6―46 スタンピード
地面には数匹分の鋭い爪の有る足跡と、足跡の間に一本の太い筋が続いている。
リザードマンの足跡と尻尾の跡で間違いない様だった。
リザードマンは水生の魔物だが、多少知能があり、石槍を使って森で狩りをしたりする。
上級魔物で、立ち上がると2メートルを超える巨体に、鋭い爪と牙、強力な尻尾を持ち、剣や矢を弾く硬い鱗で覆われている。
一匹位なら『オルトスの躯』の五人の敵ではないが、4、5匹の群れに遭遇すればさすがに命懸けの戦いになる。
「いや、昨日はこんな感じじゃなかったはずだが。俺たちの向こうには『小鬼のロンド』もいるはずだ」
ジオが獣道の先に“気配察知”を走らせながら言った。
『小鬼のロンド』は同じ『ランツクネヒト』に所属する、Bランクパーティーである。
「魔物の瘴気が濃いですね。正直これ以上先には行かない方が良いと思います」
ヒーラーのバルトが眉を顰めてジオに行った。
バルトはアドバンスドの聖職者で、訳アリで教会から追い出された元二等神官だった。
戦闘力は低いが魔物を察知する勘は確かで、探知スキルを持った者が少ない『オルトスの躯』では回復魔法スキルと合わせて重宝されていた。
ジオは立ち止まって振り返ると、どうすると問うように、仲間達を見回した。
「うーん、このままUターンしたいけど、クランのメンバーの面倒をアイリスから任されているんでしょ。見捨てるのは拙いんじゃない」
火魔術師のパメラが眉を顰めてジオに言った。
『オルトスの躯』はジオとパメラがレアで、残りのメンバーはアドバンスドである。
リーダーのジオとパメラが相談して行動を決めるのが、このパーティーの慣習だった。
ベティーナとバルト、格闘家のフリッツがジオを見つめる。
ジオが迷いながら、やはり引き返そうかと言いかけた時、突然獣道の先、森の奥から女の絶叫が聞こえて来た。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
マリウスがハティの背中乗って空に駆けあがると、南門の向こうに黒煙が上がっているのが見えた。
一緒に行くと言ったエレンはエルザに窘められて、マヌエラに捕まってしまったのでマリウス一人である。
バルバロスの上にはステファンとエルザ、キャロラインとマリリンが乗っていた。
キャロラインとマリリンは背中にポーションの入った袋を担いでいる。
クルトとの“念話”で、南門の前に多数の怪我人が出ているのが分かった。
マヌエラが行こうとしたがエルザが、自分が行くと言って二人と共にバルバロスに乗り込んだのだった。
キャロラインとマリリンが張り切っている。
「今日ジェーンしか活躍してないからね」
「ここは私達の出番でしょう」
ステファンも少し面喰っていたが、急を要するようなので三人を乗せて飛び立った。
クラウスは“念話”でフェリックスに広場に戻る様に指示すると、アメリーと共に兵を率いてマリウスたちを追った。
ケリーも馬を借りて付いて来るようだった。
ハティが南門に近付くと、直ぐにクルトとガルシア、エリーゼたちが見えて来た。
“魔物憑き”と対峙しているが苦戦している様だった。
ハイオーガに似た姿の“魔物憑き”はどうやら女のようだった。禍々しい風貌の中に、ライアン・オーリックと一緒にいた水魔術師の面影があった。
恐らくこの女が水魔術師のデニス一家を殺し、『禁忌薬』をばら撒いた張本人であろう。
マリウスの心臓の鼓動が早くなる。
女の周囲は真っ白な氷が広がっていた。
ゆっくりと街に向かっているのは、広場の“魔物寄せ”に魅かれているのであろう。
マリウスは“魔物寄せ”の効果を消し忘れて来た事を後悔した。このまま街に入られると、また被害が出る。
門の向こう側に煙が上がっているのが見えるが、そちらはエルザたちに任せる事にした。
ステファンがマリウスに手を振ると、南門の向こうにバルバロスを進めた。
マリウスは“魔物憑き”になったエマの前でハティを止めると、ゆっくりと下降していった。
倒すのは難しくないだろう。“浄化”の魔法を使うか、“支援魔法”スキルで付与してしまえばよい。
だがそれだと女は確実に死ぬだろう。
死んでしまえばいい。
自分の心の中にそんな気持ちがあるのに気付いていたマリウスは、だからこそこの女は殺さずに、生かして罪を償わせるべきだと自分に言い聞かせた。
怒りで相手を殺しても何も解決はしないし、こんな奴らを楽に死なせてやるべきではない。
エマがマリウスに気付き、“アイスジャベリン”を連射するが、ハティが“結界”で弾きながらエマに向かって降下していった。
ハティの上でマリウスは、“浄化”、“治癒”、“再生”の三つの術式を“術式結合”スキルで一つにした。
未だ魔力は1万以上残っている。
マリウスは“支援魔法”スキルで、一つにした“浄化、治癒、再生”を同時にエマに付与した。
エマの動きが止まり、額の角と背中の腕がポロリと地面に落ちた。
次第に体が縮んでいき、何が起きたのか分からず呆然と立ち尽す、元の人の姿に戻ったエマの首と左胸に、クルトの大剣とガルシアの槍の切っ先が当てられた。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
二匹のリザードマンはどちらも立ち上がった全長は3メートル近くもあった。
今まで見た事も無いほど巨大なリザードマンには、ハイオーガのような2本の角があった。
悲鳴を聞いたジオは迷わず森の奥に向かって駆け出した。
悲鳴が『小鬼のロンド』のリーダー、マリーダだとすぐに分かったからだ。
パメラたちも慌ててジオの後に続く。
獣道を駆け抜けて森が開けた場所に出たジオは、周囲の惨状を見て遅かったと知る。
『小鬼のロンド』は男二人と女三人のパーティーだが、既に三人は血塗れで倒れていた。
恐らく剣士のエーリヒだったらしい遺体に巨大なリザードマンが噛り付いているが、エーリヒの頭はもうなかった。
マリーダがもう一匹のリザードマンに肩を咥えられて宙に浮いている。
マリーダの躰がビクビクと痙攣し、首がおかしな方向に捻じれて、開いた口からはもう声も出ていなかった。
ジオは剣を抜きながら周囲を見回すと、剣士のサラだけが腰を抜かしてリザードマンの向こうで、地面に座り込んだまま震えていた。
血塗れで倒れている二人ももうピクリとも動いていなかった。
ジオはエーリヒの体に噛りついているリザードマンに向かって一気に“瞬動”で迫ると、背中を“羅刹斬”で斬り捨てながら駆け抜けて、腰を抜かしているサラの側に駆け寄った。
斬られたリザードマンの背中から血が噴き出したが、すぐに止まると傷口が塞がっていった。
「気を付けろ! 此奴ら只のリザードマンじゃねえぞ!」
ジオが森から飛び出してきたパメラ達に叫びながらサラの腕を掴んで立たせた。
「そんなの、見れば分かるよ!」
パメラが怒鳴りながらエーリッヒの体を放り出して此方を睨むリザードマンに向かって“ファイアーストーム”を放つ。
リザードマンが炎の渦に包まれて絶叫を上げながらのたうち回る。
水属性のリザードマンには火魔術が有効の筈だったが、リザードマンを包む炎が消えた瞬間、パメラが驚愕する。
焼けただれたリザードマンの鱗がパラパラと地面に落ちると、もう次の鱗が生え始めているのが分かった。
ジオが震えて動けないサラを抱えて後ろに跳び下がった後の空間を、振り回されたリザードマンの長大な尻尾が凄まじい勢いで通り過ぎていった。
尻尾を空振りしたリザードマンの背中に、フリッツの放った“気功砲”が直撃し、リザードマンが蹈鞴を踏んで前のめりに斃れた。
ジオがサラを抱えてリザードマンの横をすり抜けて、パメラたちの所に戻る。
入れ替わりに倒れている二人に駆け寄ったバルトがジオたちを振り返って叫んだ。
「ダメだ! 二人とももう息がない!」
ベティーナが次々とマリーダを咥えたリザードマンに“貫通”を乗せた矢を放っているが、頭に数本の矢を突き立てたリザードマンは全く気にした様子も無く、マリーダの体を喰らい続けていた。
ジオたちの所に駆け戻ったバルトが森の奥を指差しながら叫んだ。
「ジオ! あれを見ろ!」
奥の森の木がざわざわと揺れている。
ジオが目を凝らすと、木々の間から次々と数十体の巨大なリザードマンが姿を現した。
ジオはもう一度リザードマンに咥えられたマリーダを見てから視線を逸らすと、震えて動けないサラを肩に担いで叫んだ。
「逃げるぞ! 振り返らずに走れ!」
全員が踵を返すと、ロランドに向けて走り出した。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
森の中から次々と必死に駆ける冒険者たちが飛び出して来る。
監視所の兵士たちも異変を察知して森を見つめていた。
森中の木々がざわざわと不自然に揺れている。
やがて冒険者たちの後を追う様に、リザードマンらしき魔物が這い出してきた。
彼方此方の森の中から這い出して来るリザードマンの数は、十や二十ではなかった。
恐らく千を超えるリザードマンが森を抜け出して、此方に向かって押し寄せて来る地響きが伝わって来る。
周囲の監視所も異変に気付いた様で、次々に警鐘を鳴らし始めた。
監視所の隊長が蒼白な顔で、兵士達に向かって怒鳴った。
「すぐにロランドの本部に伝令を伝えよ。スタンピードだ! 他の者は全員採掘場の鉱員を避難させろ!」
「この監視所を守らなくて良いのですか?」
「馬鹿者! こんな監視所5分も持たんわ! 死にたくなければ全員速やかに退避せよ!」
採掘場には2万人の鉱山労働者が働いている。このままだと30分も掛からずにリザードマンの大群が此処に押し寄せるだろう。
兵士達が一斉に監視所から飛び出すと、採掘場に向けて駆けて行った。
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