第百二十四話 あの娘達の未来に、お前は要らない

「……何なの、これ」


 目の前で繰り広げられる戦いを呆然と見ながら、レナが呟く。


 一撃必殺を思わせる『剣聖ソードマスター』マルセロの荒々しい斬撃を、『刃壊者ソードブレイカー』オルトは最小限の動きで全て回避し、鋭いカウンターで反撃をする。


 疲れを知らぬかのように休みなく攻め立てるマルセロであるが、時折誰にともなく悪態をつき、酷く苛立っているのが見て取れる。


 今のマルセロの表情に、レナは見覚えがあった。それはかつて、マルセロがトウヤ、レナ、バラカスの三人に追い詰められた時の表情である。


「はは、あたしらが三人がかりでやっと取り押さえたマルセロを、一人で相手にしてるよ……」


 レナの言葉に、力は無かった。


 条件は同じではない。かつてのレナ達はマルセロを殺さずに捕縛しようとした。今、オルトは迷いなく殺す気で戦っている。だが仮に殺す気で立ち合うとして、この世界に『剣聖』とサシで渡り合える者が何人いるというのか。


 オルトが自分よりずっと強いと、レナはわかっていた。スミスの話を聞き、共にオルトと戦ってみて勇者パーティーの他のメンバーよりも強いと確信を持った。


 レナは思った。どうして今なんだろう、と。トウヤもマチルダも、他の死んでいった仲間達も生きている時でなく、どうして今ここに、オルトがいるのか。理不尽は承知で、それでもレナはそう思った。


 レナは目の前でマルセロと渡り合うオルトの姿を見て、言わずにはいられなかった。


「もし、あの時オルトがいたら――」

「それは詮無き事ですよ、レナ」


 スミスが窘める。その仮定は無意味なのだと。




 サン・ジハール王国が召喚した勇者トウヤの供を最初に決めたのは、王国の各勢力だ。その中には最後までトウヤと共にあったバラカス、フェイスもいたが、当時は新人の王国騎士であったトーンオルトを見出す事は出来なかった。


 騎士の代表として送り出されたのは、侯爵家の嫡男で王国騎士団の若手の出世頭であるヴァンサーンであった。オルトを虐げていた者が王国騎士団の主流派だったのである。


 恋人として長い間オルトと過ごして来たフェスタが、スミスに同意する。


「オルトはずっと、騎士学校の頃から誰にも本当の力を見せなかったから。学校でも騎士団でも、他の連中はヴァンサーンと一緒にオルトをイビるか、腫れ物扱いするかのどっちかだったわ」


 オルトの実家であるキーファー子爵家は、ヴァンサーンのレオニス侯爵家を主流派とする軍閥に名を連ねていた。そのヴァンサーンに騎士学校で目をつけられたオルトは、実家を守る為に理不尽な扱いを甘んじて受け入れるしかなかった。


「オルトはたった一人、自分の戦いを続けていたのです。我々がそんな彼を見出し、手を差し伸べる事が出来なかった、それだけの事です」


 オルトの存在も、オルトが受けた仕打ちも知らなかった勇者パーティーのメンバーが『もしも』の話をするのは虫が良すぎる。スミスにそう言われて、レナは返事が出来なかった。


 ――そう言えば、騎士団長とお兄様の決闘の時でさえ、お兄様の勝利を確信していたのはフェスタとブレーメ隊長だけでしたね。


 ネーナは仲間達の話に耳を傾けながら、どこか浮かない表情で、目の前の現実離れした戦いを見つめていた。


「それに、恐らくだけど。オルトは今、全然余裕無いわよ」

「そんな筈――」

「そうかもしれません」


 レナとスミスは、フェスタの言葉にそれぞれ違う反応を示した。フェスタはネーナに問いかける。


「ネーナはわかる?」

「いつもとは違う……それだけしか」


 ネーナはオルトの動きを完全に捉えきれてはいない。この一年弱、ずっと見つめてきたオルトの背中と比べた違和感。ネーナの『完全記憶能力』をもってしてもその違いを見つけ、言語化するのが困難な程度のものだ。


 スミスが溜息をつく。


「オルトの恋人であるフェスタと、『完全記憶能力』を持つネーナが辛うじてわかる話ですか。でも、十分有り得ますね」


 レナやスミスが容易に感じ取れるようなものならば、オルトと直接対峙しているマルセロがわかってしまうだろう。


 少なくとも目に見える限りでは、オルトはマルセロと互角に渡り合い、相手が隙を見せれば喉元に食いつかんとしている。マルセロもそう感じている筈で、思い通りに戦いを進められない苛立ちを滲ませていた。


 だが本当は、オルトが出だしから無理を押してマルセロと互角の状況を作り出し、それを悟られないように懸命に維持しながら隙を窺っている。そう考えるのが自然ではある。


「恐るべきは、『剣聖』を敵に回したギリギリの戦いを盤石のものと演出し続けるオルトの精神力、ですか……」


 感嘆するスミスの言葉で、ネーナはオルトにゲームの相手をして貰う時の事を思い出す。


 最終的にはネーナの記憶力が物を言うが、オルトはネーナの気が済むまで相手をしてくれる。それも決して手を抜かず、勝負が長引いてもミスをしないのだ。


 今もきっと同じだろうと、ネーナは思った。様々な物を背負い、その悪名程に武名も轟く『剣聖』マルセロに一歩も引かず。そして極限の重圧の中でミスなく最善手を繰り出し続けて勝機を見出そうとしている。


 レナは首を傾げる。


「でも、オルトにとってもリスキーじゃない? どうしてそんなやり方をしたの?」

『私達の為』


 即答するネーナとフェスタの声がピタリと合った。ネーナが続きを言う。


「――私達の為、です。お兄様が危険を冒す時、それ以外に理由なんてありませんよ」


 マルセロに怯えるエイミーを安心させる為。頭に血が上っていたレナやスミスを落ち着かせる為。自分ネーナやフェスタに、強大な敵との戦いに臨む心の準備をさせる為。【四葉の幸福】や【運命の輪】の下に剣聖が向かうのを防ぐ為。


 予期せぬマルセロとの遭遇にも動じず、仲間達の様子を見てオルトは自分一人で戦うと即断した。だから一人だけ、ネーナを狙ったマルセロの動きに反応出来た。


 ――でも、だけど。私だって。


 ネーナは思う。拳を強く握り締める。


 ネーナとてオルトの力になりたいと願い、努力を重ねている。だが現実に戦いが始まれば、まだ何も出来ない事ばかり。


 視界の中のオルトの背中がぼやけていく。ネーナは唇を噛み締め、涙を堪えた。レナが頬を掻きながら近寄っていく。


「……確かに冷静じゃなかったね、あたし。ネーナ、今の内に回復しておくわ。エイミーもね」

「有難う、ございます」


 レナが二人に手をかざし、法術を行使する。エイミーは落ち着きを取り戻し、ネーナは漸く立ち上がれるようになった。


 レナは戦い続けるオルトに目を向け、自嘲気味に言った。


「……情けない。命に代えてもマルセロを倒すって誓ってたのに、あいつが目の前に来たらこんなザマなんて」

「それは私も同じです。ただ、現実に今は手出しをし辛い状況ですから。いざという時の準備をして、オルトが気を散らさずに済むよう、この場所を守り切らなくてはなりません」

「うん、わかってる」


 スミスが幾重にも結界を張りながらレナを諭す。屋敷にいる敵の大半は、組織の首領が撤退した事を受けて続々と逃げ出していた。玄関ホールに残っているのは、マルセロに突き落とされ階段の下で動けなくなっている者ばかりだ。


 スミスは結界の維持、フェスタがエイミーとネーナに付いており、不測の事態に備えるのはレナしかいない。レナもそれは理解しており、役割を全うする事に否やは無かった。




 オルトが作り出した時間で、仲間達は立て直しを図る。その間にも、『災厄の大蛇グローツラング』拠点の状況は刻一刻と変化する。


「お、おい! お頭達が捕まっちまったぞ!?」


 玄関扉を開け、外から飛び込んで来た男が絶句した。マルセロが顔を顰める。


「おいてめえ!! 『蛇頭』が捕まったのはマジか!? 他の連中――っ!?」




蜂鳥の羽撃きヴァン・ヘイレン




 コンパクト、かつシャープな斬撃の高速コンビネーションがマルセロを襲う。懸命に防戦する『剣聖』の姿を見た男は、悲鳴を上げながら外へと逃げ出した。


「他人を気にする余裕があるのか、『剣聖』?」

「この野郎!!」


 他の幹部達の安否を問う事も出来ず、マルセロのフラストレーションが更に高まる。全く想定外の拙い状況に追い込まれている現実を、マルセロは認めざるを得なかった。


「そもそも何で! てめえみてえな奴がここにいるんだ!! くそっ!」

「まあ、成りゆきだな」

「ふざけやがって!」


 マルセロの影のように付き纏うオルト。振り払わんとするマルセロの横薙ぎを躱しざまに、その胸に鋭く迫る突きを見舞う。




「っ!? これ、どういう事!?」




 玄関ホールに現れた【運命の輪】のイリーナが戸惑いの声を上げた。すぐにネーナ達の姿を見つけ合流し、スミスの結界の中に入る。途中マルセロが意識を向けるも、オルトが牽制した事で狙われずに済んだ。


「あれ『剣聖』マルセロじゃない! オルトが一人で戦ってるの!?」

「あたし達は、加勢する機会を窺って準備してる。裏庭はどうなったの?」


 レナの問いにメラニアが答える。


「二人、恐らく組織の幹部が裏門を突破しましたが、屋敷の裏側は公国軍が制圧しました。警戒する兵士を残して、後は正門側の増援に回っています」

「ご苦労様です、メラニアさん。幹部を倒したと聞きましたよ」


【運命の輪】は、『災厄の大蛇』の幹部を三名倒したのだとメラニアは告げた。巨大犯罪組織の幹部ともなれば、Aランク冒険者にも匹敵する実力を持つ者もいる。メラニア達は破格の戦績を挙げたと言えた。


「それで、オルトさんは……」


【運命の輪】の神官であるクロスが、オルトを気遣う。クロス達は、北セレスタで暴れたマルセロの力を肌で知っているのだ。


「オルトは恐らく、マルセロを仕留める算段が出来ています。私達が動くのは、成否に関わらずそれを待ってからです。焦って援護のタイミングを間違えれば、オルトの苦労を無駄にしてしまいます」

「……わかった。メラニア、私達は正門側の応援に行こう」


 スミスの話を聞いたイリーナが、仲間達を促す。その視線は、剣聖マルセロと対峙するオルトの背中に注がれていた。


「私達はオルトの足を引っ張る為に来たんじゃない。正門側で【四葉の幸福】に合流して制圧を早めれば、オルトの援護になる。そうよね、スミス?」

「はい、間違いありません」

「じゃあ行こう。前にも言ったけど、私は本気で、オルトは剣聖より強いと思ってるから」


 イリーナに続き、【運命の輪】の面々がスミスの結界の端に立つ。結界が解除されると、振り返る事なく玄関を飛び出して行った。




 玄関ホールの中央では、オルトとマルセロが足を止めて対峙している。


「てめえ。今日は見逃してやるから、さっさと消えろ」

「俺にはお前を見逃す気は無いがな、剣聖」


 戦いの序盤でしたように、オルトは剣先をマルセロに向けた。


「まさかてめえも、トウヤのクソ野郎みてえに『世界の為、人々の為』なんて反吐の出る事を言わねえだろうな」


 オルトはフッと笑い、剣を鞘に収める。


「俺は、トウヤ殿のような出来た人間じゃない。どこの誰とも知らぬ者の為に命を賭けたりはしないさ。俺がお前を殺すのは、酷く個人的な理由だ」

「ああ? てめえに恨まれる理由は――」

「エイミーは、俺の事を『お兄さん』って呼ぶんだよ」

「あ?」


 オルトの発言の真意が読めず、マルセロが怪訝な表情で聞き返した。だがオルトは、マルセロの返事など耳に入っていないように淡々と話す。


「もう一人、お前が連れ去ろうとした娘は、俺を『お兄様』と呼ぶんだ。二人共、少々手はかかるが心根の優しい娘達だ。自慢の妹達だよ」

「一体、何の話を――っ!?」


 オルトの気配の急激な変化を感じ取り、マルセロが息を呑む。オルトはマルセロへの殺気を微塵も隠さずに言い放った。


「お前はエイミーに何をした? ネーナに何をしようとした? 俺がお前を殺すのに、理由はそれだけで十分だ。あの娘達の未来に、お前は要らない。だから死ね、剣聖マルセロ」

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