第百二十七話 幸せになりましょう
広域犯罪組織『
各国が躍起になって自国内の『災厄の大蛇』の拠点を潰しにかかり、残党狩りに目を血走らせる。それは同時に、司法立法はおろか権力の中枢にまで犯罪組織に入り込まれた自国の腐敗を曝け出す事にもなった。
逃走した『剣聖』マルセロの行方は、杳として知れなかった。ヴァレーゼ自治州、シュムレイ公国、そこに隣接する他の都市国家まで巻き込んだ緊急配備の網も、冒険者ギルドが威信を賭けて派遣したSランク冒険者も、マルセロを捕捉する事は出来なかったのである。
「リア様、どうなさったのですか?」
急に立ち止まったマリスアリアに、ネーナが可愛らしく小首を傾げる。マリスアリアはネーナに微笑みかけた。
「人々の表情を見ていました。まだまだ旧領主の悪政の傷は癒えないでしょうが、明日への希望に満ちているように感じられます」
マリスアリアの感想は、奇しくもオルトが以前に漏らしたものと同じであった。
ネーナは視察をするマリスアリアの供として、ヴァレーゼ自治州の州都であるカナカーナの市街を歩いていた。
成功裏に終わったダンツィヒ奪還戦と『
ギルド本部、自治州政府、公国の関係者も集めて情報を共有したいというのが、マリスアリアの要望であった。カナカーナ市内の視察は、会合の準備が出来るまでの待ち時間を使って行われていた。
二人は公園の屋台でガレットを購入し、ベンチに仲良く腰を下ろした。大道芸人や吟遊詩人の周りにはまばらに人が集まり、絵を描く者や木陰で寝転ぶ者など、思い思いの時間を過ごしている。
マリスアリアの強い希望で護衛は少数、かつ離れた場所で待機している。公国の護衛ではなく公爵家の者を連れて来た為、不承不承ではあるが融通を利かせてくれていた。
「大丈夫なのですか? 警護の方々がこんなに離れてしまって」
「勿論、通常ならばこんな我儘は通りません。でも今はAランクパーティーのネーナ様にご一緒して頂いていますし、何か起きても『剣聖』マルセロを撃退した
ネーナの疑問に、マリスアリアが悪戯っぽい笑顔で答える。記憶にないその笑顔はとても魅力的で、マリスアリアの素の表情なのだろうとネーナは思った。ネーナ達【菫の庭園】はまだBランクなのだが、その辺りはご愛嬌である。
「私がシルファリオに謝罪に伺ってから、ネーナ様と二人でお話し出来る機会はありませんでしたので」
マリスアリアの言う通り、公爵が来訪する用件は冒険者ギルドであったり、オルトや【菫の庭園】に対するもの。ネーナとマリスアリアが二人きりで話す事はなかった。
視察と称して冒険者ギルドを出ると早々に、マリスアリアが「非公式の時は自分を『リア』と呼び、友人として接して欲しい」と言い出してネーナはそれを了承した。
ネーナが王城を出るまでの経緯や、冒険者になって経験した事を話すと、マリスアリアは納得したように何度も頷いた。
「そうでしたか、勇者様の事を知る為に……では、ネーナ様が北セレスタに立ち寄られたのは偶然だったのですね」
「はい。王国から追手が来る事を想定していましたので、ワイマール公国から『嘆きの荒野』を抜けて、直接都市国家連合に入りたかったのです」
ワイマール公国がネーナ達に便宜を図った事は伏せてある。考えればその可能性に思い至るものではあるが、自分から言及する訳にはいかない。ネーナの実姉である大公妃セーラに、どこで迷惑を掛けるかわからないのだから。
「何か勇者様についてお伝え出来れば良いのですが……勇者様が我が国に滞在された期間はあまり長くないのです」
「ああ……」
ネーナは悩んだ末、スミスから聞いた旧コスタクルタ伯爵家と勇者パーティーのトラブルをマリスアリアに伝えた。
当時は勇者トウヤも実力を磨く時期であり、シュムレイ公国自体は直接魔族の侵攻を受けていなかった。その為、勇者パーティーは揉め事を嫌って早々に当地を離れたのである。
「領主のコスタクルタ伯爵は、事実と異なる報告を公国に上げていたようですね……」
マリスアリアが溜息をついた。
公爵家とそれを支える三つの伯爵家、所謂『三伯』の力関係の天秤は、マリスアリアが公爵位を継承してから長らく、伯爵家側に傾いていたのだ。旧伯爵領で圧政が敷かれ、闇鉱山が運営され、犯罪組織が深く根を張っていても干渉出来ない程に。
「我が国と勇者様との関わりは薄いものでしたが、コスタクルタ伯爵のように自国の為に利用しようとする国や、取り込もうとする国もありました。敵対的な国さえもあったと聞きます」
「はい」
ネーナは頷く。その辺りはマリスアリアよりも、当事者であったスミスやレナ、エイミーから直接聞いているネーナの方が詳しい。
自分達が守ろうとしている相手が、まるで敵のように干渉や妨害をしてくる。そんな中で魔族との戦いを続けなければならない。ネーナには想像も出来ない過酷な状況であった。
「ネーナ様。私は、私達は。勇者様がその御命を賭して守るに足る存在だったのでしょうか」
「リア様……」
マリスアリアの問いに、ネーナは答える事が出来なかった。それはまさに今、ネーナが考えさせられている問題だからだ。
賢者の弟子にも答えが出せない。もしかしたら、大賢者と呼ばれるスミスにも答えられないかもしれない。長く考えた末、ネーナは短く答えを返した。
「私にもわかりません」
すぐに言葉を継ぐ。
「――ですが、私は。トウヤ様が守ってくれたこの世界で、この生を全うしたいと思っています」
「私もです、ネーナ様」
二人は顔を見合わせ、微笑み合った。
「ネーナ様は今、幸せですか?」
「むう……今日のリア様は難しい事ばかり聞きます」
ネーナが口を尖らせると、マリスアリアがクスクス笑う。
「ごめんなさい。漸くネーナ様と二人でお話し出来て、聞きたい事がたくさんあって」
「それでは仕方ありませんね」
ネーナも気を悪くした訳ではない。むしろ今のマリスアリアの心情を一番理解出来るのは、元王女の自分であろう。ネーナはそう感じていた。
マリスアリアは自ら宣言した通り、シュムレイ公国を共和制国家に転換すべく大きく舵を切った。抵抗する貴族達との調整を進めながら、まずは旧領主を廃したヴァレーゼ自治州をモデルとすべく、復興と政治体制の移行を推進している。
『三伯』の二伯爵家が凋落し、マリスアリアの権力基盤も盤石ではなくなった。貴族の大半は共和制の未来に大きな不安を抱えている。マリスアリアの味方はいないも同然である。
マリスアリア自身にも未来への不安はある。公爵位を返上した後の自分の姿が想像出来ないのだ。
「少なくとも、私は不幸だと思った事はありません。王城にいた頃も今も、それは同じです」
ネーナは思い返しながら話す。
母は早くに亡くなり、姉は他国に嫁いだ。父親である国王の思い出は無い。寂しさはあったが侍女のフラウス達は良く仕えてくれたし、ユルゲン将軍のように祖父の代からの臣下は自分を大事にしてくれた。城を出たいという小娘の我儘を聞き入れ、背中を押してさえくれた。
受け入れるメリットの無いネーナのお願いを、勇者パーティーのメンバーであるエイミーは受け入れてくれた。スミスやバラカス、フェイスも力を貸してくれた。近衛騎士は最後まで命がけでネーナを守ってくれた。他にも多くの人の助けを得て、今のネーナがある。
オルトとフェスタは、近衛騎士でなくなってからも王女でなくなったネーナについて来てくれる。オルトは自分の事を『妹』と呼んで大切にしてくれる。それがどれほど心強かったか。
「私は周囲の人に恵まれました。でも、王女でなくなって自分の無力さを知る事はあっても、後悔した事も戻りたいと思った事もありませんよ」
お城の贅沢なお料理を食べる機会は無いけれど、こうしてリア様と並んで食べるガレットはとても美味しいです。ネーナはそう言って、少し冷めかけたガレットの最後の一切れを頬張った。
「リア様。私、リア様がご迷惑でなければお手紙を書きます。お時間があれば、シルファリオにも遊びに来て下さい。部屋は余ってますし、私達がいなくても誰かが歓迎してくれますから」
シルファリオの屋敷にはジェシカがいるし、マリアとルチアとセシリアもいる。ファラ達『ヴィオラ商会』の面々も気遣ってくれるから、マリスアリアが不便を感じる事も無いだろう。
「もしも北セレスタに居づらければ、お迎えに上がりますから。幸せになりましょう、リア様。それを望んだ人がいるんですから」
「!?」
幸せですか? そうネーナに聞いたマリスアリアは、ネーナの目には幸せそうに見えなかった。
公爵家に生まれた者の責任、それだけではなく。きっとマリスアリアの心の中には、添い遂げる事が叶わなかったウーべ・ラーンへの思いが強く残っている。そう感じたネーナは、少し狡いと思いながらもラーンの事を引き合いに出した。
アンデッドナイトとなったラーンとオルトの戦いに立ち会ったネーナは、ラーンの最期の言葉も聞いていたのである。
――ラーン様も、これくらいは許してくれるでしょう。
涙ぐむマリスアリアを眺めながら、ネーナは小さな声で呟いた。
◆◆◆◆◆
薄暗い部屋の中、机の上に置かれた水晶球が白い壁に像を映し出している。
映像は無音で、食い入るように見つめる者達は一言も発しない。誰かがゴクリと喉を鳴らす音が部屋に響いた。
映像が途切れて部屋が暗くなると、何人かが一斉に溜息を漏らした。
「以上が、『剣聖』マルセロとの遭遇戦です」
スミスが告げると、冒険者ギルド本部のフリードマンは重々しく頷いた。
「お疲れ様でした、皆さん。ご無事で何よりです」
「いえいえ。フリードマン『統括理事』こそ、昇任おめでとうございます」
リチャードの返しにフリードマンが苦笑する。何度もリベルタとシュムレイ公国を行き来しているフリードマンは、今回の来訪で肩書きが『冒険者統括』から『統括理事』に変わっていた。フリードマンからすれば、押しつけられる厄介事が増えるだけでしかないのだが。
「それにしても……オルトさん何やってるの? 私、見ていて気持ち悪くなっちゃった」
「私達が駆けつけたのは最後の方だったからな……本当に一人でやっていたとは」
オルトとマルセロの戦いをノーカットで観たマリンが、顔を真っ青にして言う。サファイアは遠い目をした。
ギルド支部の会議室には、支部の職員のカミラとレベッカ、本部のフリードマンと随行の職員、そしてネーナを除く【菫の庭園】と【四葉の幸福】、【運命の輪】の三パーティーが集まっていた。
逃走したマルセロと対峙した冒険者が集められたのだが、セドリック達【真なる勇気】一行は呼ばれず、ギルド支部で所定の報酬を受け取ると足早にリベルタに帰って行った。
イリーナが半眼でオルトを見る。
「で。オルトは何で難しい顔してるの?」
「……自分ではギリギリで躱して踏み込んでたつもりだったが、今見るとかなり甘かった。あれではカウンターの効果が無い。腰が引け過ぎている」
『…………』
周囲が静かになり自分に視線が集中している事に気づき、オルトが顔を上げた。
「どうかしたのか?」
「あそこからまだ踏み込むのかい? 命知らずにも程があるよ」
「全くだ」
呆れ気味にツッコむリチャード。ブルーノも同意する。フリードマンがゴホン、と咳払いをする。
「この映像を本部に持ち帰れば、オルトさんには個人でSランク昇格の話が出るでしょう」
「まあ、当然だよね。『剣聖』マルセロがSランクを剥奪されたのは、実力じゃなく素行の悪さ。そのマルセロと単独で戦り合えるんだから」
リチャードが納得し、仲間たちも頷く。だがオルトは頭を振った。
「その話なら、断る」
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