7―35 エルザ王都入り
「若様。御久し振りで御座います」
アンナがマリウスに嫣然と微笑みながら、優雅に礼を取る。
今日は随分派手で豪華なドレス姿で、大きく開いた胸元には、大きな宝石の付いたネックレスが掛けられていた。
「アンナ。久しぶりだね。暫く留守をしていたみたいだけど?」
「はい、エールハウゼンの商業ギルドの方に呼ばれていました」
クライン男爵がもうじき到着するという先ぶれがあったので、マリウスはダックスとアンナ、イエルやクルト達と屋敷の表に出迎えに出ていた。
ダックスがアンナの胸元にちらりと視線を走らせながら言った。
「姉さん、えらい気合入ってますなあ。今日は挨拶だけで、商いの話は明日からでっせ」
真新しいスーツに真っ赤なスカーフを首に巻いたダックスがアンナを揶揄うと、アンナがダックスを冷ややかに見つめて言った。
「そんな事は分かってるさ。あんたこそ似合わないスカーフなんか巻いて何の冗談だい。男爵様を笑わせようって魂胆かい?」
嘲るように笑うアンナにダックスが何か言おうとしたが、イエルが二人を制するように声を上げる。
「しっ! お静かに、いらっしゃいましたよ」
先頭をフェリックスが20騎の兵を連れて進んで来る後ろに、馬車が3台続いている。
馬車の後ろに、3騎のアースバルト家の騎士団と同じ革鎧を着た、見かけない男女が騎馬で付き従っていた。
馬車が停まると先頭の馬車からクライン男爵が二人の女性、クリスタとヘルミナを伴って降りて来た。
後ろの馬車からはクラウスとホルスが、三人の人族の男女を連れて出て来る。
前の二人、多分どちらも30代位の金髪の背の高い男性と、黒髪の小柄な女性の姿を見てダックスとアンナの眉が吊り上がる。
「クライン男爵、遠路をお越しくださり感謝いたします」
マリウスが神妙に挨拶をするとクライン男爵が笑顔で答えた。
「いえ、あれから一月も経っていないのにまた押しかけて申し訳ありません。王都でもあれこれと緊急の事態が発生しており、またマリウス殿と御相談したい事が出来まして、まかり越した次第でございます」
クライン男爵がそう言うと、後ろの女性の一人、金髪をショートカットにした20代後半位の小柄な女性が前に出る。
「マリウス殿、彼女は新しく医術師ギルドのグラマス代行になられた、クリスタ殿です」
「クリスタ・レインです、どうぞお見知りおき下さい、マリウス様」
少し緊張した様子で自分に礼を取るクリスタを見ながら、マリウスが真面目な顔で答えた。
「マリウス・アースバルトです。よろしくお願いします。王都で医術師ギルドが襲われた件は聞いています。よく御無事で」
「はい、私はラウラさんたちと公爵騎士団の方たちに守って頂けたのですが、仲間の医術師やグラマスのブルクハルト先生が……」
泣きそうになるクリスタをクライン男爵が止めて言った。
「クリスタさん、その話はまた後程。後ろの四人は護衛をして頂いている王都のAランク冒険者『ローメンの銀狐』の方々です。
ヘルミナの横に馬から降りたラウラ、ケヴィン、ダミアンが整列し、膝を着いてマリウスに礼を取る。
四人とクリスタ、クライン男爵も紋章の付いてないアースバルト騎士団の革鎧を装備していた。
12領だけ送った付与装備を持たせているのなら、男爵は四人の冒険者の事を、余程信用しているのだろうとマリウスは思った。
クラウスとホルスが、三人の男女を連れてマリウスの傍らに来た。
「若様。こちらの御二人はダブレットのアンテス商会の会頭と、デュフェンデルのブラームス商会の会頭です。御二人とも若様のカンパニーの御話をぜひ御聞きしたいと申されるので、一緒にお連れしました」
「初めまして、マリウス様。ハーゲン・ブラームスで御座います」
「コルネリア・アンテスで御座います、どうぞお見知りおき下さいませ。マリウス様」
アンナとダックスは顔見知りのようで、二人が呼ばれたことに少なからず動揺している様だった。
最後の一人は公爵家の人間だった。
無精ひげを生やした表情の良く動く快活な雰囲気の、30歳位の男の顔にマリウスは見覚えがあった。
「覚えておられますかマリウス殿、公爵家家臣ルッツ・アドラーです」
「ベルツブルグでお会いしましたね。ようこそルッツさん。カンパニーのプレゼンテーションは明日の午後からを予定していますので、それまで皆さんごゆるりと村を見物して行って下さい」
確かルッツは公爵家の財務担当の官吏だった筈である。
エルザにカンパニーの話をした時、公爵家からも話を聴きに人を寄越すと言っていたのが彼なのだろう。
マリウスは再びクライン男爵に向き直って言った。
「それではテオを呼んでいますから館の中にどうぞ」
取り敢えず色々な話し合いの前に、魔道具師ギルドの移転に関する手続きをする為、マリウスはクライン男爵一行を連れて館の中に入って行った。
魔道具師ギルドの移転の手続きは殆ど薬師ギルドと同じだった。
マリウスがグラマスの指名権を持ち、ギルドの特権をほぼ引き継ぐ。
グラマスのテオが各支部のギルマスの指名権を持ち、魔道具の価格や魔道具師の報酬などの決定権もテオが持つ。
未だ魔道具師ギルドも薬師ギルドもゴート村に移転してきた者は全体の一割以下で、薬師の場合はロンメルの厳しい審査に合格できないと移住できないのに対し、魔道具師の場合は基本的に個人営業の者が多く、店を閉めて辺境の村に行く事をためらって様子見している様だった。
テオはギルドの移転許可と、グランドマスターの再任を承認する国王の許可書を受け取ると、すぐに王都の魔道具師ギルドのグラマスを指名した。
テオの40年来の友人で、王都の魔道具師たちの面倒を任せて来た人物だそうだった。
「フーベルト・バッハは信用できる人物です。取り敢えず彼に任せながら、残った者達がこの村に移住してくるように説得して貰う心算です」
「まあ、ムリにこちらに来なくても、向こうで生活が成り立つならそれで構わないけど」
そう云うマリウスにテオが首を振った。
「無理ですね、ここにきて良く解りました。とても今の個人営業形態の魔道具師ギルドのやり方では、様々な職人達を使って魔道具を大量生産するマリウス様には太刀打ちできません。余程に高クラスの魔道具師以外は総て淘汰されてしまうでしょう」
うーん、ちょっと人聞きが悪いがそれが事実なのだろう。
便利な物を安価で多くの人に届けて、村の皆に仕事を与える。
間違った事をしているとは思わないが、結果としてそれで被害を被る人たちもいる。
『大資本が個人店を踏み潰した。まあ自由競争の経済が発展していったら、ありふれた光景になるさ。努力して差別化を図るか大資本に呑まれるかどちらかの選択しかないな』
そう云う個人の職人を守るために、本来ギルドが存在しているのだが、王国がそのギルドをマリウスに任せる選択をした。
その方が王国を富ませると宰相ロンメルが判断したのであろうし、同時にマリウスにギルドを管理させることで魔道具師の救済をしろと云う事なのだろう。
もう後戻りはできない事はマリウスにも理解出来た。
せめて自分の処に来る者には手厚く報いたい。
その位しかマリウスに出来る事は無さそうだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
未だ襲撃の跡が生々しい公爵邸にエルザとレナータ、マヌエラを載せた馬車が入って行く。
捕虜の聖騎士達は、『野獣騎士団』の兵士たちが第6騎士団の屯所の牢に連れて行った。
馬車が停まると、親衛隊の兵士たちが手枷を嵌められたレナータを屋敷の中に連行していく。
エルザはマヌエラにアメリーとアルバンを連れて屋敷に入ると、皆を待たせている広間に向かった。
広間のドアの前でアルベルトとアレクシス、カイが膝を着いてエルザに礼を取る。
「奥方様。この度の失態まことに申し訳ございません。全て私の責任で御座います」
「良い。起きた事は仕方ない。それで、バルバラもさらわれたのか?」
「はっ! 申し訳ありません奥方様!」
アレクシスとカイが頭を下げる。
「申し訳御座いません奥方様。グランベール家から2組、アーティファクトをハインツに奪われてしまいました」
深々と頭を下げるアルベルトに、エルザは溜息を付くと言った。
「皆揃っているのか?」
「はっ! 中でお待ちです」
エルザは頷くと広間の中に入って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それでは今マリウスのところにいる『ローメンの銀狐』以外は10階層から下の情報を持っていないのだな?」
エルザの問いにアルベルトが頷いた。
「ふ、急いで王都に上って向こうが準備を整える前に奇襲してやろうと思っていたが、ハインツは既に準備万端でこちらを待ち受けている訳か」
口元を歪めるエルザにルチアナが言った。
「『ローメンの銀狐』はハインツが指定してきた日の前日に王都に戻る予定だから、やはりその日に出向くか前夜に夜襲を掛けるかどちらかしかないわね」
「恐らくハインツはその程度は読んでいるだろう。夜襲は意味がないな。せめてエルンストがどこにいるか分かれば少しは策も立てられるのだが」
恐らくはダンジョンの中に捕えられているのだろうが、ダンジョンは広い。
セーフティーゾーンのある10階層が一番確率が高いが、或いはその下層の危険なエリアに幽閉されているかもしれない。
「あんたまさか自分でダンジョンに入ろうと思っているんじゃないだろうね。絶対だめだよ、中には私とアイリスで行くから!」
「アイリスも呼んだのか?」
エルザの問いにルチアナが頷く。
「あいつも初期調査に参加して、10階層のワープスフィアに登録されているそうだ。突入組の指揮はアイリスに執って貰う心算だよ」
「ふっ。ダンジョンの中ならアイリスの独壇場だからな。久しぶりに『戦慄の戦乙女』の再結成だな」
そう言って笑うエルザに、アルベルトとモーゼル将軍が黙って目を伏せた。
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