第二百五十四話 だからこそ、こいつは剣聖なんだ

「随分とイケメンになったじゃないのさ、マルセロ」


 フンと鼻を鳴らし、レナは両拳のナックルダスターをガチンと打ちつける。


「あたしに殴り飛ばされるなんて、思いもしなかったでしょ。ねえ今どんな気持ち?」

「……チッ」


 ここぞとばかりに煽り倒され、血塗れのマルセロが苛立いらだたしげに舌を打つ。だがそれに続く恫喝は、中途で切れた。


「雑魚が調子に――っ!?」


 至近距離で突如感じた殺気が、『剣聖』を驚愕させる。


 マルセロにとって決して忘れられない、苦い記憶と屈辱感を呼び起こす殺気。気づかずに接近を許す事など有り得ない、有ってはならないもの。


 しかし耳朶じだを打つ声には確かに覚えがあり、背筋の悪寒と共に現実の脅威を認識させる。


「――マルセロ。余所見する余裕があるのか?」

「なッ!?」


 振り払うようにいだ魔剣は敵を捉える事無く、虚しく空を切る。オルトは一手早く、バックステップで間合いの外に逃れていた。


うっ!」


 追撃せんと踏み出した左腿に激痛が走り、マルセロが呻く。深く突き刺さったやじりを見て、エイミーの矢だと認識する。


 前方から視線を逸らした、ほんの一瞬。


「――余所見すんなって、オルトに言われたでしょうが」


 ポニーテールに纏められたブロンドの髪が、マルセロの前に現れて揺れる。レナの身体がクルリと回転した、次の瞬間。


「グフウッ」


 鳩尾みぞおちかかとを叩き込まれていた。体内の空気が逃げて行く。


 マルセロは身体をくの字に折り、まるで土下座をするような形でうずくまった。




 オルトがチラリと後衛を見やり、親指を立てる。目が合ったネーナは、小さく頷いた。


 レナの初撃と二撃め、そして第二波でマルセロを翻弄したオルトの動きには、いずれもネーナの認識阻害が施されていた。


 マルセロの意識が他に逸れた瞬間、絶妙なタイミングの運用。何度も通じるトリックでないだけに、序盤の勝負所で決めたのは見事と言っていい。


 棒杖ワンドを握り締めたネーナは、油断なく戦況を見つめている。


 この戦いに於いて、パーティーを支える魔術師はネーナ一人。スミスは『剣聖』マルセロの逃亡を阻止する結界の維持に注力し、余程の事が無ければ戦闘に関与しない。それはネーナの実力が認められての事。


 仲間達の信頼に必ずや結果で応えん、そんな決意でネーナはこの戦いに臨んでいた。




『――冥界最奥たる奈落の牢獄タルタロス




 長い詠唱を経てスミスの術が完成し、天蓋のような闇のヴェールがマルセロと【菫の庭園】一行を覆い尽くして檻を成す。


 術者スミスの魔力が尽きるか術者を殺害しない限り、最早マルセロに逃れる術は無い。外からの介入も不可能だ。


「いいね、リングデスマッチと洒落込もうじゃない」


 レナは獰猛な笑みを浮かべ、蹲るマルセロを見下した。


あたしら勇者パーティーに取り押さえられた時、あんたマルセロはそうやってトウヤに頭を下げてたねえ。『これからは心を入れ替えて、死ぬ気で魔王軍と戦う』、だったっけ?」

「…………」


 過去の汚点を暴露され、マルセロが憎々しげにレナを睨む。


「結局あんたはバックレたけど、行く先々でのやらかしは逐一あたしらの耳に入ってたよ。クズの極みってのはこの事だね」


 欲望の赴くままに殺し、奪い、犯す。記録に残る分だけでもマルセロの凶行は枚挙にいとまがなく、魔王軍の襲来で疲弊した大陸西方サンセット諸国にとって悪夢でしかなかった。


 そうと知っても当時の勇者パーティーがいたのは、対魔王軍の最前線、最激戦区。マルセロを倒す為に持ち場を離れる事など許されなかった。レナがギリッと奥歯を噛み締める。


「トウヤは心が壊れて、魔王軍と戦う為だけに生きてた。だけどあんたを殺さなかった事だけは、最期まで後悔してたよ」


 改心の見込みなど無いと、勇者パーティーの仲間達は大半がマルセロの殺害を主張した。それを振り切り、独断で拘束を解いたのはトウヤであった。その一件はパーティー内での勇者トウヤの求心力を大きく低下させ、複数の脱退者を出す原因ともなった。


 マルセロがあざけるように唇を歪める。


「ヘッ。そんで俺より先に死んでりゃ世話は――」

「あんたが言うかああああッッ!!」


 激情に流されるまま叫び、レナが獣のように飛びかかった。


 マルセロはニヤリと笑うが、直後に表情を変えて飛び退すさった。レナもハッとして足を止める。


 その二人の間を、横からの斬撃が駆け抜けていく。


「――頭を冷やせ、レナ」


 割り込む形でマルセロと対峙し、オルトは咎めた。


「煽ってる方が挑発に乗せられてどうする」

「……ごめん」


 マルセロが相手を苛つかせる物言いをする男なのだと、元パーティーメンバーであるレナは承知していた。それでもトウヤへの中傷は聞き流せなかった。漸く『剣聖』をこの手で殴り飛ばした高揚感もあったかと、レナは反省する。


 現時点でマルセロを単独で相手取れる程の実力は無いと、自身も理解している。そして高レベルな回復と解呪の使い手であるレナは、戦線維持の為に不可欠な存在。先に倒れてはならないのだ。


 しかし謝罪に返ってきたオルトの声音は、思いの外優しいものであった。


「わかればいいさ」


 この間にマルセロは少し余裕を取り戻していた。レナを庇う様に立つオルトに絡み出す。


「ったく、邪魔すんじゃねーよ」

「…………」

「そういや思い出したぜ、てめぇの太刀筋をよぉ」


 オルトの肩がピクッと動いた。


「お楽しみの所に殴り込んで来た奴が、似たような技を使ってたな。当然、返り討ちにしてやったがなあ」


 マルセロは饒舌じょうぜつに語り出す。


「叩きのめして動けなくしたそいつの目の前で、嫁と娘を犯してやったのさ。そいつを殺すと脅したら、ごめんなさい、ごめんなさいって泣きながら、最後には二人とも自分からケツ振ってたなあ!」


 自慢げに下衆な話を続けるマルセロを、レナだけでなくネーナもエイミーも射殺さんばかりに怒りを込めて睨みつける。当のマルセロは、それを意に介する様子も見せない。


「そいつは放っておいても死にそうだったし、女どもは手下にくれてやったからどうなったのかは知らねぇな。ありゃあ傑作だった――」

「……どうでもいいが」


 オルトは酷く退屈そうに、マルセロの股間を指差した。




「――お前、まだ不能なままなのか?」




 怪訝そうな表情のマルセロが、意味を理解したのか、みるみる顔を紅潮させていく。


 以前の戦いでオルトに追い込まれたマルセロは、左腕の欠損を回復する為に魔剣の権能を使用した。その代償として一時的に生殖機能を喪失した事を揶揄やゆされたのである。


「あ゛あ゛っ!?」


 額に青筋を浮かべて声を荒げるマルセロに対し、オルトはユラリと前に出た。


「殺す!!」

「そうさえずるなよ」


 次の瞬間、二振りの魔剣が打ち合わされた。互いの足下に無数の亀裂が走り、耳障りな干渉音が鳴り響く。


「クソがッ!」


 力任せに押し切ろうとすれば、オルトに刃をいなされて体勢を崩す。技術で劣るという明確な事実を突きつけられ、マルセロは歯噛みしながら距離をとる。




 オルトとレナがマルセロに肉薄し、揺さぶりをかけ続けている。


 戦いの序盤としてこれ以上ない滑り出しだが、【菫の庭園】の後衛に控える面々は全く楽観していなかった。


 スミスは結界の維持で手が離せず、フェスタは万が一の対処をする為に後衛から動けない。前衛の援護を担うエイミーとネーナは、既に警戒されている。


 必然的に攻撃は前衛の二人に委ねられ、対処するマルセロの負担が格段に減る。そうなれば回復役を兼務するレナは手を出せなくなり、オルトがサポートを受けながら単独で立ち回る事になる。


 事実として、オルトは徐々に押され出していた。


 激しく打ち込みながら、マルセロがニヤリと嗤う。


「前みてぇな手数が無いと思えば、処刑人の剣エクスキューショナーズ・ソードかよ。そんなんじゃ突けねぇだろ!」

「…………」


 オルトは応えず、マルセロの攻撃を捌き続ける。


『断頭剣』スタインベルガーには、多くの剣が持つ切っ先が存在しない。その独特の形状から刺突系の攻撃には向かず、対戦相手であるマルセロは突きへの警戒が不要だと看破した。


 突きは動作後に大きな隙を伴うものの、使い所によって必殺の一撃になり得る。それがないとわかれば、敵であるマルセロが受ける重圧は格段に低減されるのだ。


 マルセロの魔剣から放たれた漆黒の斬撃がオルトのガードを抜き、龍のような尾を引いて後衛を襲う。


「ネーナ!」

「はいっ!」


 フェスタの警告に反応し、ネーナが魔力障壁で斬撃を弾く。


 フェスタは再度、鋭い警告を発した。


「まだよ!」


 安堵したのも束の間、弾かれた斬撃が向きを変え、再び後衛に迫る。


「くうっ! でしたら――『雷撃ライトニング!!』」


 棒杖から飛び出した雷が黒い斬撃を相殺し、共に消滅する。


 強い。ネーナは思わず、そう呟いた。


 マルセロ・オスカー・ベルナルディを人は『剣聖』と呼ぶ。


 当時アルテナ帝国最強の剣士と評されていた騎士団長を、成人して間もないマルセロが御前試合で打ち負かした。そこで皇帝が称えたのが、当代の剣聖の始まりだという。


 人格者である必要は無い。名乗るのに資格も要らない。ただ多くの者が最強の剣士と認める実力があればいい。それが『剣聖』。


 そんな男と戦っているのだと、ネーナは改めて思い知らされた。




 ネーナの姿を視界の端で捉え、オルトはフウッと息を吐いた。




 ――強制駆動オーバードライブ――




「ちいッ!」


 マルセロが叫び、ぶつかり合った魔剣が火花が散らす。さらに深くなったオルトの踏み込みに、レナが顔をしかめる。


 味方の後衛が危険に晒されるのは、対峙する自分がマルセロの脅威たり得ないからだ。オルトの思考はレナにも理解出来る。


 先刻の斬撃に、ネーナは上手く対処した。しかしそれが何度も続けば事故の可能性が上がる。そもそも初っ端に大魔術を行使したネーナに、延々と魔術を使わせる訳には行かない。


 選択肢は少ない。正解はもっと少ない。


 ――だからってさあ!


 レナはオルトの背後で唇を噛む。


 相手に余計な動きをさせないよう、もっと近づいて反応を早める。そして攻撃に乗るダメージを稼ぐ。言葉にすればそれだけだが、その相手は『剣聖』マルセロなのだ。正気の沙汰ではない。


 勇者トウヤとオルトを知るレナは、時折二人を重ねて見る事がある。二人とも見ている者が肝を冷やすような危険を冒すが、本質は全く違う。


 トウヤは壊れていた。恐怖を感じず、自分の命にも、行動の結果にも執着は無い。駄目なら駄目でいい、死人のようなものだ。


 オルトはそうではない。早打ちの名チェス選手のように、最善手を即断して突っ込んで行く。いつでも胸の内に大切なものがあるから、思い描く最良の結果を導く為に、様々な感情を捻じ伏せて全力を尽くす。


 レナが怖いのは、オルトの方だ。




 魔剣が戦外套アーマードコートの上から、オルトの腰を掠める。


魔神の尾デビルエンド』の刃に触れれば、漏れなく麻痺状態になる。しかし追撃せんとするマルセロの首を、カウンターの『断頭剣』が襲った。


「ああ!?」


 虚を衝かれながらも、マルセロは攻撃をキャンセルして対処し、吐き捨てるように言う。


「外套に何か仕込んでやがるな」


 オルトは応えず、二の太刀を放つ。


『鉱山都市』ピックスのドワーフより贈られた、ドヴェライト鋼入りの外套。雑に振っては、魔剣であろうと容易には切り裂けない。それを馬鹿正直にマルセロに告げる必要は無いのだ。


「しゃらくせえ!」


 今度こそ魔剣がオルトの腕を切り、血飛沫が舞う。勇躍するマルセロに、祈りの声が届く。


解呪リムーブ・カース!』

「っ!?」


 オルトのカウンターが、瞠目どうもくするマルセロの肩を浅く切った。

 

 確かに麻痺の入ったオルトが、解呪されたそばからカウンターを決めてきた。まぐれだと切り捨てるには不気味過ぎる。

 

 得体の知れないものを見るような目を、マルセロはオルトに向けていた。

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