7―50  闇の奥の瞳


 エルンストは階段の最上段から、暗い階段の下を覗き込んだ。


 ここはダンジョンの19階層で、階段の下、20階層が最深部らしい。

 反対側の通路は土魔法で作られた壁で遮られていて、小さなドアがあるが鍵がかけられていた。


 彼を此処に連れて来た長髪の黒髪の男はエルンストに言った。


「悪い事は言わないから階段の下には行かない方が良いな。この下にはとんでもない化け物が棲んでいる。この階段にハイエルフの結界が張られているので上には上がって来られないが、下に降りれば命はない」


 エルンストは拘束もされず、いわばこの部屋に置き捨てにされていた。


 食事は一日二回、ドアの下の小さな窓から差し入れられる。

 毛布が一枚と飲み水の入った甕と、用を足す甕が置かれているだけの四方を石で囲まれた、片側だけが階段の吹き抜けになった部屋にずっと一人で閉じ込められていた。


 壁に小さな照明の魔道具が一つ置かれているだけで、今が夜なのか昼なのか、ここに閉じ込められてどれくらい経ったのか、エルンストにはもう分からなかった。


 ドアを土魔法で破壊しようと試みたが、防御の付与が施されているのか、彼の魔法では歯が立たない様だった。


 エルヴィン・グランベールとエルザの息子である彼のギフトはレアの官吏だった。


 エルヴィンとエルザは、彼の福音の儀の時彼のギフトを喜んでくれたが、エルンストはエルヴィンが家臣たちに戦闘職の息子が欲しかったと溢したのを聞いてしまっていた。


 グランベール公爵家は建国の王を支えた大将軍アルフォンス・グランベール以来、代々エールの国境を守る武門の家であった。


 いかに高レベルでも文官のギフトなど公爵家の嫡男にふさわしくない。


 あれから3年、剣と魔法の修行にのめり込んだエルンストにエルザは何も言わなかった。


 エルザは毎日のように三人の侍女たちに稽古を付けていたが、エルンストの修行の相手をしてくれた事は一度も無かった。


 そんなエルザが数か月前から寄子の子爵家の嫡男、マリウスの話ばかりする様になり、挙句に未だ7歳の妹エレンの許嫁に決めてしまった。


 マリウスはレアの付与魔術師だとアルベルトから聞かされた。

 支援職の付与魔術師を何故エルザがそれ程気に入ったのか良く解らないが、アルベルトもガルシア・エンゲルハイト将軍も口癖のようにマリウスは特別だと言って言葉を濁していた。


 王都の公爵邸に移ったエルンストに護衛のイルメラが教えてくれた。


 騎士団の兵士にマリウスの付与したアーティファクトが装備され始めたらしい。エールの守備隊と親衛隊に優先して支給されたそうだが、イルメラは王都勤務なので貰えなかったとひどくしょ気ていた。


 一人王都で留守番するエルンストの元に、ベルツブルグのエレンがユニークの精霊魔術師のギフトを得たと報せが届いた。


 ベルツブルグやエールの戦いの事は、エルンストには告げられていなかったが、エルンストはアルベルトとイルメラ、ハインリヒたちが話しているのを聞いてしまった。


 ベルツブルグではマリウスとアースバルトの騎士団にマリウスの要請を受けた辺境伯まで援軍に来て、聖騎士を捕え無事にテロが終息した事、エールではエルザとマリウスが帝国軍を追い返し、バシリエフ要塞を陥落させたことなどをアルベルト達が歓喜の声で話していた。


 色々な事が全てエルンストには面白くなかった。


 何故自分を全く見ないエルザが、マリウスは気に掛けるのか。

 何故自分ではなくマリウスが特別なのか。


 そんな気持ちからあの時アルベルトの忠告に従わず、退去する事もマリウスのアーティファクトを装備する事を拒否してしまった。


 アルベルトもイルメラも死んでしまったかもしれない。

 エルンストは不意に零れた涙を袖で拭うと、再び階段の下を覗き込んだ。


 深い闇の奥で、二つの赤い光が見えた気がしてエルンストが慌てて後退りする。

 エルンストが震える声で呟いた。


「母上……」


 肩を震わせて、しゃくりあげるエルンストの背中を、闇の奥底から真っ赤な瞳が見つめていた。


  ★ ★ ★ ★ ★ ★

 

「カサンドラ殿、フレイムタイガーは製薬工房の方に運べば宜しいですか?」


 カサンドラが馬車から降りると、オルテガが傍に寄って来て、大型の荷車に積まれたフレイムタイガーの遺体を指差す。


「スゲー、4メートル、いや5メートルはあるぜ」


「私フレイムタイガーを始めて見たわ」


 カサンドラの後から荷馬車を降りたケヴィンとパメラがフレイムタイガーを見上げながら感嘆の声を上げた。


 ダミアンや、後続の馬車から降りて来たクライン男爵とクリスタ、ヘルミナも驚きを隠せない様子で巨大なレア魔物を見つめていた。


「そちらにお願いしますオルテガ隊長。この大きさなら『解毒薬』が80本は作れます」


 カサンドラが嬉しそうにオルテガに答えた。


「オルテガ隊絶好調だな! 三日前にアースドラゴンを狩ったばかりなのに、今週レア二匹目か!」


「ホントね。隊長、滅茶苦茶張り切ってるわね」


 護衛のアデルとエレノアが馬上で声を上げると、オルテガがにやりと笑った。


 クライン男爵とクリスタたちはカサンドラの研究所があるレーア村を訪れていた。


 カサンドラの研究所はかなり古いレンガ造りの建物を修復したものと、隣に増設された新しいレンガ造りの広い建物で、新しい建物が製薬工房になっていた。


 更にすぐ傍に建築中の更に大きな建物がもう殆ど完成している様だった。

 新しい製薬工場で来月には稼働できるらしい。


「来月も王都から80名の薬師が移住する事が決定しているので、その為の製薬工場です」


 カサンドラの説明を聴きながらクリスタたちは周囲を見回した。


 二重に堀で囲まれた1キロ四方ほどの村は、彼方此方で工事が行われていて、人夫や兵士が絶えず往来している。


 内堀の外側には真新しい2階建ての建物が数軒並んでいるが、更に工事は続けられている様だった。


 周囲を森で囲まれたこの村は、魔境まで十数キロしかないそうだ。


「こんな辺境の果ての地にこんな大きな村が造られているのね」


 ラウラが周囲を見渡しながら呟くと、カサンドラが笑顔で言った。


「まだ、こんなものではありませんよ。何れここは製薬と騎士団、薬草農家などの拠点として5千人規模の村に広げるそうです」


「5千人ですか! それはもう村とは言えませんね。ゴート村もどんどん広げているようですし、今最も王国で勢いのある領主はやはりアースバルト家のようですね」


 クライン男爵も改めて驚いている。


「それも総てマリウス様の御力です。さあ、中にどうぞ」


 カサンドラが誇らしげに言うとクリスタたちを促して研究所の中に入って行った。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「宰相様、東部のポーションの取引から商業ギルドを締め出すと云うのはどういう事でしょう? 何か私共に不手際がありましたか?」


 フレデリケが柳眉を逆立ててロンメルを見る。


「別に締め出したつもりではありませんよ。王都周辺から北部、西部の取引は商業ギルドにお任せします。ただ出来るだけ安価にポーションを国民に提供する事を最優先に考えているだけです」


 ロンメルが口元に笑みを浮べてフレデリケに答えた。

 ロンメルの執務室である。商業ギルド幹部フレデリケ・クルーゲは、ポーションの販売の件でロンメルから呼び出されて王城を訪れていた。


「商業ギルドの販売価格ではお気に召しませんか、これでも従来の販売価格の三分の一から半分以下の価格で小売店に納めさせて頂いていますが……」


「アースバルト子爵殿よりご提案頂いたカンパニーでは小売店の最終的な販売価格は全地域一律2万ゼニー、従来の販売価格の四分の一だそうです。更に送られてきた資料によるとこれは当面の価格設定で、流通網が広がり更に効率化を図る事で来年早々には1万8千まで引き下げる予定だそうです」


「そんな価格で商売が成り立つ訳は有りませんわ。そんな条件で引き受ける小売店も輸送業者も何処にもおりません」


「それも総て自分たちで作る心算のようですよ」


 珍しく声を荒げるフレデリケにロンメルが努めて冷静な声で答えた。


「ば、馬鹿な。そのような事が出来る訳ありません。生産から流通、小売りまで総て一手で賄うと云うのですか。それはギルドの権利侵害、商業ギルドに対する敵対行為ではありませんか?」


「別に王国は商業ギルドを通さずに商会が生産者と直接取引する事も、流通業者や小売店がギルドに所属せずに商売をすることも禁じてはいません。ただそれを一手でやろうとする者が今までいなかっただけにすぎません」


 ロンメルがすました顔で答える。


「しかしそれでは既存の小売店や流通業者はどうなります。彼らの生活を守るのも商業ギルドの役目ですわ」


「アースバルト子爵は各地の商会や小売店、流通業者にカンパニーへの参加を呼び掛けるお心算のようですよ」


「それこそ商業ギルドに対する敵対行為ではありませんか? 商業ギルドはその様な商会を認める事は出来ません」


 目を吊り上げるフレデリケにロンメルがやれやれと云う様に肩を竦めて言った。


「困りましたね。カンパニーの設立に関しては既に国王陛下にお許しを頂き、王家とグランベール公爵家、アースバルト子爵家と恐らく辺境伯家も共同出資に賛同する予定です。アースバルト家が賛同するという事は薬師ギルドと魔道具師ギルドの二つの生産者ギルドも賛同しているという事ですが、何故商業ギルドがそこまで反対するのですか?」


「それは明らかにその商会が商業ギルドの利権を奪おうとしているからです。そのような商会が認められてしまっては最早商業ギルドの存在価値がありません。我々は断固王国に抗議致しますわ」


「別にアースバルト子爵は商業ギルドの利権を奪おうとしている訳ではありません。それどころか商業ギルドに対してある提案を提示してきています」


 ロンメルが楽しそうにフレデリケを見る。


「提案ですか? 一体どの様な提案なのですか?」


 フレデリケが若干不快そうな顔でロンメルを睨む。


「アースバルト家から商業ギルドに提案です。カンパニーの設立に関して商業ギルドにも出資者として参加して頂きたいそうです」


 澄ました顔でさらりと言うロンメルに、フレデリケは思わずは絶句した。



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