まで進む。
ニナが馬から降りて、ホブゴブリンとゴブリンの死体を覗き込む。
「多分村を襲った奴らだと思うが。群れから逸れたのかな?」
ニナの言葉にダニエルが言った。
「こいつらも斥候かもしれませんよ」
ニナも腕を組んで考える。
確かに統率のとれた軍隊の様な行動をする連中だから、斥候を出してもおかしくはない。
死体は放置して先に進むことにした。
目標の小山まではあと2キロほどだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マリウスは朝食を終え、昨日のテントに来ていた。
昨日付与の終わった木盾は既に運び去られている。
残りの木盾は79枚。
マリウスはゴブリンの魔石ではなく、ホブゴブリンの魔石の入った瓶を取り出すと、魔石を10個で取り出した。
東側の柵総てを10個で付与できたのなら、79枚の盾に付与するのにも十分に思えた。
79枚の木盾を自分の視界に納めながら、真ん中の木盾の山の上に右手を置いた。
“強化”の術式がホブゴブリンの魔石の力と共に79枚の盾に付与される。
光が消えてマリウスは付与が無事完了したことを知った。
ステータスを確認すると魔力が24減っていた。
79枚の木盾に付与するのにホブゴブリンの魔石10個で足りたという事は、ホブ ゴブリンの魔石にはゴブリンの魔石の8倍の魔力がある事になる。
ホブゴブリンは中級の魔物で、寿命も人間と変わらない。
確かにその位の差があるのかもしれない。
しかしそうなるとマリウス自身の消費する魔力が、ゴブリンの2倍と云うのは計算が合わない気がする。
何かの補正が働いているのか、単純に比例しないという事なのか?
『それが“クレストの加護”だろう』
あいつがいきなり結論を出す。
それは御都合主義が過ぎるのでは、と思うが所詮それはマリウスの中の葛藤でしかない。
きっとクルトなら。
「マリウス様ならば、当然である!」
とか言ってくれるだろう。
マリウスは深く考えるのはやめて、テントの外に出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
山の麓に馬を繋ぎ、歩いて上る事になった。
スライム山は遠くから見た姿と違って、実際にはかなり険しい山だった。
馬の見張りに7人が残り、ダニエル、ニナ、ケントと騎士3人が、疎らに生えた木に捕まりながら、きつい傾斜を登っていく。
ダニエルと、山に慣れて居るケントが先頭を進む。
中腹位まで登ったところで、ケントは振り返って、ニナたちを見た。
迅速に行動する為、騎士達はプレートメイルではなく、革鎧を装備していたが、それでも道なき山を登るのはキツそうだった。
麓に残った騎士達の姿は見えない。
恐らく馬を連れて森の中に隠れているのだろう。
前を登るダニエルは息一つ乱していない。
さすが獣人の身体能力は侮れない。
ダニエルがケントに言った。
「大丈夫だ、頂上には誰もいない」
ダニエルが足を速め、ケントもそれに続く。
木が途切れて山肌が剝いている。
ごつごつした岩肌を登ると、やがて山頂が見えてきた。
振り返るとニナたちが何とか付いて来ている。
この高さだと、森の向こうにゴート村の姿が見えた。
山頂の平場に着いたダニエルとケントは、低く伏せて、這う様に反対側の斜面に向かって進むと、手をついて頭を低くしたまま下を覗き込んだ。
反対側の斜面は、切り立った崖になっていた。
そして崖の真下、山の麓には村があった。
崖で背後を守るように、おそらくゴート村よりも大きな村が広がっていた。
丸太で組んだ小屋らしきものが幾つも見える。
屋根には藁の束が被せられ、ゴブリンやホブゴブリンが出入りしているのがはっきり見えた。
崖には階段らしきものが見える。
所々梯子が掛けられ山の南側の中腹迄続いている。
あちらの斜面にホブゴブリン達が使う道があるのかもしれない。
やっと上って来たニナ達も、体を低くしてケント達の横に並んで下を覗く。
「ホブゴブリン共が村を作っているのか?」
ニナが驚いた様に言った。
村の周りには土塁や木の柵も見える。
そして村の向こうの森はそのまま魔境に続いていた。
大スタンレーから流れるセレーン川が人の世界と魔境を隔てる様に流れている。
冬の赤茶色と灰色の森が、川の向こう岸から暗い緑色に変わっているのが此処から見てとれた。
広大な平地の森林の向こうには、深い霧がかかっている。
北側には山頂を雪で白く染めた大スタンレー山脈の姿が広がっていた。
川のこちら側、人の世界の側に、ホブゴブリンは村を作っていた。
「いる。ゴブリンロードだ」
ダニエルが声を殺しながら指をさす。
ケントもそちらを覗き込んだ。
村の中央の、広場の様な場所で、ホブゴブリンに囲まれた、一際大きな体の、黒いプレートメイルを着た姿がはっきり見えた。
「間違いないな」
ニナが呟いた。
ダニエルがニナの方を向く。
ニナが頷いて言った。
「奴らの拠点は確認できた。戻って御屋形様に報告する、引き上げるぞ」
そう言って、後ろに下がろうとするニナの足元の岩が崩れて、崖をころころと転がって行った。
崖下にいたホブゴブリンが振り返って上を見上げた。
ニナ達の姿を見つけて、指差しながら何か喚いている。
「いかん! 撤収だ急げ!」
ニナの言葉に全員が踵を返して、上って来た斜面の方に向かって走った。
ダニエルは振り返る前に、“遠視”のスキルで自分たちを睨むゴブリンロードの真っ赤な瞳を、はっきりと見ることが出来た。
ゴブリンロードが何か叫ぶと、ホブゴブリンが一斉に崖の階段に駆けていくのが見えた。
ダニエルは、反対側の斜面に向かって走ると、跳ぶ様に斜面を駆け降りた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マリウスはテントを出ると東側の門に向かって歩いて行った。
東側は柵や陣地の補修工事が終っているので見張りの兵士が10人程しかいなかった。
門は開け放たれていて、完成した堀の向こうに馬に乗った騎士が10騎隊列を組んで巡回していた。
堀に一か所土の橋が掛かっている。
土魔術師が“クリエイトブリッジ”で作ったものだろう。
マリウスは堀に沿って北に向かって歩いて行った。
北にも森が広がっていて、その向こうは山並みが見える。
山の向こうはクランベール公爵領だ。
山の中ほどにレンガ造りの小屋が見える。
大きな煙突が突き出ている。
多分炭焼き小屋であろう。
村長の家には暖房の魔道具が置いてあったが他の家では、薪や炭が使われている様だ。
今は人が避難しているのか、煙は上がっていなかった。
北側の堀も完成している様だ。
堀の向こうには畑が見える。
キャベツの緑色が灰色の景色の中に浮いていて、アクセントになっている。
北側の柵の補修をしている兵士達が挨拶してくれる。
「マリウス様。奥方様は西の門の辺りにおられますよ」
「ありがとう!」
マリウスは兵士たちに手を振って西に向かって歩いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます