1-25 ゴート村
「ジークフリート様、御無事で御座いますか?」
村長のクリスチャンがジークフリートに駆け寄って来る。
リタとリナの父親だ。
後ろで兵士たちが門を閉じた。
ジークフリートは馬を降りて兵を配置に就ける。
「ニナは部下を連れて西門を警戒せよ。フェリックスは北に、クレメンスは歩兵を一隊連れて南を守れ。残りは此処に展開せよ!」
それぞれ15人程が北、南、西に向けて走る。
残った兵士は東側の柵に展開する。
ジークフリートが村長に言った。
「儂は問題ないが、兵に数人怪我人が出た。村人の被害は?」
怪我人は既に村の集会所に集められて、村人から手当てを受けている。
重傷者は居ない様だ。
「6人程怪我を負いましたが、死者はいません」
「戦える村人は何人ほどいる」
「50人程です」
ジークフリートはマルコに命じて、村民兵を各隊に振り分ける様に命じる。
突然現れたホブゴブリンの軍勢は、500以上いるようだった。
ジークフリートは兵をすぐに纏め、自分と数騎の騎士達で殿を務めながら、歩兵を村に撤退させた。
50程の前衛が追撃してくるのを切り伏せながら、何とか村に駆け込んだ処だった。
ゴート村は一辺が500メートル位の、周囲を柵で囲まれた人口300人程の小さな村であった。
村の西側に広がる果樹園で、葡萄が栽培されていて、村の中に数棟酒蔵が立っている。
子爵家にとって重要な財源である。
ホブゴブリンの軍勢は柵から300メートル程の位置で停止し横に広がって、鶴翼の陣形をとる。
矢が届くか届かないかのぎりぎりの距離だった。
動きに淀みなく整然としている。
装備はバラバラだが、鉄製の剣や槍、戦斧を手に持ち、革鎧や鉄の兜をかぶったものも見える。
(魔物が軍略を操るか?)
柵の内側からジークフリート達が、ホブゴブリンの軍勢の動きを見つめている。
中央に一際巨体のホブゴブリンが現れた。
フルプレートの黒い鎧を装着している。
黒鎧のホブゴブリンが手を挙げて何か叫んだ。
30匹程のホブゴブリンが10メートル程前に出る。
手に長いロープのようなものを持っている。
前に出てきたホブゴブリンは、一斉に頭上でロープをぐるぐる回しだした。
「ぬう、あれは!」
ジークフリートは周囲の兵に怒鳴る。
「全員盾を構えろ!」
その瞬間ホブゴブリンが一斉にロープの一端を離す。
スリングと呼ばれる投石器だった。
高く上がった握り拳大の石が、放物線を描きながら柵に向かって跳んでくる。
(届くのか?)
ジークフリートは頭上に盾を構える。
柵に激突して弾かれる物、柵の手前に落下するものもあったが、柵の隙間から中に飛び込むもの、柵を飛び越えて兵士の頭上を襲うものも幾つかあった。
バキッ!と大きな音が響いて、ジークフリートが振り返る。
「うわっ!」
木製の盾が砕けて、直撃を受けた兵士が額から血を流しながら倒れる。
地面に跳弾した石を足に受けて倒れる者もいる。
子爵家騎士団では、騎士はプレートメイルを着込んで、ベルトに腕に通して肘に装着するタイプの直径40センチほどの小型の鉄の盾を装備している。
対して歩兵は、軽量化の為革の鎧に、鎖を編んだ頭巾を被り、70センチ位の角型の木盾を支給されていた。
弓矢程度なら防げるが、300メートルを跳んで来た握り拳大の石の直撃を受け止める事は出来なかった。
20人程が弓を射返す。
弓がホブゴブリン達の足元辺りに刺さると、ホブゴブリンは奇声を上げて後ろに跳び下がる。
「怪我人と村人は後ろに下がれ! マルコ! 人を割いて村から分厚い板や鉄板を集めよ! 戸板でもなんでも構わん、引っぺがして持ってこい!」
そう怒鳴ると、再び頭上から迫る石に向かって盾を構えた。
二人直撃を受けて倒れる。
負傷兵を運ぼうとしていた兵士の頭上に、投石が落下しようとしたその時、一人の小柄な兵士が木盾で投石を受け止めた。
兵士は投石の勢いで後ろに転がったが、すぐに起き上がった。
木盾は全く無傷の様だった。
「ヨゼフ、お前その盾?」
ジークフリートが驚いて、ヨゼフに声を掛けた。
「はい! 若様に魔法をかけて貰った盾です」
ヨゼフが誇らしげに盾を見せた。
ジークフリートはヨゼフに頷くと、兵士に号令した。
「弓隊、魔術師隊打ち続けろ!」
矢や“ストーンバレット”、“ファイアーボール”等がホブゴブリンに向けて続けざまに放たれる。
一人の弓師の放った矢が、投石器を振り回すホブゴブリンの一匹の胸に刺さる。
アドバンスドのギフトを持つ弓師のケントだった。
周りの兵たちが歓声を上げる。
彼はアーツ“遠射”と“的中”を同時に発動していた。
ケントは更に二射続けて放った。
2匹のゴブリンが倒れて、それを見た周りのゴブリンたちが後ろに下がり出す。
ケントはほっとして弓を下ろした。
中級アーツの“遠射”と上級アーツの“的中”を同時発動は、彼のFPの量では一日8射が限度だった。
ジークフリートもそれを知っていたので、ケントに力を温存するように命じる。
ホブゴブリン達は潮が引くように、森の中に消えていった。
マルコ達が戸板や鉄板の類を運んでくる。
これで何とか即席の防禦陣地を作って、投石に備えるしかない。
ジークフリート達は兵に防御陣地の構築と松明の準備を命じる。
西の空に日が傾き始めている。
今日は長い一日に為りそうだと、歴戦の強者は己に気合を入れる。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
マリウスは真夜中に目を覚ました。
館の前で誰かが叫んでいでる声が聞こえる。
マリウスはベッドから出ると、照明の魔道具を灯した。
足元に落ちていた上着を羽織る。
昨日帰ってから、自分の上着に防寒を付与し、窓の外に“エアーカッター”を放って魔力を0にして眠った儘になっていた。
魔道具を手に持って、ドアを開けて外の様子を伺う。
マリウスの寝室は二階にある。
廊下は暗かったが、階段の方に明かりが見える。
エントランスに灯がともっている様だ。
クラウスの声が聞こえる。
マリウスは階段の降り口迄歩いて行った。
クラウスの前に革鎧を着た兵士が膝を付いていた。
頭に耳が付いている。
確か騎士団の兵士で、犬獣人のダニエルだ。
クラウスの傍らにはマリアとクルトが立っている。
奥にメイドと下男が数人いる。
起き出してきて様子を窺っているようだ。
「なんだと! 武装したホブゴブリンの軍勢だと?」
ホブゴブリンはゴブリンの上位種だ。
強さはオークと同じ中級の魔物で、力はオークの方が強いが、動きが素早く知恵が回る。
「その数約500。ジークフリート閣下はゴート村に籠城して応戦しておりますが、ホブゴブリンの投石器に木盾が役に立たず苦戦しております」
「ホブゴブリンが500? 投石器を使うだと!」
ダニエルの言葉にクラウスが絶句する。
マリアも口元に両手を当てている。
「閣下は村から戸板や鉄板を集めて、防禦陣を造りホブゴブリンの夜襲に備えておりますが至急援軍を送られたしとの事です」
クラウスはすぐに決断した。
「クルト、お前はダニエルと共に騎士団に行って全軍に出撃の準備をさせよ、私も支度をして直ぐに向かう」
「御屋形様、某も出陣致します!」
クルトがクラウスの前に膝を付いて願い出る。
「いやお前には、マリウスの警護を命じる」
クラウスの言葉にクルトが首を振る。
「騎士団長の危機に留守番などしておれません。何卒某を御連れ下さい」
クラウスもクルトの言葉に逡巡する。
確かにクルトの戦力は欲しい。
迷って視線を上げたクラウスの目に、階段の上から様子を伺うマリウスの姿が映る。
クラウスは意を決するとクルトに言い放った。
「相分かったクルトに出陣を許す! マリウスも同道する故お前はマリウスを守れ!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
おびただしい数の篝火を焚いて、ジークフリートは警戒を続ける。
結局ホブゴブリンは投石の攻撃をしただけで、日が落ちると森に姿を消した。
しかし森の中に潜んで、此方を伺っているのは“魔力察知”のスキルで感じ取ることが出来た。
ジークフリートは日が暮れる前に、ダニエルをエールハウゼンに走らせ、西北南に10人ずつ増員の兵を送り夜襲に備えた。
投石器で死者は出ていないが、怪我人が9名出ていた。うち三名は重傷だった。
虎の子のポーションを使用して、何とか命は取り留めたが、戦線に復帰は無理だ。
兵を交代で休ませ、ジークフリートも2時間程仮眠をとれた。
ジークフリートは簡易的に柵の内側に作った防禦陣地の中から、暗い森を見つめていた。
戸板に鉄板を数か所打ち付けた天井と、柱だけの小屋の様なものである。
どの程度投石を防げるか解らないが、無いよりはましと言ったところか。
森の中からは物音ひとつしないし、明かりも見えない。
魔物は夜も目が見えると言う。
ジークフリートは考える。
ゴブリンの上位種であるホブゴブリンの存在は以前から知られている。
おそらくゴブリンの中から生まれた突然変異体が、その群れのリーダーになって群れを率いるというのが一般的な考えだった。
ホブゴブリンの群れ、それも数百単位の群れの話等聞いたことも無かった。
しかも武器や防具を装備し、あまつさえ投石器まで使っている。
自分の目で見たのでなければ、信じられない話だった。
そして其のホブゴブリンを指揮していた、黒いフルプレートメイルを装備した巨大なホブゴブリン。
遠目にも軽く2メートルを超えるその姿は、明らかにホブゴブリンの上位種に思われた。
森の向こうには魔境がある。
一体魔境で何が起こっているのだろうか。
東の空が白み始めた頃、森の中からホブゴブリンたちが姿を現した。
ゴブリンも混じっている様だ。
虫が湧くように後から後から出てきて、横に広がって隊列を組んでいく。
1000を超える、ゴブリンとホブゴブリンの群れが朝日を背に整列した。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
未だ辺りは暗いが、兵舎の前には篝火が焚かれ昼間の様に明るい。
訓練場の広場には軍馬や騎士と兵卒、小荷駄隊などが続々と集まっていた。
「寒くない、マリウスちゃん」
傍らでマリアが尋ねる。
マリウスは、クラウスがマリウスを戦場に連れて行くと宣言した後の大騒ぎを思いだしていた。
激怒するマリアに、クラウスは必ずマリウスの力が必要になると譲らず、結局マリアも着いてくるという事になった。
クラウスも渋い顔でマリアの同行を認め、マリウスの初陣は母親同伴という事になった。
マリアは旅装の様な動き易そうな服の上から、革鎧と革の籠手、脛宛を装備していた。
その上かにフード付きのマントを羽織って寒そうに前を合わせた。
冒険者をしていた頃の装備を引っ張り出してきたらしい。
何処に在ったのか子供サイズのフルプレートメイルを持ってきて、マリウスに着せようとしたが、重そうだったので断った。
旅装の上に革の胴だけ付けた姿で、やはりフード付きのマントを着ている。
マリアとマリウスは、馬車で移動する事になった。
一昨日付与魔術を施した馬車に、クラウスから貰った剣を積み込んだ。
腰に吊ると重くて歩きにくかったので諦めたのだった。
クルトが此方の方が良いのでは、と言って“強化”を付与した木剣を渡してくれたので、今はそれを腰のベルトに差している。
騎士団の総数は騎士150人と歩兵300人、魔術師15人の総勢465人だった。
戦時には民兵を募って2000近い動員をしたこともあるそうだが、ここ10年そんな事態は起こってない。
ジークフリートが既に100人を率いて出陣している。
エールハウゼンの関所や館の守りに55人を残し310人で出陣する。
まさに総力戦だ。
冒険者ギルドにも街の防衛に応援の要請を出している。
エリーゼとノルンが駆け寄って来た。
「若様御武運を!」
「無事の御帰還を!」
マリウスに声を掛ける。
二人とも、革鎧を装備している。
「二人も一緒に行くの?」
マリウスが驚いて尋ねた。
「いえ、我々はもしもに備えて、東の関所に詰める事になりました」
「若様と一緒に出陣したかったけど、父上に止められてしまいました」
エリーゼは悔しそうにしている。
「関所の守りも大事なお役目よ」
マリアがエリーゼをたしなめる。
「はい、奥方様も御武運を!」
二人はそう言って去っていこうとしたが、マリウスが引き留めた。
エリーゼが例の、誕生日に買って貰った短剣しか持ってない。
「騎士が剣も持っていないのじゃ恰好が付かないよ」
そう言って、腰に差していた木剣を抜いて、エリーゼに手渡した。
「これ、この間の魔剣ですか」
「魔剣じゃないし」
エリーゼは礼を言うと、嬉しそうに木剣を抱いて走って行った。
第一章 女神の福音 完
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