2-35 撤退
ケリーは兵士の後ろで指揮を執るベルンハルトを見つけると、駆け寄って紫髪のハイエルフを指差しながら言った。
「将軍! 客人は送り届けたぞ。あとは任せた!」
ベルンハルトはケリーとウルカを一瞥すると言った。
「役目ご苦労。『白い鴉』のケリー・マーバーツェルか。これだけの魔物の群れの中を一人も欠けずに抜け出して来るとは、さすがはSランクというところか」
ケリーは顔を顰めベルンハルトを見た。
「煽てても金はまけん。それよりどうする将軍、このままでは全滅するぞ!」
ベルンハルトも眉間に皺を寄せる。
歩兵たちも集結して円陣を組んでアリを防いでいるが、アリの群れは更に増え続けている。
上空から赤龍が翼を広げて、陣の真ん中に舞い降りてきた。
「伯父上! 無理だ、数が多すぎる!」
バルバロスの上からステファンが叫ぶ。
「私が血路を開きます、兵を纏めて撤退してください!」
そう言うと再び大空に舞い上がった。
ベルンハルトは眼を閉じて苦渋に顔を歪めたが、目を開くと兵士達に向けて号令を発した。
「全軍撤退する! 歩兵を中に入れて一丸となって突き進め。殿は儂が執る」
ベルンハルトがバイコーンに跨ると、騎兵たちが傍に馬を寄せた。
ウルカ達にも馬が与えられた。
バルバロスがアリの群れをブレスで薙いで道を作る。
ステファンの“龍晄制覇”がアリたちを串刺しにして、更に道を広げる。
「また逃げるの! 私もう走れない!」
「お前走ってないだろう!」
ごねるエレノアに、バーニーが怒鳴る。
「死にたくなければ死ぬ気で走れ!」
ケリーが怒鳴ると兵士の後に続いた。
「だから魔境には来たくなかった」
ソフィーがケリーの横に並んで走りながら言った。
ケリーも走りながら周りの惨状を見回す。
集められた冒険者パーティーはほぼ全滅。
輜重隊や作業員たちも散り散りになって、どうなったか判らない。
兵士達にもかなり被害が出ている様だ。
魔境は自分たちが知らない脅威で満ちている。
決して人が踏み込んで良い場所ではない。
20年冒険者を続けてきたケリーですらそう思った。
ケリーは自分たちをこんな場所に送ったアイリスに、呪いの言葉を吐きながらひたすらアリの群れの中を駆け続けた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
広場に設置している野営用テントの一つにクラウスにエルザ、ジークフリート以下騎士団の隊長格が集まる中で、マリウスは改めてグレートウルフの撃退に関する報告を行った。
クルトとクレメンスも同席している。
「南の山にグレートウルフの群れか、それで逃げたグレートウルフの数は何頭位だった?」
クラウスの質問にマリウスが答える。
「10頭程かと思います」
マリウスは答えながらクルトの方を見ると、クルトも頷いた。
「およそ50頭のグレートウルフの群れか、マリウス、よく少数で撃退してくれた。して38頭仕留めたグレートウルフのうち、27頭はお前が倒したというのは本当であるか?」
クラウスの問いにマリウスは戸惑いながら答えた。
「あー、夢中だったのでよく覚えてはいませんが……」
「半数近いグレートウルフは遭遇直後、若様が魔法の連射で倒されました。その後我々が突入し、若様が援護に回られました」
クルトがマリウスに変わって答え、クレメンスも頷いた。
クルトの言葉に隊長達も騒めいた。
ジークフリートが愉快そうに言った。
「これはゴブリンロードに続き、此度も若様に一番手柄を攫われた様で御座るな」
一同が笑って、その場の空気も和んだ。
クラウスは思い出したように、古い大判の手帳の様なものを取り出して、マリウスに見せる。
「これはホブゴブリンが隠し持っていた物だが、マリウス。お前にはこれが何かわかるか?」
マリウスは手帳を受け取って、中を開いてみた。
「これは付与術式のようですね、私の知っている物も幾つかあります。ただ同じ術式でも、所々私が師匠から教わったものとは少し違っている所があるようです」
術式の書かれていた頁をめくるマリウスの手が止まる。
「あ、これ、“魔法防御”。これはゴブリンロードのフルプレートメイルに付与されていたものと全く同じ術式ですね、僕が師匠に教わったものとは少し違います」
マリウスの言葉に、エルザとクラウスが顔を見合わせた。
クラウスがマリウスに尋ねる。
「違うというのは、具体的にどう違うのだ、出来れば詳しく説明してくれ」
マリウスは考えながら答えた。
「なんというか、ルーン文字の組み方と云うか、力が発動する順番と云うか。私には師匠の術式の方が効率的な様に思えます。なんと言うか、この術式の『改良版』とでも言いましょうか……」
それまで黙って聞いていたエルザが、マリウスに言った。
「其方の師匠と言うのは、どういった御仁だ?」
エルザの問いにクラウスが答えた。
「ザトペックという骨董屋を営む老人です。10年ほど前にエールハウゼンに流れてきたもので、確か我が家の家宰のホルスの紹介だったと記憶しております。ミドルの付与術師だそうなので、マリウスの師に招きました」
「ふむ、一度会ってみたいものだな」
エルザはそう言って口を閉じた。
クラウスがマリウスに重ねて問う。
「その中にお前が知らない術式で、使える術式は在るか?」
マリウスは最後の頁迄目を通すと言った。
「殆ど知っている物か、上級以上のものばかりですが、中級で二つだけ、えーと、しかしこれは……」
「いかがした?」
言い淀むマリウスにクラウスが聞いた。
「あ、いえ何に使うのか良く解りませんが、中級に知らない付与術式が二つあります。一つは“劣化防止”と全く逆の働きをする“劣化”。付与したものを自然に早く劣化させていく術式のようです。もう一つは是も“魔物除け”の真反対の働きをする“魔物寄せ”。魔物を引き寄せる術式のようです」
マリウスの言葉を聞いてクラウスも考え込んだ。
確かに真面な使い道に悩む術式である。
クラウスに変わってエルザがマリウスに尋ねた。
「ちなみに上級以上の術式にはどんな物が在るかわかるか?」
マリウスはもう一度頁を捲りながら答えた。
「えーと、“水脈探知“、“鉱脈探知“、“鑑定妨害“、“催眠“、“貫通“、“物理反射 “、“魔法反射“、”混乱“、“幻影“、“追尾“、“探知妨害“、“呪詛“、“呪詛返し“という処ですか」
マリウスの答えにエルザが満足そうに言った。
「剣呑な術式が多いが、面白そうなものもあるな。使える様になったらぜひ見てみたいな」
クラウスも頷いて言った。
「それは其方に授ける。参考に致すが良い」
マリウスはあまり嬉しく無かったが、礼を言って受け取った。
「ホブゴブリンの討伐に関しては、全て完了した。グレートウルフの件については気になるが、いつまでもエールハウゼンを空けるわけにもいかん。新司祭を迎える準備もあるしな。私は明日兵の半数を率いてエールハウゼンに帰還する」
クラウスはそう言うと、ジークフリートを見た。
「ジーク、お前には辺境伯家に使いに行って貰いたい」
「『神剣バルムンク』返却の件で御座いますな」
そう言ったジークフリートにクラウスが頷く。
「辺境伯家に我らの立場を説明し、当方に事を構える気が無い事を伝えてくれ。準備が整い次第アンヘルに立て!」
「御意!」
ジークフリートが答えた。
アースバルト子爵家の立場、とは主にエルシャ・パラディが、エールハウゼンの司祭に赴任して来る件についてである。
これはクレスト教教会の決定で、子爵家には何の関わりも無い話であり、辺境伯家と宗教的な諍いが起きる事を、決して望んでいない。
その事を辺境伯家に理解して貰い、魔石購入の件に関して円滑な関係にしたい。
そして、将来的に子爵家が魔境に進出する際、両家にトラブルが発生せぬ様、出来れば友好的な関係を築くきっかけにしたい。
難しい使者で、クラウスはジークフリートを送るかホルスを送るか、かなり迷ったが、武断派の剛毅な気風を好む辺境伯家への使者は、やはりジークフリートの方が適任と思った。
エルザもこの決定に満足している。
「辺境の魔女殿に宜しく伝えておいてくれ。そのうち私、エルザ・グランベールも挨拶に行かせてもらうと」
「承って御座います」
冗談とも本気ともつかないエルザの言葉に、ジークフリートは笑って頭を下げた。
クラウスは更に諸隊長に向かって指示を出す。
「残りの兵士達は、引き続きこの村周辺の魔物を討伐し順次帰還せよ。指揮はクルトに任せる」
「承って御座います」
クルトが胸に手を当てて言った。
一通りの指示が終ったクラウスは改めてマリウスを見た。
「さてマリウス、此度の戦で功のあった其方に、新たな役割を授けたいと考えている」
そう言ってマリウスの顔を覗き込む。
「役割で御座いますか? いったいどのような?」
マリウスが戸惑いながら答えた。
「うむこれはジークとも諮って決めた事だが、エルザ様からも推薦を戴いておる」
そう言って改めて全員の顔を見回した。
エルザがにやりと笑って頷く。
マリウスは何を言われるのか緊張して固唾を呑んだ。
「マリウス。お前をこのゴート村とここから南のノート村、我が領の最東部二村の執政官に命じる。この地を開拓し魔境への足掛かりを築け」
第二章 魔物と魔境 完
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