第二百二十六話 思い出のガーデンパーティー
「――望み、ですか?」
ベッドに上体を起こしたロレッタは、不思議そうな顔をした。
「はい」
ネーナが笑顔で応えると、隣のエイミーもコクコクと頷く。
部屋の中にいるのは、ロレッタとネーナ、エイミーの三人だけ。スージーもバスティアンも、他の使用人もいない。これは
ネーナは朝食の席で、ロレッタの要望を聞き出したいとスージーに告げていた。
部外者の申し出に対する厳しいリアクションも覚悟していたが、予想に反してスージーは、むしろ自分達からも頼みたいと言ってきたのである。
周囲の者もできる限りの事をしたいと思っていたものの、これまでいくら尋ねても、ロレッタは自らの願いを口にしなかったのだという。
身内には遠慮があるのかもしれないと、まずはネーナとエイミーの二人で聞いてみる事にしたのだった。
戸惑った様子のロレッタから、ネーナは開いている窓の外へと視線を移す。秋の日差しが柔らかく庭園を照らし、色とりどりの花がそよ風に揺れている。
「プリムラですか。綺麗ですね」
ネーナの呟きに、ロレッタが微笑んだ。
「この庭園は先々代の奥様に許可を頂いて、使用人達が作ったものです。庭園にあるものは殆どが食用なんですよ」
「食べれるの?」
エイミーが反応する。
スージーとその使用人が住む離れは、元々は侯爵家の使用人の寮であった。かつて食糧事情に乏しかった頃、腹の足しにと使用人達が寮の屋上に菜園を立ち上げた。それが成り立ちなのだと、ロレッタは言った。
「季節のものを収穫して、料理の好きな者が一皿ずつ作って持ち寄り、ガーデンパーティーをするんです。その時には先代の奥様もお見えになられて……」
ロレッタが目を瞑る。ネーナには、彼女が楽しかった記憶を思い起こそうとしているように見えた。
「もう私の先輩や同期の使用人は、侯爵邸にはいません。皆、お暇を頂くか先に逝ってしまいました――ネーナ様」
再び目を開けたロレッタが、ネーナを見詰める。その後に続く言葉が、ネーナにはわかった。
「私に残された時間は、いかほどですか?」
ロレッタは、自身がもう長くないと察していた。日々ベッドの上で衰えを感じ続けていた状況を
余命宣告について、スージーの意向は確認していない。ただ、それを理由にこの場での返事をはぐらかす事は、ネーナには出来なかった。
ネーナは僅かに
「何事も無ければ、一週間程だと思います」
努めて表情を変えず、平静を装って答える。上手く言えた自信は無かった。
ネーナもシルファリオで、トーマス医師が患者やその家族に余命を宣告する場面には何度か立ち会った。その時のトーマスは淡々と伝えていたように思えたが、こうして自分がその立場になれば、大きく心が揺さぶられていた。
冒険者として見届けてきた多くの死とは違う。ネーナは今、厳かな気持ちでロレッタに向き合って――否、目を逸らせずにいた。
「有難うございます、ネーナ様。貴女のようなお優しい方がお医者様で良かった。エイミー様も」
ロレッタが、穏やかな笑みを浮かべて微かに頷く。
「……いつ天に召されても構わぬよう身辺の整理を済ませ、心残りは無くしたつもりでいました。ですが一つだけ、我儘を言いたくなってしまいました」
そして彼女はネーナ達に、ささやかな望みを伝えたのだった。
「もしも、叶うのならば――」
◆◆◆◆◆
「――叶うのならば、皆とガーデンパーティーをしたい、と。ロレッタはそう言ったのね」
「はい」
ネーナが肯くと、スージーは大きく息を吐いた。ネーナは余命宣告の件まで余さず伝えたが、それは咎められなかった。
夕食後の食堂には、主だった使用人達が残っている。初日の夕食こそスージーがホステスの歓迎会のようになっていたが、普段は使用人もスージーと時間を合わせて食事を取っていたのである。
「私は話に聞いた事しかないけれど、実際にガーデンパーティーに参加した者はいるの?」
先代の侯爵夫人が死去して以降、庭園でのパーティーは開催されていない。それは現ロルフェス侯爵のドネルがバーバラと結婚する為に暴走した結果、家中が分断されてしまったからだ。
ドネルがバーバラを侯爵夫人として扱う事に反対した者や、正式な侯爵夫人であるスージーの待遇の悪さを諌めた者を解雇し、家令になったバーバラの父とバーバラは私怨で他の使用人を追い出した。
解雇された使用人はスージーが個人的に再雇用したものの、以前のように全ての使用人が協力してパーティーを開催する事は不可能となってしまったのである。
スージーの問いに応じて、バスティアンを含む何名かの使用人が挙手をする。当時使っていた食器やテーブルセットは先々代の侯爵夫人より贈られたもので、今も大切に保管されているという。
パーティーを再現出来るのならば、残る問題は主賓だけだ。スージーがネーナを見る。
「ネーナさん。ロレッタはそのパーティーに、本当に参加出来るの?」
余命僅かと診断したのは、他ならぬネーナなのだ。そこまで衰弱した老人が、屋外のパーティーに耐えられるものか疑問に思うのは当然であった。
「今すぐには無理ですが、幾つかの条件をクリアした上でなら可能です」
まずは長く室内にいたロレッタの身体を、外気に慣らす必要がある。
栄養価の高いスープや果物のすりおろしたもの、絞り汁などをきちんと摂取して、少しでも体力を戻さなければならない。
スージーとレナの法術によるケアが必須。
パーティーまで医師であるネーナは当日までロレッタにつきっきりの上、本番では強化バフを切らせない。
ネーナはそれらを、指折り数えながらスージー達に伝えた。
「そこまですれば、ガーデンパーティーは乗り切れるでしょう」
その言葉の意味を、スージーや使用人達は正しく受け止めた。詰まる所、ロレッタに残された生命力の配分の話なのだ。
今のままベッドに寝たきりならば、ロレッタはおよそ一週間程で力尽き、天に召される。ロレッタ自身も当初はそうするつもりだった、静かで安らかな死である。
だが彼女は、思い出を作りたいと望んだ。言うまでもなく、衰弱した身体にパーティーは大きな負担になる。死期が早まる事は想像に難くない。
「……ネーナさん。貴女の意見を聞かせて貰える?」
スージーは悩んでいた。使用人達の視線がネーナに集まる。
ロレッタの為だと思っても、その命を縮めるであろう決断をするのは重い。ましてスージー達は、突然彼女の意思を知る羽目になったのだ。
ネーナにとっても、決して軽い気分で言えるものではない。
――お兄様はこんな時、どうするのでしょう。
ネーナは懐に手を入れ、オルトに貰ったお守り代わりの小瓶を握りしめた。
きっとオルトなら、いつものように即断する。でもそれは雑な思考によるものではないと、ネーナは知っている。
今答えなければならないのはオルトではなく、ネーナ自身なのだ。ネーナ・ヘーネスの言葉で、自らの考えを述べなければならない。
元より口を挟んだ以上、最後までロレッタに付き合う腹づもりは出来ている。ネーナはゆっくりと席を立った。
「死は、死にゆく当人のものです。ロレッタさんが良く生きて良い死を迎える為に、可能であるならば彼女の思いに沿われては如何かと。それが皆様の糧にもなると、私は思います」
辺りが沈黙に包まれる。それを破ったのは、一人のメイドだった。
「――奥様」
ネーナは勿論、彼女の顔を覚えていた。昨晩、小屋に泊まり込んでいた女性である。
「ロレッタさんにとって、ガーデンパーティーの思い出はとても大切なものなんです。私達とお別れする前にそのパーティーを楽しみたいと思ってくれるなら、私に否やはありません」
数人のメイドが、我が意を得たりというように頷く。その様子が最後の一押しになった。
「……そうね。私達が揃ってロレッタと過ごせる、最後の機会だものね」
スージーの呟きを了承と受け取り、ワッと使用人達が活気づく。バスティアンはパーティーまでの流れを告げる。
「このパーティーは、使用人達が主催するものなのです。奥様は開催を了承された後は、予定を開けてお待ち頂くだけで結構です。勿論、我々の業務は通常通りです」
「わかりました。準備を宜しくね」
スージーは一任すると、そのまま一人、賑やかな食堂を後にした。
◆◆◆◆◆
手持ち無沙汰になったネーナ達は、客間として用意された部屋に戻った。
ネーナがスミスとの連絡を試みようと、通信用の宝珠を取り出す。
レナはテーブルに頬杖をついた。
「明日には出発の予定だったのが滞在延長だね。四日ってとこ?」
「おそらくは」
レナの目算は、ネーナとほぼ同じ。それは医学的な知識でなく、聖女として活動してきた経験から導き出されたものであった。
パーティーの準備とロレッタの体調を整えるのに二日、三日目にガーデンパーティー。
パーティー終了後に湯浴みを済ませてベッドに戻り、ネーナがバフを解除すれば、ロレッタはその時点で死亡するか昏睡状態になる。昏睡でも死亡が半日程度先に延びるだけだ。
「あたしらがここにいるのは、ロレッタの死亡を確認するまでよね?」
ネーナは答えず、苦笑しながら指をパチンと鳴らして遮音結界を展開した。
「レナ、言い方。部屋の外には使用人がいるんだから」
「あ〜」
配慮に欠けるとフェスタが
意外にもそのレナを、ネーナは擁護した。
「ですが、私達が一刻も早くお兄様とスミス様に合流しなければならないのも事実です」
別行動のオルト達は、アルテナ帝国の帝都レネタールに滞在している。敵地に乗り込んでの交渉に臨むギルド長を守りながら、帝国エリアのギルド支部に所属する職員や冒険者を保護する難度の高い任務だ。
さらにギルドの管理地域であるカリタスへの工作活動と侵略を主導したとして、帝国軍の情報局と研究所を叩くのも大きな目的である。巨大戦力を支えるこれらを失えば、帝国の拡大政策は事実上頓挫する。
表向きはギルドの行動を黙認していても、帝国が国内外の重要な機密情報や研究成果をむざむざと手放す筈が無い。オルト達が軍部の激しい抵抗に遭っているであろう事は想像に難くなかった。
ネーナ達の友人でもある【禿鷲の眼】の面々は、帝国軍に拘束されているのが確定している。今の所聞いているのは、メンバーの一人であるミアが救出された事だけだ。
テルミナとスージーが再会した今、本来ならばネーナ達はすぐさま帝都に向かうべきなのだ。ロレッタに関わって領都での滞在が延びたのは、完全にイレギュラーであった。
仲間達もテルミナを気遣って口にするのを避けてきたが、ここからはオルト達との合流を考えなければならない。それがわかっているテルミナは、会話に横槍を入れず黙って耳を傾けている。
まずはスミスと連絡を取り、最新の情報を入手したい。ネーナが宝珠の前で集中し、魔力を注ぐ。
「…………」
仲間達が見守る中、宝珠がゆっくりと明滅を繰り返す。
「あっ」
エイミーが声を上げた。昨晩と違い、宝珠が点灯する。
『――たし――す』
途切れ途切れ、ノイズ交じりの音声が聞こえてくる。交信の精度を上げようと、ネーナが更に魔力を込める。その額に汗が滲む。
『聞こえますか? 私です、スミスです』
明瞭なスミスの声。おおっ、と仲間達が歓声を上げた。
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