第百二十三話 ソードマスター VS ソードブレイカー

「何でここにいるのか、だと?」


 マルセロが酷薄な笑みをレナに向ける。


「ほとぼりが冷めるまで冒険者でもやろうかと思ったら、殺すな犯すなと煩えから全員ブチのめしてこっちに来たのさ。理由はそれだけじゃねえがな」


 レナ同様に険しいスミスの視線は、マルセロの腰で禍々しい妖気を発する魔剣に釘付けになっていた。


「『魔神の尾デビルエンド』……封印を解いたというのですか……!」

「トウヤのクソ野郎が余計な事をしやがったからな。『勇者の封印』だとかで、手間かけさせてくれたぜ」

「何という……」


 スミスが絶句する。


 勇者が施した封印。そう簡単に解けるものでないと考えるのが普通で、実際それを解除する知識は禁術レベルだ。


 儀式に必要とされる素材も、入手難度の高さや人道的理由から通常の手段では揃えられないものばかり。封印解除の事だけを考えた場合、闇の組織に身を寄せたマルセロの選択は極めて現実的かつ合理的であった。


「綺麗事を聞く気は無えぞ? てめえ等に黙って殺されてやる理由も無えしな」

『っ!』


 マルセロにとって『魔神の尾』の封印を解く事は、自身の生死に直結する最重要課題だったのだ。


 生前のトウヤが反対意見を押し切ったものの、マルセロを捕縛した時、勇者パーティー内の意見の大勢はマルセロの殺害に傾いていた。マルセロを解き放った後、メンバーの中には勇者パーティーを離脱して殺しに行こうとした者さえいた。


 世に解き放てば、直接間接にどれだけの被害を与えるか見当もつかない。結果的にトウヤ、バラカス、レナの三名で取り押さえる事が出来たが、他に何人もの重軽傷者を出していた。再び捕縛出来る保証などある筈もない。


 お互いに相容れず、生存を賭けた戦いである以上、マルセロの論を否定する事は出来ない。それを理解しているスミスとレナは、ただ唇を噛みしめるしかなかった。




「――お前の知り合いか、剣聖マルセロ


 マルセロの隣に進み出たスキンヘッドの大柄な男が、一階玄関ホールの【菫の庭園】一行を見下ろす。傍らには長い黒髪に紫のドレスが印象的な美女が侍り、男の異様な風体が一層際立っている。


 男の顔や頭皮を含む肌の露出した部分には、不気味な模様の入れ墨が施されている。まるで蛇に睨まれているようだ、とネーナは思った。


 マルセロはさして興味も無さそうに男を一瞥した。


「ん? ああ、昔のな。だが目当ては俺じゃなくてお前らしいぞ、『蛇頭スネークヘッド』?」

「ふん……」


『蛇頭』と呼ばれた男が不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「既に幹部も何人か失っている。忌々しいが、この拠点は放棄するしかあるまい。剣聖、お前はどうする」

「そうだな……ここんとこ、ロクな女を抱いて無かったからな。追って来られると面倒なヤツもいるし、少し相手してやるさ」


 舌なめずりをするマルセロを置いて、蛇頭が二階の廊下を歩き出す。組織の幹部や側近達も付き従う。


「女がいないのはお前がすぐに壊すからだ、剣聖……俺は先に行くぞ」

「へいへい、客分らしく殿は任されておくぜ」


 戯けた様子でヒラヒラと手を振ると、マルセロは手すりを乗り越え一階に飛び降りた。


「ひッ!」

「エイミー! しっかりして!」


 体格に見合わぬ軽い身のこなしで、マルセロが着地する。威嚇するレナを歯牙にもかけずに近づいて来るマルセロを見て、エイミーが短い悲鳴を上げた。


「エイミー。少々身体は貧相だが、いい女になったじゃねえか。あん時は邪魔が入ってヤり損ねたが、結果オーライってやつか」


 エイミーはネーナの腕の中でガタガタと震え、呼吸も酷く乱れ始めた。フェスタも駆け寄ってくる。


「ひゅッ……怖いよ……」

「エイミー、エイミー!? 一体どうしたの!?」


 懸命に呼びかけるネーナに、マルセロは全く悪びれない様子で告げた。


「なに、ひん剥いたら暴れやがったから、引っ叩いて手足を折っただけさ。大人しくしてりゃあ、気持ち良くしてやったのによ」

「!?」


 ネーナはマルセロの言い草に絶句した。余りにも酷く、しかも自らの言動に良心の呵責はおろか、疑問すら微塵も抱いていない。レナが怒りを露わにする。


「この下衆がッ!! あの時あんたを殺さなかったのは、あたしの一生の不覚だよ!! 今ここで沈めてやる!!」

「私も同感です。老い先短い我が身の唯一の心残りは、貴方が生き長らえている事ですよ! マルセロ!!」


 覚悟を決めた様子のレナとスミスを見て、マルセロがゲラゲラと嘲笑う。


「トウヤのクソ野郎もくたばって、封印を解いた魔剣を持つ俺に勝てる奴なんざいるのか? レナ、スミス。そこでガタガタ震えてるガキと雑魚共を引き連れてもトウヤの代わりにはなんねーぞ」


 レナが舌打ちをする。スミスの見立てでは、勇者トウヤ抜きで『剣聖』マルセロと戦うなら、勇者パーティーのメンバーが最低でも五人欲しい。前衛が三人以上は必要だと考えていた。


 チラリと視線を向けるが、オルトが動く様子は無い。表情から心中を窺い知る事も出来ない。オルトは現状たった一つの希望であり、スミスは戦況次第では非情な決断をするつもりでいた。


 マルセロが一歩を踏み出す。ククリナイフを構えたレナが僅かに腰を沈める。


「レナ。トウヤのおまけとは言え、てめえにも煮え湯を飲まされたからな。面白え薬があるから、散々イキ狂わせてから下っ端共に回してやるよ」

「ハッ! あんたの粗末なモン突っ込まれるなら、オークの苗床にされた方がまだマシだわ!」

「簡単に折れちまっちゃお仕置きにならんからな、それでいいさ。今はそれより――」

「っ!!」


 フェスタに気付けを与えられ、少し落ち着いていたエイミーが再び震え出す。ネーナは二人の前で両手を広げ、キッとマルセロを睨みつけた。


 マルセロがネーナを見てニヤリと笑う。


「――いい女がいるじゃねえか。ツラは良いし身体がソソる。下品じゃねえのも良い。暫く愉しめそうだ」

「抜かれた! ネーナ!!」


 レナが振り返りながら叫ぶ。その時にはマルセロはネーナの前で、胸に手を伸ばしていた。レナ以外、誰も反応出来ていない。ネーナが呆けたように声を漏らす。


「ふえっ?」

「レナ、エイミー。てめえらは俺がこいつに飽きるまで――っ!?」


 マルセロの下卑た笑顔が引き攣り、言葉が途切れた。




疾風ギルヴァート




 突風が吹き抜け、ネーナが堪らず目を閉じる。そのまま身を固くして耐えていたが、いつまで経ってもマルセロの手が触れる時が来ない。恐る恐る開いたネーナの目が、驚きで見開かれた。


「あっ……!」


 ネーナの目に映っていたのは、マルセロの姿ではなくオルトの背中であった。張り詰めていたネーナの心が、大きな安心感で満たされていく。


「ネーナ。立派だったぞ」


 オルトは振り返らず、それだけを言って歩き出した。ネーナは呼びかけようとしたが声が出ず、全身の力が抜けてペタンと尻もちをつく。


 ――あれ。何で?


 足にも手にも力が入らず、全身がガクガクと震えている。フェスタが抱きかかえるるようにして、ネーナを座り込むエイミーの横に並べた。


「あれだけ強い闘気を受け続けたら、動けなくもなるわよ。気がつかない程必死だったのね」


 フェスタに言われて初めて、ネーナは自分が激しく消耗していた事を理解した。エイミーに手を握られ、フェスタに支えられてネーナは上体を起こす。


 ――お兄様、ご武運をお祈りします。


 今ここでネーナに出来る事はたった一つ、心の中でオルトの勝利を願うだけであった。




 ◆◆◆◆◆




 距離を取って警戒するマルセロ。オルトは右手に持った剣を構える事もなく、無造作に歩を進める。やがてオルトは、マルセロまで数歩の所で立ち止まった。


 所謂『一足一刀の間合い』、その一歩手前である。実際にはオルトは距離を無効にする斬撃があり、『剣聖』と呼ばれるマルセロにそれが無いとは考えられない。だが剣士同士の戦いにあって、この間合いは非常に重要な意味を持っていた。


「……てめえ、何者だ?」


『一足一刀の間合い』の手前で止まったオルトに、マルセロが声をかけた。


「剣聖マルセロが男にも興味があるとは初耳だが?」

「……チッ。くだらねえ事言ってると殺すぞ」

「出来るならもうやってる。お前はそういう人間だと思っていたが、違うのか?」

「……チッ」


 忌々しげに、二度目の舌打ちをするマルセロ。元より短気な男ではあるが、今の状況はマルセロが全く想定していないものだった。


 そもそもマルセロは、目に止まったピンクブロンドの髪の美少女ネーナだけ攫い、当面の追手を殺して『蛇頭スネークヘッド』に義理を果たした後は現場を離脱するつもりだったのだ。


 適当な場所に潜んで気が済むまでネーナを嬲ってから、悠々と『災厄の大蛇グローツラング』に合流すればいいと考えていた。


 目ぼしい相手は元勇者パーティーの三人、だが最も厄介だった勇者トウヤはおらず、恐慌状態のエイミーは戦力外。そこらの冒険者が加勢しようと、マルセロがレナとスミスに遅れを取る事など有り得なかった。


 それがどうだ。ネーナを攫って離脱する事も敵を始末する事も出来ず、目の前の冴えない風貌の剣士一人に警戒を強いられている。


 しかし、先刻その剣士が放った疾風を纏う一閃は、剣聖と呼ばれる男をして気を引き締めさせる程の脅威であったのだ。


「俺の名はオルト。『剣聖マルセロ』の悪名には遠く及ばないが、『刃壊者ソードブレイカー』と呼ばれる事もある。それ以上聞きたい事があるのか?」

「……答えになって無えぞ」

「ほう?」


 間合いに入ろうとしていたオルトが、意外そうに立ち止まる。


「俺は戦った相手は大概ブチ殺してきた。斬った奴の顔なんざ、いちいち覚えて無え。だがてめえの太刀筋には覚えがある。てめえは、何者だ?」

「俺が言える事は一つ。剣聖マルセロ、お前と戦うのは初めてだ。信じるかどうかは好きにしろ」


 話は終わりだとばかりに、オルトが間合いに入る。マルセロもそれ以上追及する事なく剣を抜き放つ。


 鞘から抜かれたマルセロの魔剣『魔神の尾』が、ハッキリと目に見える程の妖気を放ち始めた。一般人ならば近くにいるだけで精神に変調をきたしかねないもので、オルトとて長期戦は回避すべきだと感じていた。


 間合いを詰めた二人が同時に動き出す。話すべき事は話した。後は殺し合うのみ。それが二人の共通認識だ。


 ――剣身強化エンハンサー!――


 キィィィイン!!


 まず一合。魔力同士が干渉し合い耳障りな音を響かせる。剣を合わせた二人は、好対照の表情を見せた。勝ち誇るマルセロ。顔を顰めたのはオルト。


「やはり太刀筋に見覚えがあるな。だがそんななまくらで、この『魔神の尾』と打ち合う気かよ!」


 嘲笑するマルセロに応えず、受け止めた魔剣をいなしたオルトが反撃に移る。


 二人はお互いの剣の性能差を正しく認識していた。オルトは剣の刃を闘気で覆い、魔剣を受け止めた。一度や二度なら兎も角、何度も強力な魔剣と打ち合えばオルトの剣が持たない。


「……ふん。だったら、打ち合う必要の無い戦いをするまでだ」


 ――強制駆動オーバードライブ!――


 オルトの身体が一瞬ブレる。周囲の者からは『剣が消えた』と認識される程の高速の剣撃。魔剣を躱して迫る白刃に、マルセロの軽口が鳴りを潜める。


 ピシッ。


 マルセロの左の肩から薄く鮮血が飛び散った。ごく浅いものではあるが、オルトの剣が掠めた赤い筋が二本、マルセロの左肩に走っていた。


「てめえ……」

「本気で来いよ、剣聖マルセロ。その傷は手付けだ。俺の妹達に絡んでくれた分のな」


 マルセロの憎々しげな視線を正面から受け止める。剣を一閃させて血を払うと、オルトは剣先を真っ直ぐマルセロに向けて威嚇するのだった。

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