第二百五十三話 やっと届いたわ、このヤロウ
「いや、しかし――」
思わずといった様子で口を挟むオルトに、ネーナは決意の込もった眼差しを向けた。
「大丈夫です、行けます」
ハイランドが『剣聖』マルセロの手に落ちてから、まだ然程の時も経っていない。発見したのはマルセロの前にハイランドを支配していたギャリック・トマソンか、それ以前に根城としていた野盗団である可能性が高かった。
今もハイランド中腹のステージから遠距離攻撃を繰り出しているそれを、ネーナ達は移動要塞だと推測していた。当初は浮島だと思われていた甲羅の上には、幾つもの施設が木々の間から覗いている。
施設の中か、或いは甲羅の中か。マルセロと配下がそこにいるのは間違いなく、逃亡を防ぐ為にも早急な対処が必要であった。対処とはつまり、巨大兵器を無力化し得るだけの火力量の攻撃である。
今の状況で大規模な攻撃魔法を行使すれば、周囲を巻き込んで多数の死傷者が出るのは明らかだ。オルトはネーナにそれをやらせる事に、抵抗を感じていたのだった。
ネーナはその心遣いを嬉しく感じつつも、自分だけが特別に扱われたくはないとの意思を示した。
「私がやります。これは私の役目です」
前回の対戦でマルセロを取り逃し、現状を導いた大きな要因はネーナの行動である。仲間達は決してそう言わないが、ネーナ自身がその自覚を強く持っていた。
「――そう、か。そうだな」
オルトはそう応えると、ネーナに背を向け歩き出した。
「俺は道を
前方、岩山の
障壁を展開するレナが声をかける。
「出れるなら勝手に出て」
「ああ」
オルトは歩みを止める事なく、腰のスタインベルガーを抜き放った。力感の無い動作で、縦長の楕円を描くようにスゥッと剣を振り、進んで行く。
「……は?」
絶え間ない攻撃を防ぎながら、レナが呆けた声を出す。スミスは絶句し、固まっていた。
「ハハッ。『勝手に出ろ』って言ったのはあたしだけどさあ、本当に何事もなく通られると傷つくわ……」
対物理、対魔術の両面で『聖女』が絶大な自身を持つ障壁を、通過に必要な分だけ切り裂かれたのである。レナは乾いた笑いを漏らした。
敵の集団から七人が飛び出し、猛然とオルトに迫る。魔術で視力を強化したネーナは、その詳細を知り驚愕した。
七人は砂が浮いた岩の上を、文字通りに滑走していた。見れば彼等のブーツには、靴底に幾つかの小さな車輪が取り付けられている。片方の足は尋常でない脚力で地面を蹴り、もう片方の足は絶妙なバランス感覚で胴体を支え、それを交互に繰り返して魔力に依らない高速移動の推進力を得ていたのだ。
ネーナが敵の正体を看破し、警告を発する。
「お兄様、彼等は指名手配の『
以前に【菫の庭園】が他の冒険者やシュムレイ公国軍と協力して壊滅させた凶悪犯罪組織、『
横並びの七人が叫ぶ。
「その通り! ボクらは『災厄の大蛇』で力を得た!」
「僕達の
「間違った世界を修整してやる!」
七人ともが優男のような、或いは美少年のような顔でありながら、首から下は鎧の如く肥大化した筋肉に覆われている。余りにもアンバランスな身体は、『災厄の大蛇』の人体改造を想起させた。
「我等【肉体動力】のスピードについて来れるか!」
「『
オルトに襲いかかる七人の、両端の二人が声を上げる。真ん中の男は腰の革袋を掴んで投げつけた。
「食らえ、
黄色い粉末が飛び散り、敵が顔全体を覆うマスクを装着する。
痺れ生姜は一般に流通しない毒物だ。その名の通り少量を吸い込むか触れるだけで身体の一部が麻痺し、大量に摂取すれば心の臓も動きを止める。
薬師であるネーナは、その危険性を十分に承知している。手配書に記されていた彼等のやり口は、動けなくなった相手を小剣でなぶり殺しにするというものであった。
再び警告しようとしてネーナが見やれば――オルトは深い溜息をついていた。
刃を立てたスタインベルガーを、扇を振るが如く横薙ぎに一閃する。つむじ風が黄色い粉末を砂と共に吹き飛ばし、後方の敵集団に大混乱を巻き起こす。
「なッ!?」
革袋を投げた男が後方を振り返り、目を見開く。その耳元で、
「敵から目を逸らすな――大道芸の続きは、地獄でするんだな」
返事をする間もなく、首が胴から離れる。事態を認識して恐慌状態に陥った残りの六人は、逃亡はおろか抵抗すら出来ず、順に命を刈り取られた。
「それから――」
オルトがブンと剣を振り、血糊を飛ばす。七つめの首が恐怖に満ちた表情を浮かべて地面に落ちる。
「お前達のパフォーマンスとやらがウケなかったのは、単につまらないからだ。責任転嫁も甚だしい」
辛辣な言葉に応える声は無い。死人に口無し、であった。
オルトが一歩を踏み出すと、その先で一部始終を見ていた敵集団が震え上がる。
――魔王だ。
刹那の静寂に、誰かの漏らした言葉が戦場へ響いた。
自ら宣言した通りに眼前の敵を悉く斬り伏せ、大地に
敵集団の半数は、風に乗って飛んで来た黄色い粉末で行動不能。しかし残りの半数は、気が触れたような叫び声を上げながら、オルトに駆け寄り斬られていく。
オルトに対する怖れは確かに感じられる。しかしネーナには、それを上回る力が敵に行動を強いているように見えた。
「もしかすると、隷属紋や隷属環などで突撃を強いられているのかもしれませんね」
スミスが険しい顔で言う。
マルセロは『災厄の大蛇』に所属していた過去があり、その残党もハイランドに合流している。非合法な手段でハイランド民を従属させる事は十分に有り得た。
オルトもそれは理解している筈だが、足を止めず、剣を振る手も休めはしない。どれだけの死と引き換えにしても、ここで必ず『剣聖』マルセロを倒すのだという覚悟。それを仲間達に示しているようであった。
「……ひとりで歩くのは、さみしい道だね」
精霊熊に乗ったエイミーが、ポツリと呟く。ネーナは頷き、ガウェインの背中から降りた。
「はい。ですから、皆で追いかけましょう」
兄妹になって、たった一年半。全てを知っているとは言えないが、わかる事も沢山ある。
とても強くて、とても優しい人だから、辛く苦しい道のりを時には一人きりで歩もうとする。だけどそれは、とネーナは思う。オルトが傷つかなかったり、寂しい思いをしないという事ではないのだ。
「いいんです。私が、私達が、お兄様と一緒に歩きたいのですから」
腰のホルダーから
空に向けて掲げれば、ネーナの
――
ハイランド上空に厚く黒雲が垂れ込め、その中から光球が出現した。多くの者が戸惑いをもってそれを見上げる。
――予言の時は来たれり 門番よ
――厳しき冬が
――日月は呑まれ星屑は墜ち 大地が震え山は崩れる――
――全ての
――英雄達は剣を
詠唱が続くに従い、光球の輝きは増していく。
「……十節、超えてるんだけど」
「私は防御に切り替えましょうか」
レナの顔が引きつり、スミスは苦笑交じりに杖を回した。
――そは滅びと終焉に非ず
――高らかに響け戦いの調べ 門よ変化せよ――
仲間達に背を向けたまま、オルトは微かに笑みを浮かべた。そんな事も知らずに、ネーナが棒杖を振り下ろす。
『
光球がハイランド中腹のステージに降下する。
島海亀を中心にドーム状の防御結界が広がり、光球はそこに直撃した。
耳をつんざく轟音と、立っていられない程の振動。爆風と砂塵がレナの障壁を殴りつけ、視界が閉ざされる。
再び大地が揺れ、ネーナは光球が島海亀に到達した事を知る。単独で岩山に接近しているオルトの事が気になった。
「お兄様は!?」
「私達が今行っても邪魔になるだけ。少し待ちましょう」
動くのは状況がはっきりしてからにすべきだと、フェスタは冷静に告げる。オルトと違って視界不良の中で不意を打たれれば、ネーナに対処する術は無いのだ。
唇を噛んで不安な気持ちを押し隠し、ネーナは
視界が晴れると、ハイランドの岩山は大きく形を変えていた。
中腹以下が大きく
敵の大半は倒れ伏し、或いは瓦礫の下から苦痛に呻く声を上げていた。少なからず死亡した者もいるだろう。それを為したのが自らの魔術だと認識しても、ネーナの心は不思議な程に
ただ、瓦礫の前に立つオルトの姿を見つけ、安堵していた。
「やるねえ、本番前の諸々の手間が
ネーナの肩をポンと叩いて労い、レナが駆け出す。本番、とは言うまでもなくマルセロとの戦いだ。目の前の惨状を見ても、『剣聖』が力尽きたとは誰も思っていなかった。
「いつまで亀の真似をしている。さっさと出て来い、マルセロ」
オルトが呼びかけるも反応は無い。
マルセロに聞こえていない筈は無い。古代兵器と多くの手駒が一撃で無力化される想定外の状況で、間違いなく息を潜めて隙を窺っている。
ネーナは懸命に思考を巡らす。
何故マルセロは動かないのか。オルトに隙が無いからだ。
マルセロはオルトの力量を知っている。逃げる算段が立たないのか。倒せる自信が無いのか。今出て行けば不利だと考えているのか。時間を稼ぐ理由は何なのか。
「――マルセロ自身がダメージを負っている?」
「そう考えるのが妥当でしょうね」
ネーナが導き出した推測に、スミスは同意した。
「ならば私は、彼の退路を断たせて貰いましょうか」
古い木の杖を立てて持ち、詠唱を開始する。
マルセロの逃亡を阻止する為、大賢者が全力で展開する結界。完成すれば逃げられない。放棄された手番をこちらが有効に使えば、相手にプレッシャーをかけられるのだ。
狩人の目で獲物を探していたエイミーが、素早く空に精霊弓を向けた。
「――見つけた。お兄さん!」
打ち上げられた無数の矢が急降下する。
「くっそおッッ!!」
矢が直撃する前に島海亀の甲羅が外に
想定内とばかりに捕捉していたオルトが、胴を薙ぐ強烈な一撃を相手に見舞う。
「よお、マルセロ。久しぶりだな――取り敢えず死ね」
「ふっざけんなあああッ!!」
炙り出されたマルセロは怒りの咆哮を上げ、左から迫る刃を受け止める。オルトのスタインベルガー、マルセロの
半歩の踏み込みと共に剣の柄をグッと押し込み、オルトがフッと笑った。
「レディーファーストで、初撃は譲るか」
「ああ? 何言って――」
自分の意思に関係なく、マルセロの言葉が途切れる。
気がつけばマルセロは左に吹き飛ばされていた。遅れて来た右頬の痛みが、打撃によるものだと告げている。全く無警戒だった被弾は、決して軽くないダメージを伴っていた。
頭部から地面に叩きつけられ、それでも横方向への運動を強制する力は衰えずに身体がバウンドする。ゴロゴロと何度も転がって漸く止まり、咳き込みながら懸命に空気を取り込む。
「ガハッ、ゲホッ!」
呆然と顔を上げ、マルセロは驚きに目を見開いた。
直前まで自分が立っていた場所では、左フックを振り抜いた形でナックルダスターを握り込むレナが、鋭い眼光を向けていたのだ。
「やっと届いたわ、このヤロウ――今のはトウヤの分だ」
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