閑話二十八 彼の重荷のままでいるつもりは無いわ

 イリーナの肩を借り、ミアが医務室へ急ぐ。

 

 もつれて倒れ込むように入室した二人の目に飛び込んできたのは、ベッドにうつ伏せになった男の、目を背けたくなるような惨状であった。

 

 二人と入れ違いに、真っ赤に染まった大量の布やたらいを抱えた看護師達が慌ただしく部屋を出ていく。医務室の中央ではクロスや帝都支部の神官、医師、看護師がベッドを取り囲み、懸命の処置を続けている。

  

「ショット……」

 

 ミアの絞り出すような呼びかけに、返事は無い。彼の胸の辺りは微かに上下しており、今も死神の誘いに抗っている何よりの証拠だ。

 

 顔は酷く腫れ上がり、他者との判別も困難な程。何箇所も毛髪を引き抜かれたと思しき斑模様の白髪頭は、元は濃いブラウンだった筈。手足には爪が残っておらず、背中や腕の切創や熱傷の一部からは肉や骨が覗いていた。

 

 発見時のショットはもっと酷い状態であったに違いないと、ミアは思った。

 

 強制的に退役させられたものの、ミアは最近まで軍人であった。そのミアから見て、ショットの身体に残された無数の痕跡とアルテナ帝国軍がスパイや捕虜に行う拷問を結びつけるのは容易かった。

 

 だがどうしても、ショットがここまでの拷問を受ける理由はわからなかった。

 

 パーティーメンバーだったルークの密告でミア達【禿鷲の眼】の面々が拘束されたのは、命令違反の容疑だった筈。敵前逃亡を適用するなら死刑で、いずれにしても拷問とは結びつかない。 

 

 瀕死にさせてまで吐かせたいような情報をショットが持っているとも思えない。何よりミアやショットが知るような事は、ルークとて知っているのだ。

 

「……ホラン、帝国宰相に抗議の書状を」

「はい」

 

 険しい表情のギルド長が指示を出す。ショットは帝国軍の所属だが冒険者でもある。知らぬ所でこのような暴行が行われていたとあれば、ギルドとして黙っている訳には行かない。

 

 この抗議は、未だ身柄の保護に至っていないガルフに危害を加えられないよう、帝国上層部に釘を刺す意図も含むものだ。

 

「ミア」

 

 呼びかけられ、ハッとしたミアが医務室の隅に目を向ける。そこでは血塗れのオルトが身体を拭っていた。

 

「すまん、連れて帰るだけしか出来なかった」

「そんな事……」

 

 詫びるオルトに、ミアは頭を振る。彼を責める気など毛頭なかった。

 

 全身に付着した血糊は、おそらくショットのもの。だが見ればオルト自身も、所々に軽い怪我をしている。ただショットを連れ帰るだけで、オルトが負傷する訳が無い。

 

 聞けばオルトがショットを救出する際、情報局の兵士だけでなく帝国騎士からも妨害を受けたのだという。帝国騎士は、護衛の名目でオルトに同行していた筈であった。

 

 情報局に所属していたミアは、地下に厳重な警備が敷かれたエリアがある事を知っている。進入するには特別な許可が必要で、ミアも入った事が無い。ショットが拘束されていたのなら、そこしか考えられない。

 

 国からも軍上層部からも梯子を外された形の情報局は、一部で強硬に冒険者ギルドの立ち入りを拒んでいる。オルトはそんな場所へ単身突入し、ショットを救出するという離れ業を演じてみせたのである。

 

「ギルド長、スミス。少し外す」

 

 オルトはヒンギス達に一声かけた後、ミアに目配せをして医務室の外へ出た。

 

 ミアはイリーナと共に後を追う。このまま医務室にいても、ショットにしてやれる事は何も無い。肩を借りて歩くミアは、少し落ち込んでいた。

 

「……ガルフがどこにいるのか、まだ掴めてない。少なくとも情報局にはいない」

 

 廊下を歩きながら、振り返らずにオルトが言う。俯き気味だったミアは、ハッと顔を上げた。

 

「だがお前達を拘束したのが情報局ならば、ガルフの行方について何らかの命令が出ている筈だ。締め上げて吐かせる。少し時間をくれ」

 

 オルトが情報局へ向かったのは、ミア達を拘束した憲兵隊が情報局の所属だからだ。実際にショットはそこにいたものの、ガルフはいなかった。

 

 ただ勾留を続ける為にガルフの身柄を移すとは考えにくい。軍の研究所に実験体として引き渡された、悪趣味な貴族に売られたなどという事もあり得る。

 

 全く予断を許さない状況。オルトの纏うビリビリとした緊張感が、ミアに息苦しさすら感じさせる。

 

 そのオルトがふと立ち止まり、振り返った。

 

「ミア。ナディーヌという名前に、心当たりは無いか?」

「ナディーヌ?」

 

 ミアは首を傾げる。

 

 意識を失う前のショットが、ミアとガルフの名に続けて口にしたのだという。女性名のように思えたが、ミアには全く聞き覚えは無かった。

 

 パーティーメンバー同士、素性や私的な交友関係を詮索する事は無い。国外で冒険者として活動している時はともかく、帝都では基本的に別行動なのだ。

 

 帝都にあっても定時連絡以外で接触する事は無い。プライベートでミアが会うのはガルフだけ。以前、ショットに教会に連れて行かれた事はあるが、ミアの様子がおかしくなければ、ショットも声をかけはしなかっただろう。

 

「――あっ」

 

 ある事に気づき、ミアは小さく声を上げた。

 

 あの時ショットは、教会の修道女シスターと共にいた。彼女ならば何か知っているかもしれない。そうミアはオルトに伝える。

 

「教会の場所は?」

「私も行く」

 

 オルトとイリーナが驚きを露わにした。ミアがショットに先立って救出されてから、まだ然程経っていない。怪我は癒えても、体力は回復しきっていないのだ。

 

「私は土地勘があるし、そのシスターと面識もある。強面のオルトだけじゃ、修道院が会わせてくれるかわからないわ」

「それはそうね」

 

 イリーナがあっさり納得する。オルトは不本意そうに顔を顰めた。

 

「どういう関係かはわからないけど、ショットが気にかけている人なら放っておけない」

「しかし……」

 

 拷問の責め苦の中にあって、ショットが思い続けた名だ。仲間であるミアが何とかしてやりたいと思うのは無理もない。

 

 ただ、今のオルト達は敵地にいる。帝都支部を出た途端、どこで荒事に巻き込まれてもおかしくない。まだ本調子に程遠いミアを、軽々しく連れて行く事は出来ない。

 

 オルトの苦悩をよそに、ミアは引き下がらない。絆されたイリーナまで加勢して、渋るオルトの翻意を促す。

 

「私がミアを守る。それならいいでしょ」

「……好きにしろ」

 

 一言だけを残し、オルトが立ち去る。

 

 その背を見送る二人に喜びは無く、無理を通した事による後味の悪さを覚えていた。

 

 

 

「――彼の両肩は、どれだけのものを背負っているのかしらね」

 

 

 

 涼やかな声と硬いヒールの音が、二人を追い抜いていく。

 

「今は彼に頼らざるを得ない。でもね」

 

 ヒンギスは立ち止まり、振り返る。

 

「私は、彼の重荷のままでいるつもりは無いわ。貴女達は、どうなの?」

 

 そう言うと、秘書のホランを伴い去っていく。

 

 ミアは、ギルド長の問いに即答する事が出来なかった。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 ストラ聖教の帝都教区は南北に分かれていて、それぞれに教会がある。

 

 北地区教会は富裕層の住宅地に、南地区教会は貧民街スラムの近くに。以前にミアが連れて行かれたのは、南地区教会であった。

 

 当時のおぼろげな記憶に頼らずとも、教会はすぐに見つかった。下町の中でも、そこが一際騒がしかったからだ。

 

 教会前には先客がいた。揃いの制服に身を包んだ、二十名ほどはいるであろう一団が、聖職者や付近の住民と対峙している。

 

 制服の一団の先頭に立つのは、ミアが良く知った男であった。

 

「ルーク、貴方……」

 

 嫌悪感を露わにするミア。しかしオルトは、その様子を気にもせず歩を進めた。

 

「帝国の憲兵が、こんな所で何してる。往来の邪魔だ、さっさと帰れ」

『っ!?』

 

 オルトのあまりな言い草に、ミアは口をあんぐりと開けた。イリーナは苦笑し、憲兵達は気色ばむ。

 

 オルトは獰猛な笑みを浮かべる。

 

「軍紀違反の摘発で昇進したのか、ルーク。何なら雑魚共と一緒に、もう二階級特進してみるか?」

『っ!?』

 

 二階級特進、則ち殉職。オルトのさらなる挑発で憲兵が殺気立つ。

 

 だがルークは、意外にも素直に引き下がった。

 

「……行くぞ」

 

 憲兵隊が撤収を始め、住民達が歓声を上げる。その住民達も、憲兵を追い払ったオルト達が冒険者だと知ると微妙な顔をした。

 

 帝国南部の広範な地域で反乱が発生し、北部と東部の国境で長く続いている紛争も戦況が芳しくない事、そして帝国と冒険者ギルドとの関係が悪化している事は、帝都でも住民の知る所となっている。 

 

 帝都ですら市民の生活に影響が出始めており、それら全てが帝国の侵略に端を発しているのだと、人々も察してはいる。だからといって、侵略を繰り返して大きくなった国でその恩恵を享受した者達が、侵略される側に回る事など受け入れられない。

 

 表立っての排斥こそ無くとも、冒険者に対して良い感情を持たない者がいるのは当然だった。戦いが始まった以上、どちらが悪いか、先に仕掛けたかなど関係無いのだ。

 

 警戒感を隠さない相手に、ミアが事情を説明する。教会でもショットが何も言わずに姿を消した事を不審に思っており、情報を欲していた為、ひとまず応接室に通された。

 

 

 

「ショットさんがそんな事に……」

 

 ミアの話を聞き、応対した初老の司教が深く溜息をついた。

 

 司教はショットが軍人であり、冒険者でもあると知っていた。ショットは身寄りも無く、帝都に滞在している間は、この南地区教会に部屋を借りて奉仕活動をしていた。数年に渡る彼の寄付は、決して少なくない額に上るという。

 

 教会でのショットは、実直で同僚からも慕われていた。ミアが応接室に入る前に通った礼拝堂では、数名の修道女が戻ってこないショットの身を案じて、祈りを捧げていた。

 

「北地区教会とは違い、ここには癒し手の神官はおりません。ショットさんには多くの人が助けられました。ナディーヌもその一人です」

 

 帝都は奇しくも帝国と同様に、南北で経済格差がある。富裕層が暮らす北地区の教会は寄付も多く集まり、神官達が付け届けを受け取る機会も多い。

 

 帝都でストラ聖教を代表するのも北地区教会であり、高名な神官や有能な癒し手は北に流れるのだ。しかしそちらに行っても歓迎されるであろうショットは、【禿鷲の眼】が帰国する度に土産と寄付を持って南へとやって来た。

 

 司教がショットの回復を願って聖句を唱える。ミアは自分の知らない仲間の姿に触れたが、違和感は無かった。

 

「司教、先程の憲兵はどのような用件でこちらに?」

 

 それまで口を挟まなかったオルトが問いかける。

 

「ショットさんの部屋の捜索と、彼の関係者を参考人として連れて行こうとしたようです。おそらくは――」

 

 バタバタと応接室に駆け寄る足音がして、扉がノックされる。

 

「失礼します、ナディーヌです! ただいま戻りました!」

「ナディーヌ、お客様の前です。落ち着きなさい」

 

 入室の許可を待つのももどかしそうに、修道女が入ってくる。ショットと共にいた女性に間違いないと、ミアは思った。

 

「も、申し訳ありません」

 

 窘められて恐縮するナディーヌは、年季の入った聖典を大事そうに胸に抱えていた。

 

 その聖典にもミアは見覚えがあった。国外で密偵の活動をしている間、暇を見てショットが読み耽っていたものだ。

 

「ナディーヌ、ショットさんは冒険者ギルドで保護され、治療を受けているそうです」

「彼は無事なんですか!?」

 

 治療と聞いて顔を青くするナディーヌに、オルトが告げる。

 

「かなりの重傷ではあるが、命に別状は無い」

「よかった……」

 

 安堵の溜息を漏らしたナディーヌは、司教に向き直った。

 

「司教様……」

「お行きなさい、ナディーヌ。後悔の無いように」

 

 司教は笑みを湛えて頷いた。

 

 

 

 ナディーヌが荷物を取りに退出すると、司教がオルトに頭を下げる。

 

「厚かましいのは承知しておりますが、ナディーヌをお願い出来ますでしょうか」

 

 オルトが来た事で引き下がったが、その前に憲兵隊が実力行使をしたならば、教会への侵入を阻止出来なかっただろう。ミアは彼等の目的がナディーヌの拘束だったのではないかと推測していたのだ。

 

 だとすれば教会では守りきれない。司教の判断は妥当だと、ミアは思った。

 

 オルトは迷いなく言葉を返す。

 

「私が、Aランク冒険者オルト・ヘーネスが、彼女の安全をお約束します」

 

 ――私は、彼の重荷のままでいるつもりは無いわ。

 

 ヒンギスの言葉が思い出される。

 

 また一つ荷を背負う彼を見つめながら、ミアは胸の内で決意を固めていた。

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