第二百三十話 面影が残っている

『振り落とされぬようにせよ』

 

 赤竜ラーヴァドムは一声かけると、返事を待たずに急加速した。前方から突風が襲い来る。

 

「はわっ!?」

 

 転がりそうになりながら、ネーナは慌てて手近な突起を掴んだ。懸命に棒杖ワンドを振って結界を展開する。

 

防風結界ウインドバリア!』『身体強化フィジカルアップ!』

 

 風の抵抗が消え、【菫の庭園】一行は漸く人心地つく事が出来た。

 

「ごめん、乗ったの何年かぶりで、すっかり忘れてた」

 

 レナが申し訳無さそうに手を合わせ、注意しなかった事を詫びる。

 

「助かったわ、ネーナ」

「飛ばされちゃうかと思った〜」

 

 フェスタの腰には、真っ青な顔のエイミーがしがみついている。四人は一所ひとところに集まった。

 

 透明な結界にポツポツと水滴が当たり、辺りが暗くなる。見上げれば黒い雨雲が広がっていた。

 

 赤竜は強まる雨をものともせず、ぐんぐん高度を上げて雨雲に突入する。雲は高速で結界の外を流れ去り、何度も閃光が視界を奪う。雷鳴と共に輝く龍が生まれ、縦横無尽に駆け巡る。

 

 数秒後に再び視界が開けた時、ネーナは感嘆の声を上げた。

 

 

 

「ふわあ……」

 

 

 

 天に太陽、白く輝く空。下方には見渡す限りに広がる雲。他には何も無い、静かな世界。赤竜は雲の上に出ていた。

 

 オルトに抱えられて空中を駆け抜けた事や、物見塔の螺旋階段をノーブレーキで降った勢いで宙に放り出された事はある。けれどもこうして空を飛ぶのは初めての経験だった。

 

 絵に残してオルトにも見せてやりたいと、ネーナは目の前の光景を記憶に焼きつける。

 

「雲が海みたいね。雲海って言うんだっけ」

「フェスタは海を見た事あるの?」

「一度だけ、お休みの時にね」

 

 サン・ジハール王国は南方に二つの港町を持つ。だがそこは公爵領であり、アン王女時代のネーナが訪れる機会は無かった。

 

「いいなあ……」

 

 余程羨ましそうな顔に見えたのか、レナが苦笑する。

 

「オルトとスミスと合流して、キリのいいとこまで頑張ってさ、そしたら皆で海に行こうよ。あたしらずっと働き詰めだし、ちょっとくらい羽根を伸ばしても文句言われないって」

「行きたい!」

 

 挙手して賛成を示すエイミーの隣で、フェスタは遠い目をした。

 

「元々、シルファリオを離れたのは半分旅行の筈だったのよね……」

 

 当初は勇者トウヤや勇者パーティーの思い出の地に立ち寄りながら、テルミナをスージーの下へ送り届ける気軽なものを予定していたのだ。それが早々に全力疾走となっていた。

 

 一体どうしてこうなったのかと、四人は顔を見合わせ首を傾げる。

 

「ともあれ、これでやっとフルメンバーに戻れるわね」

 

 フェスタが言う。

 

 帝都のスミスとは昨晩の内に連絡を取り、お互いの状況を伝え合っている。

 

 ネーナ達とトリンシック公国騎士団の一部とのトラブル、そしてロルフェス侯爵領で起きたトラブルについて、ギルド本部から公国と侯爵に対して正式に抗議を行うと聞いた。

 

 ギルド長とアルテナ帝国首脳陣との停戦交渉は、冒険者ギルド側に有利な方向で進んでいる。帝国は南部の反乱、東部と北部の国境紛争をも同時進行で抱えており、ギルドとの早急な和解を望んでいるのだ。

 

 オルトはショットを救出した後、帝国軍務省情報局の捜査を続けている。情報局と研究所の捜査と障害の排除については、カリタスへの一連の調略、工作活動に関して皇帝の責任を問わない事で帝国側の黙認を取りつけていた。

 

 救出された二人の内、ショットはまだ目を覚ましていない。ミアの方は体力回復も時間の問題だという。ガルフの行方は、未だ不明のままだ。

 

 さらに昨晩の交信では、帝都の市民生活に影響が出始めている事で、大半が帝国住民である帝都支部のメンバーと国外から来たギルド長一行の間に軋轢あつれきが生じつつあるのだと聞いた。

 

 レナが肩を竦める。

 

「たらればを考えても、しょうがないんだけどねえ」

「……はい」

 

 ネーナはその通りだと同意した。

 

 ネーナ達とて精霊喰らいエレメンタルイーターとの遭遇は慎重な対処を求められたし、体調を崩していたバスティアンや死期間近のロレッタ、精霊熊のガウとの出会いに不満は無い。それらは学びや気づきを得る、貴重な機会であった。

 

 けれどもどうしても、自分達がオルトやスミスと行動していればと考えてしまう。

 

 自分達も帝都にいたならば、【禿鷲の眼】の面々を速やかに救出出来ていたかもしれない。冒険者ギルドに所属する者達の利益と安全の為に力を尽くしているギルド長一行への不満を封じれたかもしれない。

 

 結果論に過ぎないとわかっていても、明らかに負担が大きいオルト達に対する負い目のようなものが、四人にはあった。

 

 

 

 気分を変えようと、ネーナがレナに話題を振る。

 

「そう言えばレナさん、先程の指輪は『認印指輪シグネット』ですよね」

「ああ、これね」

 

 レナが右手の人差し指を見せる。『嵐帝竜』トラムソーニックより受け取った大きな鱗が、指輪に変化したのだという。

 

「あたしと、トウヤと、後はバラカスが持ってるのかな? トウヤの分はどうなったかわかんないけど。『嵐帝竜』が認めた者の証なんだって」

 

 嵐帝竜の名は、ネーナも文献で知っていた。

 

 神代から生きていると言われる、古竜エンシェントドラゴンの一体。老竜エルダードラゴンである赤竜ラーヴァドムよりも上位の存在で、ラーヴァドムがレナの要請を受けたのも、その関係性ゆえである。

 

 現在は休眠期に入っており、『竜帝城』と呼ばれる浮島で眠りにつき、この空のどこかを漂っているという。

 

「古代文明期には古竜さえ使役するような魔道具があって、嵐帝竜は長い間ずっと、それに囚われてたの。使役してた人間達が死に絶えても竜は生命力が桁違いだし、魔道具はそのまま残ってたから」

 

 その苦痛で休眠期にも眠りにつけず、嵐帝竜が拘束された付近一帯は地震や異常気象、竜の咆哮が止まず、長きに渡り人を寄せつけなかった。

 

 本来ならば、それで終わる話。そうならなかったのは、魔王軍の侵攻に抗しきれず滅びた国から多数の難民が出た為だ。

 

 勇者パーティーが援軍と共に到着した時には国土の過半を敵に奪われ、国軍は避難民を抱えてなおも後退し続けていた。

 

 援軍により後退は止まったものの、押し返せず膠着状態に陥る。今後の対応を巡る協議は紛糾した。

 

 敵は魔王軍四天王の一角、『獣王』デラクルスの軍勢。それが亡国の要害を占拠しており、奪還するには多大な犠牲を覚悟しなければならない。

 

 それとは別に、国軍と行動を共にしている大勢の避難民を早急にどうにかしなければならないという切実な問題もあった。

 

「援軍を出した国々も避難民を引き受ける余裕は無い。すぐに敵を追い返すのも無理で、これ以上押し込まれたくないから退却も無し。で、目をつけたのが嵐帝竜のお膝元の広い平原だった訳」

 

 平原はどの国の領土でも無かったが、避難民を入れる為には古竜を排除しなければならない。その役目は当然のように、勇者パーティーに託された。

 

 反対意見は出なかった。勇者パーティーは連合軍参加国のいずれにも所属しておらず、差し向けるのに都合が良かったのである。

 

 あははは、とレナが他人事のように笑う。

 

「いやー大変だったよ、向こう嵐帝竜は怒ってて話なんて聞いてくれないし。スミスが拘束を解除した瞬間にブレスが飛んできて、あたしの障壁も紙みたいに破られて、初手で皆ボロボロになってさあ」

「ええ……」

 

 ネーナは引いていた。

 

「勝ったんですか?」

「どうにかね。そうしないと話が出来なかったから」

 

 結果、いましめを解かれた嵐帝竜は勇者パーティーに助力し、獣王デラクルスの軍勢撃破に多大な貢献をした後、本来の棲家である竜帝城に帰ったという。

 

 中立だった竜族が一部とはいえ人族に助力した事で、耐えるばかりであった戦況は大きく好転した。

 

「嵐帝竜には魔王城強襲作戦でも協力して貰ったんだよ。北の大山脈は竜でもなければ越えられないから」

 

 レナに言われて振り返れば、遠く彼方に連なる山脈が雲の上にまで突き出ていた。

 

「もう、この指輪を使う機会は無いと思ってたけどなあ」

 

 レナは右手の指輪を見やり、しみじみと呟いた。

 

 

 

「あの、ラーヴァドムさん……」

 

 ネーナが赤竜に声をかける。ややあって、頭の中に返答が響いた。

 

『聞こえている、人族の娘よ』

「先程、私の名前はネーナ・ヘーネスだと申し上げました。確かに今はそう名乗っていますが、以前はアン・ジハールという名でした」

 

 先刻は事情を知らない者達がいた為に詳細を話せなかったのだと、ネーナは詫びた。

 

『構わぬ。気にかかる事があり尋ねたが、我も配慮に欠けていたようだ』

 

 要領を得ない返事に、ネーナは首を傾げる。続く赤竜の言葉も予想外のものであった

 

『ジハール……やはり主は、リンカの子孫であったか。面影が残っている』

「えっ!?」

 

 リンカという名は非常に珍しい。だがネーナには心当たりがあった。召喚された最初の勇者にして、サン・ジハール王国の初代王妃その人。千年も前の人物だ。

 

 初代国王リアス・ジハールとの間に、後の第二代国王となるレカンという一子をもうけている。王族の地位こそ放棄したが、直系の王女であったネーナが似ていてもおかしくはない。

 

 ただ王国には、ジハールの肖像は残っていてもリンカのものは無い。王国民も王妃リンカの名を知る者は少ないだろう。病気がちで早くに亡くなったとされ、外見的な特徴やエピソードなども殆ど後世には伝わっていなかった。

 

「ラーヴァドムさんは、リンカ様をご存知なのですか?」

『かつて共に戦った。我が若い頃の事だ』

 

 赤竜が肯定するように首を縦に振り、合わせて巨体も上下に揺れる。

 

『リンカとの出会いが無ければ、我がマヌエルと出会い、再び人と関わろうとは思わなかったであろう』

 

 千年前、当時の魔王麾下である『不死者の王ノーライフキング』プロスヴィルノフが竜の墓場に侵入し、大量のアンデッドドラゴンを世に放つという事件があった。

 

 勇者リンカは『竜王』バルトルディに助勢し不死者の王を討ち、竜達は祖先に再び安らかな眠りをもたらした。その戦いに、若きラーヴァドムも参加していたという。

 

『誰よりも強く、勇敢でありながら、リンカは死後も尊厳を踏み躙られた我等の祖先の為に涙を流し、憤る心優しき娘であった。その心根に、我等竜も惹かれた』

 

 竜王は配下と共に人族側につき、強大な魔王との戦いに参戦した。

 

 魔王は強かった。勇者の一行は全滅も危ぶまれたが、竜王が命を賭して魔王の動きを止め、勇者リンカの起死回生の一撃に繋げた。

 

 辛くも勝利した勇者だが、代償は大きかった。しかし王を失った竜達は、恨み言も述べずに去っていった。

 

『その後リンカと会う事は無く、風の噂で死んだと聞いた。人族は長く生きられぬ。わかってはいたが……代わりに、その子孫と会う事が出来て嬉しく思うぞ』

「私も、ラーヴァドムさんから貴重なお話を伺えて嬉しいです」

 

 赤竜が笑ったのか、再び巨体が揺れる。

 

『もう少し話していたいが、そろそろ到着する頃だ』

「えっ、もう?」

 

 レナが目を丸くする。赤竜は降下し、雲の海に飛び込んだ。

 

 雲の下には巨大な都市が広がっていた。その中心にあるのは深い堀と堅固な城壁に囲まれた、星型の特徴的な敷地の城。

 

大地の星エストレージャ……間違いなく帝都ね」

 

 フェスタが呟いた。ネーナは赤竜に呼びかける。

 

「ラーヴァドムさん、有難うございます。私達はここで降ります」

『承知。達者で暮らすがよい』

 

 エイミーが首を傾げる。

 

「どうやって降りるの?」

「離れると術の維持が難しいので、四人で手を繋ぎましょう――『落下制御フォーリングコントロール』」

「ゆっくり落ちる訳ね」

 

 成程、とレナは頷いた。

 

「行きます」

 

 ネーナが防風結界を解除した途端、四人は突風で空中に放り出される。赤竜は別れを惜しむように上空を一度周回し、トリンシック方面に飛び去った。

 

「出来れば帝都支部の上に降りたいです。帝都の南地区なので、まずは東ですね」

「ガウちゃん、お願い」

『ガウッ』

 

 精霊弓の中のガウが、エイミーに応える。フワフワと落下する四人を、優しい風が押し流していく。

 

 赤竜の飛来による衝撃か、ゆったり舞い降りるネーナ達を見咎める者は無い。

 

「あっ、お兄さんだ!!」

「本当です! イリーナさんとミアさんもいます!!」

「どこどこ?」

 

 レナとフェスタが目を凝らすも、まだ判別出来る距離ではない。だがエイミーとネーナは確信を持って降下速度を上げる。

 

「お兄さーん!」

「お兄様ー!」

 

 二人の呼びかけに、往来を歩くオルトが立ち止まる。そして空を見上げ、目を丸くしたのだった。

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