6―62 勝利のあと
エール要塞とロランドを結ぶ街道を見下ろせる山中で、“ライト”を掲げてロランドに向かう騎馬の軍勢を見下ろしながら、エミールがシルヴィーを見た。
「どうやらマリウス・アースバルトに我らの作戦を逆手に取られたようだな」
一晩中“アクセル”を使って駆け通し、シルヴィーの元に合流したエミールが見た物は、最後の作戦の失敗だった。
シルヴィーの横顔からはどんな感情も読み取れなかった。
「帝国軍は敗れたのでしょうか?」
「恐らくな。あのスタンピードをぶつけられては、8万の帝国軍といえど一溜りもあるまい」
シルヴィーがエミールの問いに他人事のように答える。
「やはりマリウスをこの儘放置するのは危険ではありませんか。全力でマリウスを討つべきだと思いますが」
エミールの言葉にシルヴィーは無表情に首を振った。
「ゴート村にいるマリウスを討つには百や二百の戦力ではどうにもならないのは、既に西の公爵が証明している。少なくとも王国と本国の間に同盟がある間は大規模な戦力は動かせない。次の機会を待つより他あるまいな」
「マリウスの力は確実に公爵家を、ひいては王国を強大にしています。同盟を破棄してでも今王国に攻め込まなければ手遅れになるやもしれません」
必死に食い下がるエミールにシルヴィーは冷たく答えた。
「それを判断するのは私ではない」
「それでは枢機卿猊下がお決めになるのですか?」
「違う、開戦を決めるのは枢機卿ではない」
「それでは誰が……?」
シルヴィーが冷ややかな瞳でエミールを見る。
「其の為に教皇猊下は、あの女を辺境に使わされたのだ」
「あの女? それはエルシャの事ですか? 何故エルシャが……」
「お前が知る必要は無い。あの女はあの女で猊下より役目を賜っている」
シルヴィーはエミールを見ると唐突に話題を変えた。
「ベルツブルグで魔物憑きになった人間はどうなった」
「分かりません、一か所に集めて土魔法で作った壁に閉じ込めていたようですが……」
言い淀むエミールをシルヴィーが見つめる。
「あ、いえ。恐らく辺境伯と思われるドラゴンがやって来て、何か樽に入った水を上から降り掛けていたようです」
エミールの言葉にシルヴィーが考え込んでいたが、やがて後ろに控える兵士たちに言った。
「帰るぞ! 公爵領での作戦はこれで完了だ。エミールは王都に戻ってラウム枢機卿に事の顛末を報告せよ。私は本国に帰る」
「帰国されるのですか?! 未だ戦いはこれからでは無いのですか?」
「私が本国に送った『禁忌薬』とウムドレビの薬材を運ばせた者達がバーデン伯爵領で襲われた。私は残した『禁忌薬』を本国に送り届けた後伯爵領に戻って調査をする。どうやら我らの知らない勢力が動いているようだ」
シルヴィーは未だ10本の『禁忌薬』を残していた。
エミールは未だ不満そうだったが、シルヴィーは兵士を引き連れて西に向かって出立して行った。
エミールは一人ロランドの街の明かりを見つめていた。
「マリウス。私が必ずお前を殺す。次は王都だ」
そう呟くとエミールも闇の中に消えて行った。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
マリウスはハティにエルザを乗せてロランドに向かっていた。
エール要塞はもう大丈夫そうなので、ロランドの被害を見に行く事にする。
エルザがケリーに“念話”を入れると、どうも街に応援に入っていた冒険者たちと酒盛りをしているようなので、街は無事のようだった。
マリウスがエールにリザードマンを連れて向かった後、遅れて街道に残った、脚の襲い魔物たちをステファンとケリー、冒険者達で狩っていたらしい。
ついさっき街に戻って祝宴が始まった様だった。
街の上まで来ると月夜の下、彼方此方で篝火が炊かれて人々が輪になって祝杯を挙げる姿が見える。
門の前に寝そべるバルバロスの姿を見つけると、バルバロスの前にハティを下ろした。
地面に伏せて眠っていたバルバロスがちらりと目を開けてハティを見たが、また目を閉じた。
「マリウス!」
「おーい、エルザ! こっちだ!」
路上に並べたテーブルを囲んで、冒険者風の者達と酒を飲んでいたステファンやケリーがマリウスたちに手を振る。
エルザと聞いてグレーテと数人の騎士団の兵士が立ち上がって膝を着くと、ジオたちも慌てて膝を着いた。
「良い! 皆ご苦労である。スタンピードも戦も全て片付いた。思う存分祝杯を挙げてくれ」
兵士や民衆に一斉に歓声が上がる。
喚声がしだいに町全体に広がっていった。
エルザがグレーテとロランドの守備隊長に言った。
「こちらの被害はどの程度だ?」
「は、スタンピードの発生時に逃げ遅れた鉱山労働者と兵士が50人程行方知れずになっています、あとは守備兵と冒険者に30数名被害が出ております」
「申し訳ありません奥方様。リザードマンとの交戦で兵士185名が討ち死にしました」
やはりロランドの兵士と、救援部隊にはかなりの被害が出た様だった。
「エールの方は如何なりましたか?」
グレーテの問いにエルザが頷いて答えた。
「エールは大事無い。怪我人は数人出たが死者は皆無だ」
死者ゼロと聞いてグレーテやステファンも驚いている。
「マリウスの策が上手くいったようですね。8万の軍勢を追いやって味方の被害が一人もいないとは、歴史に残る大勝利ですね」
「ふふ、それだけではないぞ。十二希将のうちの二人を討ち取って、更にバシリエフ要塞まで陥落させた」
「なんと! バシリエフ要塞が落ちたのですか?」
「ああ。そろそろ斥候の報せが入っているだろう」
エルザが口を噤むと、目を閉じた。恐らく先程“念話”のアイテムを渡したビルシュタイン将軍と話をしているのだろう。
やがてエルザが目を開くとマリウスたちに言った。
「間違いない。バシリエフ要塞は陥落した。主城が焼け落ち守備兵も逃げ出したようようだ。帝国軍は要塞を諦めて帝国内に向けて退却を始めた。魔物の群れがリカ湖に移ったのでもう帝国はエールに攻めてくることも出来ない。戦は終わりだ」
兵士たちがエルザの言葉に喚声を上げる。
エルザが改めてマリウスを見た。
「マリウス。その方マンティコアを討ち取ったか?」
「ああ、はい。襲ってきたのでハティが斃しました」
「マンティコアというともしや……」
「うむ。守備軍が森の中で倒れていたレナータ・アレンスカヤを捕えた」
「なんと! アレンスカヤ将軍まで! それでは十二希将のうち三人を討ち取ったのですか?」
グレーテが驚きの声を上げるのをマリウスが不思議そうに尋ねた。
「十二希将ですか?」
「帝国騎士団には、ユニークの十二人の将軍がいるのさ。ちなみに後の二人は?」
ステファンがエルザに尋ねる。
「ジェニース・バビチェフとグレゴリオス・アニキエフだ」
「成程。第7に第10、第11将ですね。金星三つとは。父上も超える大手柄だなマリウス」
父とは嘗てエールを救った、英雄マティアス・シュナイダーの事である。
「たまたま作戦が上手くいっただけだよ」
マリウスがあまり嬉しくなさそうに答えた。
二人はただ魔物に踏み躙られただけだし、マンティコアはハティが斃したので、マリウスは実際には今日全く戦っていなかった。
「どうした若様。また人を殺し過ぎたとか落ち込んでんのか?」
ケリーがエールのジョッキを握ったまま、呆れた様にマリウスに言う。
自分で全く戦っていないから自分は誰も殺していないと思える程には、マリウスの心は強くなかった。
「これは戦だ、お前が気にすることは無い。魔物たちにバシリエフ要塞を襲わせるように言ったのは私だし、お前がいなければこの街もエール要塞も全滅していたかもしれん」
エルザの言う事は勿論分かっているし、こう云う結果になる事もある程度想像していたが、実際に魔物に食い千切られた万を超える帝国兵の躯を見てしまった衝撃は、一生忘れられない記憶になるだろう。
「これで帝国との戦争は終わりですか?」
マリウスの問いにエルザが首を傾げる。
「どうだろうな。これで終わってしまったら、それこそ帝国は滅びるかもしれないな」
「何故です?」
マリウスが驚きながら問い返す。
確かに大きな痛手を負ったとは言え、領地を失った訳でもないし、いきなり王国よりも大国のエルドニア帝国が滅びるとは思えなかった。
「三人の将軍と2万近い兵を失いバシリエフ要塞まで落とされた。しかもユング王国の兵士まで帝国に離反した。恐らく帝国は教皇国に唆されて此度の戦を起こしたのだろうが、この敗戦で取り返しがつかない程の損失を出してしまった」
エルザは一息つくとマリウスを見つめて話を続けた。
「更にアレクセイ達レジスタンスの反乱が活発化してくれば帝国の国内は荒れに荒れ、帝政に対する不満が一気に膨れ上がるだろう。私が皇帝なら何としても挽回の一手を打とうとするだろうな」
「それはどの様な手ですか?」
ステファンが興味深そうにエルザに問うた。
「それは分からんが、こちらも黙って彼方が動くのを待つ気は無い。戦いに勝つだけが戦ではないからな」
「何をする心算だい?」
ケリーも珍しく興味をそそられたのか話に加わって来た。
「まずはユング王国に使者を送る。ユング王国が本気で帝国に反旗を翻すなら手を結ぶのも悪くない。後は帝国と教皇国の関係に罅を入れる」
「どうやって?」
「ふふ、此度の戦で教皇国の作戦が失敗した結果、帝国だけが多大な損害を出した。黙っていても関係は悪化していくだろうが、レナータを使って更に煽ってやろう」
「アレンスカヤ将軍をどう使うのですか?」
ステファンが続きを促すようにエルザに問うた。
「皆忘れている様だが、神聖クレスト教皇国と我がライン=アルト王国は同盟関係にある。他国と結んで我国に侵略するのは明らかな条約違反だ」
「それはそうですが、教皇国が条約違反を犯しているのであれば既に認証官による制裁が発動している筈。それが無いという事は何らかの手が打たれているのでしょう」
ステファンの言葉にエルザが頷いた。
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