第百二十五話 俺の相棒を舐めるなよ
「何だそりゃ、そんな理由で……」
「相手からすれば理不尽な理由で奪い、犯し、殺す。お前がやって来た事だろう、『剣聖』マルセロ。自分だけは一方的に奪う側だと思っていたのか?」
オルトは剣を持つ手に力を込め、回復度合いを測った。長々とマルセロの話に付き合っていたが、余裕を見せておきながらその実、かなり消耗していたのだった。フェスタが見抜いていた通りである。
その情報は長い会話時間によって、正しくマルセロに伝わった筈。それは意図してリークされたもので、オルトは激しく剣を差し合う戦いの傍ら、情報戦と心理戦をも仕掛けていたのだ。当然、この休息にも意味がある。
恐らくは、マルセロは戦闘の疲労もダメージも残っていない。考えられるのは魔剣『魔神の尾』が所有者に与える加護だ。一度打ち合った時に感じた魔力の強さから、斬られれば何らかの状態異常を強制付与される可能性も捨て切れない。
これ以上決着を先送りしても、二人の戦いにおいてはマルセロが有利になるだけ。だがマルセロにとっても、敵の増援ばかりが来る状況は歓迎出来ない。
ホールの中央で対峙していたマルセロとオルトが、勝負の時と定めて同時に仕掛けた。
互いの剣が交わる事の無い戦い。マルセロの嵐のような連撃を、オルトは踏み込みながら回避し、距離を詰める。見ているレナが、顔を引きつらせた。
「踏み込んで躱すなんて……イカれてるよ」
マルセロと直接戦った経験があるレナには、オルトがどれ程リスキーな事をしているのかわかる。
マルセロを最後は三人がかりで抑え込んだあの時、レナは勿論、戦士のバラカスも勇者トウヤさえも、マルセロの剣の間合いで勝負する事は出来なかった。
一度でもしくじれば死ぬ。そんな極限の緊張感と恐怖感をねじ伏せ、剣撃を掻い潜ってオルトはマルセロに肉薄する。
ただ躱すのみならず、フェイクを交え視線と重心の移動を敵に見せて攻撃をコントロールする。オルトはマルセロとのファーストコンタクトから、ただの一度もミスをしていない。
「踏み込まなければ、オルトの剣が届かないもの。届かないとわかっている攻撃では、あの剣聖にプレッシャーをかけられないわ」
「だけど理屈がそうでも、それをマルセロ相手に実行しようなんて普通は考えない。考えても最後まで実行しきるのに、体力も精神力も続く訳無いでしょ」
フェスタとレナのやり取りを聞いたネーナが、ポツリと呟いた。
「……お兄様はきっと。最初に『剣聖』マルセロの話を聞いた時に、こうして戦う事を決めていたんだと思います」
まるで、この状況を想定していたかのような手際の立ち回り。オルトの卒のない動きは、入念なシミュレーションが繰り返された事を仲間達に思わせた。
オルトの連続突きを引いて回避し、マルセロは漸く距離を取って一息ついた。奇しくもレナと同じ感想を口にする。
「てめえには恐怖ってもんが無えのか? そんな貧相な武器と防具で俺に近接戦を挑むなんて正気じゃねえぞ」
「……恐怖は、とうに超えてきた。俺が正気でなかったとしても、こうしてお前と戦えている。それで――十分だ!!」
「っ!?」
オルトがマルセロを休ませまいと一瞬で距離を詰め、剣を袈裟に振り下ろす。その一撃が篭手を掠め、マルセロは顔を歪めた。
マルセロの身体は疲れを感じないとして、頭はどうか。絶えず瞬時の判断を迫られる状況が続いて機能出来るのか。オルトはマルセロに揺さぶりをかけ続けていた。
オルトには、一分の迷いも無かった。
情勢は一進一退から、僅かにオルトの攻勢。
だが、ずっとオルトの背に向けられていたネーナと仲間達の目は、ここに来て階段の下に釘付けになっていた。レナが吐き捨てるように言う。
「あの馬鹿、よりによってこんな時に……」
階段から落ち、折り重なって倒れていた者達の中から、セドリックが顔を出していたのだった。
肩書きとしては『勇者パーティーのメンバー』である【真なる勇気】の面々は、一方的にではあるがマルセロを知っている。セドリックは玄関ホールにいるマルセロを見つけて、暫くの間固まっていた。
しかし、何かに気がついたように周囲を見回すと、倒れている者達を掻き分け始めたのである。
「仲間があの下敷きになってるんだ……スミス、どうするの?」
「こちらにはどうにも出来ません。今動けば、オルトの戦いに影響が出ます。それに階段下にいる者の中には、気を失っているだけの敵もいます。我々までそちらの対応に追われれば、オルトの援護が出来なくなります」
レナとスミスのやり取りを聞きながら、ネーナは逡巡していた。
スミスの指摘は全くもって正論だ。ここは何よりも、オルトがマルセロを封じ込む事が優先される局面である。マルセロを自由に動かしてしまえば、どれだけの被害が出るか見当もつかないのだから。理屈は明らかである。
そもそもネーナはセドリックに不愉快な暴言を吐かれたし、今回の強襲作戦で【真なる勇気】が強襲部隊に資する行動をした形跡も見られない。リスクを冒して助ける筋合いは無い。感情的にも、助けたいとは思えない。
そのセドリックが今、ネーナの目の前で仲間を懸命に探している。その姿を見たネーナは、思わず仲間達に訴えていた。
「――セドリックさんに手を貸す事は出来ませんか?」
ネーナの言葉を聞いた仲間達は、一様に驚きを示した。
「自分で何を言っているか、わかってるの?」
レナが聞き返す。ネーナがぎこちなく頷くと、レナは溜息をついた。
「オルトの邪魔をする気? オルトがあそこで戦ってるのは、あたし達の為よ?」
「…………」
このタイミングで長い問答は不要。そう考えたレナは、敢えて嫌な言い方をする。
痛い所を突かれ、ネーナは沈黙してしまった。
どんな相手であれ見捨てていい筈が無い。セドリックの仲間が倒れている者達の下敷きになっていたら、重傷を負っている可能性もある。救出は早い方が良く、人手が多い方が良いに決まっている。
だが、ネーナが今そんな事を言えるのは、オルトが一人で『剣聖』マルセロを抑え込んでいるからだ。レナの指摘したのはそこだった。
マルセロがネーナを狙った時、阻止に動けたのはオルト一人だけだった。オルトがいなければ、ネーナは連れ去られて辱められていたかもしれない。或いはパーティー全員での総力戦になり、誰かが命を落としていたかもしれない。
そんなネーナが、ギリギリの戦いを続けているオルトの足を引っ張るのか。レナの言葉は容赦無くネーナの心を抉った。オルトの邪魔をしたい筈など無い。
――でも、だけど。
胸の内で二つの思いがせめぎ合ったまま動けず、ネーナはマルセロと戦うオルトの背中を見つめていた。
「――ネーナ」
「っ!?」
そのネーナに、目の前で戦っているオルトが背中越しに呼びかけた。ネーナが驚きで目を見張る。
「どうしてもやりたい事があるのなら。その時は俺の事は考えなくていいから、全力でやれ。困った事があれば、必ず助けに行く」
「麗しい兄妹愛だな、反吐が出るぜ! 本当の兄妹でもない癖によ――っ!?」
オルトの言葉を鼻で笑ったマルセロが、その鼻先を掠めんとする一閃を慌てて避ける。
「さあ行け、ネーナ」
「は、はい!!」
ネーナが弾かれたように走り出す。
オルトが一瞬だけ、レナとフェスタに視線を向ける。フェスタは困ったように微笑み、レナは溜息と共に愚痴をこぼした。
「全く……ネーナとエイミーには甘過ぎるのよね!」
「今回ばかりはレナに同感ね」
結界の維持で動けないスミスと、まだ本調子でないエイミーの守りをレナに託し、フェスタがネーナを追う。階段下に倒れている者の大半は敵なのだ。魔法使いのネーナが襲われては一溜まりもなく、一人でなど行かせられない。
「ケッ! 俺が大嫌いな偽善者かよ!」
正直過ぎるマルセロの感想に、オルトは思わず苦笑を漏らした。
「誰も彼も助ける訳じゃないし、否定出来んな。それも自分の力を顧みずにやろうとするから、他人まで巻き込んで傷つける事もあるかもしれない」
助けられないものだってあるだろう。自分が助けた後に起きた事で、思い悩む時もあるかもしれない。『どうしても駄目だ』と言えばネーナは大抵の事は聞き分けてくれるが、オルトは可能な限りネーナの好きにさせるつもりであった。
「だけどな。あの娘はあのままでいいのさ。もしも越えられない壁が立ち塞がるのなら、そいつは俺が斬れば済む事だ」
階段下に辿り着いたネーナとフェスタが、【真なる勇気】のメンバーの救出を始める。マルセロの意識がネーナ達に向けられているのを、オルトは感じ取った。
――悪いな、無理をさせて。もう少しだけ付き合ってくれるか。
オルトは愛用の剣に小さな声で語りかけ、マルセロに対して一気に攻勢に出る。
キィィィィン!!
二振りの剣が合わさり、魔力と闘気が干渉して耳障りな音が響き渡る。それまでひたすら剣で打ち合う事を避けていたオルトの変貌に、マルセロが驚愕している。
「余所見していていいのか?」
「チィッ!!」
ギンッッ!
鍔迫り合いからオルトが押し込み、それを嫌ったマルセロが魔剣の力を開放する。
『
「っ!?」
オルトは飛ばされながら
「お、お前は何を……」
「手を動かしなさい! お仲間を助けるのでしょう! お兄様が作った時間を無駄にしないで!!」
「あ、ああ……」
階段下に辿り着いたネーナは、戸惑いを見せるセドリックを一喝した。そのままフェスタと共に【真なる勇気】のメンバーを探し始める。
オルトとマルセロが戦っている場所からは、今までは無かった剣の打ち合う音が聞こえて来る。作業に集中する為に見ないようにしていても、ネーナはそちらが気になって仕方ない。
「オルト、無事か!?」
聞き覚えのある声に、ネーナが顔を上げる。玄関扉をブルーノが開け放ち、【四葉の幸福】と【運命の輪】の面々がホールに駆け込んで来るのが見えた。
負傷や装備の損傷はあるものの、全員揃っている事にネーナは安堵した。二つのパーティーはスミスの結界の中で、レナによる回復を受けている。
ギンッッ!
少し鈍い金属音が聞こえて、ネーナの注意が玄関ホールの中央に向けられる。オルトが吹き飛ばされ、マルセロがこちらに向かって来るのが見えた。
ネーナは息を呑み、フェスタがサーベルを抜いて庇うように前に立つ。近くにいるセドリックは、声にならない悲鳴を上げた。
ネーナの目は、オルトの姿を追っていた。ネーナの耳は、確かにオルトの声を捉えていた。
――
『
ギィィィィン!!
玄関ホールを雷光が駆け抜ける。ネーナの前には、再びマルセロと対峙するオルトの背中があった。
「お兄様!!」
ネーナの叫びに、オルトは応えない。マルセロが勝ち誇ったように嗤う。
「ハハハ! 奥の手を隠し持ってやがったか! だが残念だったな、お前の剣は今の一合で――」
「まだ死んでないぞ。俺の相棒を舐めるなよ」
「!?」
――
パキッ。
ネーナの耳に小さな音が、続いてオルトの声が届いた。
――ありがとう、今まで俺を守ってくれて。俺の大切なものを守ってくれて。……誰が何と言おうと、お前は名剣だったよ――
雄牛の構えから、オルト渾身の一閃が放たれた。
『
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