第二百五十五話 決して奇跡でないこれを、一体何と表現すればいいのだろう

 オルトとマルセロの攻防を見つめながら、ネーナは焦りを募らせていた。


 一度はマルセロの斬撃がネーナ達を襲ったものの、その後オルトが徹底したインファイトでマルセロを釘付けにし、【菫の庭園】後衛への攻撃を封じている。


 形としては拮抗しているが、その代償は決して軽くない。超接近戦を脅威と感じなければ、すぐにマルセロは後衛への攻撃を再開するだろう。相応のダメージと攻勢の継続を両立させようとすれば、いかに防御に秀でたオルトでも被弾が増える。


 マルセロが振るうのは魔剣『魔神の尾デビルエンド』。それが身体のどこかにかすりでもすれば、オルトは強制的に麻痺を付与され行動不能となるのだ。


 戦線の維持は【菫の庭園】の生命線だ。回復を担うレナは一刻も早くオルトを復帰させる為、高難度の麻痺解除に集中せざるを得ない。増えて行くオルトの傷を癒やす事も出来ずに、泣きそうな顔をしている。


 ――私のせいです。


 ネーナは唇を噛んだ。


 オルトがインファイトを敢行したのは、後衛に達したマルセロの攻撃にネーナが対処した後からだ。オルトが不安を抱いてしまったのだと、ネーナは落ち込む。


 力強さを増すマルセロの攻撃を受けながら、オルトは反撃の手を緩めない。闘技場の拳闘士がノーガードで殴り合っているかのようだが、明らかにオルトの方が大きく消耗している。


 一方、マルセロの身体には異変が起きていた。パキパキと不気味な音を立てて、黒みがかった紫色の鱗が瘡蓋かさぶたのように盛り上がって傷口を覆っていく。


 前回の対戦で、オルトがマルセロの左腕を消し飛ばした。その欠損部分には、今の傷口と似たような色味の異形の左腕が生えている。当時マルセロは、それが魔剣『魔人の尾デビルエンド』の力によるものだと示唆していた。


 既にマルセロの身体の三割ほどは、人間離れした外見となっている。動きに衰えは見られず、むしろ冴えている程。ネーナは恐ろしい推測に至っていた。


 魔剣は所有者であるマルセロが負傷する度、その身体を作り変えているのではないか。もっと言えば、人間としてのマルセロは侵食され、失われようとしているのではないか、と。


 オルトはそんな相手に一歩も退かず渡り合っている。魔剣で斬られた痛苦に耐え、麻痺で動けない僅かな時間に極限の速度で思考し、準備をする。そして身体が自由を取り戻した瞬間、渾身のカウンターをマルセロに叩き込む。いつまで続くとも知れぬルーティーンを、オルトは淡々と繰り返している。


 ネーナの胸が、シクシクと痛む。前回のマルセロとの対戦から、自分はまるで成長していない。また迷惑をかけて、邪魔をしてしまっている。


 そんなに頑張らなくていい、苦しまなくていいのだと、オルトに言ってしまいたい。でもオルトは、決して戦う事を止めないだろう。仲間達の為に。ネーナの為に。


「私のせいでお兄様が――」

「それはちがうよ、ネーナ」


 思わずこぼれた、悔悟の言葉。ネーナの隣で弓を構えるエイミーは、それをキッパリと否定した。


「お兄さんは、ネーナに任せて安心だから、後ろを見ないんだよ」


 インファイトに専念すれば、意識をマルセロだけに向けなければならない。それでも大丈夫だと、オルトは判断したのだ。そのようにネーナを諭す間も、エイミーはオルトとマルセロの戦いから目を離さない。


「お兄さんは、あきらめてないよ」

「エイミー……」

「前にネーナが言ったよね。お兄さんが困ってる時は、わたしたち二人で助けようって」


 ネーナはハッとした。


 確かにシルファリオの共同墓地で、ネーナはそう言っていた。思考や視界が急速にクリアになり、自分が大きなミスをしたという思いに捉われ過ぎていた事を自覚する。


「ネーナ」


 フェスタが呼びかける。


「まだ戦いは終わってないわ。そして私達は、まだ何もうしなってないのよ」


 まだ遅くない、これからの行動次第なのだと、誰よりもオルトの傍に駆けつけたい筈のフェスタが、自らに言い聞かせるように言葉を絞り出す。


 反省も後悔も、戦いの後でいい。ネーナが口を開いた。


「――エイミー」

「がってんだ!」


 エイミーは呼びかけに応えた。二人が視線を交わす。


 認識は共有されている。このままでは、オルトがマルセロに押し切られる。オルトのダメージは蓄積され続けているのだ。


 どうにかしてレナが回復する時間を作らなければならない。しかし現状は、至近距離で激しくマルセロと切り結ぶオルトに援護の手を差し伸べられずにいた。


 リスクはある。エイミーには、未だマルセロに対するトラウマも残っている。けれども。


「――ちょっとだけこわいけど、こわくない。やるよ、ネーナ」


 エイミーが言い切る。臆病になり、躊躇うネーナの背中を押した。


「わたしたちで、お兄さんを助けるんだよ」

「……はい!」


 ネーナは頷き一歩下がると、棒杖ワンドを掲げた。


閃光フラッシュ!』

「うおっ!!」


 魔術としては初歩の目眩ましで、調整も効かない。ただし、一人【菫の庭園】と相対する位置のマルセロには効果覿面こうかてきめんであった。


 オルトが僅かに位置をずらし、後衛をマルセロの死角に入れる。


 ――恥ずかしがり屋でいたずら好きな精霊さん――


 阿吽の呼吸でエイミーがささやき、姿を消した。


「ぐあッ!」


 一瞬視界を奪われたマルセロが、肩を切られて苦悶の声を上げる。


 怒りの反撃がオルトの右腕を掠り、すかさずレナが麻痺を解く。オルトのカウンターもマルセロの頬を掠めるに留まる。


 祈るような気持ちでネーナが見つめる中、エイミーがマルセロの背後で姿を現した。


「ガウちゃん、パワーぜんかいだよ!」


 精霊熊が宿った弓から放たれた矢が、マルセロの背に深々と突き刺さる。


「て、めぇッッ!」


 憤怒の形相でマルセロが振り返った時には、エイミーは再び姿を消していた。報復の範囲攻撃をオルトに阻止され、マルセロはギリッと奥歯を噛む。


 ネーナとエイミー、二人が作り出した時間を無駄にするレナではない。


極大回復マキシマム・ヒール!』


 オルトの身体が暖かい光に包まれ、傷口が塞がっていく。安堵した表情のレナが、一瞬だけ振り返る。


 後衛に戻って来たエイミーに、ネーナは手の平を差し出した。殊勲のエイミーは、誇らしげにその手をパチンと叩く。


 二人の勇気と機転はオルトの継戦能力を補完し、戦いの趨勢すうせいに大きな影響を与えていく。暫しの後、二人はそれを目の当たりにする事になる。




 最初に気づいたのは、オルトの背後でサポートに忙殺されていたレナであった。

 

 一般に『狼の目』とも呼ばれる金色の瞳が、驚きに見開かれる。

 

「オルト、あんた――」


 僅かに遅れて、ネーナも気づいた。

 

 レナが先程から解呪を行使していない事に。

 

「お兄様、どうして――」




 マルセロは、酷く苛立っていた。


 そもそも、こんな筈ではなかった。少数で乗り込んで来る敵に対してマルセロは悠然と構え、物量と古代兵器で疲弊させる腹積もりであった。


 それが大勢の手下も、使い捨ての兵も、島海亀までもが強力な魔法で無力化された。結界により外部との連絡は断たれ、負傷した自らが【菫の庭園】の相手をする羽目になった。


 魔剣の権能で自らの負傷を癒やせば、それだけ魔人化が進行する。マルセロはその事を承知していたが、背に腹は代えられない状況に陥っていた。


 マルセロの身体能力は劇的に向上し、敵を圧倒し始める。同時に自分の中に、何か別の自我が芽生えたのを感じる。囁きかけてくるのが少々煩わしいが、何が出来る訳でもない。


 目の前で足掻く剣士に、以前マルセロは不覚を取りかけた。しかし今や、両者の力は明らかに開いていた。

 

 だというのに。マルセロの苛つきは一向に解消しない。これまで感じてきた、敵を見下す愉悦が全く得られないのだ。


 目の前の男は形勢の不利を悟ると、あろう事か踏み込みを深くしてインファイトを仕掛けてきた。


 至近距離で、男はマルセロの斬撃を避けきれない。同様にマルセロも相手のカウンターを回避出来ない。否応なしに泥仕合に引き摺り込まれる。


 その男はボロボロで傷だらけで、時折呼吸を乱してさえいる。だが鋭い眼光だけは、戦いが始まった時から全く変わらずこちらを射竦めてくる。


 小突いて転がしてやろうと振った魔剣は、男の剣によって弾かれる。切っ先の無いその剣には、想像を大きく上回る力が込められていた。


 自分はその男よりもずっと優れている筈だった。自分は男よりずっと先を進んでいると、マルセロは信じて疑わなかった。その思いは、この戦いが始まった時に確信となった。


 前回の対戦では油断から遅れを取った。今回も出足こそつまづいたが、落ち着きを取り戻して盛り返した。素の能力差に加えて、魔剣の強力な加護もある。


 男は仲間の力を頼りに必死で食い下がってくるが、マルセロが負ける要素は見当たらない。


 なのに今。その自信が、大きく揺らいでいた。


 男の動きが劇的に変わったとは思えない。しかし打ち合う度に男の剣は洗練され、最適化されてマルセロの調子を狂わせる。とにかく、酷くりにくいのだ。


 気づけば、誰も居ない筈の背後に足音が聞こえていた。それは着実に、自分を追っているかのように、一歩一歩近づいてくる。


 人の息遣いまでもが、はっきりと聞こえてくる。ふざけるな、とマルセロは激昂げきこうした。


「こんな事が!あってたまるか!」


 右袈裟に鋭く魔剣を振り抜く。しかしその剣先は断頭剣により払われる。


「――初動で丸わかりだ。才に溺れて、鍛錬を怠ったな」

「うるせぇっ! 俺を見下すな!!」


 フットワークで距離を取ろうと試みるが、相手を振り切れない。マルセロは業を煮やし、魔剣を異形の左腕のみで握り締めて振り下ろす。


 ギンッと鈍い音が響き、軌道を逸らされた魔剣は浅く地面を切った。愕然とする間もなく、マルセロの首を断頭剣の刃が襲う。『剣聖』は混乱していた。


 振った剣を打ち落とされた。反応されたか、動きが読まれているのか、それとも誘導されているのか。いずれにせよ何度も対処されれば、まぐれと片付ける事は出来ない。


 相手が自分を上回っているのか。そんな訳がない。認められない、認めたくないと、かぶりを振って否定する。その間も敵の斬撃が追い詰めてくる。


『――蜂鳥の羽撃きヴァン・ヘイレン


 高速のコンビネーションがマルセロの思考速度の限界を超えて迫り、懸命のガードを破り始める。


 いつの間にか、マルセロに聞こえていた足音と息遣いは、目の前の男のものと重なっていた。


 マルセロは、男の二つ名を呼んだ。


「『刃壊者ソードブレイカー』、てめぇは一体――」




 一つの道を極めんとする者は、腕を磨き、実力を上げる程に結果が必然性を増していく。


 それは剣士も魔術師も、それ以外の例えば料理人や鍛冶師であっても等しく言える事だ。


 運やまぐれといった不確定なものを介在させずに最良の結果を得ようと、多くの者が血の滲むような鍛錬と創意工夫を積み重ねる。


 だから、今ネーナがの当たりにしているこれも、きっと奇跡ではないのだ。

 

 ――でも、でしたら。

 

 ネーナは思う。奇跡のようでいて、決して奇跡でないこれを、一体何と表現すればいいのだろうと。

 

 二人の剣士が激しく打ち合う。きっとマルセロは意識していない。けれどネーナは確かに見た。


『剣聖』マルセロが、半歩退いた。


 同時に、オルトは半歩を詰めた。


 苦し紛れに出された『魔神の尾』より僅かに早く、オルトのスタインベルガーは縦に振り抜かれた。

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