第二百二十五話 死んでないから生きてるって訳じゃない

 物音を聞きつけ、小屋の奥から中年女性が顔を出す。

 

「奥様?」

「騒がしかったかしら、ごめんなさいね」

 

 女性は交代で小屋に泊まり込んでいる使用人であった。長居はしないからと部屋に戻らせ、スージーはベッドで起き上がろうとする老女を制した。

 

「そのままでいいわ、ロレッタ。食事は摂った? 痛い所は無い?」

「奥様、お気遣い有難うございます。庭の花が月明かりに映えて綺麗でしたので、ぼんやりと眺めておりました」

 

 老女が応え、その後ろのネーナ達を見やる。スージーは微笑んだ。

 

「彼女達は、私の冒険者時代の仲間や後輩よ。態々わざわざハリステアスに立ち寄ってくれたの」

「それはようございました。皆様、ロレッタと申します。このような格好で申し訳ございません」

 

 嬉しそうに老女――ロレッタが目を細める。【菫の庭園】の面々が名乗り終えると、ネーナは診察を申し出た。

 

「失礼します、ロレッタさん。私は薬師ですが、お医者様の下で学ばせて頂いているんです。少し診察をさせて下さいね」

 

 笑みを湛えるネーナに、ロレッタは少し驚いたような顔をしながらも、素直に手を預ける。

 

 ネーナは普段から医学書を読んでおり、シルファリオに滞在している時は折を見てトーマス医師の往診に帯同もしている。トーマスからは、既に開業医レベルだと太鼓判を押されていた。

 

「普段はどのようなものを召し上がっていますか?」

「すっかり食が細くなってしまって……」

「ポタージュやオートミールも重く感じますか?」

「はい……」

 

 触診の合間にロレッタに質問をし、何度も頷きつつメモに何かを書き込んでいく。診察は数分で終わった。

 

「今日はもう遅い時間ですので、明日また伺ってもいいでしょうか」

「明日も来て頂けるのですか? 楽しみです」

 

 スージーに毛布をかけてもらい、ロレッタは顔を綻ばせる。

 

 部屋の灯りを消して、ネーナ達は小屋を出た。

 

 

 

 応接室に場所を移すと、スージーが【菫の庭園】一行に頭を下げる。

 

「ロレッタに会ってくれて、有難う。それで……」

「騙し討ちのようなやり方は、好みではありません。テルミナさんはともかく、私達とスージー様の間には、まだ信頼関係はありませんよ」

「これは私も、フォロー出来ないわ」

 

 話をくスージーに、ネーナは苦言を呈した。ロレッタに関する説明が何も無いままに、いきなり連れて行かれたからだ。

 

 テルミナも弁護の余地は無いと、肩を竦める。スージーの後ろに控えるバスティアンも困り顔ながら、口を挟まなかった。

 

「自分のしたい事で周りが見えなくなるの、貴女の悪い癖よ」

「ごめんなさい……」

 

 指摘に思い当たる節があるのか、スージーが肩を落とす。

 

「私が侯爵家に来た時、彼女にはとてもお世話になったものだから……」

 

 ネーナは、ふうと溜息をついた。これまでのスージーの話とロレッタの状態を見れば、一杯一杯なのであろうと想像は出来る。

 

 バーバラ達が離れで起こした騒ぎに、スージーは駆けつけるのが遅れた。恐らくはロレッタの所にいたからだ。ロレッタを大事に思うスージーの気持ちは、ネーナにも痛い程伝わった。

 

「あたしの見立ては、一週間だね」

「私も同じです。長くても十日程ではないかと」

 

 レナの見解に、ネーナも同意する。スージーが知りたかったのはロレッタに残された時間、余命なのだと、ネーナ達は察していた。

 

 ロレッタの部屋には、薬のたぐいが見当たらなかった。神官であるスージーが法術で対応しているからであろうが、医師でない彼女に出来るのは対症療法のみだ。

 

 スージーは、精霊術師でも神官でもなく、ロレッタの体調を見極める事が出来る医師を求めていたのだった。何故なら、ロレッタの衰えは加齢によるもの――老衰だから。

 

 そう診断したネーナはロレッタに対して、ポーションもヤカンも使わなかった。人が人である限り必ずやって来るものに対しては、薬も法術も役には立たない。

 

「お医者様は、この離れには来ないんですね?」

「ええ。侯爵家の侍医が私の使用人を診る事は無いし、領都の町医者も門番は通さないの」

 

 スージーは力なく頷く。どちらもバーバラやその家族、それらに迎合する者達の差し金なのは明白である。侯爵夫人たるスージー自ら買い物に出ていたのもその為だ。

 

「バーバラはね、子供の頃からロレッタに厳しく当たられたと感じて、恨んでいるのよ……」

 

 早くに亡くなった先代の侯爵夫妻は、ドネルとバーバラを引き離すのが難しいと知り、それならばと二人を合法的に結婚させる方法を考えたのだという。

 

 それはバーバラを、他の貴族の養子とする事だ。平民と貴族の結婚は認められずとも、肩書を貴族にすれば構わない。古来より使われる、貴族が見初めた平民を妻に迎える手段であった。

 

 形だけとはいえ他家の籍を借りる事になる為、迷惑料も兼ねて少なくない謝礼が必要になる。それでも息子とその想い人を添い遂げさせてやりたいと願うだけの度量が、先代の侯爵夫妻にはあった。

 

 ただ、そのやり方には大きな問題もあった。正式に侯爵夫人となれば、夫と共に公都に上がり社交界での活動を避けられない。家中や領内の差配も妻の仕事。

 

 庭師の娘に過ぎないバーバラには、そのような知識も能力も無い。領内であれば家令や執事に任せる事も出来るが、社交はそうも行かない。侯爵夫人の力量不足は、他の貴族に付け入る隙を与えてしまうのだ。

 

「バーバラ様の教育係に指名されたのが、ロレッタさんだったのですね」

「ええ。ロレッタは三代の侯爵に仕えたメイドで、先代の時からメイド長だったし教育に必要な知識があったから」

 

 間違いなく適任であった。相手がバーバラでなければ、だが。

 

 侯爵家の使用人としての教育を、バーバラはずっと拒み続けていた。ドネルも彼女を庇う為に他の使用人はさじを投げ、ロレッタだけが教育の必要性を説き続けた。

 

 使用人としての教育が侯爵夫人としての教育になっても状況は変わらず、バーバラはロレッタに虐められていると受け止めていた。

 

「バーバラはあんなだから、ドネルと別れるのも勉強するのも嫌だとゴネて。でも早く次期侯爵に相応しいパートナーに仕立て上げなきゃいけないから、ロレッタも必死で」

 

 ロレッタは諦めなかったが、不幸にも先代侯爵夫妻が事故死し、養子の話は立ち消えとなった。バーバラの評判からリスクが大きすぎると、受け入れ先が断ってきたのである。

 

 ドネルがスージーとの婚姻を隠れ蓑にバーバラとの事実婚を強行すると、それに反対していたバスティアンを解雇して、バーバラの父を家令に取り立てた。

 

 その後バーバラが主導し、スージーの扱いの悪さを諌めた先代からの使用人達を軒並み解雇。その中には体調を崩していたロレッタも含まれていた。

 

「侯爵夫人の案山子かかしを立てて、バーバラとの事実婚を実現しようと侯爵に吹き込んだのは、執事の誰かでしょうね。路頭に迷うのは嫌ですもの」

「古くからの使用人を解雇して、侯爵家が回せるとは思えないけれど。引き継ぎなんて無いでしょう?」

 

 フェスタの指摘に、スージーとバスティアンが顔を見合わせて苦笑する。

 

「フェスタ様の仰る通りです。既に侯爵家の使用人でない我々に仕事を振ってきています。旦那様はその事をご存知で、我々がいなくなると困るのを理解していますが――」

「あの派手な女バーバラの周りの嫌がらせは止まらないって事ね」

 

 レナが納得したように言う。

 

「それで、いつまでもこうしているつもりは無いんでしょう?」

「ええ」

 

 テルミナの問いに、スージーは即答した。

 

「だったら、私から言う事は無いわね」

 

 スージーがロルフェス侯爵家に尽くす義理は無い。この離れにいるのは、使用人達が身の振り方を決めるのに時間が必要なのと、寝たきりのロレッタの環境を変えられないからだ。

 

 言質を取ったテルミナが、大人しく引き下がる。

 

 スージーの事情は明らかになったが、ネーナは必ずしもスッキリした気持ちではなかった。

 

 ロレッタの事が、胸の奥に引っかかっていたのである。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 部屋に戻った四人は、テーブルの上の小さな水晶球を覗き込んでいた。【菫の庭園】から離脱する予定のテルミナは、もう少しスージーと話すからと応接室に残っている。

 

「……ふう」

 

 額に汗を浮かべたネーナが、一旦集中を解く。

 

 ネーナの持つ交信用の魔道具は、同型の魔道具を持つ相手との通話を可能にするものだ。だが決して使い勝手のいい品ではない。

 

 少なくとも片方が、建物レベルまで相手の居場所を特定する必要がある。帝都に行った事の無いネーナでは、地図で冒険者ギルドの帝都支部を認識するのが限度であった。

 

 微かな反応がある事から、水晶球を持つスミスが帝都の中心部にいる事はわかる。わかっても、それ以上何も出来ない。

 

「帝都支部にも帝城にもいないとなると、お手上げです」

「何かやってんのかもね」

 

 両手を上げて降参するネーナに、レナが応じる。【禿鷲の眼】のミアが保護されたという一報から時間が経ち、進展があっても不思議ではないのだ。

 

「向こうからは来ないの?」

 

 フェスタが疑問を投げかけると、ネーナは唸った。

 

「うーん。スミス様が、侯爵邸の離れを認識できるかというと……」

「それじゃ仕方ないわよ。ここにいる間に何度か連絡してみましょう。カリタスに向かうか帝都に向かうかは、それ次第ね」

 

 オルトやスミスの状況がわからなければ、カリタスを目指すしかない。差し当たっての方針が決まった事で、仲間達は一息ついた。

 

 

 

「……ロレッタさんは」

 

 ネーナがポツリと呟く。仲間達は次の言葉を待った。

 

「長い間、恐らく何ヶ月も、あそこで寝たきりなんだと思います」

 

 触診で感じた筋肉の衰えは、昨日今日でもたらされたものではなかった。ネーナはトーマス医師の往診に同行した時、同じような状態の老人を見た事があった。

 

「皆に大切にされているからといって、幸せな訳ではないんです」

 

 出来れば長く生きたい、家族や友人と共に居たい。ただ自分の身体は思うように動かず、身近な人達に負担をかけている。でも彼等はそんな事をおくびにも出さず、長生きして欲しいと願っている。

 

 どんな形でも生きていて欲しいという『呪い』は、死にゆく者から望みを奪っていく。顔に笑みを貼り付け、ただ砂時計の砂のように、自分に残された時が失われて行くのを見詰める日々。

 

「誰もそんな事願ってないのに、生きてる事が辛くなったり、申し訳なく感じたりするんです。それはとても寂しい事だって、私は思うんです」

「ロレッタがそうだって事?」

 

 レナが尋ねる。ネーナは頭を振った。自分の事さえわからないのに、今日会ったばかりの他人の事などわかる筈が無い。

 

「わかりません。なので明日、聞いてみようと思うんです。お節介かもしれませんし、スージーさんや使用人の皆さんに叱られるかもしれませんけど」

「いいんじゃない? 死んでないから生きてるって訳じゃないからね」

 

 あっさり肯定したレナに、ネーナは目を丸くした。

 

「あたしだって仲間が死にそうだったら、ほんの少しでも長く生きてて欲しいって、きっと思うよ。でも自分が死ぬとなったら、他人に迷惑かけないようにベッドの上でじっとその時を待つってのはキツいわ」

 

 ずっと仲間達の話に耳を傾けていたエイミーが、部屋の角を見る。そこには彼女の両親の遺骨が入った荷物袋があった。

 

「……おかあさんは、時々すごく苦しそうな時があったよ。わたしが聞いても、『大丈夫』ってしか言わなかったけど」

 

 言葉少なに、生前の母親の思い出を語る。

 

「だから、ロレッタおばあちゃんがどうしたら幸せか、聞くのは良いと思う」

 

 フェスタはネーナに微笑みかける。

 

「前向きに生きる提案をするのね。私も賛成」

 

 仲間達に背中を押され、少しだけ迷っていたネーナも心を決める事が出来たのだった。

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