6―32  フレデリケの瞳


 ブレドウ伯爵やシュタイン侯爵、バンベルク将軍を見ると皆蒼白な顔で頷いた。


「成程良く解りました。全て買い取りましょう」


「ありがとうございます」


 にっこり微笑むフレデリケに、ラウム枢機卿が訪ねる。

「商業ギルドでは新しいポーションを扱う予定はあるのですか?」


「ええ、来月から卸して頂けることになりました。卸価格は一本1万2千ゼニーになるそうです。宰相様と交渉すれば同じ価格で教会にも卸して頂けると思いますよ」


「1万2千ゼニーですか」

 ラウム枢機卿が眉を顰めて呟く。


 それはクレスト教会が、旧薬師ギルドから安価に卸して貰っていたポーションの値段よりも更に安い金額だった。


「新薬については何か聞いていますか?」


 食い気味に尋ねるラウム枢機卿にフレデリケが怪しく目を光らせながら言った。


「新薬に関しては当分販売されないそうです。王家が保管し、一部が医術師ギルドに卸されるそうです」


「医術師ギルド? 何故あのような者達に?」


「宰相様は医術師ギルドを後押しして、クレスト教会の対抗勢力に育てようとしているようですね」


 フレデリケの話に枢機卿が眉を吊り上げる。


「成程、今度は医術師ギルドですか。宰相殿は徹底的に我らの力を奪う御心算のようですね。それでエルマの教会の事は何か聞いていませんか?」


「今のところは、未だ取引は無いようですね」


「今のところとは?」


「御存じで御座いましょう。辺境伯家とグランベール公爵家の同盟の御話を。どうやら同盟締結の条件の中に真・クレスト教会への新薬の販売と、公爵領での真・クレスト教会の布教の拡大も含まれているようですね」


 皆がしだいにフレデリケの話に引き込まれていく。


「やはりその話は本当だったのですか?」


「ええ、既に御当主ステファン・シュナイダー様と辺境の魔女殿がその方向で家中の意見をまとめ始めている様です」


「くっ! この上辺境伯家がロンメル陣営に付いては最早我等だけでは対抗できなくなりますぞ」


 シュタイン侯爵が声を上げ、ブレドウ伯爵も頷いた。


「ただ、重臣のメッケル将軍をはじめ、一部の家臣が反対されているとか。其の為辺境伯様は、新薬だけでなくマリウス・アースバルト様が御創りになられた『奇跡の水』や武具、アーティファクトを導入する事で、家臣たちの不満を抑える心算のようです」


「またしてもマリウス・アースバルトですか。しかしそういう事であれば未だ両家の同盟を阻止する手立てはありますね」


 ラウム枢機卿の言葉に一同が頷く。

 公爵領内ではマリウスと公爵夫妻を討つべく、シルヴィー達が暗躍している。


 フレデリケの瞳が赤く怪しく光っていることにも気づかない様に、彼等は自分達の謀に熱中していった。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 部屋を出て神殿の回廊を歩くフレデリケを御者の男が待っていた。


「すぐに品物を納入させなさい」


「何故あのような者達に肩入れを? 教皇に繋がる者ではありませんか」


 不思議そうにする御者の男にフリデリケが口元を歪めて言った。


「彼らにもう少し頑張って貰わないと、このままでは宰相とあの少年の相手にならないわ。ウルカ様は人の世界に乱を御望みよ」


 フレデリケが怪しく笑う。フレデリケが流した情報は、本当の事と虚偽の情報を巧妙に織り交ぜたものだったが、ラウム枢機卿たちは簡単に彼女の話を信じ、術に嵌った。


「それよりあの冒険者たちの事は何か分かったの?」


「『ローメンの銀狐』は公爵騎士団に連れていかれた後、行方知れずになっているようです」


「やはり少し無理をしてもあの場で騎士団の者達共々始末するべきだったようね。少し厄介そうな子供達でしたが。フウキ、早急に彼等を見つけ出し雇い主を洗い出しなさい」


 表に出たフレデリケが馬車に近寄ると、御者の男が客室のドアを開けながら言った。


「あの冒険者達の仲間の医術師が獣人街の近くの下町で開業している様です。そちらから辿らせる心算です」


 フレデリケが馬車に乗り込むと、フウキと呼ばれた男が怪しく目を光らせながら客室のドアを閉めた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 エミールは酒場『アルラウネ』の裏口を三度叩いてから手を止め、再び二度叩いた。


 内側からドアが開くと、転がる様に中に入った。


「エミール様! 御一人ですか?」


 エミールに駆け寄ったエマが、彼方此方泥の付いたボロボロの姿のエミールに、驚きながら尋ねた。


「ああ、私以外は全員捕まったか殺された。公爵家の騎士団に裏をかかれた様だ。いやマリウス・アースバルトか」


 エミールは吐き捨てる様にそう言いながら、部屋の中の者達を見回した。

 全員で六人、隊長格はエマ一人だけだった。


「残っているのはこれだけか? やはりライアンは死んだのか?」


「恐らく。他の者達も全員捕えられたか殺された様です」

 エマが苦渋に満ちた表情で答えた。


「例の薬はどうした?」


「駄目です。90本井戸に投入しましたが何も起こりませんでした。不良品なのではありませんか」


 エマの言葉にエミールが首を振った。


「いや、ライアンは薬を使って“魔物憑き”に変身したのだろう。薬の効果は間違いない。恐らく井戸の方に薬の効果を消す付与魔法が掛けられていたのだ」


「付与魔法? まさか……」


「そうだ、全てマリウス・アースバルトの仕業だ、我々はあの少年に完全にしてやられた様だ」


「確かにあの少年の力は尋常では無かったですが、『禁忌薬』の効果まで無効にしてしまう事が出来るのですか?」


 エマが信じられない様子でエミールに問い返す。


「あの少年は私に向かって、何をしようが総て自分が無効にして見せると言った。[ 『禁忌薬』だけでなく、マジックグレネードもあの少年の前では全く作動しなかったそうだ」


 エマが息を飲んで言葉を失った。

 エミールは部屋の中の六人を見回しながら話を続けた。


「総帥はこの街での作戦は失敗と判断されて第二作戦に移行した。我々の任務は出来る限りこの街で騒ぎを起こして、公爵騎士団の目を引き付ける事だ。『禁忌薬』は未だ残っているか?」


「あと9本だけ残っています」


 聞かされている効果は水で薄めて一本当たり50人分の効果があるという話だった。


「それだけあれば一騒ぎは起こせるな、問題はどうやって薬を撒くかだが」


「それについては一つ、私の考えた策があります」

 エマが意を決したようにエミールを見た。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 


 爆音を伴って炎と雷が夜空に上がるのが屋敷からも見えたがようやく静かになった様だ。


 マリウスはハティに乗ってガルシアの館の屋根の上から戦闘の光を眺めていた。

 街に入り込んだ聖騎士達をガルシア軍と第6騎士団が討伐に向かった。


 マリウス達アースバルトの騎士団は今回の戦いから外される事になったらしい。

 連戦が続いていたので気を使われたのだろう。


 ガルシアに頼まれて鎧と盾、ガルシアの槍『神槍グングニル』に特別に付与をしたので、余程の事がない限り問題はないだろう。


 ジェーンたち三人娘もエルザに動員されたらしいが、マリウスの付与装備を装着しているので大丈夫であろうと思う。


 夕食の時マルコとカサンドラから“念話”で連絡が来た。カサンドラが“魔物憑き”を完全に解除してかつ、患者を無事に生きたまま元に戻せる解毒薬の開発に成功したらしい。


「実験は成功です。マルティンの左腕は完全に再生されました。二、三日もすれば完全に馴染んで元通りの機能を発揮できるでしょう」


 部位欠損まで再生効果があるという事は、それはもう伝説の万能薬と言って良い代物ではないだろうか。


 魔物憑きの解毒薬が下級とは言え『エリクサー』を生み出してしまうとは。

 此の短期間の間に上げたカサンドラの実績には、マリウスも内心驚かされていた。


 元々何故薬師ギルドがウムドレビを使って『禁忌薬』と『エリクサー』の二つの霊薬の研究をしていたのか疑問であったが、案外その二つには関連があるのかもしれない。


「さすがマリウス様です。私の結論も同じです。『エリクサー』は伝説に伝えられている物とは少し違うのではないか思います……」


 カサンドラが語った話は驚くべき事柄であったが、マリウスはすんなりと受け入れられた。


 それはエールハウゼンを発つ前に、エルシャから聞いた話とも符合していると思えた。


「それでカサンドラ、その解毒薬は量産できるのかな?」


 出来上がった解毒薬は未だ2リットル程、水で希釈して効果がある限度で50人分程しかないそうだった。


「量産する為には、フレイムタイガーの体から“抽出”した髄液が必要になります。一体で50人分とお考え下さい」


「そう言う訳で若様、我らにフレイムタイガー狩の許可を頂きたいのです」

 マルコの妙に弾んだ声にマリウスが眉を顰める。


 フレイムタイガーは特級魔物だが、オルテガの部隊が単独でフレイムタイガーを狩ったらしい。どうもマルコもニナもかなり対抗心を燃やしている様だった。


「どうしても必要なら仕方がないけど、メンバーは厳選してね、各村の警護も緩めない様に」


「それでは各隊一チームだけの三チームで競争ですな」


 いや、競争って言ってるし。


「ちょっと待ったー! あたしらも混ぜろ!」

 突然“念話”に割り込んで来たのはケリーだった。


「ケリーさん。五人だけで大丈夫ですか、誰か付けさせましょうか?」


「なめんなよ若様! こちとら魔物狩のプロだぜ。獲物の素材を運ぶ人数だけ貸してくれれば充分だ。『白い鴉』の実力を見せてやるぜ!」


「臨むところだ、討伐実績では我等が一番だ。我らの実力を若様に見て頂く」


「大きな口を叩く様になったな、ニナ。俺はお前が新兵だったころにはもう隊長だったのを忘れたか。経験の差を思い知らせてやる」


「オルテガ、経験なら俺が一番だぜ、未だお前らには負けてやる気はないよ」


 オルテガとニナも“念話”を聞いていたらしい。マリウスと一緒に“念話”を聞いているクラウスが苦笑している。


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