第二百五十二話 一番鶏のギャラルホルン

 ネーナは暁の空を見上げ、ふうっと息を吐いた。


 混じり合う夜と朝の境目は、星々がまたたく中天を東から呑み込もうとしている。


 辺りはまだ薄暗い。気が早いシルファリオの一番鶏ルースターであれば、遠慮なく人々を叩き起こしているだろう。しかし『大銀海』砂漠には、そのような無粋をする者はいない。


 白み始めた東の地平線を背景に、逆光で黒く浮かび上がる岩山が彼方で存在を主張している。砂漠で唯一つのランドマークとして。


 遠くからでも岩山の各所で明滅する赤い光と、白い照明の光が確認出来る。『空中都市』ハイランドは、【菫の庭園】の到着を今や遅しと待ち構えているようであった。




 ハイランド攻撃前の最後の小休止を、【菫の庭園】の面々は穏やかに過ごしていた。


 オルトとフェスタはラクダ達を労い、水を与えている。ネーナも手伝おうかと考えたが、二人の時間を邪魔するのも気が引けて諦めた。


 レナは寝転がり、指先に掛けたナックルダスターをクルクルと回してもてあそんでいる。スミスは書物を開き、エイミーは楽しい夢を見ているのか、幸せそうな顔で微睡まどろんでいた。


 サラサラとした足下の砂地に手を伸ばせば、ネーナの指先が硬いものに触れる。

 

「あら?」

 

 掴んだのは何かの破片らしきものであった。首を傾げるネーナに気づき、スミスは本を閉じて破片に目を凝らす。

 

「貝の欠片ですね。ここがかつて、海だった名残りでしょう」

「海、ですか?」

 

 スミスの言葉は、ネーナの興味を強く引いた。

 

「ええ。他にも名残りはあります。この砂漠の名が『大銀海』であったり、砂漠で活動するフェンタキアの警察組織を『沿岸警備隊コーストガード』と呼ぶ事もそうです」

「ストラ聖教の古い聖典にも、それっぽい事が書いてあるよ」

 

 元聖女のレナも話に交じってくる。

 

 聖典によれば、かつての世界は幾つもの島に分かれ、種族ごとに平和に暮らしていたという。しかし混沌を司る神ガル・ネリと秩序を司るストラ・ディ・バリの間にいさかいが起こり、その平和は崩れた。


 ガル神は島々を繋げて大陸とし、その勢力は瞬く間に世界を席巻した。序盤は後手に回ったストラ神も巻き返し、ガル神に与する竜帝を討ち取って攻守が逆転する。


 決戦の舞台となったのは大陸中央の内海。敗走してきたガル神は海底の岩山を隆起させて島と為し、荒波と海の生物を味方に激しく抵抗する。これにはストラ神の軍勢も手を焼いた。


 二柱の神による激突、その余波は大きな内海を砂漠に変え、島は陸続きの岩山となった。神々は深く傷つき世界に顕現する力を失ったが、双方の軍勢により戦いは継続された。

 

「――勝ったのはストラ神の側。以降大陸はストラ神に多大な貢献をした人族が神の代理として治める事になって、敵対した魔族や獣人族とか、中立だったエルフやドワーフまで僻地に追いやられた。ストラ聖教の亜人や奴隷に対する扱いは、この辺が根拠らしいんだけど。まあクソッタレだね」

 

 ストラ聖教の元聖女は歯に衣を着せず、仲間達は苦笑する。


 ガル・ネリは創世神話の主神三柱が一つで、ストラ聖教では邪神として扱われている。信徒の大半が人族であるストラ聖教とは対照的に、ガル神に信仰を寄せるのは魔族や獣人族などだ。


「ガル神の一党が最後の拠点とした岩山が、現在のハイランドだと言われています。幾つかの島が集まって大陸となったのは神代ですが、砂漠が海の底であったのは古代文明期の出来事だというのが現在の定説ですね。ストラ聖教は認めていませんが」

 

 スミスは言外に、聖典とは教会関係者が事実に意図的な編集を加えて綴ったものなのだと指摘した。レナもそれを否定しない。

 

 王女アンとして城にいた頃のネーナは、毎日祈りを捧げるストラ聖教の敬虔な信徒であった。聖典を自ら書き写して何度も読み返したし、週に二度は王都の教会にも足を運んでいた。しかし王都教会への疑念が深まった今は、教団や教会組織に対して強く思う所がある。


「聖典に書かれていた『平和』ってのも、そのまま鵜呑みには出来ないよね」


 レナの言葉は、ネーナの胸中をも代弁していた。聖教は決して寛容な宗教ではないのだ。


 歴史的な事実として、ストラ聖教は異なる信仰を認めず弾圧し、強制的に改宗させ、或いは滅ぼして大陸西方サンセットの一大勢力にのし上がった。それらを聖教側の視点で綴ったものが聖典だとも考えられる。


 ふと思いついた疑問を、ネーナは口にする。


「私が覚えている限り、聖典には勇者様についての記述はありません。ストラ聖教としては、召喚勇者との関わりは無いのですか?」

「少なくとも、あたしは聞いた事ないよ。歴代の優れた聖堂騎士を英雄的に扱ったりはしてるけど」


 レナは即答した。聖女であったレナが知らないのであれば、それ以上は調べようがない。仮に存在したとしても、教団トップ以外はアクセス出来ない情報だからだ。


「うーん……聖女も聖堂騎士も、一応信徒だから。そうでない勇者を持ち上げるのは、聖教としてはやりたくないのかもね。違う世界から人を召喚するっていうのは、今の所は否定的なんじゃないかな」


 レナは言葉を選びながら言う。


 敵が同じだから勇者と共闘したに過ぎないというのならば、ネーナにも理解出来る。王国教会はマチルダを使ってトウヤを取り込もうとしたが、総本山の聖教が同じ事をした形跡は無い。そのような働きかけがあったとは、当のレナは認識していなかった。


「召喚勇者に限って言えば、サン・ジハール王国のおよそ千年の歴史に六人が登場するのみです。大陸西方サンセットでは、という注釈がつきますが」


 ネーナの祖国であるサン・ジハール王国は、古代文明期の後に誕生した、西方では最も長い歴史を持つ国だ。


 一人目は建国王『聖者』ジハールによって召喚され、見事魔王を打倒してジハールの妻となった勇者リンカ。現状では最後となる六人目が、魔王と相討ちになった勇者トウヤ。全てにサン・ジハール王国が関与している。


「そして魔王が人族の歴史に登場し始めるのも、時期を同じくしています。魔王登場に対応しての勇者召喚という順番ですね」


 順番としてはその通りかもしれないが、疑問は残る。どうして魔王は現れるのか。どうして魔王軍は攻めて来るのか。そもそも戦いが無ければ、異世界の者を召喚する必要も無い筈なのだ。


 ネーナの考えを読んだかのように、スミスは微笑む。


「貴女がどう考えるかは、これから先に貴女自身が調べて、貴女自身が決める事です。それが正しいか否かに関わらず、そうすべきです」

「……はい」


 師の言葉に、ネーナはしっかりと頷いた。


「――そろそろ、出発しようか」


 オルトとフェスタが歩いて来る。仲間達は話を打ち切って立ち上がり、外套に付いた砂を払った。




 ラクダを残し、精霊熊に乗ったエイミーとネーナ以外は徒歩でハイランドに近づいて行く。


 後数分もすれば、岩山の向こうから朝日が顔を出すだろう。


 フェンタキア兵十名と傭兵の三名はネーナ達の先を進んでいる。兵士達はシャプーシュを発って以降、妙にオルトの顔色を窺うようになった。一方のオルトは、彼等の変化を全く意に介していない。


 先行する一団が足を止めた。


「この先、一対の古い石像が立っている辺りがハイランドの境界だと言われています」


 スミスが告げる。それを肯定するように、歩を進める毎に砂に沈んでいた足が岩に乗った。


 ハイランドへ真っ直ぐに伸びる岩の道の両側に、人の背丈の倍程もある大きな石像が向かい合って鎮座している。上半身はミノタウロスのような牛の頭部に、筋骨隆々とした体躯。下半身には足ではなく、魚のようなヒレがついていた。


「このラー・マイヨは、今では実在が疑われている存在です。古神の一柱とも、精霊とも、絶滅した生物だとも言われています。向かって右がパットナム、左がパチョレックという名だそうです」


 白い石像が朝日を浴びてオレンジ色に染まる。オルトはフェンタキア兵と傭兵の一団に視線を向けた。


「ここから別行動だ。俺達の足を引っ張らない限り、好きにすればいい」


 兵士達の顔が強張こわばる。案内役として同行してはきたものの、フェンタキア王から何かしら別な命令を受けている事は想像に難くない。オルトの言葉はそれを踏まえたものであった。


「お前達ノ勝利ヲ願っていル、【菫の庭園】」


 傭兵のシュヤリが真剣な表情で言えば、オルトはフッと笑いかける。


「勝たないと、東方サンライズに帰れない奴がいるからな。どうにかするさ」

「あたしらがマルセロをボコるとこ、特等席で見せてあげるよ」


 レナは自信満々に言い放った。


 周囲が明るくなるにつれ、ハイランドの全貌が見えてくる。岩山の中腹がステージのように大きく張り出し、幾本もの石柱に支えられた島が乗っている。岩山の麓には無数の建築物が立ち並び、町の体を成していた。


 ――かぜの精霊さん。お兄さんの声を届けて――


 エイミーが精霊術を行使する。


「いつでもいいよ」

「ああ」


 オルトは仲間達を見回す。視線が合うと、ネーナは両拳をグッと握ってやる気をアピールした。


 これから大規模な戦闘が始まる。多くの血が流れ、命が失われる。そこに自分が関わる事になる。死ぬのは自分かもしれないし、大事な仲間かもしれない。それでも最後まで皆と共に戦うのだと、ネーナは決めていた。


『――冒険者ギルドシルファリオ支部所属、Aランクパーティー【菫の庭園】、リーダーのオルト・ヘーネスから、ハイランドにいる全ての者に告げる』


 迷いの無い通告の声が砂漠に響き渡る。


『これより俺達は、マルセロ・オスカー・ベルナルディ討伐を開始する。理由は今更だろう。生死問わずデッド・オア・アライブ、手配書も懸賞金も山程ある。こういう男は死んだ方が世の中の為だ』


 辛辣な煽りに、レナがブフッと噴き出した。


『俺達は、この戦闘で発生する一切の損害に配慮しない。マルセロの首以外に興味は無いが、赤絨毯レッドカーペットになって踏み躙られたい者は掛かって来い。以上だ』


 赤絨毯。『剣聖』マルセロの下へ続くであろう死体の道を、オルトはそう表現した。どれだけの死を積み重ねようと、必ずマルセロを倒すと宣言したのだ。


 怒り、侮り、嘲り、困惑、嘆き、絶望。オルトの言葉に様々な感情がかき立てられ、ハイランドが揺れる。【菫の庭園】の面々は改めて気を引き締める。


 直後に中腹の島から、眩い光線が撃ち下ろされた。


不可侵の壁セイクリッドウォール!』


 レナが両手を掲げて障壁を展開する。次々と発射される光線が直撃するも、防御を突破出来ずに四散した。


 フェンタキア兵と傭兵が慌てて後退して行く。


「他人の事は散々馬鹿にするけど、自分が煽られると怒り狂うんだよねえ。まるで成長してないわ、インポ野郎マルセロ

「馬鹿と煙は高い所に上がるって言うから、あの島にいるんだろうな」


 エイミーの精霊術は解除されておらず、レナとオルトのやり取りはハイランドに筒抜けのままだ。二人共わかって煽っているのだと、ネーナは苦笑する。


 突然、辺りが揺れる。スミスは感心したように唸った。


「――ふむ、これは珍しい」


 島の底部側面から、四方に巨大な骨の脚が露出する。向きを変えると、亀のような頭蓋骨が砂漠に轟く咆哮を上げた。


島海亀アスピドケロン、そのボーンゴーレムといった所でしょうか」


 アスピドケロンならば、ネーナにも知識はある。何年も海に潜る事なく回遊する、巨大な海亀。その年月で甲羅が土に覆われ草木が生育し、しばしば島と間違われる。


竜牙兵ドラゴントゥース・ウォリアーのようなものですが、ここまでの大きさはそうそうありません。何者かのコントロール下にあるようですね」


 ハイランドに到着するまで【菫の庭園】に対して攻撃が無かった理由が、漸く腑に落ちる。マルセロとその一党は、敵を引き込んで叩く方が勝算が高いと踏んだのである。


「他にも隠し玉を持っているのかもしれませんが――舐められたものです。ここは私とネーナに任せて貰えませんか?」

 

 スミスが不敵に笑う。一瞬呆気に取られるが、ネーナも力強く頷いた。


「はい。ハイランドの方々には、『一番鶏ルースターのギャラルホルン』でしっかり目覚めて頂きましょう」

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