第二百二十七話 ネーナの苦くない薬

「こちらはネーナです。フェスタもエイミーも、レナさんもテルミナさんも変わりありません。スミス様の方はいかがですか?」

 

 仲間達の見守る中、ネーナが輝く宝珠に向かって呼びかける。接続に成功した魔道具からは、明瞭な音声が返ってきた。

 

『こちらも皆元気ですよ。オルトは先程戻ってきた所です』

 

 スミスの返事に、ネーナ達は安堵する。この宝珠を介した通信では、術者以外はやり取りに参加出来ない。エイミーもレナも、スミスの声を聞き漏らすまいと口を噤んでいる。

 

『ミアさんが救出された事は聞いていますか?』

「はい」

『彼女は大分回復しましたよ』

 

 気にかけていた友人についての吉報。仲間達が笑みを浮かべるが、それは長く続かなかった。

 

『ショットさんも救出され、一命を取りとめています。ただ彼は……拷問によるダメージが大きく、今も昏睡状態です』

 

 拷問、昏睡。ショッキングな単語に、室内の空気が凍りつく。スミスは続けて、ミアとショットが救出された状況を伝えた。

 

『ガルフさんの行方は、まだわかっていません。三人は帝都を離れようとした所、ルークの密告で憲兵隊に拘束されたそうです』

「ルークさんが……」

 

 スミスは【禿鷲の眼】メンバー四人の内、ルークだけを呼び捨てにした。最早友人ではない、仲間でもないとスミス達が判断するに十分な根拠があったのだと、ネーナは察した。

 

 ミアとの再会が叶いそうなのは喜ばしいが、ショットは意識不明。ガルフはまだ見つかっておらず、先に救出された二人の状態を鑑みれば楽観は出来ない。

 

 ネーナ達の心情を察したのか、スミスは明るい声で言った。

 

『既に情報局は制圧しましたし、機密書類の解析が始まっています。ギルド長も皇帝や重臣にプレッシャーをかけてくれています。ガルフの救出も時間の問題でしょう』

 

 そのスミスに、ネーナは非常に言い辛そうに切り出す。

 

「あの、こちらの状況ですが……」

 

 テルミナを目的地に送り届けたものの、ネーナ達はもうしばらく領都滞在を延長する事になる。カリタスを出発して以降は、惑いの森のエルフや精霊喰い、トリンシック公国騎士団のジャスティン・クーマン、ロルフェス侯爵領と何度かトラブルにも巻き込まれた。

 

 魔法のヤカンを手に入れ、精霊熊が同道するようになった事までネーナが話し終えると、スミスは興味深げに唸った。

 

 その後応答に、少し間が開く。

 

『それは大変でしたね。我々も当面はアルテナ帝国から動けません。急いでこちらへ来なくとも大丈夫ですよ』

 

 帝国と冒険者ギルドとの和睦には今しばらくの時を要するであろう、とスミスは言った。

 

 ギルド長のヒンギスは、帝国との交渉で大きな賠償を勝ち取り、かつ帝国を弱体化させようと目論んでいる。賠償は帝国エリアの支部再編や、帝国の侵攻によりカリタスが受けた損害回復などの原資に充てるものだ。

 

 これまで帝国の脅威に怯えてきた周辺国や、帝国と現在対峙している勢力との調整にも余念が無い。ヒンギスは抜群のバランス感覚と調整能力を発揮し、大国を揺さぶっていた。 

 

 帝国の崩壊は地域を巻き込む不況や治安の悪化、難民流出など近隣に多大な悪影響を及ぼす。帝国エリアの冒険者や職員は帝国民でもある為、他国に打って出るだけの力を削ぎつつ現体制は維持というのが基本線だ。

 

 ガルフの捜索、情報局や研究所の解体に情報の抽出など、遠慮無く帝国へ干渉出来る今の内にやってしまいたい事もある。講和条約が結ばれた後では動き辛くなるからだ。

 

 早急に交渉を終えるのは得策では無い。『刃壊者ソードブレイカー』と『大賢者』が帝都で皇帝の喉元に刃を突きつけている限り、帝国は身動きが取れないのである。

 

『後悔や失敗を恐れず、やれる事をやりなさい――オルトはそう言っていますよ』

 

 出来るならば、オルトの下へ飛んでいきたい。伝言を聞いたネーナは、一瞬そう思ったがすぐに考え直す。

 

 全て投げ出しても、オルトはきっと怒らない。けれど、為すべき事を果たせば褒めて貰える。そうしてたくさん我儘を言って、甘やかして貰うのだと心に決める。

 

 不思議とやる気が満ちてくるのを、ネーナは感じた。

 

『我々はこれから、明日以降についての打ち合わせがありますので、今日の通信はここまでにしましょう』

「あっはい、遅くに申し訳ありませんでした」 

 

 宝珠の輝きが弱まる中、スミスの声が聞こえる。

 

『ああ、言い忘れていました』

「ふえっ?」

 

 ネーナが間抜けな声を上げる。

 

『オルトが、魔剣に気に入られたようですよ――』

「ええっ!? スミス様? もしもし、スミス様!?」

 

 慌てて呼びかけるも応答は無く、宝珠は光を失った。

 

「……通信が切れました」

「最後にものすごく気になる話をブチ込まれたね。何よ魔剣って」

 

 呆然と告げるネーナに、こめかみを押さえながらレナが応える。フェスタは苦笑した。

 

「ま、まあ。問題は無いんでしょう、きっと」

 

 確かに問題があれば先に言うだろうと、一同は各々を納得させる。これから打ち合わせに臨むと言っていたスミスに、再度連絡するのもはばかられた。

 

 

 

「……結構手こずってるね、あっちオルト達」 

 

 レナがポツリと呟く。それはスミスの話を聞き、他の仲間も感じていた事だった。

 

「最悪どうにかなるって意味では、大丈夫なんだろうけどさあ」

 

 ギルド長には秘書の他にオルトとスミス、イリーナとクロス、【路傍の石】に【明けの一番鶏】が同行していた。

 

 当初聞いていた人数よりは多いが、交渉の為に向かう帝城、情報局、さらに帝都支部の警備を考えると明らかに手が足りない。戦力よりも頭数の話だ。

 

「帝都支部の職員や冒険者の方々が協力的とは限りませんね……」

 

 ネーナは形の良い眉を寄せる。

 

 帝国エリアのギルド職員や冒険者の大半は、帝国に籍がある。カリタス事変による帝国とギルドの関係悪化で、彼等は微妙な立場に置かれているのだ。

 

 ネーナ達が以前に訪れたドリアノン支部のように、工作員や軍の協力者の炙り出しも行われた筈。スミスは言わなかったが、外からやって来たギルド長の一行が手放しで歓迎されているとも思えなかった。

 

「それは心配しなくていいと思うけれど」

 

 ネーナの懸念を、フェスタは否定した。

 

「あたしも同感ね」

 

 レナも頷き、同意を示す。

 

「イリーナとクロスが一緒なんでしょ? 毎日毎日、何度転がされてもオルトに食い下がるイリーナを見れば、文句なんて言えないって」

 

 ヴァレーゼ支部で、或いはカリタスで、『勝負』と称してオルトに挑み続けたイリーナ。ネーナはその姿を思い起こす。

 

「クロスだってミアやショットの治療に付きっきりだろうし、やられた仲間を助けて貰ってごちゃごちゃ言うやつなんか、ギルドにいらないよ」

「とばっちりを受けたと感じる者はいるでしょうけど、ギルドが黙って帝国にやられてれば良かったなんて理屈をギルド長が認める訳ないものね」

 

 フェスタの言う通り、事が起きたならば貧乏くじと諦め、毅然と対処するしかないのだ。その時は他の支部も一丸となって外敵に立ち向かう、それが冒険者ギルドというものである。

 

 ヒンギスは職員一筋で冒険者経験は無いが、ギルドに対する思いは強い。多くの国々に支部を置く冒険者ギルドの在り様もよく理解している。

 

 仮に帝国エリアの職員や冒険者達が我が身可愛さに帝国につけば、ヒンギスは躊躇せず帝国内の支部を全て解体し、帝国からギルドを引き揚げるだろう。

 

 ヒンギスが危険を冒して帝国に乗り込み、踏み止まっているのも、オルトとスミスが何もかも蹴散らして収束させようとしないのも。全ては帝国エリアのギルド員の為に他ならないのだ。

 

「……私達は事が済み次第、帝都に急ぎましょう」

「そうね。出来るだけ早い移動手段を調べておくわ」

 

 フェスタがネーナに応える。だがそこに、それまでずっと黙っていたテルミナが口を挟んできた。

 

「帝都までの足だけど、心当たりがあるから聞いてみるわ」

「テルミナさん?」

 

 ネーナが首を傾げると、テルミナは申し訳無さそうな顔をした。

 

「私のせいで戻るのが遅くなってしまったから、そのお詫び。多分手配できると思うの」

「じゃあ、テルミナにお願いしようかしら」

「有難う」

 

 フェスタは快諾し、テルミナがホッとした様子で部屋を出て行く。

 

「別にテルミナのせいじゃないのに、気にしてたんだね」

 

 レナがボソッと呟いた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 翌日の朝食後、ネーナはエイミーと共に屋上の小屋に向かった。フェスタとレナは館の入口で立ち番をし、テルミナはスージーに付き添っている。

 

「皆さん、おはようございます」

「おはよ〜」

 

 庭園でパーティーの準備をする使用人達に挨拶をし、二人は小屋に入っていく。

 

「ロレッタさん、コルネさん、シリルさん、おはようございます」

「おはよ〜」

『おはようございます』

 

 室内にいた女性達がにこやかに応えた。コルネは昨晩泊まり込んだメイドで、朝食後のタイミングでシリルと交替するのだという。

 

 メイドが二人がかりでロレッタを予備のベッドに移し、テキパキとベッドメイクを済ませて室内の掃除をする。その手際に、ネーナとエイミーは目を丸くした。

 

「ふわぁ、あっという間です」

 

 ネーナが感嘆の声を上げると、ロレッタは微笑んだ。

 

「コルネもシリルも、優秀なメイドですから」

「ロレッタさんにビシビシ鍛えられましたものね」

「とても厳しかったですよ」

「あら」

 

 コルネ達が冗談めかしてしかめっ面を作り、ロレッタは口をポカンと開ける。そして三人で笑い合った。

 

 ネーナもクスクスと笑った後でコホンと咳払いをし、再びベッドを移動したロレッタの検診を行う。

 

 一度部屋を出たネーナは、三十分程してから小瓶を手に戻ってきた。

 

「ロレッタさん。今日から三日間、朝食後にこの薬を服用して下さい。一回がこの一瓶分です」

 

 瓶の中身はネーナが調合した、強壮効果と鎮痛効果のあるポーションである。毎朝ネーナがロレッタを診て、その状態に合わせて調合する特製品だ。

 

「お薬、苦くないの?」

「平気ですよ、エイミー様」

 

 恐る恐る聞くエイミーに、飲み干したロレッタは不思議そうな顔をした。ネーナは苦笑する。

 

「レナさんやハーパーさんにお渡しした酔い止めとは違いますよ。あれは、飲み過ぎを反省してもらうのが目的なんです」

「そうなんだ〜」

 

 エイミーは二日酔いのレナがネーナの薬を飲み、悶絶したのを覚えていたのだった。

 

 

 

 まだ初日だけに身体を慣らす目的で、ロレッタは僅かな時間外に出た。

 

 台車に乗せた椅子に座り、メイドのシリルに押されて庭園を一周する。庭園の地面には板が通され、台車の通行が可能になっていた。

 

 パーティーの準備をしていた使用人達と談笑をする。庭園の花や土に手を伸ばし、直接触れる。

 

 日射しを浴び、そよ風を受けたロレッタは、少し疲れ気味ではあったがとても満足そうに、ネーナには見えた。

 

 

 

 身体を拭いて夕食を済ませ、ネーナの診察を受けると、ロレッタはベッドテーブルの上で書き物を始めた。見れば傍らの鏡台の上に、封蝋ふうろうを施した手紙が積まれている。

 

 察したネーナは再び泊まり込みに来たコルネに、あまり根を詰めさせないようにと伝えて小屋を出る。

 

 外は暗くなり、空には星が瞬いている。少し肌寒く、ネーナは上着の襟をしっかり締めた。

 

 エイミーがふざけて、ビシッと天を指す。

 

「天をみよ! 見えるはずだあのしちょ――」

「そこまでです、色々危ないです」

「はーい」

 

 二人はそれ以上しゃべる事なく、仲間達が待つ部屋へ戻るのだった。

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