第百二十六話 泣いていてはお兄様が休めませんから

「うおおおおおおおっ!!」


 絶叫と共に咄嗟に前に突き出した左手から、『剣聖』マルセロの姿が光の奔流に呑み込まれていく。


 大盾を構えたブルーノが身を乗り出す。


「やったか!?」

「まだです!!」


 スミスは即座に否定し、目を凝らした。


 スミス達はオルトとマルセロが激戦を繰り広げる中、全員で階段下へと移動していた。リチャード達【四葉の幸福】が守りを固め、【運命の輪】はセドリックの仲間達の救助に回っている。


 これにより、防御に追われていたレナとスミスの枷が漸く外れた。二人は正しくマルセロの気配を察知し、追撃の準備を整えていた。


「……やってくれたな、クソッタレが」


 屋敷の壁面のみならず、遠く離れた塀まで消し飛ばす一撃に耐え、マルセロは尚も立っていた。スミスが顔を顰める。


「左手を犠牲にして直撃を避けたのですか……」


 マルセロの左腕は、肘から先が失われていた。だがその断面から赤黒い塊が盛り上がり、異形の腕を形作っていく。


 新しい左手の感触を確かめるように、マルセロが拳を握っては開いてを繰り返す。その間ずっと、敵意に満ちた視線がオルトに向けられていた。


「魔剣の力を使い過ぎたが、背に腹は代えられねえ。てめえだけはここで始末していく」

「…………」


 オルトは無言でマルセロを見据え、剣を構えている。マルセロが一歩を踏み出そうとしたその時、突如足下に小さなクレーターが出現した。


重力の牢獄グラビティ・ジェイル!』

神の息吹ゴッド・ブレス!!』

「グアァァァっ!!」


 マルセロが思わず膝をつく程の超重力。間髪入れず、レナが発した力の波が直撃する。リチャード、サファイア、イリーナの三人が抜剣し、マリンの補助魔法が飛ぶ。


「僕等も行くぞ!」

身体強化フィジカル・アップ!!』

「この……ッ! 雑魚どもが調子に乗りやがって!!」


 苦悶の表情を浮かべながら、マルセロがゆっくりと魔剣を振る。マルセロを押さえつけていた力場が弾け、消滅した。


「気をつけて下さい! マルセロが拘束を脱しました!」


 スミスは警告を発すると、呪文の詠唱に入る。大魔術の行使と察したレナは、時間を稼ぐ為にリチャード達とマルセロの近接戦に加わっていく。


百花繚乱ミル・ベル・フルール!!』

八方塞りステイルメイト!!』

「っ! 小賢しい!!」


 サファイアによる細剣の乱れ突きと、リチャードの牽制攻撃の連携。リチャードが作った死角に走り込んだイリーナは、全力で大剣を振り抜いた。


大旋風ウィリー・ウィリー!!』

「チィッ!」


 防御を突破されたマルセロが、異形の左手で大剣を受け止める。一瞬だけイリーナが押し込むも、大剣は微動だにしない。全力で振り切った剣を止められるのは、イリーナには初めての経験だった。


「っ!?」


 逆に反撃を受けたイリーナの腕が薄く裂ける。イリーナは硬直したように動きを止めた。


「イリーナ!!」


 レナが咄嗟にイリーナの襟首を掴み、力任せに後ろに引く。直後、それまでイリーナがいた場所を魔剣の刃が唸りを上げて通過した。


解呪リムーブ・カース!』

「……かはっ! 魔剣が掠ったら麻痺した!」


 レナの解呪を受けたイリーナが身体の自由を取り戻し、咳き込みながら魔剣の効果を訴えた。


「魔剣の呪いを一発で剥がしやがる! ……クソッ、潮時かよ」


 マルセロは聖女の力を発揮したレナを睨みつけ、詠唱を続けるスミスにも目を向ける。


「逃がす訳にはいかない!」

「そう言う事だね!」

さえずってんじゃねえ!」

『っ!?』


 サファイアとリチャードが左右から斬りかかるも、マルセロの一閃に抗しきれず後退した。マルセロが剣を振り上げ、忌々しげにオルトを見る。


「……レナ、そいつに伝えとけ。『勝ったつもりでいるんじゃねえぞ』ってなあ!!」

「何を――っ!?」


 マルセロに駆け寄らんとするレナの目の前で爆発が起きる。レナは瞬時の判断で、仲間達を守るべく強力な防御法術を行使する。


聖域の長城グレート・ウォール!!』


 間一髪で障壁が発現して事無きを得るが、爆風が収まり視界が回復した時にはマルセロの姿はなかった。


 玄関ホールも壁から天井まで吹き飛び、外との境目が無くなっている。レナが視線を向けると、スミスは力無く頭を振った。


「……すみません。詠唱完成まで、後一節でした」

「皆、生きてる。『剣聖』マルセロと戦って五体満足で、それ以上欲張る事ないわよ」


 仲間達がレナの言葉を噛み締める。フェスタは、剣の構えを解こうとしないオルトに歩み寄った。




「――オルト」




 フェスタの呼びかけにもオルトは動かない。そこで漸く、仲間達もオルトの異変に気がついた。


 ネーナはオルトの剣が壊れた事のショックで呆然と座り込み、二人の様子を見つめている。


「ねえ、オルト。戦いは終わったわ。有難う、私達を守ってくれて」


 固く剣を握りしめるオルトの両手を、フェスタは優しく包み込んだ。一本一本指を解し、オルトの手から剣を預かる。


「……貴方も有難う。長い間、オルトを守ってくれて」


 剣身に広がるヒビにも、崩れるのを拒むかのように剣の形を取り続けるオルトの相棒。その長剣を、フェスタは静かに鞘に収めた。




 カチッ――コトッ。




 鞘の底を打つ、微かな音。それを聞いたネーナは、もう溢れる涙を止める事が出来なかった。


 フェスタがオルトを抱きしめる。


「お疲れ様。少し休んでいて」

「…………」


 玄関ホールの隅で座り込むネーナの下へ、仲間達に支えられたオルトがやって来る。広げた外套の上に横たわるオルトを見て、イリーナは唇を噛みしめた。


「何なのよ……意識も無い癖に凄い殺気出してさ。マルセロを逃したのは自分の責任だって言いたいの? 私達は一緒に戦わせてくれないの?」


 オルトはフェスタに身体を預ける直前に一言、『済まない』と言ったのだった。誰に言うともないその言葉を、仲間達は確かに聞いていた。


「ネーナ、エイミー。オルトをお願いね。私達は近くにいるから、何かあったら呼んで。オルトの意識が戻るまで、起こさなくていいから。それと――」


 フェスタがオルトの腰から鞘ごと剣を外して差し出す。ネーナは恐る恐る受け取った。


「それはネーナが持っていて。何か言いたいのなら、謝罪ではなくお礼を言いなさい」

「……はい」


 ネーナにそれだけを伝えると、フェスタはスミスやリチャードと事後処理の相談を始める。マルセロが逃走したからには、早急にしなければならない事があるのだ。


 逃げたマルセロに対する緊急配備の要請、『災厄の大蛇グローツラング』拠点の捜索と掃討、オルトとマルセロが戦った玄関ホールの現場検証。公国軍の指揮官とも協議し分担を決めて、仲間達が散っていく。


 フェスタとスミスが去った後、残ったレナは溜息をつき、床に横たわるオルトの頭をネーナの膝の上に乗せた。


「……ネーナ、それからエイミー。オルトは私達が願えば、どんな犠牲を払っても助けてくれる。でも、オルトを助けてくれる人はいないし、オルトが何も失わない訳でもない。今回の事を泣いて終わりにはしないで、ネーナ」


 ――でないと、次に失うのはオルトの命かもしれないから――


 重い言葉を残し、レナもフェスタ達を追って歩き出す。その途中、所在無げに佇むセドリック達【真なる勇気】一行の近くで立ち止まった。


「……あんた達はやりかねないから先に言っとくけど。ネーナに近づくんじゃないわよ。あんた達の言葉ばかりの謝罪なんか聞いても、あの娘が傷つくだけなんだから。どうしても言いたいなら、あたしがここで聞いてあの娘に伝える。だからさっさと、あたしらの視界の外に出てって」

「え、あっ」


 図星を突かれたような顔のセドリックに心底呆れながら、レナはセドリック達を追い立てた。


 ネーナに対しては言葉を選んだレナも、セドリックには非常に辛辣だった。だがレナとしては、『余計な所で動き出してオルトの邪魔をした』と言わないだけ優しいと思っていた。


 セドリックが謝罪をすれば、オルトもネーナも受け入れるだろう。だがオルトは大事な剣を失い、ネーナは自分がセドリック達の救助を申し出た事でオルトが剣を失う事になってしまった。その上、肝心な『剣聖』マルセロには逃げられている。


 結果は結果。もしもの話をしても仕方ないのだとわかってはいる。それでもレナに言わせれば、【真なる勇気】一行がリチャード達と共に行動していれば、そうはならなかったのだ。


 自分が許されスッキリしたいが為の謝罪。それでセドリックがこの一件を終わりにするのは、レナには受け入れられない話だった。


 ――聖女らしからぬ了見の狭さって言われたら、それまでだけど。そもそも今は聖女じゃないからね。


 フェスタとスミスは、レナがこうする事をわかっていた。止めるだけ無駄であり、二人とも【真なる勇気】の行動については腹に据えかねていたので、レナに対応を任せたのである。


 お墨付きを貰ったレナは、自重する気など無かった。




 ネーナは鼻を啜りながら、オルトの髪を撫でていた。呼吸で静かに胸が上下し、アッシュベージュの髪が揺れる。表情が辛そうでないのが、ネーナにとっては救いだった。


 ずっとオルトの姿を目で追っていたネーナは、オルトが最後の一撃を放った時には、既に意識が無かった事に気づいていた。その前に剣が壊れていた事にも。


「……お兄さん、苦しくなさそうで良かったね」

「……はい」


 エイミーと二人、覗き込んだオルトの顔は安らかに見えた。


【運命の輪】の救援でシュムレイ公国を舞台とする一連の事態に関わってから、ネーナ達【菫の庭園】がゆっくりと休んでいる時間は無かった。


 中でもオルトの負担は他のメンバーの比ではなく、この『災厄の大蛇』の拠点強襲作戦の前には、アオバクーダンジョンの奥で幾日も休まず戦い続けていたのだ。それも一人きりで。


 決して万全とは言えないコンディションを誰にも悟らせず、オルトは臆する事なく『剣聖』マルセロに立ち向かい、一歩も引かずに渡り合った。


 意識が無かったとしても、剣が壊れていたとしても。もしもネーナや仲間達が生死の危機であれば、オルトはマルセロに挑んだに違いない。ネーナが知る『兄』のオルトは、そういう人物である。


 目に涙を浮かべるネーナに、エイミーが頭を下げた。


「ごめんね、ネーナ。助けてあげられなくて。わたし、あの人を……マルセロを見たら、怖くて何も考えられなくなって……皆が大変な時にわたし、何もできなかった……」


 エイミーの謝罪に、ネーナはフルフルと首を振った。


「エイミーは何も悪くありません……悪いのは私です。お兄様がこんなに疲れ果てるまで戦ったのに、私が台無しにしてしまいました。お兄様の大事な剣だって……」


 ネーナにとって何よりもショックだったのは、オルトの剣が壊れた事であった。


 オルトがその剣を殊の外大切にしていた事を、ネーナは知っていた。フェスタから、その剣はオルトが騎士になった時に、家族や家人、知人友人達から贈られた物だとも聞いていた。


 鞘のシンプルな装飾は男性達が一振りずつ鎚を入れ、柄に巻いた革には女性達が一針ずつ糸を通したのだという。それらは共にオルトの無事を願う意味合いがあり、ネーナとエイミーも我儘を言って革に針を入れさせて貰ったのだ。


 その剣が壊れた。原因は自分だ。ネーナはそう思わずにはいられなかった。目から滴が溢れた。




「――ネーナ。泣いて……いるのか?」

「っ!?」




 聞こえる筈のない声。


 ネーナの膝の上で、オルトが薄く目を開けていた。その頬についている水滴を見て、ネーナは慌てて涙を拭った。


「どこか、痛むのか?」

「な、何でもありません」


 ――私が泣いていては、お兄様がお休み出来ませんね。


 こんな時にも気遣ってくれるオルトに、ネーナはまた涙が溢れそうになるのを懸命に抑える。


「……エイミーは?」

「ここにいるよ、お兄さん。もう平気だよ」


 名を呼ばれ、傍らのエイミーがオルトの手をギュッと握る。オルトが微かに頬を緩めた。


「そう、か……」

「マルセロは逃走しました。今は皆で事後処理に当たっています。私とエイミーでお守りしますから、もう少し休んでいて下さい、お兄様」

「お兄さん、ゆっくり寝てて?」


 二人に勧められ、オルトは静かに目を閉じた。


「私の膝は固くないですか?」

「……柔らかいよ」

「良かったです」


 短い返事に、ネーナが微笑む。


「今度は、お兄様が膝枕をして下さいね?」

「…………」


 返事の代わりに、小さな寝息が聞こえてきた。

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